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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士マーシャの賭事
53/138

 桜蓮荘では、デューイとアンナがマーシャたちの帰りを待っていた。二人の姿を認めるなり、デューイが駆け寄る。

「先生! アルマン党の連中のところに行って来たんでしょう?」

「ああ。しかしデューイ、どうしてそれを?」

「アンナの親父さんから、親分のところにアルマン党の奴が強請りに来たって話は聞きましたから。そうじゃないかって。それで――どうなったんですか?」

「ああ、まあ……大体のことは解決した」

「大体って……俺にも詳しく教えてください、なにかできることをしたいんです」

「子供の出る幕ではない。この件に関しては私たちに任せるんだ。私たちはこれから、少し話し合わねばならぬことがある。部屋には近づくでないぞ」

 子供呼ばわりされ、デューイは憤慨の表情を見せるが、マーシャはそれを無視してぴしゃりと自室の扉を閉めた。

 デューイたちの気配が充分に遠ざかったのを確認してから、ブレナンに向き合う。

「さて、賭け試合が行われる場所ですが……親分、どのあたりかご存知か」

「ふむ。新市街を西に抜けた先だな」

 オーギュストから渡された紙片を見て、ブレナンが即答する。さすがは運び屋ギルドの長だけあって、地理には明るい。

「地図はあるかね」

「はい、お待ちを――ああ、ありました」

「ここだ。たしか、昔の練兵場跡があるはずだ。あんたも聞いたことはないか? ほれ、幽霊が出るって噂のある……」

「聞いたことがあるような、ないような……」

「だから、夜になると滅多に人が寄りつかねぇ。たしかに、賭け試合をやるにはもってこいの場所だ」

「しかし、人の斬り合いを楽しんで見物するのが貴族や上級の武家だというのだから、まったく嘆かわしい世の中です」

「それは同感だ。なまじ景気がいいせいで、この国はすっかり澱んじまった」

 先王の改革により景気は良くなったが、その分不正を行おうとする官吏や、違法な商取引を行おうとする商人は増えたという。また、経済的な余裕ができれば、退廃的な娯楽に興じようとする者も増える。

「しかし、これだと馬車を使ってもかなり時間がかかりますな」

 マーシャは、窓の外を見やる。空は、茜色に染まりかけていた。

「ああ。約束の刻限までに到着するとなると、じき出発せにゃならんだろう」

「では、早々に支度を整えますゆえ、親分は表通りで辻馬車を捕まえておいていただけるか」

「わかった。じゃあ、待ってるぜ」

 ブレナンが出て行くと、マーシャは着替えを始めた。通り魔と対決したときと同じ、黒の上下に袖を通しかけて手を止めた。この装束、各所に工夫がされており、隠し武器をいくつも仕込むことができるうえ、鋼糸が縫い込まれていて斬れにくい。万一オーギュストが約束を違え、武力行使もやむなしという状況になった場合を考えての選択だった。

(しかし――下劣ではあるものの、筋は通す男のように思える)

 マーシャは、結局地味な色の長袖シャツにスラックス、編み上げの長靴というごくごく普通の服装を選んだ。ミネルヴァに稽古をつけるときのごとく、防具は一切身につけない。

 腰に長剣と短剣の二本を吊るし部屋を出ると、おろおろした様子のアンナが待ち構えていた。

「どうした、アンナ。もう心配はいらぬと言っただろう」

「いえ、その、デューイの様子がおかしくて……」

 言われてみれば、デューイの姿が見えぬ。

「実は、これ……」

 アンナがマーシャに見せたのは、紙を張り合わせてコップ状の形にした底に、長い糸を貼り付けたものだ。子供の遊び道具で、紙のコップを耳に押し当てることで、遠くの物音を聞くことができるのだ。

「デューイの奴、もしや盗み聞きをしていたのか」

「はい。先生の部屋の窓に糸を貼り付けて――そしたら急に怖い顔になって、どこかへ走って行っちゃったんです」

 マーシャの脳裏に、悪い予感がよぎる。

「それはいつごろの話だ」

「親分が先生の部屋から出てくる少し前だから――もう二〇分以上は前だと思います。それと、先生の地下倉庫から剣を持ち出したみたいで」

「何だと!?」

「デューイ、どうしちゃったんでしょう――先生?」

 アンナの言葉を最後まで聞くことなく、マーシャは走り出した。

(デューイの奴、早まったことを考えなければいのだが――一刻も早く会場に向かわねば)

 表通りで待っていたブレナンと合流すると、マーシャは馬車に駆け込んだ。

 しきりに御者を急かすマーシャにブレナンも首を捻る。約束の時間にはまだ幾分か時間があったからだ。しかしマーシャのあまりの剣幕に、事情を聞くことも憚られるブレナンだった。

 突如、馬車が止まった。

「どうしたんだ、急いでいると言っているだろう」

「いえ、この先で荷車が荷崩れを起こしたみたいでしてね」

 道はたちまち大渋滞を起こしている。マーシャたちが乗る辻馬車の後ろにも、多数の馬車が列をなしていた。進むも退くもままらなぬ状態である。

 馬車は渋滞を抜けるのにかなりの時間を費やした。約束の刻限にはどうにか間に合いそうであるが、マーシャが焦っているのは別の理由である。

 会場の少し手前で馬車を降りると、マーシャは駆け出した。

「親分、御免。先に参ります」

「あ、ああ……」

 ブレナンもかつては運び屋であり、今でも年齢を感じさせぬ肉体を誇るけども、もうすぐ六〇になろうという年齢だ。マーシャの全力疾走にはとても着いて行けず、みるみる引き離されてしまった。

 しばらく走ると、マーシャの目にいくつかの篝火の明かりが見えてきた。どうやら、そこが賭け試合の会場らしい。遠目からも、大きな人の輪ができているのが認められた。

 試合開始まではまだ時間があるはずなのに、人の輪からは剣戟と感性が響いている。

 マーシャの背中に、冷たいものが走る。

(思い過ごしであってくれ……!)

 走りながら願うマーシャだったが、現実は非常なものだった。

 果たして、人の輪の中心で戦っていたのは、デューイ少年だったのだ。


 試合の会場は、かつての練兵場跡だという広い草原の一部を正八角形の形に柵で囲った場所だった。

 柵の周りにはぐるりと篝火が焚かれ、いかにも身なりのよさそうな人々が柵にかじりつくように群がり歓声を上げている。身元を知られないようにするためであろうか、ほとんどの観客は目元を覆うマスクを着けている。

 あたりを警備していたアルマン党の若い衆の制止を振り切り、マーシャは会場へ向かう。

 人を掻き分け柵に取り付いたマーシャの目に飛び込んできたのは、二人の人間が真剣を振るって戦う光景だった。

 一人は、三十代中ごろと見られる男だ。長身で痩身、細い目から発せられる眼光は鋭い。

 もう一人はデューイ少年だ。マーシャのアパートメントから持ち出した防具を身に付け、必死に戦っている。

 デューイは既に身体の数箇所に手傷を負っている。それでもなお気丈に剣を振るうも、対戦相手の男との実力差は歴然であった。デューイとて決して弱いわけではない。弱冠一四ながら、生半可に剣を学んだ大人程度の相手なら、決して引けを取ることはない。

 しかし――不運なことに、今夜の相手は「生半可」どころか、凄まじい使い手であったのだ。

「おや、ようやくのお出ましか」

 マーシャに声をかけたのは、オーギュストであった。

「オーギュストとやら、これはいったいどういうことだ」

「どういうことも何も、あの餓鬼があんたの代理だって言うから試合に出してやっただけのことさ。試しにうちの手下と戦わせてみたが、なかなかの実力だったしな」

「馬鹿な……そんなもの嘘に決まっておろう」

「無論、俺も気付いてはいた。まあ、あの餓鬼の言葉が嘘だというなら、じきあんた本人が現れるだろうし、前座にはちょうどいいと思ってな。それに、うちのお客さんたちの中には、年端も行かぬ餓鬼がなぶられるのを見て悦ぶ人もいらっしゃる」

 オーギュストの言葉どおり、観客たちは一方的な虐殺を実に楽しげに見守っている。

「なんたる悪趣味――まあいい、早く止めさせろ」

「そいつはできない相談だ。この盛り上がりを見ろ。止められるわけがない。それに――」

 それまでの軽薄そうな話しぶりとうって変わって、オーギュストの声が真剣味を帯びる。

「餓鬼とはいえ、一人の男が自分で決めて挑んだ勝負だ。手出しをするのは無粋ってもんさ」


 試合場の真中では、なおもデューイが奮戦していた。

「でえぇぇいッ!」

 身を低くして鋭く踏み込み、男の右足を薙ごうとする。なかなかの速度であるが、男はいささかも焦ることなく、デューイの側面に回ってこれを避け、剣を一閃。デューイの右足が浅く切り裂かれた。

「くッ!」

 デューイは痛みを堪えつつ踏ん張って体勢を整えると、上段から男の肩口に斬りかかる。男は自らの剣で斬撃を弾くと、手首を返して一撃。今度は、デューイの肩口が切り裂かれた。

「小僧、もういいだろう。降参しろ」

 痛みに耐えかね片膝をつくデューイに、低い声で男が告げる。

「俺とお前の力の差は、まぐれや運でどうにかできるものではない。身に染みてわかったはずだ」

「ッ……!」

 デューイが唇を噛む。男の言葉どおり、デューイは己の無力を痛いほど感じている。男は、自分からは攻めようとせず、デューイの攻撃を避けてはデューイが狙った場所と同じところに反撃してきた。遊ばれているのは明らかだった。

「ここに集まっている連中と違って、俺には子供をいたぶって悦ぶ趣味はない。負けを認めれば命までは取らん」

 デューイは答えず、立ち上がるとふたたび剣を構えた。

「意地を通して死ぬか。それもまた男の生き方よ」

 空気が変わった。男の全身から殺気が噴き出す。

 デューイの膝は、がたがたと震えている。ここへ至って、真剣勝負の恐ろしさというものを実感したのであろうか。それでも必死に勇気を振り絞り、男の眼光を受け止める。

「あと十年もすれば、良い剣士になっただろうに。なれど、これも巡り合わせか。小僧、名は」

「……デューイ・カミン」

「このギネス・バイロン、その名をしかと覚えておくぞ」

 左足を前に半身に、右脇は締める。剣先を真っ直ぐデューイに向け、刺突を狙う構えである。

「しぃッ!!」

 鋭く息を吐き、男が一気にデューイに肉薄する。死を覚悟したとて、土壇場では生存本能が強く働くものだ。デューイも刺突にあわせて剣で防御しようとするが、男の突きは単なる突きではなかった。肩、肘、手首を捻りながら放たれたその突きは、デューイの剣をすり抜けるように、螺旋の如き軌道でデューイの心臓に迫る――!

 デューイは思わず目を閉じた。が、男の剣はデューイの胸先わずかのところで止まっていた。男の突きを止めたのは、試合場に乱入したマーシャであった。

「勝負に水を差して申し訳ないが、この馬鹿者は私の愛弟子なのだ。目の前でみすみす殺されるわけにはいかぬ」

「ほう、すると貴公がマーシャ・グレンヴィルか。俺としては、貴公と立ち会えるのならその小僧がどうなろうと一向に構わぬ」

「すまぬ――オーギュスト、もういいだろう!」

 マーシャが大声で叫んだ。

「兄貴、いいんですかい」

 手下がオーギュストに耳打ちする。

「まあ、見ろ。なかなか劇的な展開じゃないか。お客さんも喜んでいるようだし、演出と考えれこれもばあり(・・)だろう」

 そう言うと、オーギュストは試合場の真中に進み出ると、

「お集まりの紳士淑女の皆様、本日は予定外の余興がありましたが――遂に、あのマーシャ・グレンヴィルの登場です! 試合開始はもうすぐ、先ほどの試合は無効とさせていただきますので、張り直しをご希望の方はお急ぎを!」

 と、朗々と告げ、観客たちからは大きな歓声が上がった。

 マーシャはその間デューイを試合場の外まで連れ出すと、人気の少ない場所に座らせて傷の手当を始めた。

「馬鹿者、自分が何をしでかしたのかわかっているのか」

 包帯を巻きながら、マーシャはデューイを叱責する。その声は、デューイがいまだかつて聞いたことのないほど厳しいものだった。

 萎縮したデューイは、声も出ない。

 傷を改めるマーシャは、大事な血管や腱は一切傷ついていないことに気付く。デューと対戦したあの男、ならず者の賭け試合に出るような人間ではあるが、少年であるデューイを極力傷つけないよう配慮したところを見ると、剣士としての誇りは失っていないように思えた。

(それにしても、あの相手の男が手練でよかった。半端な実力の持ち主なら、このように巧みに手加減をすることはできないだろう)

 少し声音を和らげ、なおもデューイに語りかける。

「あの男が相手でなければ、私が到着する前にお前の命は失われていたかも知れぬ。……なぜ、こんな無茶をしたのだ」

「…………」

「言え。さもなくば、師弟の関係もここで終わりだ」

「俺……アンナが困ってるとき、なんの力にもなってやれなかったから……悔しくて」

 見ると、デューイの両目から、大粒の涙が零れていた。

「……お前の気持ちもわからぬではない。しかし、辛いときは大人に頼るのだ。子供を助けるのが大人の仕事なのだから。それとも、私はそんなに頼りなかったか?」

「……そうじゃない、そうじゃないけど……」

 女手一つで兄弟を育てている母の背中を見て育ったデューイだ。

(人一倍、早く一人前になりたいという気持ちが強かったのかも知れぬ)

 思えば、マーシャが父の死をきっかけに剣で身を立てる決意をしたのは一六歳、デューイと二つしか変わらぬ年齢の時だ。マーシャ自身、振り返ってみれば随分無茶をしたものだと思う。あの時の自分がデューイと同じ境遇に立たされたとしたら――そう考えると、マーシャもこれ以上デューイを叱責する気になれなかった。

 マーシャは、デューイの頭を優しくかき抱く。

「まあ、今日のところはもう許そう。とにかく、デューイが無事で本当に良かった」

「先生……ごめん、ごめんなさい……」

 マーシャの胸が、デューイの涙でしとどに濡れた。


「どうだ、落ち着いたか」

 ようやく泣き止んだデューイは、気恥ずかしさのあまり赤面して顔を逸らしている。

「はい……その、ありがとう、先生。先生が止めてくれなきゃ、俺絶対に死んでたよ」

「当たり前のことをしたまでだ。いつも言っているだろう、師弟の絆は親子の絆に等しいと」

 マーシャが、デューイの頭をくしゃっと乱暴に撫でた。

 そこへ、ようやくブレナンが到着した。

「先生に……そっちはさっきの餓鬼じゃねぇか。一体何があったんだ?」

 全身傷だらけ、両目を真っ赤に泣き腫らしたデューイを見て、ブレナンはまったく事情が飲み込めない様子だ。

「詳しいことは後ほどお話しますよ、親分。さて、そろそろ試合の時間だな」

 マーシャが立ち上がろうとする。

「……先生」

「どうした、デューイ」

「俺……早く大人になりたい。先生みたいな、何でもできる立派な大人に」

「……デューイ、お前は勘違いをしているぞ。できなかったことができるようになるのが大人になるということではない。『自分ができないことは何か』を知っているのが大人というものだ」

 マーシャの言葉に、デューイは疑問符を浮かべる。

「今はわからないかも知れぬ。私からして、それに気付いたのはここ一、二年のことなのだから」

 そう言って、マーシャは試合場へ向かった。

 その背を見守りつつ、ブレナンがデューイの肩を叩く。

「いい師匠じゃねぇか。ああいう人が身近にいるってのは幸せなことだぜ」

「はい。俺も、本当にそう思います」

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