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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士ヴァートの道程
131/138

「フェオドール……オーランシュ!?」


 驚愕の声を上げたのは、カーライルであった。


「先輩、知ってるんですか」

「この国でオーランシュといったら、お前……知らんのか。そっちのほうが驚きだよ」

「有名なんですか」

「有名もなにも――」


 と、ここで銀髪の女性――アリシアがカーライルの言葉を遮った。


「ご助力、こころより感謝いたします。しかし――貴方がたは、どうしてここに?」


 アリシアは、ヴァートに警戒心のこもった視線を向ける。

 倒れたフェオドールを救ったときと、いま。二度もちょうどいいところで目の前に現れたヴァートである。偶然ではなく、ヴァートが意図して行動した結果なのではないか――アリシアがそう考えるのも自然なことだ。

 彼女らが人目を憚るように旅をしていた理由は、もはや明白である。狙われているのだ。


「疑う気持ちもわかりますけど……本当に偶然です。俺はあなたたちと出会った次の日、あの宿場町の西にあるエディーンって村に行って、そこから戻ってきたところなんです。それでさっき、道の先にあなたたちの姿が見えて」

「うむ。そのあとから、いかにも怪しげな男たちが駆けていったものでね。決してあなたたちを尾けて回ったわけではないですよ。まあ、先にあなたのことを見知っておれば、思わずあとを尾けたくなったことでしょうがね、美しいお嬢さん」


 冗談めかして言うカーライルだが、彼の軽口はアリシアのお気に召さなかったらしい。余計に警戒心を喚起する結果となってしまった。


「アリシア、止しなさい。彼らに二心などないことは明らかだ。もし彼らが私たちに危害を加えるつもりなら、とっくにそうしているだろう」

「まあ、それはそうですけれど……」

「どうか、妹を許してほしい。いろいろあって、妹も気が立っているのだ」

「あんなことがあったあとなら、仕方ないですよ」

「そう言ってもらえると助かる。アリシア、お前もお二人に謝罪しなさい」

「……疑ってしまい、申し訳ございませんでした」


 ばつの悪そうな表情で、アリシアはヴァートとカーライルに頭を下げた。

「さて、お二方には礼をせねばならないが――そういえば、まだ名前も聞いていなかったな」

「俺は、ヴァート・フェイロンです」

「レスター・カーライルだ」

「フェイロン殿にカーライル殿か。旅先ゆえ、このようなものしか用意できぬが」


 と、袋に入れた金子を差し出す。ヴァートはまたもこれを固辞しようとするが、フェオドールもなかなか譲ろうとしない。


「ヴァート、もらっておけ。感謝を具体的なもの(・・)で表したいという気持ちはおかしなことではないし、それを受け取ることも決して卑しいことじゃない」


 カーライルが口を挟んだ。


「先輩がそう言うなら――ありがたく、頂戴します」


 と、不承不承ながらヴァートは金を受け取る。


「ときに、お二方はどちらへ向かうところなのかな?」 

「レンです」

「では、レンでの滞在先を教えてくれないか。改めて礼に伺いたい」


 今度も、フェオドールは一歩も譲らぬ姿勢を見せる。ヴァートは仕方なく、桜蓮荘の番地を告げた。


「――それでは、先を急ぐ身ゆえ、われわれはこれで失礼する。お二方の旅路が明るいものでありますように」


 一礼して立ち去ろうとする兄妹を、ヴァートは慌てて呼び止めた。


「待ってください、この道は行かないほうがいいですよ」

「それはどうして?」

「この先は未知の凹凸が激しくて時間と体力を食うし、蚊の大群に襲われるからな。俺の実体験だから間違いない」

「む、そうか……」


 フェオドールが、腕を組んで考え込む。


「あんた、その身体で無理はいかんぞ。こんな道を通る人間はいないし、途中で倒れでもしたら誰も助けてはくれまい」


 カーライルは、フェオドールの顔を見つつそう言った。妹アリシアとよく似て、均整の整った顔立ちであるが、頬はこけ目の周りは落ちくぼむ。顔色は青黒く、その身体の状態を如実に語っている。


「しかし、私たちの事情もある程度は察していることだろう。人目につく道は通りたくないのだよ」

「人に見られたくないというのはわかりましたけど、さっきの連中にとっては、人気のない道というのは好都合だと思います」

「そうだな。あの連中、あんたがたを尾行しつつ、人目につかぬ場所に入る機会を窺っていたようにも思える」


 むろん、襲撃するなら人の眼につかぬ場所がいい。人の多い大きな街道か、人の少ない脇道か。どちらも、兄弟にとってはよし悪しであろう。


「敵から確実に身を護れるという確証があるんなら、こういう道を行くのもあり(・・)だと思います」


 命を狙われた状況で移動するということは、ヴァートも二度ほど経験している。初めてハミルトン道場を訪れたとき、そしてアイザック・ローウェルの護衛をしたときである。前者ではすべてをマーシャに任せきりであったが、後者ではヴァートなりに考えて行動したものだ。


「どうしても脇道を行きたいというなら、信頼のできる護衛を雇うことだ」

「しかし、そのような者がどこに――」

「よかったら、俺たちが同行しますよ。あなたたちも、方向的にレン方面を目指しているんでしょう? それなら、ついでになりますし」


 ヴァートが申し出た。


「たしかに私たちはレンを目指しているし、君たちのような者が一緒にいてくれれば心強いが」

「兄上、私は反対です」


 異を唱えたのはアリシアである。


「どうしてだ? 彼らは信用に足る人物だと私は思うが」

「私とて、この方々を信用しないというわけではありません。しかし私たちの事情で、ゆかりもない方を危険な旅に巻き込むことはできません」

「お嬢さん、ご心配召されるな。見てのとおり、われわれは剣の道に生きる人間。苦難の一つや二つ、自らの糧としないでどうしますか。それに、あなたのような麗しい女性を放っておくわけには参りませんよ」

「先輩の最後のひとことは無視してください――でも、前半の言葉は間違っていません。この状況であなたたちを見捨てたなんて、うち(・・)の師匠に知られたら、怒鳴られるだけじゃ済みませんよ」


 苦難や危険あらば、自ら飛び込んでいくくらいの気概を持つべし。ハミルトンは常々そう言っている。


「まったくだ。最悪破門されかねん」


 カーライルとヴァートは、互いに顔を見合わせ苦笑する。


「わかった。お願いしよう」

「兄上!?」

「アリシア、このふたりの言うことはもっともだ。それに、お前の心がけが間違っているとは言わないが、いまの我々は目的を達することが最優先のはずだ。なりふり構っていられまい」

「しかし、万一この方々にお怪我などさせてしまったりしたら――」

「それを心配するのは野暮というものですよ、お嬢さん。武術家が――いや、一人の男子が、自分の意思でそうすると決めたこと。たとえ惨めに敗死したとて、あなたが気に病むことではありません」


 芝居のように大仰なしぐさで、カーライルは言った。


「お前の負けだよ、アリシア。気持ちはわかるが、お前の言葉は彼らの立派な決意に泥を塗るようなものだ」

「……わかりました」

「話はまとまったようだな」

「ああ。しかし、みっつほど聞き入れてもらいたい。私はあなたたちに、護衛を正式に依頼する。私たちが目的地にたどり着いた暁には、かかった日数を計算に入れ、しかるべき報酬を支払わせてもらう。そして、旅の途中知りえたことは他言しないでほしい。最後に――命の危険を感じたなら、どうか私たちに構わず逃げてほしい、それだけだ」

「わかった。ヴァートもそれでいいな?」

「はい」

「では――よろしくお願いするよ、フェイロン殿にカーライル殿」


 ヴァートとカーライルは、差し出されたフェオドールの手を、順に握り返す。


「さて――ともかく、いったん元の街道に戻ろう。これからどの道を行くのかは相談して決めるにしても、ここは不味い」


 腕をぼりぼりとかきながら、カーライルが言った。ヴァートもすでに、三か所を蚊に食われている。


「蚊くらい、無視して進めばいいのではないですか」

「お嬢さん、それは甘い考えと言わざるを得ませんな。たかが蚊と申されますが、蚊というのはときに厄介な病気を運んでくることがあるのです」

「それに、さっき襲ってきた奴らも、さすがにしばらくは用心して行動を控えると思います」

「そうだな。君たちが同行していると知れば、迂闊に手出しできまい」

「わかりました――はぁ、なんだか私、みなさんに言い負かされっぱなしですね」


 と、アリシアは嘆息してから笑った。まるで一輪の花がほころんだようで、ヴァートもカーライルも思わず見惚れてしまう。


「そうと決まれば急ぎましょう。とりあえず街道に出るまで、フェオドールさんは俺が背負っていきますから」


 一刻も早く蚊たちの魔の手から逃れたいが、足場の悪い道でフェオドールに無理をさせるわけにもいかぬ。フェオドールもヴァートの申し出を拒まなかった。


「ありがたく、お言葉に甘えさせてもらおう。アリシア、お前はフェイロン殿の荷を」


 宿場町の手前で兄妹と出会ったときと同じ格好で、ヴァートは脇道の出口を目指すのであった。




 まずはヴァートたちのこの日の目的地であったルースの町を目指し、そこで宿をとってこれからの方針を詳細に打ち合わせる。そう決めた一行は、街道を歩きだした。


「そういえば先輩、さっきは聞きそびれましたけど――オーランシュって名前を知っていたんですか」

「お前は本当に世間知らずだなぁ」


 カーライルは呆れ顔である。


「オーランシュ姓に、フェオドールという名。そしてそちらのお嬢さんの銀の髪――」


 アリシアの帽子の脇からわずかに垣間見える美しい髪に視線を向けつつ、カーライルは言葉を続ける。


「この三つから、七代公爵・フレドリン公オーランシュ家を連想しない人間など、この国じゃ少数派だろうな」


 この国で特に大きな力を持つ七つの家柄が、俗に七代公爵家と呼ばれるものだ。王家に次ぐ権力を持ち、ほかの貴族とは一線を画す存在である。

 七つの家柄のうち、ランドール家を除く六つは、かつての戦乱期に現王家であるエインズワース家に忠誠を誓い、多大な功績を上げたことで取り立てられた一族の末裔である。

 ミネルヴァの生家であるフォーサイス家、そしてエリオットの生家であるフラムスティード家もまた、七代公爵家に数えられる。両家は、その武勇から「エインズワースの両翼」と呼ばれていた――ヴァートはマーシャから聞いたことがあった。


「じゃあ、あなたたちはもしかして――」


 ヴァートが、後ろを歩く兄妹を振り返った。


「まあ、今さら隠しても仕方あるまい。たしかに私たちは、そのオーランシュ家の人間――当主クリストフの長男、長女にあたる」


 フェオドールが、あっさりと肯定した。アリシアは大きく嘆息したけれども、口を挟もうとはしなかった。


「それは、どうも――」


 馴れ馴れしくしすぎたのではと心配になるヴァートだったが、フェオドールは笑って首を横に振った。


「いや、今さら畏る必要はないよ。それに、露骨なよそよそしい態度は、周囲の人間から怪しまれるかもしれない」


 ヴァートはアリシアの表情を窺う。それに気づいたアリシアも、微笑みながら頷いた。今までの態度で構わない、ということだろう。ヴァートも一安心である。


「それに、銀の髪のオーランシュといえば、『赤髪のフェオドール』だろう」

「ん、どういうことですか?」


 カーライルの言葉に、ヴァートは思わず首を捻る。銀の髪から、『赤髪の』という言葉が想起されるのは、なんとも矛盾した話であろう。


「おおよそ二百五十年前、戦乱期中期のことだ。エインズワース家に仕える、流れ者の一族がいた」


 不意に、フェオドールが会話に割り込んだ。


「その一族は、もとは大陸のとある国の貴族だったと言われている。戦に敗れ、国を追われた一族は、傭兵稼業をしながら大陸を転々とし――最後に、この国に辿り着いた。それがオーランシュ家の祖先だ」


 フェオドールの言葉は、随分遠回りをしているらしい。しかしヴァートは余計な口出しはせず、黙って続きを聞く。


「エインズワース家に拾われ、忠誠を誓った祖先は、その武勇をもって多くの戦果を挙げた。しかし所詮は余所者、エインズワース氏の軍団内での地位はなかなか向上しなかった。そんなとき起きたのが、『ヴェールの戦い』だった」


 当時のエインズワース氏と、対抗勢力であるアバネシー氏が、ヴェール平原で全面対決したのがヴェールの戦いである。

 結果から言うと、この戦いはエインズワース氏の敗北であった。

 ヴェール平原の背後にそびえる山地を抜けて退却することを選んだエインズワース軍であるが、問題は誰が殿しんがりを務めるのかということであった。いうまでもなく、殿というのは一番危険な役割である。


「そこで、殿を買って出たのが、当時のオーランシュ一族族長・アランの次男である、フェオドールだった――私の名は、この祖先から取られたものなのだよ」


 オーランシュ家は、美しい銀髪の者を多く生む一族であった。フェオドールもまた、銀の髪を持つ美丈夫であり、槍の名手として知られていたという。


「退却のための時間を稼ぐべく、フェオドールはわずかな手勢を引き連れてアバネシー軍に立ち向かった。フェオドールは山麓の複雑な地形を利用して上手くアバネシー軍をかく乱した。時間稼ぎには成功したものの、フェオドールとその手勢はとうとう敵に包囲されてしまった」


 ひとり、またひとりと手勢が倒れていき――フェオドールは遂にひとりとなった。


「しかしフェオドールは諦めなかった。自らの血と返り血が、その銀髪を真っ赤に染め上げるまで戦い抜き、そして最後には立ったまま討ち死にしたという」


 それが、多くの詩歌にも詠われた、『赤髪のフェオドール』の伝説である。フェオドールを討った部隊の指揮官は、敵ながらその姿に感銘を受け、フェオドールの遺体を丁重に葬ったと言われている。


「シーラント戦乱期の武人の中じゃ、あの『ドレスを着た剣鬼』ヴェロニカ・フォーサイスと並ぶ有名人だぞ」


 カーライルが補足した。


「ああ。そして、このフェオドールの功績により、わが一族はエインズワース軍の中での地位を固めたということだ」


 ようやく、すべての話が繋がった。その生い立ちを考えれば仕方のないことなのだが、ヴァートは自分の無知を恥じる。


「フェオドールが討ち死にしたとされる日、それと同じ月日に産まれたために、私もフェオドールと名付けられたのだが――残念ながら、私は生まれつき身体が弱くてね。偉大なるフェオドールの名は、私にはいささか重かったようだ」


 そう言うと、フェオドールは自嘲的な笑みを浮かべるのだった。

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