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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士ヴァートの道程
134/138

 時刻は正午の少し前。

 カーライルとヴァートは、出発の準備を終えたところであった。


「ずいぶん遅いお立ちですね」


 宿の部屋を出たところで、ヴァートたちの部屋の世話をしていた女中に声をかけられる。


「ああ、うっかり二度寝をしてしまってなぁ」

「先輩にも困ったもんですよ、本当に。今日中に次の宿場町に着けないと大変なのに」


 ヴァートが、大仰にため息をつく。


「ところで――お客さんたちはどちらに?」

「アンカレーの町だ」


 アンカレーとは、いまヴァートたちがいるルースの宿場から西に位置し、徒歩で四日ほどの距離にある。


「なら、今日はハッセルの町のほうを目指されるんですか」


 ハッセルは、アンカレーへの中継地点となる宿場町である。


「そういうことになるな」

「なら、お急ぎになったほうがいいですよ。ハッセルに向かうには川を渡らなくちゃならないんですけど、先日大雨のせいで橋が壊れてしまったらしくて。上流の橋まで大回りしなきゃならないとか。いつもの倍くらい時間がかかるみたいですよ」

「まあ、いざとなったら野宿するから心配は無用だ。今日は天気もいいようだしな」


 カーライルの言葉に、ヴァートはやれやれと首を振る。


「じゃあ、世話になったな」


 そう言って、カーライルは自分たちの部屋の世話をした女中に心づけを渡した。


「まあ、こんなに頂いてしまって……」


 女中が困惑する。カーライルが渡した心づけが、相場よりもかなり多い額だったからである。


「気にするな。こないだ博打で大勝して懐があったかいんだよ。さてヴァート、行くとするか」

「はい」


 出発が遅れた分の追加料金を払い、ふたりは宿を出た。




「……お前はどう思った?」


 ルースの町を歩きながら、カーライルは小声でヴァートに尋ねた。


「あの女中さんの表情――先輩の言ったとおり、間違いないと思います。昨日から、何度か俺たちの部屋の外に気配を感じましたけど、あの人だったんですね」

「だろうな。しかし、お前もずいぶん感覚が鋭くなったなぁ」


 ヴァートの命を狙っていた仇敵ルーク・サリンジャーは特務調査部に処断され、すでにこの世にはおらぬ。しかし、人というのはどこで他者からの恨みを買うかわからない。いつまた命を狙われても備えることができるよう、ヴァートは常時気を張るように心がけているのだ。

 もっとも、気配を読むという技術に関しては、ヴァートはマーシャやパメラはおろか、アイやミネルヴァにもまだ及ばないのが現実である。


「いまも、後ろに怪しい気配が」

「さっきも言ったが、自然に振舞うことだ」


 あえて尾行させるというのは、かつてヴァートも一度経験したことがある。アイザック・ローウェルが命を狙われた一件でのことだ。みだりに後ろを振り返らず、ゆっくりとした足取りでふたりは歩く。

 その後は、とりとめもない会話をしつつ、ルースの町の西出口を目指す。途中雑貨屋に立ち寄り、旅に必要な物資を買い求めるのも忘れない。


「この町ともおさらばか。いい機会だから、お前にも大人の遊びってやつを教えてやろうと思ってたんだがなぁ」

「いや、それは遠慮しときますよ」


 こんなときでも変わらぬカーライルに、ヴァートは苦笑するしかない。

 やがてルースの町を出たふたりは、街道を西に歩き始めるのであった。




「いま戻りやした」

「ご苦労だったな。で、れいのふたり組はどうした」


 『北海の逆叉』ことクルーニーは、宿の自室で手下からの報告を受けていた。


「ふたりは宿を出たあと、雑貨屋に寄って大きな不織布フェルトの布や縄なんぞを買ったようです」

「大布か……あの女中の言ったとおり、野宿するつもりのようだな」


 羊毛を圧縮して作る不織布は保温性と撥水性をそなえる。そのまま包まれば毛布代わりになるし、木の枝と縄を使って吊るせば簡単な天幕にすることもできるのだ。


「それからは、とくに報告するようなこともなく――ふたりが西の街道に出て、姿が見えなくなるまで確かにこの目で見届けやした」

「おう、よくやった。あとは、兄妹が宿を出るのを待つだけだな」


 オーランシュ兄妹が泊まっている宿では、金で懐柔した女中が引き続きふたりの動向を探っているはずである。

 兄妹が宿を出たところを尾行し、町を出てから頃合いを見て襲撃する。作戦はごくごく単純だ。


 「野盗や追い剥ぎの仕業に見えるよう」という依頼人の希望を叶えるには、なるべく目撃者が少ない場所を選ぶのが望ましいが、その程度のことはさしたる問題とはならぬ。どんな大きな街道を行こうと、旅人の通行が途切れる瞬間というのは必ずあるものだ。

 もはや、仕事の完遂は時間の問題だ。内心ではそう考えるクルーニーであるが、その表情は厳しく引き締まったままだ。


「いつも言っていることだが――獲物の息を止めるその瞬間まで、くれぐれも気を抜くな。ほかの連中にもそう伝えておけ」


 この気構えこそが、クルーニーが『逆叉』と呼ばれ恐れられる所以ゆえんなのだ。




 翌日。

 早朝、フェオドールとアリシアは宿を出た。女中を通じて兄妹の動向を把握しているクルーニー一味は、すぐに尾行につく。

 一味は、クルーニーとその直属の手下合わせて四名に、ルースの町で新たに雇った八人を加えた十二名だ。三名一組に分かれ、四方向から兄妹を追うという用心深さである。二度の失敗を喫することになれば、クルーニーの沽券にもかかわる事態となるため、直属の手下たちの表情は厳しい。

 対照的に、この町で雇われた男たちは楽観的である。


「たかがふたりをるのに十二人とは、まったく大げさなこった」

「まあ、楽な仕事には違いねぇ。もらえるもんさえもらえるなら、文句はねぇや」


 などと、小声で囁き合っている。

 町を出た兄妹は、南に進路を取る。兄弟がレンに向かうはずだということは、依頼人から聞いている。クルーニーは手下たちの一組をあらかじめ南の街道に先行させ、ふたりを前後に挟むかたちを取っている。

 何度かの休憩を挟みつつ、兄妹は街道を進む。

 正午近くになったが、クルーニーたちにとって都合のいい機会はなかなか訪れぬ。クルーニーは、手下たちの緊張感が緩んでいるのを感じていた。特に、ルースで雇った男たちはそれが顕著である。

 街道には多くの旅人の姿があり、その姿に紛れて兄妹を尾行するのは容易だ。退屈な状況に飽き飽きするのも無理からぬことである。

 しかし、この状況はクルーニーにとっては好ましいものではない。


(あの女、それなりに遣える(・・・)ようだ……油断して、これ以上の怪我人が出てもつまらねぇ)


 クルーニーは、槍を抜いて抵抗を試みたアリシアの姿を思い出しつつ考える。

 ルースで雇った八人に関しては、怪我をしようが死のうがクルーニーの知るところではない。しかし、自分直属の三人となると話は別だ。ただでさえ、カーライルの剣によってすでに三人が使い物にならなくなっているのだ。この上負傷者が増えれば、先の仕事に支障が出かねない。


(多少の目撃者が出るのは承知の上で、仕掛けちまうか……)


 クルーニーがそんなことを考えていた矢先である。兄弟に動きがあった。

 ふたりは、それまで進んでいた街道を逸れ、脇道に入っていったのである。

 脇道となれば、通行人の数はぐっと少なくなる。襲撃はより容易になるだろう。


「おい」


 手下たちを呼び集めると、クルーニーは兄妹を追って脇道へと入っていった。そこは、林の中を通る細い道筋であった。

 脇道に入ってからは、すれ違う旅人たちの姿はまばらとなった。しかしクルーニーは、すぐに兄妹に襲い掛かろうとはしない。あくまで慎重に機会をうかがっている。

 しばらくして、兄妹は林が開けた場所に出た。道の脇で足を止め、荷物を下ろしていることから察するに、休憩をとるつもりであろうか。

 そこは、かつての戦乱期に使われた砦跡がある場所であった。砦の本体はとっくに崩壊し、城壁の名残である岩塊がわずかに点在するのみだ。

 クルーニーはしばらく旅人の姿を見ていない。念のため前後を見回すが、クルーニーの見える範囲に人の姿は認められぬ。


「よし……」


 クルーニーは手下たちに向けて掌を下に向けるしぐさをしてみせた。「足音を忍ばせよ」という意味である。

 そろそろと、慎重に兄妹に接近する。兄弟は革袋の水に口をつけているところで、一味に気づいている様子はない。

 ふたりとの距離は三十歩ほどにまで縮まった。クルーニーは手下たちを見回すと無言で右手を挙げた。それを合図に、男たちは剣に手をかけた。


「いくぞ――」

 上に伸ばされたクルーニーの腕が、まさに振り下ろされようとした瞬間――




「ヴァート!」

「はい!」


 クルーニーの背後から、ヴァートとカーライルが躍り出た。


「なにぃッ!?」


 ならず者たちが、一斉に振り向いた。

 抜剣して全力で駆け寄るふたりに対し、男たちは戸惑うばかり。


(こいつら、林の中に潜んでいやがったか……!)


 さしものクルーニーも動揺を隠せぬ。兄妹を殺害せんと攻め気にはやっていたころに、逆に奇襲を受け守りに入らねばならないという状況となった。こうした状況下において、即座に気持ちを切り替えるというのはなかなかに難しい。

 手下たちもとっさに剣を引き抜いて二人に立ち向かおうとする。しかしヴァートたちはそれには目もくれず、一気にクルーニーに肉薄した。


「はッ!!」


 カーライルの、上段から剣を振り下ろした。


「ぬうッ!」


 クルーニーは自らの剣でそれを受けるが、走りこみながら体重を乗せての一撃である。衝撃を受け止めきれず、クルーニーはたたらを踏んで二歩、三歩と後退する。

 すかさず、ヴァートが踏み込んだ。身体を低くしてカーライルの脇をすり抜けたヴァートは、低い姿勢そのままに剣を横一文字に薙ぐ。


「ぐッ……」


 カーライルの一撃によって体勢を崩されたクルーニーに、ヴァートの剣を避けるすべは残されていない。左膝頭を半ばまで斬り割られ、その場に崩れ落ちた。

 さしもの『北海の逆叉』も、カーライルとヴァートふたりがかりでは、ひとたまりもなかった。


「あ、兄貴……!」


 ならず者たちの動揺はいや増すばかりだ。無理もなかろう。予期せぬ奇襲を受けたうえに、瞬く間に頭目を倒されてしまったのだ。

 ヴァートたちは、ならず者どもに立ち直る隙を与えない。クルーニーが地面に倒れたときには、すでに次の獲物を視界に捉えている。素早く左右に散開すると、矢継ぎ早に剣を閃かせた。


「ぬわッ……」

「くうぅッ……」


 さらにふたりが倒れる。

 クルーニーの手下たちは、完全に意気を挫かれている。剣を抜いてはいるものの、まともな構えを取っている者はひとりもおらぬ。

 さらにもうふたり。

 ヴァートたちの狙いは、足である。これ以上の追跡を不可能にするためだ。

 多数相手の戦いでは、常に足を使い、背後を取られぬよう立ち回るのが基本である。しかし、この戦いにおいて、ヴァートたちがそれを気にする必要はなかった。男たちは総崩れのていであり、ヴァートたちを包囲して優位に立とうということすら考えられようである。

 男たちは、所詮寄せ集めのごろつきである。思いもよらぬ状況に立たされ、集団としての機能は完全に麻痺していた。


「ひとりも逃がすなよ!」

「承知!」


 もはや、数の有利は完全に失われている。技量で劣るならず者たちは、次々とヴァートとカーライルの剣の餌食となった。

 逃げる隙すら与えられず、とうとう十二人目が倒された。左右の違いはあるものの、みな一様に脚部に深い傷を負っている。


「よし、こんなもんか」


 剣を鞘に納め、ふたりは兄妹に歩み寄った。


「いや、見事な腕前。あなたたちに護衛を依頼したのは正解だった」


 フェオドールが、拍手でふたりを迎える。


「褒められて悪い気はせんが――話はあとだ。とりあえずこの場を離れよう」


 ふたたび合流した四人は、足早にその場を後にするのだった。




 ヴァートとカーライルがいかにしてクルーニー一味への奇襲を成功させたのか――それにはまず、ヴァートたちが兄妹と別れて出発したと一味に思い込ませることが肝要であった。


「俺が刺客なら、まず宿の人間を抱き込むだろうな」


 兄妹を交えた作戦会議で、カーライルはそう言った。

 一行がルースの町に滞在していることは、まず把握されていると考えてよい。そして、宿泊場所を割り出すのもそう難しいことではないとカーライルは語る。


「なら、それを逆に利用してやるのさ」


 部屋の世話をした女中が怪しいと睨んだカーライルは、彼女に偽の情報を掴ませた。そして、尾行されていることを承知の上で、町の西へと旅立ってみせたのである。

 町から出てしばらく歩いたふたりは、大回りして町の南へ向かい、街道沿いで一夜を過ごした。翌朝、道の脇に身を潜めたふたりは、街道を行く兄妹と、それを尾行するクルーニー一味を見つけると、すぐさま後を追った。兄妹を尾行する一味を、さらに尾行する形となったわけだ。

 兄妹が人通りの少ない脇道に入ったのも、カーライルの指示である。あえて襲撃に適した状況を作ったのだ。

 脇道に入ったのち、ふたりは道を外れ、林の中から一味を追った。そして、一味がいままさに兄妹に襲い掛からんとする瞬間を狙い、奇襲をしかけたのである。

 まずふたりがかりでクルーニーを倒しにかかったのも、作戦どおりであった。寄せ集めの集団を叩くには、頭を潰すのが効果的だ。まともな反撃ひとつ繰り出されることなく十二人を倒すことができたという結果を見れば、その効果はまさにてきめん(・・・・)だったと言えよう。

 こうしてヴァートたちは、首尾よく襲撃者を一網打尽にしたのであった。

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