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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士ヴァートの回生
34/138

十八

 暗殺部隊の隊長は、わが目を信じられずにいた。

 二十人以上いたギルドの精鋭たちが、残るは自分を含めわずか九人。マーシャ・グレンヴィルはというと、いまだ健在である。全身は血でしとどに濡れているけれども、それはすべて返り血であった。つまり――マーシャは十数人の暗殺者を打ち倒したにもかかわらず、まったくの無傷なのだ。


「二、四……あと九人か。思ったより時間がかかってしまっているな。このような集団戦は久々ゆえ、少々勘が鈍ってしまっているようだ」


 しかも、マーシャには微塵も疲れた様子がない。それもそのはずである。マーシャは一人につき一撃で、その戦闘力を奪ってしまったのだ。十数度しか剣を振るっていないのだから、疲れを見せるはずもない。

 隊長は、斃された部下たちを見る。あるいは腕を切り飛ばされ、あるいは両足の腱を断ち切られ、あるいは肩や肘の関節を砕かれて戦闘不能に陥ってはいるものの――致命傷を受けた者はいない。

 命を奪わんとかかって来る相手に対し、活かさず殺さず戦闘力のみを奪う。これがいかに難しいことかは、殺しの専門家である暗殺者ギルド員なら容易に想像できる。


(手加減されている……!)


 隊長は唇を噛む。健在な部下たちも、あまりの実力差に気圧されている。


「いまごろ、不肖の息子が頑張っているところだろう。親として見守らなければならないのでね――そろそろ、本気を出させてもらおう」


 マーシャが、歯をむき出しにして嗤った。野の獣の如き、獰猛な笑み。


「っ、なにをしている! 一歩も引いてはならぬ! ギルドの掟を思い出すのだ!」


 敵前逃亡を企てた者には死あるのみ。暗殺者たちは、ふたたび陣形を整える。


「かかれ――」


 暗殺者たちが動き出そうとしたその瞬間、マーシャが走り出た。

 動作を起こそうとした瞬間は、人がもっとも虚を突かれやすい瞬間である。暗殺者たちの反応が、ほんのわずかに遅れる。


「ふっ!」


 マーシャには、刹那ほどのときがあれば十分だ。右手の剣の突きで、一番手前の男の肩を串刺しにする。間髪入れず身を伏せると、左の剣で飛燕のごとく地を這う斬撃を放った。マーシャの左手の男が、足首を切り飛ばされ転げ回る。


「あと七人」


 一人の男がマーシャに突きかかる。マーシャは紙一重のところまで剣先を引きつけてからそれを避けると、男の脇をすり抜けた。すれ違いざまに叩き込んだ柄頭の一撃で、男の肋骨を数本へし折る。男は血反吐を吐いて地面をのた打ち回った。


「ぬんッ!」


 マーシャの足下に、背後から縄状のものが迫る。鎖の先端に錘をつけた鎖分銅だ。敵の身体を絡め取るための道具だが――マーシャは振り返りもせず、ひょいと跳んでこれを避けると、上体を捻って左の剣を投げ放つ。剣は、鎖分銅を放った男の大腿部に深々と突き刺さった。


「あと五人」


 マーシャの着地にあわせ、さらに一人の男が長剣で斬りかかった。右の剣でこれを受けると、マーシャはつば競り合いの状態からふっと力を抜く。男の体勢が崩れたところを、すかさず手首を取って体重を浴びせるようにして捻りあげた。手首から肘、肩までの関節が一気に砕かれ、男は怪鳥のごとき叫び声を上げた。


「借りるぞ」


 男の手を離れた剣を掴み取り、ふたたび二剣を手に。


「おうッ!」


 次に襲い掛かった男の得物は、幅広の曲刀である。切れ味は鈍く、骨もろとも敵を叩き斬る武器であるが――当たらなければ無意味である。

 幻惑を交えて放たれた斬撃を、マーシャは蛇のようにしなやかな動きでかい潜る。鋭く左の剣を突き出すと、剣先は男の股間の急所に突き刺さった。


「あと三人」


 二人が同時に、マーシャの背後から斬りかかった。

 二人は、息のあった動きでマーシャの左右から斬撃を繰り出す。マーシャは、股間を押さえて膝から崩れ落ちた男の肩に足をかけると、高く跳躍。とんぼを切って二人の頭上を跳び越えつつ、空中で左右の剣を閃かせる。二人の男は共に肩口を切り裂かれた。


「あとひとり」


 その時、突如強い雨が叩きつけてきた。


「ちょうどいい。返り血が煩わしくなってきたところだ」


 マーシャは、服の袖で顔をぬぐった。こびりついた返り血が雨水と混じり、マーシャの顔に奇妙な模様を作る。まるで悪魔を思わせるような血化粧だった。

 隊長は、ふとひとつの逸話を思い出した。暗殺者ギルドでまことしやかに語られる、半ば伝説と化した昔話。

 九年ほど前に、暗殺者ギルドの本拠地と主要な支部が同時に急襲され、多数のギルド員が斬殺されるという事件が起きた。

 ギルドの暗躍に頭を痛めた国が送り込んだ戦闘部隊によるもの――のちの調査の結果、ギルドはそう結論付けた。当時の首領を含む、多数の幹部が殺され、ギルドは一時期機能不全に陥った。組織を立て直すのには、三年のときを要したという。

 さて、惨劇の現場となったギルドの本拠地で、瀕死の重傷を負いながらもただ一人生き残った男がいた。その男がいまわの際にこう言い残した。


「双剣を手にした剣士が、ただ一人でギルドの本部を壊滅させた」


 そんなはずはない、何かの間違いだ。ギルドの残党たちは、彼の最期の証言を信じようとしなかった。なぜなら、当時ギルドの本拠地では定例の幹部会が行われており、幹部たちの部下である精鋭中の精鋭三十人が詰めていたからだ。

 一笑に付されたその証言は時間の経過と共に風化し――「双剣の死神」伝説として、ひとつの語り草となっていった。

 事件当時、任務遂行中だったことで難を逃れたこの隊長も、たった一人でギルド員三十人を斃したなどと馬鹿なことを、と笑い飛ばしたものだ。

 しかしどうだ。眼前のマーシャ・グレンヴィルは、暗殺者二十余名を一方的に嬲ってしまったのだ。


「降参しろ。五体満足な人間が一人くらいはいないと、そこらに転がっている者たちの応急手当もできぬだろう」

「くっ……」


 マーシャの言葉に従いたい、その誘惑は隊長にとって耐え難いものであった。

 既に、隊長からは戦意が失われつつある。彼を支えているのは、暗殺者としての意地と、任務に対する義務感だ。その二つが、辛うじて彼の足をその場に縫い止めている。


「おおおおおぉぉぉーーーッ!!」


 隊長が吼えた。それは、マーシャを威嚇するものではなく、弱気を見せた自分を奮い立たせるためのものだった。

 短剣を逆手に構え、両足に力を入れる。一歩一歩足を進めるマーシャに、真っ直ぐ視線を向ける。

 ひときわ明るい雷光が、あたりを照らした。

 その瞬間、隊長の視界からマーシャの姿は消えていた。稲光の中わずかに見えたマーシャの姿と、長年培った勘を頼りに、隊長は右方向に短剣を振るった。


「残念、外れだ」


 隊長の左耳のすぐそばで、マーシャが囁いた。直後、彼の視界は暗転する。

 マーシャは剣を拭いにかけると、鞘に収めた。


「本来なら、この連中も縛り上げて特務の手に委ねたいところなのだが――時間がない」


 雨でぬかるんだ道を、マーシャは走り始めた。




 心身ともに、ヴァートは最高の状態にあった。

 この練兵場跡まで走ってきたこともあり、身体は十分に温まっている。

 ファイナを助けたい、ブロウズの考えを正そうという使命感、強敵と相対することへの高揚感。そして、真剣で戦うことへの恐怖感、ルークに対する怒り――ヴァートの中ではさまざまな感情が入り乱れているが、負の感情すらも、すべていい方向に作用している。

 精神面の充実が、肉体にも作用する。敵の動きはよく見えるし、身体の反応もいい。剣を振る腕には力が漲る。

 しかし――ヴァートは劣勢に立たされていた。

 打ち合うこと十数合。ヴァートの身体には、深手ではないものの既に三箇所の傷が刻まれている。一方のブロウズは無傷であった。


「はあっ、はあっ……」


 大きく間合いを取ったヴァートは、素早く自分の負傷の状態を確認した。頬の傷は、多少出血が激しいものの戦闘に支障をきたすものではない。前腕の傷は浅いが、戦いが長引けば影響が出るかもしれない。胸の傷はきわめて浅く、これは無視していいだろう。


(まだまだ、やれる)


 鼻から大きく息を吸う。ただそれだけで、ヴァートの呼吸は落ち着いた。


(でも、どうする)


 実力は、ブロウズが格段に上である。それは、ホーキング邸での試合を見たときからわかっていた。自分の調子がかつてないほど良いのと、ブロウズがルークの要求に答えて手加減していることもあるのだろう。それゆえ、ここまではなんとか戦えているのだ。

 正攻法では、とても敵わない。ならどうするか――迷わずヴァートは行動に出た。

 左足に、ほんのわずかに体重を移す。右足を、これまたほんのわずかに外に向けた。左足に力をため、右方向に走り出る――そのそぶりを見せる。この動きは、あからさまではいけない。幻惑なのではないかという疑念を抱かせてしまうからだ。相手に違和感を覚えさせる、その程度のさりげない動きでなければいけない。

 武術家が敵の行動に対して反応するとき、頭で考えていては間に合わない。相手の些細な動きを察知し、積み上げた経験と本能で判断を下すものだ。ヴァートのさりげない動きは、この本能の部分に訴えかける。相手は頭では理解していないが、本能的なところで「ヴァートは右方向に動くだろう」と予想を立てる。そして、無意識的にヴァートの右方向に神経が集中される。

 ヴァートは、ブロウズの肩や胸の動きから、彼の呼吸のを計る。ブロウズが息を吐き終えるその瞬間を狙い、一気に左方向へ飛び出した。


「ぬうっ!?」


 剣士としての本能の逆を突かれ、ブロウズは一瞬ヴァートの姿を見失う――ヴァートの中では、そうなるはずだった。

 しかしブロウズはヴァートの剣を易々と受け止めていた。


「その歳で『幻影ミラージュ』を使いこなすか。まったく、面白い小僧だ」


 右から来ると思わせて、実際は左から攻撃する。あるいはその逆を行う。達人がこの技法を用いたとき、相手はまるで鏡に映った幻影に攻撃されたような錯覚に陥るという。

 ヴァートがエディーンから上京して来た日、マーシャが使って見せた技であったが、ブロウズには通用しなかった。

 ブロウズは鍔競り合いの状態から手首を返しヴァートの剣を流した。ヴァートの姿勢が崩れたところへ、脇腹を強烈に蹴り上げる。


「ぐほぉっ!」


 地面を転がりつつ、ヴァートは距離を稼ごうとする。ブロウズはあえてそこに追撃を仕掛けない。

 口に入った雑草と泥を吐き出し、ヴァートなんとか立ち上がった。脇腹が痛む。おそらく、肋骨にひびが入っている。


「そらどうした、こんなものか?」


 ヴァートが体勢を整えたのを見計らうかのように、ブロウズは斬りかかった。

 左からの横薙ぎ――ヴァートは剣を立てて受けようとする。が、ブロウズの剣はヴァートの右上から袈裟懸けに襲い掛かった。


「なにッ!?」


 とっさに上体を反らせる。が、一瞬遅く、ヴァートの右肩から血しぶきが上がった。

 肩から手首にかけての関節を限界までしならせ、半円状に剣の軌道を変化させる。「半月ハーフムーン」などと称される高等技術であった。


「ほう、上手く避けたな」


 さらに、大上段からの斬り下ろしだ。今度はいたって素直な一撃であった。先ほどの「半月」の如く、何か仕掛けがあるのでは――疑ってかかったため、ヴァートは逆に意表を突かれる。胸の筋肉を切り割られ、血が溢れた。これまでで一番の深手である。




「……まずいですわね」


 戦いを見守るミネルヴァは、腕組みしながら自らの二の腕をきつく握り締めている。


「ここまで手強い相手とは。たとえファイナを助けられたとしても、ヴァートが殺されては敵の思う壺にござる。それに――」


 言いさして、アイは口をつぐんだ。自分たちがブロウズと対決したとしても、勝てなかったのではないか――その言葉を飲み込んだのである。

 二人の視線の先では、ヴァートがさらに一撃を食らい、片膝を付いたところであった。

 二人とも、ヴァートがやられそうになったなら、武術家としての誇りを捨ててでも助けに入ろうと考えている。しかし、二人はまだ動かない。


「ヴァートさんの眼――まだ生きていますわ」

「うむ。勝利への意志はまだ衰えておらぬ」

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