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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
学士アイザックの受難
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「なに、あの女がまた来た、だと?」

 ここは、『クレマティス』の離れである。スタンリー一家幹部・バーレットは、娼婦のひとりに酌をさせて酒を飲んでいるところだった。

 部屋の隅にはヴァートの姿もあった。来なくていい、とは言われているが、来るなと言われているわけでもない。酒をもらいに来た、などと言って部屋に上がり込んでいる。

「直接ここにくるのはあれっきりにしろ、と言ってあったはずだが」

「それが、あの学者に最近怪しい動きがあるって話で。どうします、兄貴」

「告げ口して小銭でも稼ごうって魂胆か? まあいい。通せ」

 程なくして、あの女(・・・)――ノーマが部屋に通された。

「用件はなんだ」

「はい。実は、お伝えしたいことがありまして」

「言ってみろ」

「れいの学者――アイザック・ローウェルですが、ここ数日最近妙に羽振りがいいのです」

「羽振りがいい、か」

「はい。なにかあったのか、それとなく聞いてみますと――とある貴族の秘密を握ってしまった。上手くいけば大金が手に入る、と」

「何ぃ?」

 バーレットの表情が、大きく歪んだ。

「それは本当か? 学者が嘘をついているってこたぁねぇだろうな」

「その点については心配いりません。あの男――私に惚れているようでして。私に対しては、どんなことでも包み隠さず話してくれるのです」

「ほかの人間に漏らした様子は?」

「ここだけの話、と申しておりました。あと、父だけには絶対知られてはならないなどと」

「なるほど、貴族に強請りをかけるなんてこと、『清流不濁』のマイカ・ローウェルが許すはずもねぇ。しかし……ううむ、これは拙いことになっちまった」

 バーレットは低い声で唸ると、考え込んでしまった。

 無論、このノーマの話はすべて作り話である。バーレットにかまをかけるため、マーシャたちがでっち上げたものだ。

 ちなみに、アイザックがノーマに惚れている、というのも話の信憑性を高めるための方便である。マーシャがこの作り話を考え出したとき、アイザックは耳まで赤くして押し黙ってしまった。それを見たアイが思わせぶりな表情でアイザックの肩を叩いていたのを、ヴァートは覚えている。

 つまりノーマは一芝居打っているわけだが、その演技は実に堂々としたものだ。バーレットを裏切っていると知られれば、間違いなく自分の身に危険が及ぶ。念のための保険としてヴァートがこの場にいるわけだが、それにしてもノーマにはまるで臆した様子がない。感嘆すべき胆力である。

「バーレットの旦那、この女はれいの仕事に関係あるんだろう? そろそろ詳しく聞かせてくれてもいいんじゃないのか」

 ヴァートが口を挟んだ。

「ああ、そうだな……名前までは明かせねぇんだが、この仕事はとある貴族の依頼だ。その貴族の犯罪の証拠となる一冊の本が、王様に寄付された大量の本の中に紛れ込んじまったんだ。なんせ、本を運んだのは王女様のご一行とあって、道中は手が出せなかった。そこで、お城の侍女であるこの女に盗ませたってわけだ。ちょうどこの女の兄貴が一家に借金していてな。それで俺たちの命令のまま動かせた、って寸法さ」

 ここまでは、ほぼヴァートたちの推理どおりだ。ということは、依頼人は現当主――急病で引退した先代当主の弟、ということになる。

「しかし、その学者が本の中身を見ちまって、秘密に気付いた――そういうことだな」

「ああ。しかし、困ったことになった。俺は一度しくじってるからな。今度は慎重にいきたかったが、状況が変わっちまった。どうしたもんか」

「それなら、いい考えがあります」

 バーレットの思索に割り込んだのは、ノーマであった。そして、そのノーマの行動は、打ち合わせにはなかったものだ。ヴァートは思わず腰を浮かしかける。

「なんだ」

「彼は、私に惚れていると言ったでしょう。それを利用すればいいのです」

「……なるほどな。お城の侍女ともあろう者が、随分悪どいことを考えるじゃねぇか」

「私としても、一刻も早く借金を完済したいもので」

「いいだろう、見返りは弾んでやる」

 バーレットは残忍な笑みを浮かべ、そう言った。


 ヴァートは、いくつかの打ち合わせを終えたのち『クレマティス』を出たノーマを追った。

 バーレットには、急に腹が痛くなったなどと言い訳をしてある。

 あたりを見渡すと、右手の道の先にノーマの後姿があるのを見つけた。

 早歩きでノーマに迫ると、その横に並んだ。目線は合わせず、あくまで偶然同じ速度で歩いているだけ、というふうを装う。

「どうしてあんなことを言ったんですか」

 ノーマのみに伝わるよう、抑えた声で語りかけた。

「なぜと申されましても――あれが、最良の手段だと思ったからにございます」

 ノーマも、ヴァートの顔ではなく前を向いたまま答えた。

「バーレットも自ら出向くと明言しました。誘拐の現場を押さえられたならば、バーレットとて罪に問われることは免れないはずにございます」

「でも、危険です! 『人質のふり』、とはいっても、『ふり』だけでは済まなくなる可能性だってある」

 ノーマの持ちかけた提案、それは自らを人質にアイザックをおびき出す、というものだった。

 もちろん、現状ノーマはスタンリー一家の内通者という立場だ。あくまで人質のふりをするだけ、という話にはなっているのだが――

「あいつらは、人の命をなんとも思っていない連中です。自分たちが不利になったとき、あなたを切り捨てるかもしれない」

「そのときは、私を見捨ててくださればよいだけのこと」

 と、ノーマは顔色一つ変えない。彼女の心を動かすことは無理だと判断したヴァートは、大きくため息をついた。

「はぁ、強情な人だな……でも、それなら事前に相談してくれれば良かったのに。いきなりとんでもないことを言い出すもんだから、びっくりして心臓が止まるかと思いましたよ」

「申し訳ありません。しかし、必ず反対されると思いましたので」

 と、ノーマはどこか悪戯めいた微笑を浮かべるのだった。

 

 ヴァートは桜蓮荘に着くと、マーシャの部屋の扉を叩いた。そこではマーシャ、アイ、アイザックの三人がヴァートの帰りを待ちわびていた。

「まったく、厄介なことになったものだ。あのノーマという女性、われわれが思っていた以上に剛毅だったらしい。男でもあれほどの精神力を持つ者はそういまい」

「感心している場合じゃないですよ、先輩。とんでもないことになってしまった」

 アイザックは顔面蒼白である。

「しかしアイザック殿、なかなか悪くない策にござる。ことが上手く運べば、敵を一網打尽にすることができよう」

「確かに――しかし現行犯で抑えるといっても、大々的に警備部を動かすのは拙い」

 スタンリー一家にしてもアルマン党にしても、犯罪組織というものは、官憲の内部に金や女で転ばせた内通者を持っているものだ。バーレットの一味を一網打尽にするつもりなら、警備部もそれなりの準備をせねばならない。そうすると、バーレットの側にも警備部の動きを悟られる可能性がある。

 もちろん、現行犯でバーレット一味の身柄を確保する必要があるため、エドマンド個人の力を借りる必要はある。

「今回はパメラさんもミネルヴァさんもいないですし。慎重にいかないと」

「うむ。で、ヴァートよ。敵の戦力はどのくらいなのだ」

「バートレットの傘下は、オーギュストさんが言っていたとおり三十、ってところです。それと金で雇われた用心棒が、俺を含めて四人」

「連中の腕前は?」

「バーレット直属の手下について言うなら、ピンからキリまで、って感じだと思います。用心棒はまだ紹介されてないんでわからないですけど、バーレットの言葉を信じるならかなりの遣い手、らしいです」

「――まずは、敵がどう出てくるか、それを待たねばならぬようだな。詳しい作戦を立てるのはそれからだ」

 ともすれば、三十人以上が敵となるかもしれない状況である。しかし、まったく動揺を見せぬ三人に対し、アイザックは困惑を禁じえないのだった。


 桜蓮荘に脅迫状が届けられたのは、翌日の午前中のことである。


『ノーマ・シャイファーの身柄を預かっている。女の命が惜しかったら、明日の夜、十の鐘が鳴るまでにバセード廃寺院までひとりで来い。警備部に通報したら女の命はないと思え。れいの本から知りえたこと、他言はするな』

 

 という文面で、まさに模範的な脅迫状であるといえる。

 調べてみると、バゼード寺院とはレン郊外にある古寺で、二十年ほど前に火災で焼けて以来、無人のまま放棄されているのだとか。

 地図によれば、寺院の周囲はいまだ開発の手が入っていない原野だ。誘拐犯にとってはおあつらえ向きの立地である。

「先生、ここはひとつ某が、昼間のうちに様子を探ってこよう」

「うむ、頼む」

 言われるが早いが、アイは矢のような速さで駆けて行った。

「グレンヴィル先輩、いいのですか? 連中に見つかりでもしたら……」

 この日は「風で高熱が出た」ということにして仕事を休んだアイザックであるが、その顔を見れば上司も仮病を疑うまい。焦燥と不安で眠れぬ夜を過ごしたアイザックの顔色は、それほどまでに悪い。

「アイならば大丈夫。下手を踏むような真似はしないさ。ヴァート、お前のほうはどうなっている」

「俺は、夕方までに『クレマティス』に来るように言われてます。たぶん、そこから寺院跡まで案内されるんじゃないかと」

「では、とりあえずアイの帰りを待つとしよう」

 アイは、昼過ぎには桜蓮荘に戻って来た。

「崩れかかっているとは聞いていたが、外壁は思いのほかしっかりしていたでござる。外から奇襲をかけるならば、窓からということになろう」

 アイは、寺院の間取りを簡単に記した紙を取り出し、説明した。

「スタンリー一家の連中の様子は?」

「あくまで某が見た時点での話にござるが、三人ほどが屯していたのみ。本隊はまだ到着していなかったらしく、様子を探るのは容易にござった」

 三人は、図面をもとに綿密に打ち合わせを行った。アイザックも一応は話し合いに参加していたが、こころここにあらずといった様子でほとんど口を開かなかった。

 話が概ねまとまったところで、ヴァートは窓の外を見やった。最上階の角にあるマーシャの部屋からは、桜蓮荘の周囲が広範囲で見渡せる。

「|しかし――すでにここにも監視がついてるみたいですね」

「正面と裏口にひとりずつ、怪しげな男が見張っていたでござる。ヴァートもこのくらいは気付けるようになったか」

「まあ、あのルーク・サリンジャーが使っていたのは暗殺者ギルドの手の者だったからな。やくざ者の下っ端とはわけが違う」

「監視がついているとなると、僕はうかつに動けませんね」

 ヴァートの顔は知られている可能性がある。そのヴァートがアイザックと一緒にいると知られれば、怪しまれるのは必定である。

「まあ、連中の目を盗んで外に出るのはそう難しいことではないでござるよ。たった二人でこの広さの建物を見張ろうというのだから、脇が甘い連中にござる」

「エドとも繋ぎを取らねばならないしな。そうだな、ザック。しばらくその辺をぶらついて連中の目を引き付けてくれないか。その間ヴァートには十九分隊詰め所まで行ってもらうことにしよう」

「……わかりました。ついでに、外の空気を吸って心を落ち着かせてきますよ」

 いかにも重たげな足取りで、アイザックは桜蓮荘の門を出た。それに続き、マーシャが何気ない素振りで門前に出る。

「――いいぞ。今のうちだ」

 正門を監視していた何者かがアイザックのあとを尾けて行くのを確認し、マーシャはヴァートを促した。ヴァートは無言で頷き道に走り出ると、一気に人ごみに紛れた。

「さて、ザックが戻るまでに昼食の支度をしておいてやろう。もっとも、あの様子では飯が喉を通るか怪しいが」


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