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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士マーシャの賭事
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 吹く風は日々冷たさを増し、木々の葉も徐々に色づく季節である。

 アイニッキ・ウェンライトが、オネガ流の因縁が巻き起こした事件を自らの手で解決してから半月ほどのことになろうか……。

 この日、桜蓮荘の中庭では五人の少年がマーシャに剣の指導を受けていた。四人は十歳前後の小さな子供だが、一人だけ体格の飛びぬけた少年がいる。今年一四になるデューイ・カミン少年である。

 この国で武が尊ばれてることはすでにいくつかの章において語られている。職人や商売人になる者には関係のないことであるが、国軍の兵士や官吏を目指そうとする場合、武術の心得は大いに役立つ。武術の免状のひとつでも持っていれば登用試験の際有利になるし、実際に職に就いたあとも上司の覚えがよくなったり、出世の足がかりにもなる。

 軍に入ろうとする場合、武術の心得は特に重要である。

 この国の国軍は、健康な成年男子ならば一部の重大な犯罪歴を持つ者を除き、誰もが登用試験を受けることができる。

 しかし、一般から登用された兵士は、普通一定の以上の階級には昇進できない。武家や貴族出身者が、なんの努力もせずにいきなりそれなりに高い階級につけるのとは対照的である。登用に際しては広く門戸が開かれているけれども、生まれの差というのは歴然として存在しているのだ。

 デューイ少年も、剣を学んで就職に活かそうと考えている者のひとりである。女手ひとつで自分と兄弟たちを育ててくれた母に楽をさせるべく、登用試験を受けられる十八歳になり次第、王国軍に入るつもりなのだ。争いごとは好まぬ少年だが、剣を学ぶことで母や意兄弟たちを助けられるならそれでいい、という割り切った考えを持っている。

 一般人から登用された兵士の給料は、決して高くはない。しかし、多くの一般庶民がその日暮らし的な生活をしているのに対し、宮仕えは安定した定期収入があるのが魅力的だ。訓練は厳しいし、有事とあらば最前線で身体を張らねばならぬ職業であるが、人気はそれなりに高いといえる。

 剣の道を捨てたマーシャであるが、ミネルヴァのように純粋に自己を高めるために剣を学ぼうとする者や、あるいはあくまで就職の一助とするためと割り切って剣を学ぼうとする者に対しては、自らの技術を惜しげもなく教え込む。

 さて、この日のデューイ少年は、心ここにあらずとったふうで、どこか稽古に気が入っていないようにマーシャの目には見えた。なまじ頭の回転が速いだけに、ついつい軽口を叩きがちなデューイであるが、根は真面目で一本気だ。剣の稽古のときは実に真剣に、集中して打ち込むこの少年にしては珍しいことである。

 稽古は、マーシャが子供たち一人ひとりと乱取りすることで仕上げとするのが常である。

 ミネルヴァとの稽古とは違い、わざと隙を作って打ち込ませ、自然に攻撃の型が身につくように導く。年少者には、たまに一本取らせてやることもある。

 最期に順番が回ってきたのは、一番年かさのデューイだった。技術も体力もついてきたデューイに対しては、マーシャも厳し目に相手する。それでも、ミネルヴァに稽古をつけるときほどには本気を出さないのだが。

 マーシャは右手に剣を持ち、下段にゆったりとした構えをとった。あえて打ち込ませるために、左半身に隙を作っている。

 デューイは、剣を使うときは愚直な性質だ。隙があらば、迷わずそこに打ち込んでくる――はずなのだが。

 剣先が右に左にふらふら揺れ、目線も落ち着きがない。明らかな迷いが見える。いつもの思い切りの良さは、完全になりを潜めていた。

(いかんな)

 マーシャが思うのも無理はない。

 防具をつけた模擬戦であるし、マーシャも最大限注意して力を加減する。しかし、集中を欠いた状態では往々にして事故が起こるものだ。

「今日はここまで。皆、後片付けに入りなさい」

 ただの一合も剣をあわせずに乱取りを終わらせてしまったマーシャに、小さい子供たちは怪訝顔を見せるものの、その言葉には素直に従った。

「デューイ、今日はどうしたのだ。私がなぜ乱取りを中止したか、お前にもわかっているだろう」

 マーシャは、年少の子供たちと一緒に後片付けをしていたデューイに声をかけた。デューイは一瞬はっとした表情を浮かべたが、

「うーん、今日は朝早くから一仕事してきたから、少し寝不足で……そのせいかもしれませんね」

 と、平静を装ったふうで答えた。

 マーシャの目には、なにか精神的なものが原因――悩みごとかなにかを抱えているように見えた。しかし、デューイも男だ。本人が語りたくないのであれば、無理に聞き出すつもりはない。

「ふむ。……なにか困ったことがあれば、いつでも言ってくるがいい。お前は私の店子であり、なにより大事な弟子なのだから」

「はい、ありがとうございます」

 この日のデューイとの会話は、そこで終わった。


 その晩のことだ。

 マーシャは、とある商家の倉庫で開かれている賭場を訪れた。賭博は違法行為であるのだが、よほど大っぴらに、そして大規模にやらぬ限りはお上もこれを黙認する。現に、法を遵守すべき役人や兵士もときには賭場で賭け事に興じたりしているのだ。

 マーシャは、別に賭け事が好きなわけではないし、一山当てようと考ええているわけでもない。賭場で行われている、カード遊戯が目的なのだ。

 エージと呼ばれるカード遊戯がマーシャのお気に入りだ。押し引きの判断や対戦者との駆け引きがなかなかに面白く、数年前から賭場に通うようになった。

 この日のマーシャは不調であった。どうにもカードの引きが悪く、いくら粘ってもほかの者に上がられてしまう。

 いくら頭を使うゲームとて、イカサマでカードを操作でもしない限りは最終的に勝負を分けるのは運だ。

 こういうことは、博打をやっていれば必ずあることである。ここで悪あがきを続けてもどうにもならぬと感じたマーシャは、

(今日は、このくらいにしておくか……)

 と、席を立つことにした。

 帰り際、マーシャは別の卓に見知った顔をひとつ見つけた。四〇がらみの中年男で、頭髪は薄い。歳のわりに引き締まった肉体を持つその男は、ホリス・カータレットといって、ギルド『黒鷹』に属する運び屋だ。運び屋とは、依頼を受けて小口の物品の輸送を行うことを生業とする者のことだ。彼はマーシャのアパートメントの近所で妻、一人娘とともに暮らしている。

 この男、良くも悪くも単純な性質で、勝負に熱くなりすぎるきらいがある。

 このゲームでは、特定の条件下においてはほかの競技者が捨てた手札を拾って自らの手役に加えることができる。自分の手を進めながらも、敵の上がりを防ぐというのがこのゲームの競技性と言っていい。しかし、ホリスはひたすらに自分の手を進めることのみ執心し、しかも常に大きな手を狙いたがる。なので、ほかの競技者の引きが悪いときばかりは大きく勝つのだが、負けることのほうが圧倒的に多い。

(今日は珍しく勝っているようだな……しかし、このあたりで勝ち逃げしておいたほうがいいのではないか)

 ホリスの後ろを通り過ぎつつマーシャは心配する。というのも、その回のホリスの手札はかなり悪そうだったからだ。不思議なもので――勝負事には、流れというものがある。それまで調子よく勝っていても、一度悪い負け方をするとそこからずるずると連敗してしまう、などということはままある。

 そして、この晩のホリスはいつにも増して勝負に入れ込んでいるように見えた。危険な兆候である。

 しかし、一旦勝負に入ってしまうと人の話を聞くような男ではないし、ここでマーシャが助言してやる義理はない。たとえ顔見知りとて、他人におせっかいを焼かぬのが賭場の流儀である。

 こうして、マーシャは賭場を出た。

 帰宅途中、酒場『銀の角兜亭』に寄ると、負けの鬱憤を晴らすかのようにいつもより多目の酒をあおるのだった。


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