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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士ヴァートの道程
130/138

 ヴァートとカーライルは、昼前にはヴァートが滞在した宿場町に辿り着いた。ヴァートがここからエディーンに向かったときと比較すると、かかった時間は三分の二程度だ。ほとんど小走りのような歩調で進んできたふたりである。


「これなら、少し速度を落としても大丈夫だな」


 夜までには、目標の宿場町ルースまでには辿り着ける。カーライルはそう判断した。

 前日泊まった宿の前で、ヴァートはふと足を止めた。

 れいの兄妹のことが、思い出させたのである。

 医者は、最低三日様子を見るように言いつけていたはずだ。この日はあれから二日後だから、兄弟はまだこの宿に滞在していることだろう。


(あの兄のほう――たまたま体調を崩した、という感じではなくて、相当身体が弱っているように思えた)


 男を背負った時の手ごたえのなさは、とても成人男性のものとは思えぬほどだった。彼はもともと身体を壊していたのではないか――ヴァートはそう推測する。

 病身の兄と、年若い妹のふたり旅。どこへ向かっているのかは知らないが、その旅路にはまだまだ困難が待ち受けることだろう。

 力になってやりたい気持ちはある。しかし、なにやら込み入った事情を抱えるらしい人間にとって、どこまでが「親切」で、どこまでが「お節介」になるのか。ヴァートはその線引きをすることができない。


「お、どうした?」


 先を歩くカーライルが振り返った。


「あっ、いえ、なんでもないです。済みません」


 ヴァートは慌ててカーライルを追う。




 宿場町を出たあとは、大きな街道に沿ってレンを目指す。


「こっちに来たときは、近道をしようと脇道に入って酷い目に遭いましたよ」


 ヴァートは、カーライルにこぼした。

 地図を読みこんだヴァートは、当初予定していた毛色よりも大幅な近道が見込める道を発見した。勇んでその脇道に入ったヴァートであるが、想像だにしなかったきつい傾斜にてこずり、結局かなりの時間と体力を無駄にしてしまった。


「ありがちだな。旅の初心者は、よくやるんだよ」


 実家を飛び出してから、カーライルは国中方々を旅して回った時期があった。旅に関しては、ヴァートよりもはるかに経験豊富である。


「地図上では遠回りに見えても、結局は大きな道沿いに進むのが一番早いことがほとんどなんだ。脇道ってのはたいがい、お前が体験したように坂がきつかったり、足場が悪かったりする。場合によっちゃあ、増水した川なんかに行く手を遮られて立ち往生、なんてことさえある」

「先輩もそんな失敗したことがあるんですか」

「まあ、若いころにな。それから、俺は山賊なんぞが恐ろしいわけじゃないが、やはり人の行き来の多い道は安全だからな」


 と、カーライルは講釈する。


「そら、たとえばあそこだ」


 カーライルは、街道の先に見える脇道を指さす。街道脇の森の中に向かって切れ込んでいく、細い道だ。


「あそこなんかは、距離的にはかなりの近道になるんだが、道は凸凹だし、森の中には沼がいくつかあって大量の藪蚊が湧いて出る。うっかり入ると大変だぞ」


 カーライルは、レンとエディーンとの間を何度も往復している。この界隈の道には明るい。


「っと、言ってるそばから、あの道に入っていく奴らがいるみたいだぞ。無鉄砲だなぁ」


 脇道にふたりの旅人が入っていくのを、ヴァートも認めた。


「あれ、あの人たちは……」


 見覚えのある旅装であった。


「三日は安静にしてなきゃいけないはずだけど……無理をする」

「どうした? あの旅人を知っているのか」

「はい、たぶん。こっちに来るときにちょっと知り合った人たちだと思います」


 ヴァートの眼はいい。彼らの帽子や上着の特徴は、たしかにれいの兄妹のそれと一致していた。


「それなら、忠告してやったほうがいいんじゃないか? 全身蚊に刺されてからじゃ遅いぞ」

「そうですね――」


 ふたりの姿はすでに、森の脇道に消えていた。ヴァートたちと兄妹との距離はまだかなりあるが、少し急げばじきに追いつける程度のものである。足を速めようとするふたりであったが、後方から複数の慌ただしい足音が響いてきたため、思わず後ろを振り返る。

 足音の主は、七人の男たちであった。年齢は二十代から四十代まで様々で、ごく一般的な旅装に身を包む。全員が帯剣しており、武術の心得があるのはその身のこなしから明らかである。

 男たちは駆け足でヴァートたちを抜き去って行く。旅においては、一定の歩調を保つのが疲労を抑えるこつ(・・)である。駆け足というのは、旅の途中の人間がすべきことではない。


「なんだ、あの連中は」


 カーライルも、怪訝な表情を見せた。


「変な奴らですね。あっ、あいつらも脇道に――」


 兄妹と思しきふたりを追うように、男たちは脇道に入っていく。

 突如、悪い予感がヴァートの脳裏に浮かんだ。

 人目を憚るようにして旅するふたり、そして彼らの後をついて走る剣呑な雰囲気の男たち。


「先輩、走りましょう!!」

「なんだかよくわからんが――承知した!」




 悪い予感というのは的中するものだ。

 森の中をしばらく進んだ先――ヴァートが出会った兄妹は、七人の男に追いつかれていた。男たちの手には、陽光に煌めく白刃が握られている。


「いかん――!」


 カーライルはとっさに石くれを拾い上げると、思い切り投げ放った。石くれは狙いを外し、道沿いの立ち木の幹に当たって跳ねた。

 しかし、男たちの注意を惹くのには十分であった。男たちが振り返った隙に、妹が兄を背に庇う。

 男たちは、顔を寄せ合って一言二言言葉を交わす。七人のうち、五人がヴァートたちの方を向く。残る二人は、そのまま兄妹と対峙した。

 男たちが、兄弟に襲い掛かろうとしていたことは明白だ。いままさに、人を傷つけようとしていたところを見咎められたのだ。男たちが取り得る行動は限られる。ひとつは、速やかにその場から逃げ出すこと。そしてもうひとつは、ヴァートたちもろとも口を封じてしまうことだ。

 男たちが選んだのは、後者であった。


「ヴァート、俺が道を切り開く。お前は奴らの間を突破し、あの二人を護れ」


 走り寄りつつ、カーライルが言った。


「わかりました――でも、間に合いますかね」


 まだまだヴァートたちの剣が届く距離ではない。間合いを詰める間に兄妹がやられてしまわないか、ということだ。


「意外と大丈夫みたいだぞ。見ろ」


 女性が、背の荷物に括り付けられていた円筒状の袋を取り外すと、素早く中身を引き抜いた。出てきたのは、細身の短槍であった。

 女性の構えは、遠目から見ても堂に入ったものであった。

 ふたりの男に対し、女性がどれだけ戦えるのかは未知数だ。しかし、わずかなりとも時間を稼ぐことができればそれで十分だ。


「行くぞ、続けッ!!」

「応ッ!!」


 抜剣しつつ、カーライルは一気に五人の男に肉薄する。

 ふたりの男がそれを迎え撃った。まずひとり目が、大上段からの一撃。カーライルが横に跳んで避けたところに、ふたり目が剣を薙ぐ。跳躍後の着地ぎわというのは、人間の体勢がきわめて不安定となる瞬間だ。


「――ぬるいな」


 しかしカーライルは動じぬ。鋭く剣を振り抜いて横薙ぎを打ち払うと、手首を返してもう一撃。カーライルの剣は、男の太腿を斬り裂いている。まさに、眼にも留まらぬ早業であった。

 続いて、カーライルは大きく振りかぶって斬撃を放った。いかにもな大振りの一撃。まず当たるものではないが――これはあくまで牽制である。


「いまだッ!!」


 カーライルの斬撃は、男たちの間に隙間を作った。そこを、ヴァートが一気に駆け抜けた。

 女性は、槍の長い間合いを活かして上手くふたりの男の攻撃を凌いでいる。そこへ、ヴァートが突っ込んだ。


「はぁッ!!」


 女性に対する男のひとりに、背後から奇襲を仕掛ける。敵もさるもの、とっさに身を捻ってヴァートの斬撃を避けてみせた。しかしその隙に、ヴァートは男の脇をすり抜けると、槍の女性と並び立った。


「大丈夫ですか」

「ええ。あなたは――」

「話はあとです。すぐに、こいつらを片付けますから」

「しかし、あちらのお方が!」


 その間、カーライルは四人の男による猛攻を受けていた。しかし、ヴァートは慌てる素振りも見せぬ。


「あの人なら大丈夫」


 ヴァートの言葉どおり、多勢を相手にしながらもカーライルはまったく崩れない。

 守りに回ったときに無類の強さを誇るのが、このカーライルという男である。彼は、たとえハミルトンを相手にしても、易々と一本を取らせることがなかった。相手の剣を捌くことに関しては、ハミルトンの弟子たちのなかでも彼に敵う者はいない。

 むろん、カーライルは攻めるのが下手だというわけではない。次々放たれる斬撃を避け、弾きながらも、的確に返し技を繰り出す。


「ふッ!」


 カーライルの一撃が、一人の男の小手を打つ。さらに、背後から上段斬りが襲い掛かるが、カーライルは回転しつつの斬り上げでそれを弾くと、間髪入れず男の胴を薙ぐ。殺さぬよう、絶妙に力を加減した斬撃である。カーライルの剣は、男の腹筋を斬り割ったのみであり、内臓にまでは達していない。

 これで、戦闘不能となったのは三人。戦えるのは、ヴァート・カーライル・槍の女性に対し、男たちは四人。三対四の状況とはいえ、カーライルの腕前は証明済みだ。男たちに、数の優位はもはやない。


「まだやるか」


 ヴァートが、一歩前に出た。カーライルもそれ以上手を出さず、男たちの出方を待つ。

 男たちは、しばしの逡巡を見せたが――互いに目くばせすると、一斉にばらばらの方向へと駆けだした。


「待て!」


 後を追おうとするヴァートであったが、その肩を掴む者があった。


「お待ちください」


 槍遣いの女性であった。


「でも――今なら奴らを捕まえられますよ」


 致命傷ではないけれども、男たちのうち三人は怪我人である。追いかけて捕縛するのは難しくない。

 女性は、首を横に振りつつ、


「騒ぎになっては困るのです。どうか、この場でことを修めていただけないでしょうか」


 と、懇願する。


「いいんですか? 真剣で斬りかかってきた奴らですよ」

「……はい。あの者たちを役人に突き出しても、私たちの問題は解決しませんので」


 答えたのは、男性――兄のほうであった。


「兄上、お体は平気ですか」


 女性は、槍を納めると兄に駆け寄った。


「ああ、大丈夫だ、アリシア」


 男が、生気の薄い顔に微笑を浮かべる。


「危急を救っていただき、感謝する」


 妹同様の折り目正しさで、男は礼を述べた。


「ひょっとして君は、二日前に私を助けてくれたという青年なのでは?」

「どうしてそれを?」

「妹から話は聞いている。金色の髪に、翠色の瞳を持つ精悍な若者だったと。その節は、私も意識が朦朧としていたため、失礼をした。重ねて礼を言わせていただきたい」

「いえ、礼を言われるほどのことではありません」

「痛み入る。おっと、そういえば妹は名前も名乗っていなかったそうだな。改めて、私は――」

「兄上!?」


 自らの姓名を明かそうとした兄に、妹は困惑を隠せぬ。


「いいのだ。これだけの大恩を受けながら、名も名乗らぬなど、私はお前をそのような礼儀知らずに育てた覚えはない」

「それは……」

「妹が無礼な真似をした。私はフェオドール・オーランシュ。そしてこちらが、妹のアリシア・オーランシュだ」


 と、男は一礼した。

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