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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士マーシャと通弁
124/138

「無事だったか、シャノン!!」


 パメラに連れられ桜蓮荘に帰還したシャノンは、マーシャの強烈な抱擁に迎えられた。


「身体は大丈夫か」


 シャノンに目立った外相は見られないし、衰弱した様子もない。しかし外見上は無事なようであっても、見えない部分(・・・・・・)が傷つけられていないとは限らぬ。


「大丈夫」

 シャノンは、けろりとした様子で答える。もともと感情の起伏を表に出すことの少ない娘であったけれども、その実かなり図太い神経をしているようだ。

 ともあれ、シャノンは本当に大事ないようである。マーシャはほっと胸をなで下した。

 マーシャは自室に皆をを引き入れ、シャノンから事情を聴く。

 あの夜、『銀の角兜亭』からの帰り道、何者かに拉致されたというのは間違いないらしい。


「いきなり羽交い絞めにされて、目隠しと猿轡されて……気が付いたらあの建物にいた」


 暴行らしい暴行を受けたのは、そのときのみ。監禁場所では、きちんとした食事と家具付きの部屋を与えられ、強要されたのは簡単な外国語の文面を訳すことのみであったという。


「やはり、すべて予想通りだったというわけか」


 ダッドリー一家が、アルマン党が用いたカルハディア語の暗号を解読するためにシャノンを誘拐した。その推理は、正しかったようだ。


「連中は、ほかになにか言っていなかったか」

「んー、『あんたみたいな特技を持つ人間は貴重だ。今後もうちの仕事を請け負ってもらえると約束するなら、家に帰してやってもいい。むろん秘密は守ってもらうが』って」

「それを承諾しなかったのか?」


 シャノンは首肯する。


「カルハディア語の紙きれを翻訳しろって言われたときは、怖かったから従ったけど……本当はあんな奴らの言うことなんか聞きたくなかったし」


 肩をすくめつつ、シャノンが言った。


「なんとも――気丈なかたですのね」


 やくざ者に誘拐されながら、その要求を突っぱねるなど、なかなかできることではない。なんの武術の心得もないこの女性が内に秘めた胆力には、ミネルヴァも感嘆せずにはいられない。


「さて、ここに帰ってきたからにはもう安心だ。腹は減っていないか?」


 シャノンが首を横に振る。


「では疲れているだろう、部屋で休むといい」

「うん。パメラさん、ありがとう」


 パメラにいま一度謝辞を告げると、シャノンは住み慣れた自室へ戻っていった。


「――して先生、これからどうするおつもりにござるか」

「警備部に何もかも話して、摘発してもらうのが筋ではある。が――」


 マーシャは、いったん言葉を切る。瞬間、彼女の全身から烈しい怒気が噴き出した。その空気に中てられ、ミネルヴァやアイは冷や汗を流し、パメラは思わず身構える。


「今回ばかりはこの手で落とし前をつけさせてもらう」


 冷たく言い放ったマーシャの声に、ミネルヴァもアイも身震いを禁じ得ないのであった。




 シャノンが奪還されたとの報せは、すぐダッドリー一家幹部・グリンのもとに届いた。

 『ギブソン商会』の入り口広間。そこに、グリンの姿はあった。五十手前の巨躯の男で、その肉体は年齢を感じさせぬほど引き締まっている。右頬から鼻の真ん中にかけて横一文字の傷跡が走り、それが独特の凄みを醸し出す。


「なんてぇザマだ! この役立たずどもがッ!!」


 グリンは、眼前に立ち並ぶ七人の男たちを、端から殴りつけた。彼らは、シャノンが監禁されていた民家に詰めていた者たちである。倒れる男たちの顔面を踏みつけ、腹を蹴り上げ、彼らが動かなくなるまで暴行を加えたグリンであったが、それだけではまだ飽き足らぬようだ。

 続いてグリンは手近なものに当たり散らし始めた。砕けた酒瓶や壊れた椅子の破片が、あたりに飛散する。


「兄貴、落ち着いてくだせぇ……!」


 子分たちが、三人がかりでグリンを止めにかかった。


「ちっ……」


 最後に一番手前の男に唾を吐きかけると、ようやくグリンは落ち着きを取り戻した。


「それで兄貴、これからのことなんですが……」

「ああ――あの通訳を助け出したのは、正体不明の女ってことだったな」

「へい」

「警備部の走狗いぬってことではねぇようだが――」


 どこにでもいるような町娘であったと、れいの民家を護っていた男たちは証言している。警備部に女はいないはずだし、誘拐された人間を救出するのに女一人を突入させるような作戦を実行することも考えられぬ。


「やはり、アルマン党の連中でしょうか」

「うむ、その可能性は高いな。それならば、警備部に駆け込まれる心配はねぇ。問題は、アルマン党だ」


 どうやってアルマン党がシャノンの居所を掴んだのかは、グリンには知れぬ。しかし、れいの民家に辿り着いたということは、ダッドリー一家の関与に勘付いているということだ。


「リュカの野郎が白状しやがったに違いありませんぜ、兄貴。しかし、どうして野郎が裏切者だとバレたのやら」

「ああ。リュカが関わったという証拠は残していないはずだが……まあ、奴のことはどうでもいい」


 裏切りが発覚したとなれば、すでにリュカはこの世にいないだろう。なぜことが露見したのか、グリンも気にはなるが、今考えても仕方のないことだ。


「アルマン党の連中の報復は避けられねぇでしょう。兄貴は、一時的に身を隠したほうがいいんじゃねぇですか」


 子分の提案に、グリンは顔をしかめた。彼には、一家随一の武闘派としての意地がある。しかし、部下の言葉も一理ある。

 アルマン党幹部のオーギュストは若いながら切れ者で、慎重なようでいて、やる《・・》と決めたときの行動は迅速だ。戦いの勘所を心得ている、敵に回すと厄介な相手である。長年抗争を繰り広げてきた相手だけに、グリンもオーギュストのことは知り尽くしている。

 ここまでは、オーギュストに対し先手を打って立ち回ってきたグリンであるが、ここからは守勢に回らざるをえない状況だ。

 しかし、アルマン党とてダッドリー一家と正面切って対決するのは躊躇われるはずだ。戦力はほぼ互角。まともにかち合えば、双方に大きな被害が出るのは確実である。そこまでの危険性を冒す覚悟が、果たしてアルマン党にあるだろうか。グリンも、アルマン党がそこまでの強硬手段に出てくることはないだろうと考える。

 全面戦争を避けるとすれならば、アルマン党が取りうる報復の手段はなにか――それは、オーギュスト襲撃事件の首謀者である、グリンの暗殺だ。

 一時的に身を隠すべきという子分の意見は、間違っていない。


「気に食わねぇことだが――仕方あるまい。ただ、身を護るのならここに籠るのが一番だ」


 『ギブソン商会』は、グリンの根城である。ここには、腕に覚えのある屈強な手下たちが、常時数多く詰めている。シャノンが監禁されていた民家同様、壁は厚く窓のない部屋もある。強力な発破でも用いぬかぎり、外からグリンの命を狙うことは不可能だ。

 そして移動中というのは、暗殺の危険性が一番高まるときである。下手に動かないほうがいいのは間違いない。


「では、念のためあと十人ほど護衛を呼んでおきましょう」

「馬鹿野郎、今でさえここには二十人からの子分どもがいるのだ。これ以上人数を増したりすれば、俺の面子に関わる。それに――この俺がなんと呼ばれているか、忘れたわけではあるめぇ」


 と、グリンは力こぶを作って見せた。彼の裏社会での異名は、『十人殺し』という。若かりしころ、敵対組織との抗争中、十人に囲まれながらも全員を返り討ちにしたという逸話があるのだ。


「お前たちと俺とを合わせて三十人力。十分じゃねぇか」

「ごもっともで」

「それからアルマン党――特に、オーギュストの手下どもの動きには眼を光らせておけ」

「へい」

「首領にも、今回の不始末について報告を上げねばならねぇ……気の重い話だ。一杯やらねばやってられん」


 そう言って、最上階にある自室に下がろうとするグリンであったが――戸外から響く慌ただしい足音に振り返った。

 乱暴にドアを開き、駆け込んできたのは『ギブソン商会』の門番を務める子分であった。


「どうした、やかましい」

「て、大変てぇへんだ! 殴り込みです!」

「なんだとッ、アルマン党か!?」

「いえ、それが――」


 門番の声は、異様な物音によって遮られた。まるで、きこりが斧を立ち木に叩きつけたときのような、鈍い音が立て続けに二回。

 恐る恐る振り返る門番は、信じられない光景を目にした。『ギブソン商会』の木製の扉に、☓《ばつ》字の亀裂が走っているのだ。

 派手な音を立て、扉は外側から蹴破られた。

 扉の外には――抜き身の剣を手にしたマーシャの姿があった。

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