五
アイが、ファーガス・ドレイクを殺害した――にわかには信じられぬマーシャである。
しかし、ケヴィンがシーラントを出奔すつきっかけとなったれいの試合――ドレイクが前評判を覆し、武術家として躍進するきっかけなった試合。そこで、なにかの不正があったのではないかというマーシャの疑念が正しかったとするならば、アイにドレイクを殺す動機は十分にある。
しかし、ケヴィンの過去について知りたいとは思わない――アイの言葉が、嘘であったとはマーシャには思えなかった。そんなアイが、仇討ちのような真似をするとも思えない。
アイがやっていないとすれば、これは冤罪ということになる。
「ひとつ、私も動いてみるか」
ここ数日で、アイの人となりをすっかり気に入ってしまったマーシャである。アイにかけられた嫌疑を晴らさねば、そう考えたのも自然なことである。
まずマーシャは、旧王城区にある警備部第五分隊詰め所に向かった。ここでは、マーシャと親交の深いレイ・コーネリアスが隊長を務めている。
「れいの事件について聞きに来たのでしょう。お出でになるとは思っておりましたよ」
応接室に通されたマーシャを、コーネリアスが迎えた。
アイを捕縛したのは第八分隊であって、この第五分隊ではない。桜蓮荘があるあたりを管轄とする第五分隊ではなく、なぜ第八分隊がアイの捕縛に動いたのか。それは、事件が起きたのが第八分隊の管轄であったということを示している。
事件現場と犯人逮捕の場所とで管轄する分隊が異なる場合、分隊同士で情報を共有し、協力して解決にあたるのが原則だ。もっとも、手柄を独占したいがためにほかの分隊に情報を渡さないなどということはよくあって、それが分隊同士のいざこざの原因となったりもするのだとか。
「まあ、うちのほうにも話は通っているのですが――」
コーネリアスは、言葉を濁らせる。自分たちの担当する事件ならともかく、これは第八分隊の事件である。コーネリアスの口が重くなるのも無理からぬことだ。
「そこを何とか。この通り」
「……まあ、いいでしょう。事件のおおよそのところについては、すでに巷の噂になってしまっているようですしね」
コーネリアスが語るには、事件が起きたのは一昨日の深夜のことだ。
「時刻は、夜半過ぎ。その日、被害者のドレイク氏は、自らの経営する十の道場をそれぞれ統括する師範代十人と、会合を――これは、ほとんど宴会のようなものだったらしいですが――開いていたそうです。会合が終わったのち、ドレイク氏は参加者のうちの三人と連れ立って、フェナー街に出かけたということです」
フェナー街とは、王都レン最大の歓楽街があるところだ。ドレイクたちの目的は、女であった。
「裏通りにあるとある娼館――知る人ぞ知る穴場、とか言われている場所だったらしいのですが――そこでしばし楽しんだのち、店を出たのが夜半前のことだとか。そして、そこからほど近い路地裏で、四人の死体が発見されたのです」
「死体が発見されたのはいつなのですか?」
「四人が殺されてすぐのことのようです。発見者は、死体からはまだ温かい血が流れていたと証言していますので」
「なるほど。しかし、それではなぜアイが疑われたのです」
犯人の目撃証言はないようである。それなのに、どうして警備部はたった一日でアイを逮捕するまでに至ったのか。マーシャの疑問はもっともなことだ。
「……死体の上に、一枚の紙が。犯人が残したものだと思われるのですが……」
紙には、こう書かれていたという。
『オネガの恨み、ここに果たせり』
「なに、オネガと……」
「はい。私はその方面は明るくないのですが、オネガ流といえば武術の一派であるとか。武術家がらみの事件ということで、第八分隊はレン内の道場を回って聞き込みをし、そのうちのひとつで『オネガ流ケヴィン・ウェンライトの弟子を名乗る娘が、道場を見学に訪れた』との情報を得たというのです」
賭け試合を行っていたバーグマンのように、ケヴィンとドレイクに因縁があることは多くの人間が知るところだ。事件との因果関係が疑われるのも当然だろう。
「しかも、ドレイク氏らはどうやら素手で殺害されたらしいのですよ」
オネガ流が徒手空拳を旨とする武術であることを考えれば、アイに疑いの目が向けられるのは仕方のないことであろう。
「しかし、小娘一人が武術家四人を殺害したこと、不自然だとは思われなかったのでしょうか」
「はい。ですからカーターは、複数人の協力者がいると睨んでいるようですな。さて、私がお話できるのはそんなところです」
「ありがとうございます、コーネリアス殿。心より感謝いたします」
マーシャは、丁寧に謝辞を述べると詰め所を辞去した。
アイの疑いを晴らすにはどうしたらいいのか。もっとも簡単なのは、アイが事件の晩、犯行現場にいることが不可能だったことを証明することである。
「あの夜アイはかなり帰りが遅かったはずだ。確か……『銀の角兜亭』で食事を取ったと言っていたか」
マーシャは、今度は「銀の角兜亭」に向かった。店はまだ開店前で、店主は妻子とともに仕込み作業の真っ最中であった。
「そのことなら、警備部の旦那も聞きにきましたぜ」
仕事が早い。強引で高圧的なところもあるが、わずか一日でアイの居場所を突き止めたことといい、カーターという男はなかなか優秀らしい。
「あのお嬢ちゃんなら、閉店間際までうちで飯を食ってましたぜ」
「なるほど、参考になった」
「あのお嬢ちゃんが殺しなんて、俺にも信じられませんや。警備部にもそう言いましたがね。先生、なんとか助けてやっておくんなさいよ」
「もちろんさ」
店を出たマーシャは、頭の中で計算する。店の閉店時間から夜半までにフェナー街に行くことが可能なのか――結論から言うと、不可能ではない。しかしそれは、あくまで理論的に不可能ではない、という程度の話だ。酒場からフェナー街までの最短距離を、何者にも邪魔されず一気に馬で駆けることができれば、という条件を満たさなければならない。犯行現場周辺は歓楽街であって、夜も人が耐えることはない。そこを全速力で駆けるのは無理だろうし、必ず誰かに目撃されるはずだ。実質的には不可能と言っていいだろう。
酒場の店主をはじめとして、常連客たちもアイの姿を見ている。たしかな証言者が複数いれば、アイにかけられた嫌疑も晴れるだろう。マーシャはほっと胸をなで下ろした。
しかし――三日を過ぎても、アイが開放されることはなかった。
「いったいどういうことですか、コーネリアス殿」
ふたたび第五分隊の詰め所を訪れたマーシャである。
コーネリアスの責任でないことはわかっているけれども、マーシャの口調はどうしても強くなってしまう。
「それが……カーターの奴、彼女が協力者を使ってやったことで、主犯が彼女であるとの考えを変えぬのですよ」
「そんな……なんの証拠もなし、アイも認めてはおらぬのでしょう。だいたい彼女がシーラントに来て日が浅いということは、調べればすぐにわかること。そんな彼女が仲間を集めて殺しを行うなど、常識的に考えておかしいと思わないのか。これは不当な逮捕ではないのですか」
「確かにその通りです。しかしあのカーターという男、一度こうと思いきわめてしまうと、なかなか考えを変えない頑固なところがありまして」
コーネリアスも困り顔である。
「ただ、そのイコーネンさんですな。殺された四人の死体を見せられ、『オネガ流ならばこうした真似が可能なのではないか』と聞かれたそうなのです」
死体はすでに腐敗し始めていたけれども、死因となった負傷のあとはまだはっきりと見て取れたという。一人目は喉仏を潰され、二人目は背骨が一撃のもと破壊されていた。三人目は、ばらばらになった胸骨と肋骨が肺と心臓に突き刺さったことによる失血死。そしてファーガス・ドレイクはというと、頚骨が捻り壊されていた。
全員に共通しているのは、ほとんど一撃で絶命させられたということである。
「彼女は、確かにオネガの技によって殺されたように見える。そして、自分もやろうと思えば可能だろう――そうはっきり答えたそうです。これが拙かった。無論、犯行については一貫して否認しているのですが」
そらとぼけていればいいものを、アイは聞かれるまま正直に答えてしまったらしい。このアイの言葉が、カーターの思い込みを一層強くしてしまったようだ。
「正義感は強く、行動力もある。あれでいて部下想いななところもあって、決して悪い人間ではないのですが……このままだと、手柄を焦るあまりに無実の人間を拘束し続けた、とのそしりを受けることになる。カーターにとっても、あまり良くない状況になってしまうのです」
と、コーネリアスは大きく嘆息した。
(あまり気は進まぬが――動機の線で事件を調べてみるか。真犯人に繋がる手がかりが見つかるかも知れぬ)
オネガ流が事件に関わっている。マーシャはほとんど確信に近い思いを抱いている。
現場に残されていた紙片――捜査を撹乱するための擬装とも考えられないことはない。打撃の痕にしても、鈍器で打ち殺したのを何らかの方法で素手によるものと見せかけることは可能だろう。
しかし、オネガ流はウェンライト一族によって細々と受け継がれてきた流派だ。継承者たるケヴィンはすでに亡く、年齢の行った武術家や武術愛好家が記憶に留めるだけの、半ば失われかけた存在と言っていいだろう。そんなオネガ流に罪をなすり付けて、犯人がなにか得をするだろうか。手間隙をかけてまで偽装を行うには、合理的な理由に欠ける。
ケヴィン・ウェンライトとファーガス・ドレイクの因縁。首を突っ込むことは止そうと考えていマーシャであるが、ここへ至っては手段は選んでいられない。
第五分隊を出たマーシャは、その足でレン郊外にあるローウェル道場へ向かった。
事情を話すと、マイカは途端に怒りをあらわにした。
「なぜすぐわしに相談しなかったのじゃ!」
旧友の忘れ形見の一大事であるから、マイカが怒るのは無理もない。
「申し訳ございませね。酒場の者たちの証言があれば、すぐに釈放されるものと思っていたのです」
マーシャも、マイカの剣幕にはただただ頭を下げるほかない。
「ふむ。ひとつ、わしのほうから警備部に話を通しておこう」
マイカは、かつて王家の指南役を務めた、武術界の大物である。交友関係は広く、方々に顔が利く。警備部の幹部にも彼の弟子筋に当たる人間は存在するため、アイを釈放するよう圧力をかけることは可能である。あまり褒められた行為ではないが、アイがなんの証拠もないまま拘留されていることも事実である。
「しかしあのカーターなる人物、なかなか気骨のある人物のように思えました」
「なに、いざとなればギルバートの奴の手を借りればよいじゃろう」
マイカは人の悪そうな顔を見せた。警備部は、組織的には王国軍の一部門である。部門の頂点であり、国軍に強い影響力を持つギルバート・フォーサイス公爵の要求ともなれば、さしものカーターも突っぱねることはできないだろう。
「しかし――仮に触法されたとしても、カーターはアイを疑い続けることと思われます。私のほうでも、真犯人に繋がる手がかりを探そうと思うのですが」
「うむ、ぜひそうしてくれ。わしのほうからも頼む」
「それで――現場に残された、紙切れについてです」
「ふうむ……あのケヴィンとドレイクの試合、胡乱な噂が囁かれていたことは無論わしも知っておる。ケヴィンがドレイクに嵌められたとすれば、その弟子が復讐を考えるのも否定できん。あのアイがそんなことをするとは思わんがの」
「アイ以外にウェンライト殿の弟子はいない、というのは確かなのですか」
「少なくとも、ケヴィンが王都で武術家として活動し始めてからはひとりの弟子も取っておらぬ。それは間違いない」
真犯人の人物像を探るには、かつてのケヴィンとドレイクの試合でなにがあったのか、それを突き止めることが肝要だとマーシャは考える。そのためには、かつてのケヴィン・ウェンライトについて深く知る必要があるだろう。
「王都に出る以前、ウェンライト殿はどこに?」
「カンドラ島という、オネガ流発祥の地で父とともに修行をしていた、ということは聞いたことがある。お父上が亡くなったことをきっかけに、王都に出てきたと言っておったの」
カンドラ島とは、シーラム島の北東に浮かぶ島だ。レンからはかなり遠く、そこまで情報収集しに行くのは現実的ではない。
「お師匠様たちのほか、ウェンライト殿と親しく付き合っていた人間に心当たりは?」
「ほとんど思い当たらぬ」
「ご親族は」
「不明じゃな。妻女があったのじゃが――随分前に亡くなっておる。そうさの、れいの試合の五年ほど前のことになるか」
「ご結婚されていたのですか……では、妻女を亡くされてからはウェンライト殿は一人暮らしを?」
「女中を雇っておったようじゃが、詳しくはわからぬ。わしは奴の家には行ったことがないのだ」
「なるほど……往時のウェンライト殿を知る人間は少なそうですね」
「なにぶん人付き合いの少ない男じゃったからの」
ケヴィンが行方をくらましたとき、ファーサイス公爵の調査が空振りに終わったのも、その人付き合いの少なさゆえである。
「そうですね――ウェンライト殿が住んでいたのはどのあたりか、ご存知でしょうか。もしかしたら、近隣住民から何か手がかりが得られるやもしれません」
「確か――パラス街の西のほうであったはずじゃ」
「わかりました。では、早速行って参ります」
手がかりとしては、かなり薄い。しかし、一縷の望みをかけてマーシャはパラス街に向かうのだった。




