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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士ヴァートの回生
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十九

(どうする……このままじゃ状況は悪くなるばかりだ)


 あばら骨の負傷により腰の回転を伴う動きは制限され、胸に食らった一撃は腕の振りを鈍らせる。ただでさえ実力差のある相手なのに、これではますます勝ち目なくなっていく。

 ブロウズも一撃で殺してしまわぬよう、多少の手加減をしている。そしてヴァートの奮闘が思いのほか凄まじく、結果的にルークの望んだ結果となっている面もあるわけだが――ヴァートのほうからすれば、じわじわと嬲られていることに変わりはない。

 ヴァートの闘志はいまだ衰えていない。さりとて、ブロウズとは多少の幸運やまぐれ程度では埋まらぬほどの実力差がある。

 勝つためには、どうするべきか――実は、ひとつだけ策がある。しかしその策を実行するには、死中に活を求める、まさに死に際の集中力が必要となる。

 失敗すれば、その場で終わりだ。いや、弱気になるな。やれるのか、などという疑問を持ってはいけない。やる(・・)のだ。ヴァートはこころを決めた。


「ほう……いい眼だ。これだけやられてなお、絶望の色がない」


 ブロウズの口の端が上がった。


「どうだ、真剣勝負は楽しかろう」


 ブロウズの言葉に、まったく共感できないわけではない。ひとつ打ち合うごとに、自らの剣が研ぎ澄まされていくのがわかる。木剣での試合や、日常の稽古では味わうことができない感覚である。

 しかし。自分の剣を高めるために他者の命を犠牲にする、そんな行為を繰り返してきたブロウズを肯定するわけにはいかない。

 ヴァートは無言で剣を上段に構えた。

 ミネルヴァやアイ、そして虜となっているファイナが固唾を飲んで見守る中――ヴァートは走り出た。


「おおおおおぉぉぉーーーッ!!」


 凄まじいい気合声と共に、真っ直ぐ剣を振り下ろす。


「むッ!?」


 ブロウズが瞠目する。これまでで一番鋭い一撃であった。しかし――ブロウズは冷静にヴァートの剣を避ける。

 続いて横薙ぎ、袈裟斬り――初めてマーシャに教わった基本の斬撃。ハミルトン道場に移ってからも、一日たりとも欠かしたことのない基本稽古、それを忠実に繰り返す。


(なるほど、一番信頼できるのは地道に固めてきた基本、というわけだ。その考えは間違っていない)


 ヴァートの流れるような連撃を受けながらも、ブロウズにはまだそう考える余裕があった。


(あと十年、いや五年研鑽を積めば、さぞ優秀な剣士になっただろう)


 ブロウズは、ヴァートが繰り出した袈裟斬りをしっかと受け止めた。剣を握る腕に渾身の力を込め、押し返す。


「残念だが、今日ばかりは相手が悪かったな!!」


 一転、ブロウズが猛攻に出た。一撃一撃が重く、速い。ヴァートは辛うじてそれを捌くが、あっという間に囲いの端まで押し込まれてしまった。

 とうとう、ヴァートの剣が下がった。負傷と蓄積した疲労の影響だろう。


「なかなかに楽しませてもらったが、そろそろしまいだ」


 ブロウズが大きく剣を振りかぶった。


(――ここだ。これを待っていた!)


 止めを刺そうと、大振りの一撃。ほんのわずかではあるが、鉄壁を誇っていたブロウズの護りに、ほころびが生まれる。




 「霞斬り」と称される剣技がある。それはかつてマーシャがとある試合で使用し、「雲霞一断」の二つ名の由来ともなった技である。

 この技の極意は、完全なる脱力にある。全身をことごとく弛緩させた状態から、一気に斬撃に必要な筋肉を稼動させる。筋肉の急挙動と、剣の重量が生み出す遠心力とを制御して、自らの骨格に意図的に負担をかける。そうすることにより、骨格にまでしなりを生み出すことが可能なのだとか。そのしなりを十二分に利用して放たれる斬撃は、本来人間が出しうる速度を凌駕するという。

 夕靄のなか行われたというその試合の対戦相手は、マーシャの剣のあまりの疾さに、靄ごと身体が両断されたように感じたと語った。

 ハミルトンは「霞斬り」の数少ない目撃者であった。そして、ヴァートら門弟たちの前で、一度だけこの技を披露したことがあった。

 まさに疾風のごときその剣筋に、ヴァートは戦慄を覚えたものだが――ハミルトン曰く、「

それでもマーシャの域には及ばぬ」という。

 骨に多大な負担がかかるため、下手をすれば自らの身体を痛めかねないきわめて高度な技術。マーシャという稀代の大天才のみが成し得る奇跡――土壇場でヴァートが試みたのは、この「霞斬り」であった。




 ヴァートが放った横薙ぎが巻き起こした刃風は、さながら烈風の如し。空気そのものを切り裂くように、人の限界を超える斬撃が闇夜に閃く。

 先に剣を振るったのはブロウズである。しかしブロウズの剣がヴァートに届くよりも先に、ヴァートの剣がブロウズの胸元に到達する。


「くおッ!!」


 ヴァートの剣は、確かにブロウズを斬った。しかし浅い。ヴァート渾身の「霞斬り」も、ブロウズには通用しなかった。ヴァートが起死回生の一撃を狙っているということを、ブロウズは見抜いていたのだ。いかに神速をほこる斬撃とて、読まれていればその疾さも意味を持たぬ。


「まだだッ!!」


 自分の「霞斬り」は、マーシャはもちろんのことハミルトンにも遠く及ばぬ不完全なものだ。それだけでブロウズを仕留められるなどと甘い考えを持つヴァートではない。

 完全に回避できたわけではないため、さしものブロウズもごくわずかながら怯みを見せる。ヴァートは左手を剣から離し、鋭く振り抜いた。素手でブロウズを攻撃しようとしたわけではない。


「くッ!?」


 ヴァートは傷口から流れる血を掌に溜め、ブロウズの顔面めがけ投げ放ったのだ。ブロウズの両目がヴァートの血糊に覆われる。

 絶対の好機。ヴァートは残された力を振り絞り、剣を振り上げる。


「甘い」


 しかし――ブロウズは、その斬撃をこともなげに避けてみせた。両目は塞がったままである。

 ブロウズは逆に隙だらけになったヴァートの剣を跳ね上げると、剣を持つ右手を後方に引き絞った。


「――ッ!」


 ブロウズの剣は、真っ直ぐヴァートの胸に突き込まれた。


「ヴァートさん!?」

「ヴァート!」


 ミネルヴァが、アイが叫び、そして猿轡を噛まされたファイナが声なき悲鳴を上げる。

 ブロウズが剣を引き抜くと、ヴァートは声も上げず前のめりに崩れ落ちた。


「つまらない小細工をしたな、小僧。俺には目潰しなど通用せん。最後は少々興が醒めたが――それなりに楽しかったぞ。珍しい技も見せてもらったしな」


 顔面の血を拭い、ブロウズはヴァートに背を向けた。


「さあ、次はどちらが相手をしてくれるのだ」


 アイとミネルヴァに対しそう言い放つブロウズだが、二人の目が見開かれているのに気付く。二人の視線は、ブロウズの後方――息絶えたはずのヴァートに向けられていた。


「油断したな、マット・ブロウズ」


 背後からの声にブロウズが驚愕し、振り向く。そこには、胸を刺し貫かれたはずのヴァートが二本の足でしっかりと立っていた。


「んなっ……!?」


 ブロウズが剣を構え直す隙も与えず、ヴァートは一気に間合いを詰めた。鋭く斬り上げると、ブロウズの剣は高く空中を舞った。

 ヴァートはすかさず身を沈め、横薙ぎを一閃。右足の膝頭を切り割られたブロウズは、うつ伏せに倒れこんだ。


「ぐっ、はぁっ、はぁ……」


 ヴァートは喘ぎながらも、ブロウズに剣を突きつけた。


「貴様、なぜ……」


 驚いたのはブロウズだけではない。ミネルヴァもアイも、驚愕を隠せないでいた。


「はぁ、はぁ。俺の身体は少々特殊らしいんでね。そのおかげで、昔命拾いしたことがある」


 まったく隙を見せなかったブロウズをいかに油断させるか。考えた結果ヴァートが選んだのは、「自分を死んだと思わせる」ことであった。

 かつて暗殺者に貫かれたときの傷は、いまだヴァートの胸に残っている。ヴァートは傷跡を目印に、わざとその場所に剣を突かせたのだ。迫るブロウズの剣先を見極め、身体の位置を調整して目標の傷跡に剣が刺さるようにする。位置も角度も、わずかなずれも許されない。極限まで高められたヴァートの集中が、それを可能とした。

 まず、ブロウズの視界を塞ぐことが肝要だった。しかし、その程度でブロウズを斃せるとは思っていない。かつて師・ハミルトンは目隠しをした状態で門弟を打ち倒してみせたことがあったし、マーシャもそのくらいのことは可能だろう。

 だが、目が見えない状態の人間が取り得る攻撃手段は、自ずと限定される。頸部や顔面などではなく標的まとの大きい胴体に向け、動作の隙が少ない突きを放つ――その可能性が高いということまで織り込んだ。

 秘技「霞斬り」をも撒き餌に使い、最後までブロウズを騙し通す。ヴァートの三段構えの策が、見事に功を奏したのであった。


「……はぁ、はぁ。俺の勝ちだ」


 致命傷でないとはいえ、胸を刺されたヴァートの呼吸は苦しげだ。しかし、この状況ではもはやヴァートの勝ちは揺るがない。


「……負けだ」


 ブロウズはごろりと仰向けになると、潔く負けを認めた。ヴァートはどっと脱力し、その場で両膝をつく。ミネルヴァとアイが、ヴァートに駆け寄った。

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