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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士マーシャと通弁
122/138

 レンという都市は、シーラム島とライサ島を隔てる内海であるエルドレイ海と、大河ドゥーネに面するという地理的条件を活かし、古来より水運の中心地として栄えてきた。したがって、基本的に街の歴史は港に近づけば近づくほど旧くなる。

 レン港の大部分を含むハーシェル街は、レンのなかでも最古の歴史を誇る。時代の変化に対応し、この街もまた常に変化を続けてきた。統一前の戦乱期には、戦火にもたびたび晒されたこともあり、そこには、下町のなかでも特に雑多で混沌とした街並みが広がっている。

 そんなハーシェル街の一角に、三階建ての古びた古美術商がある。とはいっても、屋号を記した看板は掲げられていない。薄汚れたガラス窓から垣間見える店内の様子から、辛うじてここが「古美術商である」と判断できるだけだ。曲がりくねった路地に面しているため、一見の客など望める立地ではない。もっとも、この店に入ろうとするような物好きがいたとしても、入るなり睨みつけてくる人相の悪い店番と、まるで商売をする気がないとしか思えぬ乱雑な店内の様子を見れば、すぐに踵を返すことだろう。

 実のところこの店、古美術商というのは世間の目を欺くための仮の姿である。本来の姿――それは、犯罪結社アルマン党の拠点のひとつなのだ。

 名もなき古美術商の最上階にある部屋に、アルマン党大幹部オーギュストの姿があった。ここは、オーギュストの私室である。

 オーギュストの傍らには五十前後の男が二人付き従う。そして彼らの前では、八名の男たちが整列してオーギュストの言葉を待っていた。


「全員集まったか」


 オーギュストが、傍らのふたりに声をかけた。この男はたちはそれぞれセザール、ドミニクといって、オーギュスト腹心の部下である。

 オーギュストは、曽祖父の代からアルマン党の幹部を務めてきた家系の長男である。セザール・ドミニクのふたりは、いまは亡きオーギュストの父の子分であった。代替わりしてオーギュストが幹部になってからは、彼に絶対の忠誠を尽くしている。


「へい。れいの暗号に触れることができた可能性のある人間は、これですべてのはずです」


 セザールが、オーギュストに耳打ちした。


「しかし若、平気なんですか」


 今度はドミニクが囁いた。執務机に体重を預けながら立つオーギュストが、時おり歯を食いしばっているのに、ドミニクは気づいていた。

 オーギュストが重傷を負った夜から、まだ一日しか経過していない。傷がふさがっていないのは言うまでもない。きつく包帯が巻かれた右足からは、じわりじわりと血がにじみ出ているはずである。そして彼を襲う激痛は、想像を絶するものであろう。

 しかし、オーギュストは表情ひとつ崩さぬ。多くの血を失ったことで蒼白となった顔色は、化粧を施すことで誤魔化している。

 子分の前で、情けない姿は見せられぬという意地もある。しかし、この部屋に八名の子分を集めた目的――それを果たすためには、決して弱っているところを見せるわけにはいけないのだ。

 その目的とは、むろん、暗号を外部に漏らした裏切者を炙り出すことだ。

 暗号に触れた可能性のある八名。彼らは、「オーギュストの身に大変なことが起こった」と言われ、この場に集められている。オーギュストが襲撃され、負傷したことは、マーシャやホプキンズ医師のはかは、セザールとドミニクにしか明かされていない。

 まずオーギュストは、部屋に入ってきたときの子分たちの表情に注目する。

 「直上の幹部の身になにか起こった」と聞かされれば、まず心配するのが人の情であろう。たとえ犯罪組織の構成員とて、それは変わらない。

 そして、いつもと変わらぬ様子で立つオーギュストの姿を見たならば、安堵の表情を浮かべるのが普通の反応だろう。


(まず怪しいのは、フランソワ、ジルベール、リュカの三人か)


 オーギュストは、そう目星をつけた。この三人が部屋に入ってきて見せたのは、驚愕の表情だったのだ。


(しかし、それだけでは決め手にはならねぇ)


 というのも、驚愕するというのも決しておかしな反応とは言い切れないからだ。


「フランソワ、ジルベール、リュカ――前に出な」


 オーギュストが言った。部屋に呼びつけられてからなんの説明を受けていない三人は、怪訝な表情を見せながらもその言葉に従う。


「セザール、ドミニク、やれ」


 二人が進み出ると、まずセザールがフランソワを殴りつけた。思わず膝をついたフランソワの腹に、蹴りを入れる。ドミニクも加わって、二人がかりで殴る蹴るの暴行を加え始めた。

 フランソワにとっては、まったく理不尽なことである。しかし、やくざ者の世界では上下関係は絶対だ。いかに理不尽な暴力を振るわれようと、身を護ろうとすることも、不平を口にすることも禁忌である。

 フランソワが力なく倒れこんだところで、こんどはジルベールが暴力の標的となる。続いて、リュカも同様の目に遭わされた。

 苦しげな呻き声を上げて床に転がる三人を、オーギュストはじっと観察する。ここでも注目するのは、三人の表情の変化である。


「セザール」


 オーギュストが、リュカを顎でしゃくる。セザールとドミニクがリュカの両腕を取ると、強引に引き立たせた。

 鋭い眼光で、さらにリュカの表情を窺うオーギュストは、ややしばらくしてから口を開いた。


「てめぇだな、リュカ」

「な、なんのことですか、兄貴」

「しらばっくれるんじゃねぇ。俺の眼を誤魔化せると思うなよ」


 オーギュストはリュカにぐっと顔を近づけると、底冷えするような低い声音で言った。彼は、リュカが裏切者だと確信している。

 オーギュストがなぜそう判断したのか、それは暴行を受けたあとのリュカがほかの二人とは異なる表情を見せたからだ。

 リュカが浮かべたのは、恐怖だった。

 ひどい暴行を受けたのだから、恐怖するのも自然なこと。その当然の常識は、ことオーギュストの子分たちには通じない。

 なぜなら、多少の暴力に恐怖するような根性なしは、子分たちの中に存在しないからだ。

 事実、フランソワとジルベールには、恐怖した様子など微塵もなかった。そして、この二人とリュカにはほかにも大きな違いがあった。それは、憎悪の感情の有無である。

 まったく身に覚えのないことで酷い暴行を受けたという状況だ。いかに絶対の上下関係があるといっても、聖人でもないかぎり、オーギュストのことを憎く思う感情を完全に隠すというのは難しい。フランソワとジルベールにしても、無言で暴力に耐えつつ、オーギュストに向けられた目には憎しみと怒りの色が混じっていた。

 しかるに、リュカが見せたのは、ただただオーギュストを恐れる表情であった。理不尽な暴力を指示したオーギュストに対し怒るでも憎むでもなく、恐怖するのみ――考えられるのは、リュカには暴力を振るわれてもおかしくないだけの心当たりがあるということだ。

 リュカが裏切者だとするならば、彼がオーギュストを見たときに浮かべた驚愕の表情にも納得がいくというものだ。オーギュストが待ち伏せに遭ったことを知っているなら、彼が無事な姿を見せたことに驚くのも当然といえる。


「リュカ、てめぇは俺がどういう男か重々に理解しているはずだな」


 リュカの襟首を掴みつつ、オーギュストが凄む。


「そ、そんなことを言われても……意味が分からねぇよ、兄貴」


 しきりに目線を泳がせながら、リュカは答えた。

 仮に、リュカがアルマン党と敵対する組織に懐柔され、オーギュストを罠にはめた犯人だとしよう。ここで大人しく白状すれば、オーギュストに処刑されることは目に見えている。万一、オーギュストが慈悲を与えて彼を許したとしても、敵対組織はリュカが自白したことを決して許さないだろう。どんなに痛めつけられようとも、口を割ることは即、死に繋がる。

 オーギュストも、リュカが簡単に自白するとは思っていない。


「わかった。おい、放してやれ」


 セザールとドミニクがリュカの腕を放すと、リュカは腰が砕けたように床に座り込んだ。

 オーギュストはそんなリュカを尻目に、壁際の戸棚の引き出しを開くと、一枚の紙を取り出した。


「リュカ、てめぇはうち(・・)に入ったとき、『流行り病で両親に死なれて以来、天涯孤独に生きてきた』と言ったそうだな」

「へ、へぇ、そのとおりで。それがなにか……?」

「しかし、てめぇには歳の離れた妹がひとりいる。違うか」


 恐怖に怯えるリュカの顔色が、さらに青くなった。


「兄貴、どうしてそれを――」

「物心つかねぇうちに孤児院に引き取られたてめぇの妹は、十五の時にカーラックの町にある宿屋に奉公に出た。そして去年、偶然宿に泊まった旅の商人に見初められ結婚。いまは、カインズの町で亭主と暮らしている、と。名前は――」

「兄貴!」


 リュカが、オーギュストの言葉を遮った。全身をわなわなと震わせ、額からは冷や汗が滝のように流れ落ちる。


「若も鬼や悪魔じゃねぇんだ。ここで大人しく吐いちまえば、てぇめの妹にまでは手出ししねぇよ」

「ここで吐かなくったって、兄貴にかかればてめぇのしでかしたことなどいつか明らかになる。それがどういう結果になるか、わかるよな」


 セザールとドミニクが、口調を弱めて言った。むろん、あとになってリュカの言葉が嘘だと露見した場合、オーギュストの怒りはより烈しいものになるだろう。そうなれば、リュカの妹にも累が及ぶかもしれぬ――ふたりは、暗にそう言っているのだ。

 そして、組織の誰にも話したことのない妹の存在――妹の詳細な情報を、オーギュストは握っている。この事実が、リュカをさらに震え上がらせた。この男に、隠し事はできぬ。オーギュストの脅しは、リュカにそう思わせるに十分な効果があった。


「ここでてめぇを拷問にかけるなど、野暮なまねはしねぇ。しかし、どうするのが賢い選択か――じっくり考えることだな」


 オーギュストの口元には、微笑が浮かんでいる。並み居る子分たちは、オーギュストが最も恐ろしいのは、彼がこの手の笑みを浮かべた時だということを知っている。

 リュカが、すべてを白状するまで時間はかからなかった。




『俺をはめたのは、ダッドリー一家の連中で間違いないようだ。ダッドリー一家は、ユーイッグ街あたりを中心に活動しているが、拠点はレン市内に散らばっていて、俺たちもすべては把握していねぇ。教えられることはここまでだ。せいぜい、気合を入れて探すことだ』


 その日のうちに、桜蓮荘のマーシャのもとに上の文面の手紙が届けられた。送り主がオーギュストであることは、言うを待たぬ。


「パメラ、これを」

「かしこまりました。早速、調査を開始します」


 手紙を見るや、パメラはすぐに行動を開始した。

 シャノンの居所を割り出すにあたり、まずは、ダッドリー一家とやらの内情を探らなくてはいけない。情報収集となれば、パメラの出番である。伯爵ウォルター・エヴァンスと、怪盗『影法師』を調査したことに比べれば、そこらのやくざ者に探りを入れることなど造作もないことである。

 この一日間で、パメラはレン市内の主要な犯罪組織について、すでに下調べを済ませていた。ダッドリー一家はレンでも十指に入るほどの勢力を誇る組織であり、構成員はおよそ二百五十。ユーイッグ街に本拠地を持ち、娼館や酒場からのみかじめ料の徴収、賭場の経営、麻薬密売に密輸入など、手広く商売(・・)をしているということ。そして、主要な幹部の性格や得意分野などの個人情報までをも、パメラは掴んでいる。

 パメラが調査を終えるのに要した時間は、わずか二日間であった。

 

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