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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士ヴァートの回生
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 ある日の午後。マーシャは桜蓮荘の中庭に近所の子供を集め、剣の指導をしていた。これは、三日に一回ほどの割合で行われているものだ。もとは、桜蓮荘の店子の一人である少年に請われて始めたもので、今では十数人の子供たちが通っている。

 これは決して本格的なものではなく、あくまで嗜みとして気軽に剣術を学びたいという者が対象だ。マーシャの教え方もいたって優しく、子供たちは和気あいあいと稽古に励んでいる。 隙あらばじゃれつこうとする子供たちを小突きながらも、マーシャの表情は楽しげである。

 そこへ、ひょっこりとヴァートが姿をみせた。


「先生、掃除が終わりました」


 近ごろは、ヴァートは家事の手伝いをするようになっていた。世話になりっぱなしではいけないと、本人が言い出したことだ。放っておくとすぐ部屋をごみ溜め同然にしてしまうマーシャを見かねたという理由もあるのだが。

 「お前を守る」と言ってヴァートの手を握ったときのマーシャは実に凛々しく、ヴァートも思わず落涙したのであるが――だらしない私生活との落差には、大いに驚かされるところであった。しかし、ヴァートが彼女に失望したかといえばそうではない。マーシャの人間らしい一面が垣間見えたことで、むしろ彼女に対する親しみは増した。


「おお、すまないな……ん、どうした?」


 ヴァートは、子供たちの練習風景に見入っている。


「剣術に興味があるのか?」

「……わかりません。でも……」


 ヴァートは、自分の気持ちを言葉にすることができないでいた。木剣を手に型を遣う子供たちの姿を見ると、奇妙な感情が沸き上がってくるのだ。


「お前もやってみるか? ただ身体に障るからほどほどにな」


 頷き、ヴァートは木剣を受け取った。マーシャが遣う剣はオーハラ流といって、シーラントでも伝統派と呼ばれる流派である。長さも幅もごく平均的な剣を用い、練習用の木剣もそれに準じている。

 ヴァートは右手に剣を構えた。不思議なほどに、剣は彼の掌に馴染んだ。自然と体が動く。上段から、袈裟懸けに斬り下ろす。空気が切り裂かれ、剣先が唸りを上げた。

 明らかに、研鑽を積んだ者の動きであった。


(やはり、か)


 マーシャは傷の手当の際、なんども少年の身体を見ている。衣服を身につけるといかにも細身で華奢に見えるが、その実ヴァートの身体には引き締まった筋肉が付いていた。特に、肩から背中にかけての筋肉の盛り上がりは、ヴァートに武術の心得があることを如実に物語っていた。もっとも、その筋肉はひと月続いた療養生活でかなり痩せ衰えてしまったのだが。

 ヴァートは剣を構えなおし、もう一振り。歳相応の粗はあれど、その剣筋はかなりの水準に達していた。それを見ていた子供たちも、感嘆の声を上げる。


「ヴァート君、凄い……」


 薬と包帯を配達しに来てたまたまそこに居合わせたファイナも、足を止めて見入っている。武術愛好家であるファイナの目から見ても、ヴァートの剣は優れているのだろう。


(オーハラ流、ないしはその分派の剣術を学んでいたことは間違いない。これが、ヴァートの生まれを知る手がかりになれば良いのだが)


 機会を見て、ヴァートに剣をやらせてみるつもりではあった。記憶を失う前は、日常的に鍛錬を行っていたはずだ。ならば、剣を振ることが記憶を取り戻すきっかけになるかも知れぬ、そう考えていたのだ。

 一方のヴァートは、困惑しながらも剣を振り続けていた。


(わからない。どうして身体が勝手に動くのだろう。これは、以前の僕の『記憶』……?)


 マーシャの思惑は外れ、この場でヴァートの記憶が蘇ることはなかった。しかし――


(わからないけど……楽しい!)


 そう、ヴァートは心から楽しんでいた。しばらく寝たきりの生活を送っていたため、体力の衰えは著しい。一度剣を振るたびに関節はきしみ、筋肉は悲鳴を上げる。それでも、ヴァートは剣を振るのを止めようとしなかった。

 ややしばらくして。


「はぁっ、はっ、はっ……」


 とうとう体力も尽き、ヴァートは四つんばいになって地面に倒れこんだ。


「無理をするなと言っただろう。ほら、立てるか」

「ご、ごめんなさい。その、足腰が……」


 マーシャの肩を借り、なんとか立ち上がることができたヴァートだったが、その両足は老人のように頼りない。


「あっ、そうだ! そろそろ夕飯の支度をしなきゃ」


 と、マーシャから離れ歩き出そうとするヴァートだったが、数歩もしないうちにふたたび腰が砕けてしまう。


「よいよい。今日は、いつもの居酒屋に頼んで料理を運んでもらうことにしよう」


 苦笑しながらマーシャが言うと、少年は恥じ入って赤面するのだった。




 翌日から、ヴァートはマーシャから剣の手ほどきを受けることになった。本人たっての希望である。しかし、稽古をつけるにあたり、マーシャは


「本気で剣を学びたいというなら、私も本気で指導をする。半端は許さぬが、よいか」


 と問いただした。


「はい。自分でも理由はわからないのですけれど……僕は、剣を学ばなくてはならない。そうすれば、何かが見えてくるような気がするのです」


 ヴァートは真剣な瞳で答えた。


(頭から記憶は消えても、身体に刻み込まれた記憶は消えぬ、というわけか)


 マーシャはしばし黙考し、口を開く。


「わかった。では覚悟するがよい」


 厳しい言葉とは裏腹に、マーシャの口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

 さて、稽古といっても、剣の素振りをし、型を遣い、乱取りを行う――そんな、一般的に行われているそれとは様相が異なっていた。

 まず、ヴァートが剣を構えてその場で静止する。そこで、マーシャが剣の角度、握りの位置、足の開き、重心の置き方など、微に入り細に入り指摘を行い、ヴァートはそれに従って修正を行う。マーシャが良しと言って、初めて「剣を振る」という行為が許されるのだ。それこそ、小指の爪ほどのずれすら許されない。

 剣を振る際にも、同じようにこと細かな指摘が行われる。剣の振り幅・軌道から体重の移動、はたまた息を吸う長さや吐く長さに至るまで、である。

 ゆっくりと時間をかけて、これをひたすら繰り返す。

 それにしても、である。マーシャは、時には身振りを交え、そして時には直接ヴァートの手足をとって指導を行うのだが――その際、二人の身体が密着することもある。

 記憶がないとはいえ、ヴァートも十代の男子である。女性特有の柔らかな肉体に触れると、胸が高まってしまうのは仕方のないことだろう。特に、マーシャの胸のふくらみが背中に押し付けられたときなどは、


(塞がった傷口がまた開いてしまうのでは……)


 という思いがしたものだ。

 ともあれ、ヴァートがそんな感情を抱いたのも最初だけであった。少しでも動揺を見せようものなら、


「身体に余計な力が入っている。もう一度」

「剣先がぶれている。集中が足りない」


 と、厳しい叱責が飛ぶのである。余計なことを考える余裕など、すぐになくなってしまった。

 一見すると、体力的にはさほど辛くないように見える。しかし、つま先から頭の天辺に至るまで、全身の隅々に気を配らなくてはならぬこの修練は、見た目以上の消耗を強いる。初日に習ったのは基本中の基本、上段からの斬り下ろし。ただそれだけである。しかし、ヴァートは十数度しか剣を振ることを許されなかった。

 稽古の最後に、マーシャは一通りの型を披露してみせる。そして、


「今の私の剣を見て、自分の剣に何が足りないのか、自分の剣のどこが悪いのか。明日までに考えておけ」


 と、宿題を出すのだ。

 マーシャの演武を見、ヴァートが感じたことを端的に表すなら、「完璧」の一言に尽きる。

 比較することで、ヴァートは自覚していなかった自らの欠点を山ほど見出すことができた。そしてそれを次の日の稽古に生かす。

 この繰り返しで、ヴァートはみるみるこつを掴んでいった。

 ふた月ほども経つと、マーシャからほとんど指摘を受けることなく一日六百回の素振りをこなせるようになっていた。


(若さもあろう。しかし、ヴァートの吸収力は天性のものだ)


 決して口に出したりはしなかったが、ヴァートの成長はに目を見張るものがあった。

 この間、マーシャが教えたのは上段斬り、横薙ぎ、袈裟斬りの三つのみであった。しかしヴァートは全く飽くることなく稽古に励んだ。地味極まりないが、才能のある者にとっては自身の上達がはっきりと感じ取れる稽古なのだ。




 ヴァートとマーシャが出会ってから、三月ほどのときが経過していた。

 マーシャはこの間、暇を見つけてはこの謎の少年の身元を突き止めるため尽力していた。

 まず向かったのは、近場にある警備部の詰め所だ。王都の治安維持、および犯罪捜査と犯罪者の捕縛を任務とするのが警備部であり、組織的には王国軍の一部門である。

 さて、王都警備部・第十二分隊、これは下町の桜蓮荘がある界隈を管轄としているが、そこの隊長でコーネリアスという中年男がいる。

 コーネリアスはかつて、賊を取り押さえようとして返り討ちに遭いそうになったところ、危急をたまたま通りがかったマーシャに救われたことがある。

 マーシャに深く感謝したコーネリアスは、以来ちょくちょくマーシャの部屋を訪れ、手土産を置いていく。腕っ節はからきしだが、温厚で実直なコーネリアスの人品はマーシャも好ましく思うところであり、親交は続いていた。

 マーシャが応接室の椅子に腰を下ろしてすぐ、にこにこ顔のコーネリアスが現れた。胴回りは太めで髪は薄く、どことなく愛嬌のある顔つきをした男だ。


「あなたがこちらにお見えになるとは珍しい。一体どのようなご用件ですかな」

「実は、折り入ってお願いしたいことがありまして」


 ここ最近、王都で十代前半の少年が関わる誘拐事件が起きていないか、また十代前半の少年の捜索願が出されていないか。マーシャは声を低くして尋ねた。


「ふうむ、少々お待ちを」


 応接室を出たコーネリアスは、しばらくして戻ってきた。

「捜索願は何件か。どれもおそらくただの家出でしょう。誘拐に関しては、うちの管轄内では扱っていませんな」


 本当はいけないのだが特別ですよ、と前置きし、コーネリアスは資料の束をマーシャに差し出す。

 資料には、行方不明となった者の特徴がこと細かに記されているのだが――ヴァートに一致するものはなかった。ヴァートは珍しい瞳の色をしているため、間違えることはまずありえない。


「よろしければ、他の隊の管轄のこともお調べしましょうか?」

「いいのですか?」


 コーネリアスは、百人近い部下をまとめる隊長職にあり、決して暇な身分ではない。なのに、かような申し出をするあたり彼の人柄がしのばれるというものだ。

 マーシャは悩んだけれども、結局ありがたくコーネリアスの申し出を受けることにした。


「お安いご用ですよ。なにやら深い事情がおありのようですしね」

「わかりますか」

「まあ、顔に書いてあるというやつですな」


 その外見ゆえに勘違いされがちであるが、コーネリアスは頭の切れる男だ。マーシャにのっぴきならぬ事情があることを、短時間で察してしまったようだ。


「ありがとうございます。それで――」

「もちろん、この件は内密にいたしますよ。他言はしませんとも」


 どこまでも察しのいいコーネリアスだった。




 コーネリアスは激務の合間を縫い、八方手を尽くしてくれた。その範囲は王都内に留まらず、隣接地域や街道の先の遠く離れた町にまで及んだのだが――不思議なことに、ヴァートに合致する尋ね人の情報は皆無であった。

 自身の剣士としての伝手を生かし、レンとその近隣の剣術道場にヴァートを知る者がいないか探ってみたりもした。しかし成果はなかった。


(これはどうしたことか……しかし、事件を通報しなかったのは、正解だったようだ)


 事件現場には証拠の一つも残されていなかった。暗がりであったため、マーシャも犯人のおおよその体格くらいしか掴めていない。少年の記憶がないので、動機の線から犯人を追うのも難しいだろう。

 要するに、警備部に任せていてもこの事件が解決することは、恐らくないということだ。前述したように警備部が大々的に捜査をすれば、それだけ犯人に少年の生存を知られる可能性が高くなる。

 ヴァートには桜蓮荘から出ぬよう命じてあるし、桜蓮荘の住民たちにもヴァートの存在を口外しないように頼んである。警備部に任せるよりは安全であるだろう。

 それにしても、警備部が少年に関する一切の情報を持っていないというのは異常な話だ。


(やはり、謀殺の類であるという線が濃厚か)


 職業的な暗殺者を雇えるような人間は限られる。それがもし土地の有力者などである場合、公的な記録を改竄するなどし、事件そのものを「なかったことにする」のも不可能ではない。


(過去のことなど忘れ、ヴァートはヴァートとして生きていくのが幸せなのではないか……)


 捜索願が出されていない。考えられるのは、ヴァートの家族がすでにこの世の者ではなくなっているという場合。そして――これは考えうる限り最悪の想定だが――ヴァートの家族自身が、ヴァートの死を望んだ場合。


(いずれにせよ、自らの道を決めるのはヴァート自身だ。しかし――)


 ヴァートには、平穏な人生を送って欲しい。そう願わずにいられないマーシャであった。


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