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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士ヴァートの道程
132/138

 一行がルースの町に着いたのは、夜更けも近くなってからのことだ。ヴァートとカーライルの足ならば、日没前後にはルースに着けるはずであったが、病身のフェオドールもいたため予定が遅れたのも仕方のないことであろう。

 少々遅い時間だったゆえ、すでに満室となっている宿は多い。六軒目に訪ねた小さな宿で、ようやく二人部屋を二つ確保することができた。部屋割りは当然、ヴァート・カーライルと、オーランシュ兄妹の組み合わせだ。

 大きな宿なら、食堂や酒場が併設されている場合もある。しかしヴァートたちが取った宿にそのような施設はない。

 幸いルースは大きな宿場町であるから、夜遅くまで開いている飲食店は多い。近場の食堂で簡単な食事を取った一行は、ヴァート・カーライルが泊まる部屋に集合した。今後の方策について話し合うためだ。


「まず、あんた方にいくつか聞いておかなきゃならんことがある」


 と、カーライルが切り出した。


「なぜ狙われているのか、その理由に心当たりはあるのだろう」


 カーライルの言葉に、兄妹は頷いた。


「その理由、話してもらえるか」

「……私たちの身を護るうえで必要だというのなら話すが……」


 できれば話したくない、というのがフェオドールの本音のようだ。


「いや、無理にとは言わん。質問を変えよう。さっき襲ってきたのは、金で雇われた傭兵のようだが――その傭兵の雇い主、つまりことの黒幕は誰なのかわかっているのか?」

「何人かか心当たりはあるが、はっきりとした確証はない。あるいはその心当たりのうち、複数が手を組んでいる可能性もある」

「そいつらは金持ちか? 具体的に言えば――さっきの傭兵のような奴らをいくらでも雇えるほどの財力があるのか、ということだが」

「誰が黒幕だったにせよ、傭兵程度なら、何十人雇っても問題ないくらいの金は持っているだろう」

「なるほど。それから、今の状況だが――あんたたちはフレドリン領を出てレンに向かっている。そして、あんたたちをレンに行かせると不味いことになると考えた何者かが、それを阻止しようと追手をかけた。それで合っているか」

「ああ」

「それで、あんたたちはどの経路を通ってレンに向かうつもりだったんだ?」


 フェオドールとアリシアは、荷物から地図を取り出すと、予定していた経路を指で示す。

 オーランシュ家が統治するフレドリン領は、シーラム島北端に位置する。そこからレンを目指すなら、シーラム島中央を縦に貫くアーチボルド大山脈西側に沿って広がる平原部を南に進めばよい。大きな峠も、難所らしい難所もない。大街道を道なりに進むだけであり、ほぼ最短距離を通る経路である。旅の素人でも、地図を見たならまずこの経路を考えることだろう。実際ヴァートも、レンからハタに向かった時は、この経路を用いている。

 しかし、兄妹の考えていた経路は違っていた。あえて、一度アーチボルド大山脈を越えてから山脈の東側を南下し、山脈のほぼ中央に位置するウェルナー峠を越えてふたたび山脈西側に出る。そこは、大河ドゥーネの中流域だ。船に乗って大河を下れば、レン近郊まで辿り着くことができる。

 山脈西側をまっすぐ南下する一般的な経路に比べ、兄妹の計画は随分遠回りである。しかし、フェオドールによれば、


「全体としてかかる時間は、それほど変わらないのだ」


 という。大河ドゥーネの川下りが、かなりの時間短縮になるのだとか。


「ふむ。ヴァートはどう思う」

「えっ、俺ですか?」


 旅慣れており、シーラントの地理にも明るいカーライルが方針を決定すればよいと思っていたヴァートは、虚を突かれた格好だ。


「なにを驚いているんだ。お前だって一緒に旅をするんだぞ。運命共同体である以上、真剣に考えてもらわないと」

「わかりました――」


 ヴァートは、頭の中でいま一度状況を整理する。

 兄妹の目的は、無事レンまで辿り着くことだ。一方で兄妹を狙う何者かも、兄妹がレンに向かっていることを知っている。

 追手を振り切るか、あるいは追手の眼をかい潜ってレンに辿り着くことができれば、ヴァートたちの勝ちである。


(そうだ、勝負と考えるのがわかりやすい)


 勝負事で大事なのは、相手の立場になって考えることである。もしも自分が敵側の人間ならどう動くか。それをしっかり想定することができれば、自分たちが取るべき行動はおのずと決まってくる。


(相手がフェオドールさんの身体のことまで把握しているとしたら、あえて遠回りをするとは考えないだろう。だから、レンまでの最短距離を行く道――山脈の西を通っていくと予想するはず)


 経路が予想できれば、あとは先回りして網を張ればよい。

 だとすれば、大きく迂回してレンを目指すという案は、


「敵の眼を欺くにはいいと思います」


 二度の山越えがあるため、体力的にはより過酷な道となる。しかし、その欠点を考慮してもなお、選ぶ価値のある選択肢であるとヴァートは考える。


「俺も同意見だ」


 と、カーライルも頷いた。


「では、この経路を取るということで決まり、ということでよろしいのでしょうか」


 アリシアが確認を求めた。それに異論はないヴァートであったが、気がかりなことはまだあった。


「ただ――襲撃が失敗したあと、あの刺客たちがどう動いたのか。それを考えなきゃいけないと思います」


 むろん、そのまま諦めて帰ってしまうはずはない。


「お前の考えは?」

「俺なら――いったん退いたと見せかけて、遠巻きに尾行するでしょうね」


 四つ辻を同じ方向に三回曲がっても、なお後をついてくる者がいれば、それは偶然後ろを歩いていたのではなく、明確な意思を持って尾行している人間である――かつてヴァートはパメラにそう教わった。しかし、ヴァートたちが通った街道はほぼ一本道であるから、その判別法は使えない。人の行き来も多かったので、通行人に紛れて遠距離から尾行されれば察知する手段はない。


「私たちがこの町に入ったことは、把握されていると考えたほうがいいということか」


 フェオドールの言葉に、ヴァートは頷く。


「では――いつ彼奴らが襲って来るかもしれないということですか?」


 アリシアの表情が、不安に陰る。


「いや、その可能性は低いでしょうな。このルースの町は、このあたりでも一番の宿場町です。騒ぎを起こせばたちまち人が集まってきますゆえ、街にいる間は下手なまねはできませんよ。もしそれでも不安だということなら、部屋割りを変えて俺があなたとご一緒いたしましょう」


 カーライルは、舞踏会で女性を誘うときのごとく、恭しく一礼しながら右手を差し出す。しかし、この町に至るまでの旅路のなかで、アリシアも彼の軽口にはすっかり慣れっこになってしまったようだ。


「いえ、結構です」


 と、にべもない。 


「それはともかくとして――山脈を越える道を行くことには賛成ですけど、その前に追手をいったん振り切らなくちゃいけないと思います」


 ヴァートの言葉は、理にかなったものであった。カーライルも、大いに頷く。


「ヴァートの言うことはもっともだ。しかし驚いたな。お前もたった半年かそこら会わぬうちに、ずいぶん頼もしくなったもんだ」

「いやあ、レンではいろいろありましたから」


 半年間の怒涛の日々を思い出しつつ、ヴァートは頬をかく。


「では、追手を撒く方法を考えなければ――」

「御心配には及びませんよ、アリシアさん。それについては、もう妙案が思いつきましたゆえ」


 カーライルは自信たっぷりに言った。


「さて、すっかり遅くなってしまったな。今日のところはもう休むとしよう」


 ぽんと手を打って、カーライルが話し合いを打ち切った。各々の部屋に戻った四人は、泥のように眠るのであった。




 翌朝。

 朝飯前ヴァートはカーライルに


「ちょっと宿の庭まで来てくれ。あ、アリシアさんも一緒にな。彼女には槍を持ってくるように言っておいてくれ」


 と頼まれた。


「いいですけど……」

「頼んだぞ」


 ヴァートに理由を聞く間も与えず、カーライルは部屋を出て行く。

 アリシアを伴い、庭に出たヴァートは、しばしカーライルを待つ。やがて、大きな麻袋を手にしたカーライルが現れた。


「アリシアさん、槍は持ってきたかな」

「はい、こちらに」

「では、そこに立って」


 と、カーライルはアリシアから十五歩ほど離れたところに立つ。


「先輩、その袋は?」

「いま、朝市で買ってきたんだ」


 カーライルが袋から取り出したのは、よく熟した林檎であった。袋の大きさからするに、十数個の林檎が入っているようだ。


「いったい、何のご用なのですか」


 言われたことに従っていはいるものの、状況が掴めずにいるアリシアである。朝も早くから呼び出されたこともあり、その声には苛立ちの色が混じる。


「アリシアさん、今からあなたの実力を試させてもらいます。あんたたち二人が戦わねばならんような事態は極力避けたいが、そうも言っていられない状況になるかもしれない。あの兄貴のほうは戦力に数えないとして、アリシアさんの正確な実力を把握しておけば、より適切な作戦が立てられますからな――っと」


 そう言うと、カーライルは不意に林檎を投げ放った。林檎は、アリシアの胸元目がけ一直線に飛ぶ。


「ッ!!」


 次の瞬間――林檎は破裂音とともに弾け飛んだ。アリシアがとっさに放った槍の一突きが、林檎を正確に捉えたのである。


「次」


 言いつつ、カーライルは二個目の林檎を投げた。林檎の速度は、先ほどよりも速い。


「ふッ!!」


 しかしアリシアの槍は、その林檎をいとも簡単に突き壊した。

 ただ突き刺しただけでは、林檎を破裂させることはできない。アリシアは、槍が林檎に刺さる瞬間、手首を捻って穂先に回転を与えている。その回転が、破壊力を増幅させているのである。

 アリシアも、カーライルの意図が完全に理解できたようだ。林檎を使って、アリシアの技術を確かめようというのだ。高速で飛来する物体を正確に捉えるには、動体視力、槍裁きの正確さ・速さが必要になってくる。槍遣いの実力を推し量るには、悪くないやり方だ。

 実力を測るのなら、手合わせするのが本当は一番手っ取り早い。しかし、ヴァートやカーライル、そしてアリシアは模擬用の木剣や木槍など持ち合わせておらぬ。三人が持つのはすべて本身の武器だ。互いに実力を把握していない者同士で真剣の立ち合いなどしようものなら、大きな事故が起きかねない。

 不意打ちを食らって多少面食らったアリシアであったが、すっかり落ち着きを取り戻している。その槍の構えには毛の先ほどの乱れもなく、身体の軸にぶれもない。堂に入った構えである。


「ご幼少時から槍を?」

「ええ。槍の名手と謳われた『赤髪のフェオドール』に倣い、槍を修めるのがわがオーランシュ家の伝統ですので」

「なるほど――では、まだまだ行きますぞ」

「望むところです」


 カーライルが、一層力を込めて林檎を投げる。


「はッ!!」


 今度は、自らに迫る林檎を縦真っ二つに斬って落としてみせた。さらに、手首を返して横薙ぎを一閃。林檎は、四つに分かれて地面に落ちた。


「鋭い――!」


 ヴァートも思わず瞠目する。

 アリシアの技量が高いというのもある。加えて、彼女の短槍に秘密があることを、ヴァートは見抜いた。一般的な槍と比べ、その柄はかなり細い。軽量で女の細腕でも取り回しやすく、旅の重荷にならないという点で、この槍はアリシアの目的にかなっている。しかし、柄が細いことの利点はそれだけではない。


(あの細い柄――振ったとき、普通の槍より大きくしなるんだ)


 しなりは反発力を生み、穂先の速度を増加させる。その速度が、独特の鋭い切れ味を実現させているのだ。

 アリシアは、カーライルが投げる林檎を、あるいは突き壊し、あるいは両断していく。正確無比の槍裁きであった。十個目の林檎を投げたところで、カーライルはいったん手を止めた。


「ヴァート、来い」


 カーライルは、ヴァートに林檎を手渡す。


「俺は上半身、お前は足下を狙え」


 と耳打ちすると、カーライルは林檎を放った。少し遅れて、ヴァートも林檎を放る。ほぼ同時に二つ。

しかも、上下へ目線が散らされるため、対処が難しいとされる攻撃だ。


「しいッ!!」


 鋭い呼気とともに、アリシアは二連突きを繰り出した。ほぼ同時に二つの破裂音、そして二つの林檎は果汁を飛び散らしつつ四散した。


「お見事。あなたの歳でそこまで槍を扱える者など、そうはおらんでしょうな」


 アリシアの腕前を、カーライルが評する。ヴァートも同意見だ。


「次は――ヴァート」


 カーライルはヴァートを自らの前に立たせると、


「動くなよ」


 と、ヴァートの頭、そして両肩の上の合計三か所に、最後に残った三つの林檎を乗せた。


「落とさないようにな――アリシアさん、今度はこの林檎を突いてみせてくれ」


 落とさぬようにと言われても、三つの林檎の均衡を保つのは意外に難しい。どうしても、ヴァートの身体は前後左右に揺れてしまう。


「どうしました、飛んでくる林檎を突くよりは簡単でしょう」


 カーライルの言葉は正しい。ヴァートの身体が揺れているとはいっても、それはごく小さなものだ。林檎を貫くのはそう難しいことではないはず――なのだが。

 それまで一点の乱れもなかったアリシアの構えに、迷い(・・)が生じている。穂先は頼りなく揺らぎ、目線もヴァートの身体の揺れに合わせて泳いでいる。どこの部位を見るともなしに、敵の身体全体を視界に収めるのが武術の基本だ。しかし、今のアリシアにはそれができていない。

 十数秒が経過したが、アリシアはまだ手を出せずにいた。


「――そこまで。やめにしましょうか」


 カーライルが、ヴァートの身体に乗せられた林檎を取り除く。


「アリシアさん、本身の武器を人に向けた経験は?」

「――ありません――いえ、昨日まではありませんでした」


 アリシアの見せた急変の理由が、ヴァートにも理解できた。自らの得物が誰かを傷つけることへの恐怖心。それが、アリシアの槍を惑わせた原因だ。

 前日、刺客を前にしたときのアリシアの立ち回りは、ヴァートの眼から見てもなかなかのものであった。とにかく無我夢中であったゆえに、本身を扱う恐怖心がどこかへ行ってしまったいたのかもしれぬ。

 ともあれ、大貴族の子弟であるアリシアが、本身の槍を人に向けたことがないというのは当然の話である。ヴァートとて、その特殊な生い立ちがなかったのなら、真剣での勝負など経験していなかったかもしれない。


「わかりました。やはり、あなたは戦いに加わらないほうがいいでしょう。われわれも、そのように努力しますので」

「そんな! 私だって戦えます!」


 アリシアが抗議の声を上げる。自らの実力が低く見られたように感じたのであろうか。


「あなたは、いざというとき躊躇せずに敵に槍を向けられるかどうか不確定だ。そして、不確定要素は戦術に組み込まないのが兵法の基本です。いまのアリシアさんは、戦力として数えられないのですよ」

「私には、覚悟が足りない――そう仰りたいのですか」


 そう言ったアリシアの表情には、怒りと悔しさが滲んでいた。


「人を傷つけること、あるいは殺すことへの覚悟など、持たずに済むのならそれに越したことはないですよ」

「しかし私も貴族に生まれた身。いざ領民に危機が迫れば、先頭に立って戦わねばなりません」


 アリシアの言葉に、ミネルヴァを思い出すヴァートである。レンを離れて十日と少しだというのに、ずいぶん懐かしく感じるのは、ヴァートが桜蓮荘を第二の故郷だと思っているからだろう。


「ともかく――現実問題、いまのあなたを戦力としてあて(・・)にするわけにはいかない。場合によっちゃあ、あなたが参戦することで俺たち二人の戦いの邪魔になる可能性もある。あなたの兄貴に正式に依頼されたからには、われわれも最善を尽くさなければならないのでね。ご理解ください」


 カーライルが、はっきりと言い放った。

 アリシアは唇を噛むが、彼女にカーライルに反論する術はなかった。


「さあ、いったん宿に戻って、それから朝飯にしよう」


 いまだ立ち尽くすアリシアをよそに、カーライルは建物の中に戻っていく。

 ヴァートはアリシアに声をかけようか迷ったけれども、結局なんと彼女を励ましたらよいのかわからなかった。


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