二十三
日はすでに西の空に低く、レンの街並みを茜に染めあげる。
アークランド邸には、秘密作戦に従事した者たちのうち、パメラとオクリーヴ家の若手三人を除いた全員が集結していた。マーシャの姿もある。
「エイベル殿より伝令! 『影法師』一味は、新市街三層西六番街の廃屋に集結しつつあるとのことです!」
一人の隊員が、邸内に駆け込むなり告げる。
「西六番街――ここか」
作戦本部となっている居間の大きなテーブルには、レン市内の詳細な地図が広げられている。アークランドが、三層西六番街に該当する箇所にペンで丸をつけた。
レンの新市街というのは、小高い丘の頂上に建つ王城を中心に、円環状の構造になっている。そして王城を囲むように三本の環状道路が引かれており、その道路によって三つの層に区切られる。
三層とは、新市街の一番外側に位置する層であり、六番街はその中でも街外れと言っていい場所にあった。
「なるほど、あのあたりは廃屋が多いですからな。しかし、位置的に考えて、敵の狙いは下町ではなさそうですな」
コーネリアスの言葉に異を唱える者はいない。西六番街は、レン東部に位置する下町とは正反対の場所にある。怪盗たちがそこから下町まで移動するのはあまりに非効率である。
下町でないのならば、すなわち怪盗の狙いは新市街ということだ。
「部長殿、次のご指示を」
そう言ったカーターの様子は、さながらお預けを食らった飼い犬のようである。逸る気持ちを抑えきれないのだ。
「焦るな、カーター。奴らが動き出すのは夜が更けてからだろう。それより、ギルドからの使者はまだか」
舌打ち交じりにアークランドが言ったそのときである。アークランド邸に、ひとりの訪問者が現れた。
「ごめんくださいやし。『黒鷹』から参りやした」
いかにも屈強そうな、がっちりとした体格の中年男だ。上着の胸元には、赤地に黒の鷹が刺繍されたバッジが縫い付けられている。
「待ちかねたぞ。で、元締めの返答は」
「へい。『黒鷹』のほか、付き合いの深いギルド二つから合わせて五十人。ご用意できやした」
「おお、さすがはブレナンの親分ですな。この短時間で大したものです」
「こいつは、コーネリアスの旦那じゃございませんか」
男はコーネリアスとは顔見知りのようで、ぺこりと頭を下げた。
「すまんが余計なおしゃべりをしている暇はない。これを」
アークランドが、丸めた大きな紙を男に手渡した。
「その地図に書かれたとおりに配置を頼む」
「承知しやした」
男は、きびきびとした足取りでアークランド邸を出て行った。
「――これで作戦の第一関門は超えることができたか」
アークランドが大きく息を吐いた。
『黒鷹』とは、レン市内の運び屋――小口の貨物運送を担う者たちのことだ――を取りまとめる運び屋ギルドのひとつである。
アークランドは、作戦実行にあたり、『黒鷹』元締めブレナンに五十名の運び屋を貸し出すことを依頼していた。その人材の役割は、レン市内各所に散らばって、情報伝達をすることだ。
現在パメラはオクリーヴ若手三人組とともに、怪盗の集合場所を見張っている。アークランドに情報を伝えるには、三人組のうちひとりを走らせるという方法を取っているわけだが――伝令役がアークランド邸とパメラの間を往復する間、状況は変化するかもしれない。パメラの手元には常時補佐役が必要であるから、状況の変化ごとに伝令を走らせるというわけにもいかぬ。
情報伝達の際起こる時間差をいかに減らすか。考えられたのが、多数の人員を市内に分散させて配置し、逓伝(※リレー)方式で情報を伝えるというものだ。
運び屋は、職業柄鍛えられた健脚揃いであり、レン市内の地理にも明るい。運び屋から運び屋へと情報を受け渡しするという手法は、ひとりの人間を走らせるよりもはるかに速い。
また、運び屋たちは散らばって待機しているため、たとえばパメラが移動しながらであっても彼らに接触することが可能だ。
そして、ギルド所属の運び屋というのはなによりも信頼を重んじるし、顧客の秘密を守ることに関しては折り紙付きであるというのもこの作戦に適している点である。
アークランドが『黒鷹』に打診を行ったのは二日前である。しかし、運び屋にも当然本業の運びの仕事があるため、急に五十名の人員を手配するのは容易ではない。『黒鷹』のブレナンという男が、いかに元締めとして有能であるかが覗い知れるだろう。
むろん、この運び屋たちは無償で協力するわけではない。彼らに支払う報酬は、すべてアークランドの懐から出ている。五十人の人間を雇うのだから、決して少ない出費ではない。
「あとは、いつ非常招集をかけるか、ということだ」
これが難しいのである。早すぎれば敵に動きを察知され、犯行が中止される可能性が高まるし、遅すぎれば間に合わぬ。
犯行に間に合うぎりぎりのところで招集をかけるのが最善なのだが――ことが上手く運ぶかどうかは紙一重であろう。
「アークランド殿、よろしいか」
と、マーシャが口を開いた。
「私は仲間とともに先に新市街に向かい、パメ――エイベルと合流したいと思うのですが」
「それは、なにかお考えあってのことか」
「ええ」
「……好きになされるがよい。もともと貴公らは部外者ゆえ、われわれがとやかく指示する筋合いもない」
「ありがとうございます。では、ご免」
足早に去っていくマーシャの背中を、アークランドは目を細めて見つめる。
あえて口には出さなかったものの、マーシャの考えはアークランドにも概ね読めている。
(グレンヴィル殿の思惑が的中するような事態が起きねば良いのだが……)
長い夜が、始まろうとしていた。
夜もどっぷり更けたころ。
新市街外れにある廃屋には、総勢十七名の男が集結していた。
全員が同じ仕立ての黒装束に身を包み、年齢は二十代から四十代まで様々だ。
「全員揃ったな」
隻眼の男が一団の前に立ち、声を発した。言わずと知れた首領、カーク・オクリーヴである。低く押し殺したその声は、眼前の男たちが辛うじて聞き取れる程度の大きさである。隠密行動中ゆえ当然のことであろう。しかし、その声音には聞く者の背筋を凍らせる凄みがあった。
「全員がこうして集まるのは、これが最後となるだろう」
「御頭、ということは――」
「うむ。皆には伏せてあったが――今夜の作戦こそが、俺たちの最後の仕事となる」
おお、というどよめきが沸き起こった。
「これが、この三年間の総仕上げとなる。長きにわたる修行も、すべては今夜このときのため。王国の走狗どもに、目にもの見せてくれようぞ」
男たちは、一斉に頷く。盛大な気合声などは出せぬ。しかし、彼らの双眸からは、抑えきれぬ激情が迸っていた。
ここに集まっているのは全員、警備部もしくは王国の現体制に恨みを持つ者である。警備部に壊滅させられた盗賊団の生き残りであったり、政争に敗れ地位も財産も失った者であったり――そのような人間の中からカークによって選ばれ、勧誘され集まったのが怪盗『影法師』の正体であった。
「それで御頭、今夜の獲物はどいつですか? 俺たちはまだなにも聞かされていねえんですが」
カークは、黙って廃屋の窓の先を指さした。
「御頭、まさか――」
「そのまさか、だ」
カークの口の端が上がった。
「そいつは、また……」
「ああ。思い切ったことを考えなさる」
盗賊たちは、困惑を隠しきれていない。
「どうした、怖気づいたか」
カークの言葉に、男たちは全員首を横に振った。
「うむ。では、作戦の詳細を伝える」
『影法師』の盗賊たちは、押し込みの手筈を当日になるまで知らされない。こうすることによって、万一実行前に構成員の誰かが官憲の手に落ち、尋問に屈したとしても、秘密が漏れる心配がない。かわりに、ほとんどぶっつけ本番で犯行に臨まねばならないため、その難易度はぐっと高まる。高い技能を持つ『影法師』でなければ、実行できぬ手法であろう。
カークが説明を終えると、盗賊たちは一様に嫌らしい笑みを浮かべた。含み笑いを漏らす者もいる。
「なるほど、面白い趣向だ。上手くいったらさぞかし痛快だろうな」
「警備部の走狗どもが慌てふためく姿が、目に浮かぶわい」
「ああ。俺たちがこれからそれを成し遂げると考えると、武者震いが止まらん」
男たちの意気は、ますます高まったようである。
「さあ、おしゃべりはここまでだ。行動開始は夜半過ぎ。一切の手抜かりのないよう備えよ」
廃屋の庭木の枝に立ち、盗賊たちの会話の様子を覗き見る人影がひとつ。身体の線に密着する仕立ての黒装束に身を包んだパメラである。
(会話を聞き取るのは無理か)
カークたちは、外に声が漏れぬよう気を使って喋っている。さしものパメラも、その言葉が聞き取れる距離まで接近するのは無謀である。
ただ、この夜犯行が行われることに、もはや一点の疑いの余地もない。
(あとは、いつ動き出すか。そして、狙いはどこなのかということですが――)
過去の事例を鑑みると、犯行が行われる時間は夜半過ぎから払暁までと、必ずしも一定ではない。
にもかかわらず、
(犯行のときは遠くない)
パメラはほぼ確信に近い思いを抱いている。彼女が感じ取った男たちの気合の昂ぶり、徐々に張りつめていく場の空気――それらが、決戦のときが近づくのを告げていた。
男たちの気合だとか場の空気というのは、人の直観に基づくもので、具体的根拠とはならないようにも見える。しかしそれらは多くの場合、経験則や無意識下の洞察によって導き出される。パメラのごとき鋭い感覚を持つ者にとっては、十分信じるに足る根拠となるのだ。
とはいえ、盗賊たちが動き出すまで、まだもうしばらくは猶予があるとパメラは見る。運び屋たちがアークランド邸に辿り着くまでの時間、そしてそこから第五・第八分隊に非常招集がかけられ、出動の準備が整うまでの時間――パメラは、頭の中で計算する。
(やはり、今こそが絶好の瞬間)
パメラは、木の葉一つ揺らすことなく庭木を飛び立つ。廃屋を囲う煉瓦造りの塀の上に音もなく着地すると、素早くその場を離脱した。
走りながら、懐紙に素早くペンを走らせる。この走りながら文字を書くというのも、オクリーヴの密偵に伝わる特殊技能である。訓練を受けていない者だと、身体の上下運動に伴う振動によって判別可能な文字を書くことは難しい。
(しかし、十七名というのは想定よりも多い人数。これがどう事態を転がすか)
ランドルフ邸での事例では、『影法師』は十人前後だったはずである。隠密行動においては、徒に人数を増やすことは悪手ともなりうる。ただし、全員が高い水準の技術を有する場合は話が変わってくる。
(それから――気になるのは連中の表情だ)
カークの身振り手振りから察するに、犯行の手筈を説明し終えたあたりかと思われるときのことだ。盗賊たちは一様に、にやにやと笑い始めたのだ。否応にも緊張が高まる場面のはずだ。彼らの見せた笑みが、パメラにはいかにも不自然に感じられた。
(まさかあの場で、卑猥な冗談などを言うはずもなし。あの笑いはいったい――)
パメラの脳裏に、不安がよぎる。
今度は、根拠のないただの直観でしかない。勝負の世界においては、時として直観が勝利を引き寄せることもあるが、パメラのような密偵は直観に頼ることを嫌う。
しかし、パメラの胸中に突如もやのように立ち込め始めた悪い予感――それは、彼女が運び屋の連絡員に書簡を預けたのちも晴れることはなかった。




