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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
拳士アイニッキの真情
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「実は、グレン・ウェンライトなる人物のこと……師から聞いていたでござる」

 アイは述懐した。警備部から釈放されて、三日後のことだ。

「ゆえに、先生からお話をお聞きする前から、グレン・ウェンライトが怪しいのではないか――そう思ってはいたのでござるよ」

「そのことは、取調べのときに話したのか?」

 マーシャの問いに対し、アイは首を横に振った。

「たしかに、『お前が犯人でないのなら、ほかに誰がドレイクを殺そうというのだ』とは尋ねられたでござる。しかし――某は話さなかった――いや、話せなかったといったほうが正確でござろうか」

 ケヴィン曰く、

「故郷の島にいまも暮らしているだろう、甥のことだけは心残りであった……最後に会ったのはグレンが十歳のころだっただろうか。私によく懐いてくれた可愛い子供だったが、私に会うたび、オネガ流を教えてくれと強くせがまれたものだ」

 しかし、ケヴィンはグレンの頼みを拒み続けた。

「かわいそうなことだが、彼の父――つまり私の弟同様、グレンは決定的な資質を欠いていた。オネガ流を学んだとて、中途半端なものにしかならぬだろう。いっそ最初から教えぬほうがグレンのため、そう思ったのだ」

 ケヴィンにしてもその父にしても、はたまたオネガ流を復興させたというケヴィンの祖父にしても、なんとしてもオネガ流を次代に受け継がせたい、という強い意志は持っていなかったらしい。才能に恵まれた弟子が見つからなければ、自分の代でオネガ流が廃れようとも構わないと考えていたのだ。

「剣や槍から杖や槌に至るまで、シーラントにはさまざまな武器と、それを扱うための術理が存在する。なにも、進んで苦難の道を選ぶ必要はない」

 ケヴィンはそう語った。

 才のない人間が十年オネガ流の修行を積んだとしても、習い始めてたった一年の剣術家に敗れることすら考えられる。素手という不利は、それだけ大きいのである。

「師は、死の直前までグレンのことを心配されていたでござる。遺髪の埋葬にカンドラ島に赴いた際は、グレンによろしく伝えてくれと仰せつかっていたでござるが」

「会えなかったのか?」

「然り。たしかにグレン・ウェンライトという人間はカンドラ島に存在していたが、十年近く年前に島を出たきり戻っておらぬとか。島の人間からそう聞いたでござる」

「なるほど。真犯人がグレンだと仮定して、復讐を成就させたグレンがカンドラ島に戻っている可能性はあるな」

 カンドラ島へは、すでにパメラの父サディアスが調査に向かっている。卓越した情報収集能力を持つサディアスにかかれば、相手が誰であれ彼の眼から逃れることはできない。しかしそれは、グレンがカンドラ島にいた場合の話である。

「グレンは見つかるでござろうか」

「それは微妙なところだな。しかし、だからこそわれわれはここに網を張っているのさ」

 二人が会話をしているのは、天井の高い、広い部屋の真ん中だ。石敷きの床に直接胡坐をかき、話し込んでいるのだ。

 ここは、マーシャの知己であるバーグマンが買い取った道場である。バーグマンには相応の金を払い、当分の間マーシャたちが借り切っている。バーグマンとしては、賭け試合で負けて大損する危険なく金が手に入るのだから、断るはずもない。

 かつて道場前にバーグマンが設置していた看板は撤去されている。代わりに、次のように書かれた巨大な看板が新たに立てられた。


『正統オネガ流継承者アイニッキ・イコーネン いついかなるときも、何者の挑戦も拒まず』


 罪を犯した者が、必ずしもすぐに犯行現場を離れるとは限らない。現場がレンという大都会なら尚更だ。九十万という人口は、ほかのどんなものよりも巧みに人という存在を隠してくれる。

 もし、真犯人がレンにまだ潜伏しているとしたら――探し出すのは容易ではない。相手の容貌も知れないのだ。グレンが真犯人だとして、彼を知るカンドラ島の住民も、彼を最後に見たのは十年前のはずである。人相書きなど作ったとしても、あてにはならない。

 こちらから探すのが難しいなら、向こうが寄って来るのを待つしかない。

 やり方としては、マーシャがかつて通り魔を成敗したときのそれに近い。真犯人を挑発し、炙り出そうというのだ。わざわざ看板に正統・・と大書したのはそのためである。敵がオネガ流に執着心を持つ者ならば、この看板の文言には黙っていられないはずだ。

 現在、マイカはその人脈を駆使してアイの噂を広めている。曰く、ケヴィン・ウェンライトが手塩にかけて育てた愛弟子が、レンに帰ってきた――そしてすでに数人の武術家が、噂を聞きつけてこの道場を訪れている。その武術家たちから、さらに噂は広まるはずだ。

「にしても、ただ待つばかりというのも焦れるものにござるな」

「仕方ないさ。さて、ほかにやることもなし――またひとつ、どうだ」

 マーシャは立ち上がると木剣を手に取った。二人がいるのは道場だ。やることといえばひとつしかない。

「こちらからもお願いするでござる。今日こそは一本――いや、せめて一撃は入れさせてもらうでござるよ」

「こっちも、そう簡単にはやらせないさ」

 このように、二人は道場で敵を待つ間、ほとんど一日中手合わせを繰り返しているのだった。


 さらに三日が過ぎた。

 昼下がり、バーグマン道場を訪れる者がひとり。濃い緑色のワンピースに白の前掛けをした、若い女性である。手にした篭にはパンが山盛り詰められていた。

「こいつは美味そうだ、ご苦労様」

 道場の玄関口で、マーシャは篭を受け取った。

「毎度ご贔屓ありがとうございます!」

 快活に挨拶し、女性は小走りに去って行く。パン屋の配達――この場面を見たならば、誰もがそう思うことだろう。

「さて……」

 建物の中に戻ったマーシャは篭の中をまさぐると、中から一枚の封筒を取り出した。


『サディアスより連絡あり。カイラン島でグレン・ウェンライトは発見できず。島からレンに至るあらゆる交通路を探ったが、こちらも成果なし。関所の記録に関しても同様である。


 追伸 昨日より、道場周辺に怪しげな人影を確認せり。警戒を』


 中身はこのように書かれた手紙であった。

 パン屋の娘と思われた女性はパメラである。このような回りくどい連絡方法をとったのも、犯人がどこかで道場の様子を探っているという可能性を考慮してのこと。敵にこれが罠だと悟られるのが一番警戒すべき事態である。

 さしものマーシャも、雑踏に紛れながらこちらの様子を覗う敵の気配を、道場の中から察知することはできない。しかし、パメラが確認したというのだから間違いない。

「アイよ。どうやら、そろそろのようだぞ」

 マーシャの言葉に、アイの双眸が鋭く細められた。


 さらに翌日。

 夕餉を済ませたマーシャとアイは、さらに一度乱取りをしたのち寝床に入った。寝台は、ばらばらにして持ち運べる簡易的なものだ。あくまで仮寓しているに過ぎないのだから、寝心地は気にしていられない。

 夜半も過ぎたころだろうか。不意に、マーシャの眼が開かれた。

「アイよ、起きているか」

「はい、今目覚めたでござる」

 二人は寝台から跳ね起きると、素早く身なりを整える。それぞれ得物を身につけ、道場の中央に陣取った。

 やがて、道場の扉がそろり、そろりと開かれた。

「こんな夜更けに何用か」

 人影が道場に滑り込んできたその瞬間、マーシャが鋭く声を発した。

 マーシャとアイの姿を認め、その何者かは驚愕の表情を見せた。しかし、それは一瞬のことであった。

「なるほど、まんまとおびき出されたというわけか」

 燭台の蝋燭に照らされた曲者の姿――それはひとりの男だった。フォーサイス公爵ほどではないにせよ、上背も厚みもかなりある。伸ばし放題の黒髪をつむじの上でくくり、顎には無精ひげを生やした、中年の男である。

「似ているか」

 マーシャが、小声でアイに尋ねた。

「はい。たしかに、師の面影があるでござる」

 アイは首肯した。

「貴様か、オネガの伝承者を名乗っているという娘は」

 アイを指差すと、低い声で男が言った。アイの服装からそう判断したのだろう。アイは、詰襟の僧服の袖を、肩から切り落とした形の独特な道着を着ている。僧兵が編み出したと言われているオネガ流の正装である。

 男の言葉には、明らかな怒気が含まれていた。

「いかにも。某はケヴィン・ウェンライトが弟子、アイニッキ・イコーネン。そちらも名乗られよ」

「……グレン・ウェンライト。ケヴィン・ウェンライトの甥にして、オネガ流正統後継者である」

 鋭い眼光でアイを射抜きながら、男は名乗った。

 グレンは、アイの全身を上から下まで眺め回した。

「なるほど、オネガ流を学んだというのはあながち嘘でもないようだ。にわかには信じられぬことではあるが」

 アイの身体つきや立ち姿から、グレンは彼女が本当にオネガ流の修練を受けたことを察したようだ。

「貴様ら、なにが目的だ。警備部の手先ではないようだが」

「オネガ流の技を、殺人という忌むべき行為に使った何者かの性根を、この手で正すため。ファーガス・ドレイクら四人を殺したのは貴殿にござろう」

「いかにも。ケヴィン伯父を陥れ、オネガを侮辱した不届き者に、まさにこの手で『鉄槌』を下したというわけだ」

 尊敬する伯父の仇を討った、そう言うグレンの表情に、マーシャは違和感を覚えずにはいられない。マーシャがグレンの表情から読み取ったのは、愉悦、あるいは陶酔――

(間違いない。グレンは殺しを楽しんでいる)

 マーシャは、かつての自分と同種の臭いをグレンから感じ取った。

(はじめは、純粋に復讐が目的だったのだろう。しかし、研鑽を積み力を得――その力が、この男を狂わせたのか)

 アイやカミラの話から察するに、グレンはまともな師を持っていない。道を示すべき師の不在が、グレンのこころを歪ませてしまったのだろう――マーシャはそう考える。

 マーシャは、グレンに激しい怒りを覚える。しかし、ここでグレンを断罪すべきはマーシャではない。

「さて、これを聞かれたからにはお前たちも生かしてはおけん。ここからは一歩も出さぬぞ」

 グレンは道場の扉の前に立ちはだかった。

「逃げる気などはじめからござらぬ。言ったでござろう。貴殿の歪んだその性根、ここで叩き直してくれよう」

 アイは、樫の手甲に覆われた両の拳を、顔の前に構えた。右足を後方に引き、腰を落とす。オネガ流の基本の構えだ。

「返り討ちにしてくれる」

 対するグレンもまた、アイと同種の手甲を身につけている。両手を挙げ、アイと鏡写しの構えをとった。

 マーシャが一歩引いたのを合図に、二人は同時に踏み込んだ。


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