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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士マーシャと怪盗
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二十一

 警備部第十七分隊長ローマン・ハイドは、ここ数日というもの、同僚であるコーネリアス、カーター、そして部長アークランドの様子がおかしいことに気づいた。

 まず、毎朝定例で行われる怪盗の捜査会議である。コーネリアス率いる第五分隊、カーター率いる第八分隊に対しては、アークランドの叱責が飛ばなくなった。

 常に因業な態度で、些細な手抜かりに対しても小言を欠かさぬのがアークランドという男のはずだ。特に第五分隊は、一度捕縛した盗賊に脱走を許すという大失態を犯している。コーネリアスは脱走事件以降、ほかの隊長たちが憐れむほどの叱責を会議のたびに受けてきたのだ。

 また、アークランドに呼び出されて登城した際、コーネリアス、カーター、アークランドの三人が、人目を憚るようにしてなにやら話し込んでいる姿を、ハイドは二度ほど目撃している。

 そして、第五分隊副長グローバーに第八分隊副長ハンクス――ともに隊長の片腕として信頼の厚い、腕の立つ男である――の姿を、最近目にしていない。会議で登城するとき、各分隊の隊長たちは副長を同伴させることが通例となっているにもかかわらず、である。

 極めつけは、城の廊下にて、アークランドがふたりに労いの言葉をかけている場面を目撃したことだ。アークランドが部下を労うなど、彼を少しでも知る者が見たのなら、


「これは天変地異の前触れか……」


 と戦慄するところだ。


(これは、探りを入れておくべきか)


 そう考えたハイドであるが――同僚に探りを入れるとは、いかにもおかしな話である。

 というのもこのローマン・ハイドという男、とある筋から怪盗『影法師』に関する捜査情報を流すように、との指示を受けているからだ。

 ハイドにこの指示を与えたのは、ベンジャミン・ギルグッドという中流の貴族の男である。

 ハイドは以前からこのギルグッドの屋敷に出入りし、警備部隊員しか知りえぬ情報をたびたび漏らしていた。そしてその見返りとして少なくない額の金を受け取ったり、豪勢な食事に招待されたりしている。

 ある種の犯罪者というのは、その大元を辿っていくと意外な大物と繋がりを持っていることがある。その情報を掴んでいれば、政治の世界で有利に立ち働くことができる――ハイドはギルグッドからそう言い含められていた。

 今回の怪盗騒ぎに際し、「怪盗の裏でフォーサイス派が暗躍している」という噂をハイドに方々で吹聴させたのも、ギルグッドであった。

 ギルグッド家は、古くからエヴァンス家との縁が深い。ギルグッドの次男とエヴァンスの姪が婚姻関係にあるなど、現在もその関係は良好だ。

 ギルグッド自身は国軍省との係わりをほとんど持たぬが、反フォーサイス派の筆頭という立場にあるエヴァンスのため、ことあるごとに力を貸してる。


「フォーサイス派がこと(・・)の黒幕である、などという話はほとんどの人間は本気にしておらぬ。反フォーサイス派の人間も含めて、な。しかし、このような疑惑がひとたびでも生まれれば、のちにフォーサイス派が本当に不祥事を起こしたとき、より大きな打撃を与えることができるのだよ」


 と、ギルグッドはハイドに明かしている。

 ハイドは愚劣な男ゆえ、ギルグッドの言葉の意味するところを半分も理解していなかったけれども、


「そなたの働きいかんによっては、将来フォーサイス家を今の地位から引きずり下ろすことができるやもしれぬ。よろしく頼むぞ」


 などと言われると、国の政局を左右するような仕事を任されたようで、ハイドも悪い気はせぬ。怪盗の捜査情報を漏らすたび、ギルグッドが大仰にほめるものだから、ハイドはますます上機嫌であった。

 捜査情報を外部に漏らすべからず、という警備部の内規を、「まあいいか」程度の認識で済ませてしまっているのも、この男らしいと言えるだろう。

 アークランドとふたりの分隊長が怪しいのは確かだ。ハイドは、足りない頭なりに考える。

 怪盗事件の解決こそが、現在警備部が最優先すべき事項である。三人が、この事件を放り出してほかの案件に取り掛かるはずもない。


(しかし、怪盗に関することならなぜこそこそする必要がある? そういえば――前の会議で、怪盗に警備部内の情報が洩れている可能性があるという話があったな)


 怪盗が犯行声明のなかで、警備部内のみで使われているはずの『影法師』という文言を使ったという事実。そこから、怪盗が捜査情報に通じている可能性が示唆されたわけだが――


(もしや――なんらかの大きな手がかりを掴んだのかもしれぬ。三人の動きも、怪盗に動きを悟られぬためか)


 姿を見せぬふたりの副長は、むろん隊長がもっとも信頼を寄せる部下である。極秘捜査の任に充てるにはうってつけだ。アークランドが発した労いの言葉も、第五・第八分隊に余分な負担を強いていることに対するものだとすれば納得がいく。

 しかし、「なにやら怪盗に関する手がかりを得たらしい」というだけでは、ギルグッドに渡す情報として弱い。


(三人に『なにか手がかりを見つけたのか』などと尋ねても、むろん答えてはくれまい。となると、私が調べられることといえば――姿を見せぬふたりの副長の行方、か)


 というのが、ハイドが出した結論であった。


「ときにコーネリアス殿、副長のグローバーを最近連れていないようですが」


 定例会議後、ハイドは早速コーネリアスに尋ねてみた。いかにもなにげない風を装ってである。副長を同伴させていないのは明らかに不自然であるし、それについて尋ねるのも別におかしいことではない。


「ふむ……実はですな、怪盗事件について少し思うところがありまして。シーラム島南、サンドラー領のほうへ向かわせているのです――ただ、部長殿からこのことは伏せておくように言われておりますので、くれぐれも内密に願いますぞ」


 ハイドが拍子抜けするほど、あっさりと返答するコーネリアスである。

 続いて、カーターにも同様の質問をぶつけてみる。カーターはハイドに対し露骨な嫌悪を示したが、彼のこの態度はいつものことだし、空気を読むということができないハイドであるから、別に気にもしていない。


「出張に出てもらっている」


 カーターは短く答えた。


「出張? この忙しい時にですか」

「……怪盗に関する調査だ」

「なるほど――なにか手がかりでも掴んだのですか?」

「手がかりというほどのことではない」

「それで、どちらへ向かわせたのです」

「……シーラム北部、キーンズ領とだけ言っておく。これは機密事項ゆえ、他言せぬように」


 カーターが質問に答えてくれたのはハイドにとって意外ではあったが、これ以上の情報は得られそうにもない。

 ともあれ、コーネリアスとカーターがそれぞれシーラム島の北と南に部下を遣わせたことが明らかになった。この情報をもたらせば、ギルグッドも喜ぶに違いない――ハイドは意気揚々とギルグッド邸に向かうのだった。




「もう最終段階に移行――? 作戦の総仕上げゆえ、入念に準備をするのではなかったのか」


 暗闇の中に、カークの隻眼が光る。


「予定では、な。しかし、想定外の事態が起こっているやもしれぬのだ」


 答えたのは、年のころは三十前後かという男であった。どこにでもいるような町人風の服装で、どこぞの商家の奉公人のようにも見える。


「想定外の事態だと」

「うむ。警備部が怪しい動きを見せている」

「どういうことだ」

「キーンズとサンドラーに人を遣わし、なにか嗅ぎ回っているらしい。心当たりがあるだろう」


 キーンズ領には怪盗たちが修行場を構えていたペイジ村があり、サンドラー領には鋼糸を発注したドーンの町がある。


「――なるほど、そういうことか。サディアスがどうやって俺たちの動きを察知したか、ようやく読めた」

「警備部の調査能力では、そこからわれわれに辿り着くまでまだ時間がかかるだろう。奴らに尻尾を掴まれる前に、計画を完遂させてしまえばこちらのものだ。あるじの悲願が達成されたあとならば、警備部を黙らせることなど容易い」

「話はわかった」

「作戦の詳細については、追って連絡する。それまではせいぜい英気を養っておくことだ」

「ああ。フォーサイスの権勢が地に落ちるときのことを考えれば、総身に力が湧いてくるというものだ」


 カークは邪悪さを湛えた仄暗い笑みを浮かべた。




 レンはアレンカ街。新市街と下町の中間に位置するこの街に、ジェフ・アークランドの自宅がある。

 時刻は夜更け前。アークランド邸内には、家の主であるアークランドのほかコーネリアスにカーター、そしてマーシャの姿が認められる。

 エヴァンス邸の監視が始まって以来、アークランドは自宅をこの監視に携わる者たちのために開放している。監視に当たる隊員が休息を取ったり、また情報を収集する場としてである。つまり、アークランド邸は怪盗に対する本営となっているわけだ。

 監視対象は、新市街、下町を問わずレン市内に散らばっている。アレンカ街というのはレンのほぼ中心に位置するため、地理的にもこの家はちょうどよい場所にある。

 また、監視が始まるに際し、アークランドは妻子を妻の実家に帰らせているし、使用人にも休暇を与えてある。彼以外の家人は存在しないため、余人に秘密が漏れないということに関してはアークランド邸ほど信頼できる場所はないだろう。

 ふたりの隊長のほか、マーシャがこの場にいるのは、マーシャたちとコーネリアス双方の思惑の一致によるものだ。

 なにしろ、カーク・オクリーヴ仕込みの技術を身につけた手強い相手である。マーシャのごとき当千の剣士が助力を申し出たとなれば、コーネリアスにとってはまさに渡りに船であろう。

 もっとも、部外者に手を借りることをよしとせぬカーターは、はじめはマーシャの介入を拒んだ。しかし、アークランドがこれを許してしまったため、カーターも黙るしかない。

 アークランドとて、マーシャの手を借りることを快く思ってはいない。しかし、マーシャのことはマクガヴァンからも聞かされていたし、一度きりの機会で確実に盗賊どもを捕らえるには、ひとりでも多く腕の立つ人間が欲しいというのが実情である。背に腹は代えられぬ。

 コーネリアスはというと、市民生活を護るためならば部外者の手を借りることを厭わぬ。面子であるとか誇りといったものには拘泥しない質なのだ。しかしそれは見方を変えると、目的のためには手段を択ばないということである。コーネリアスという男が恐ろしいのはこういうところだ。


「――警備部の方々も、随分と大胆な手を打ったものだ」


 呆れ顔でそう漏らしたのはマーシャである。


「しかし、効果は覿面だったでしょう?」


 コーネリアスが、彼にしては珍しく人の悪そうな笑みを浮かべる。


「うむ。ここ数日、盗賊どもの連絡(つなぎ)がとみに活発になっている。まさに想定通りだな」


 アークランドが満足げに頷く。


「しかし部長殿、私は腹芸というやつが不得手な質ゆえ、ハイドに悟られぬか内心不安でしたぞ」


 カーターが大きく嘆息した。


「まあ、相手はあの(・・)ハイド殿でしたからなぁ。ほかの分隊長だったなら、ことは簡単でなかったかもしれませんな」

「それはその通りだ。俺も、引っかける(・・・・・)のがハイドだからこそ、この作戦を提案したのだ。心配だったのは、あの男がわれわれの素振りに全く気が付かない可能性があるいうことだったが――今回ばかりは阿呆なりに頭を使ってくれたようだな」


「まったく、普段の任務もこのくらい身を入れてやってもらいたいものです」


 コーネリアスの言葉に、カーターも思わず苦笑を漏らす。

 さて、もはや説明の必要もないだろうが――ハイドの前でアークランドたちが不審な素振りを見せたのは、すべて演技であった。

 ハイドから何らかの形で怪盗に情報が洩れている可能性が高い――ならば、捜査が進展していることを匂わせれば、それに応じて怪盗側が動きを見せるかもしれない。そう考えたうえでの作戦であった。

 ローマン・ハイドは、まさにアークランドの考えたとおりの働きをしてくれた、というわけだ。唯一の懸念は、アークランドが語ったとおり、ハイドが三人の素振りにまったく気づかないかもしれぬということであった。しかし、ハイドの知能はそこまで低くなかったようである。

 怪盗一味のタイラーによる脱獄劇に続き、敵にあえて捜査情報を晒すという、一歩間違えばアークランドの首が飛んでもおかしくないような作戦を立て続けに敢行したのだから、マーシャが呆れるのも無理からぬことだ。


「しかし――いよいよですね」


 マーシャの表情が引き締まる。


「はい。しばらく動きをひそめていた連中が、急に活発に連絡を取り出す。これはつまり――」


 コーネリアスが言葉を切り、一同を見回す。


「次の犯行が近い。そういうことか」


 カーターが言葉を引き継いだ。アークランドも深く頷く。


「あとは、怪盗たちが動き出したあとの手筈について、より詳細に詰めておきましょう」


 怪盗を現行犯で捕らえ、同時に物証と証人を押さえる。これは容易ならざることである。綿密に計画を煮詰めておかねばなるまい。

 四人の話し合いは長時間に及んだが、夜明け前にようやく作戦の骨子がまとまった。

 まず、盗賊が犯行に及ぶことが確実となった時点で、第五・第八分隊の隊員に非常招集をかける。そしてパメラが盗賊たちの尾行を行いつつ、オクリーヴ家若手三人組を使って随時盗賊の行き先をアークランドに報せる。その情報をもとに、招集された隊員とマーシャたちによって包囲網を形成し、盗賊たちが犯行を終えて餌食となった家を出たところで一気にお縄にかけるという作戦だ。

 怪盗たちの行き先によっては、時間的にかなり厳しい作戦となる。

 また、隊員たちには統制の取れた動きが求められる。いまのところ、一般の隊員たちには怪盗の手がかりを得たことは知らされていない。急に呼び出されたうえ、これから怪盗を捕らえに行くなどと言われたなら、混乱をきたす隊員も出るかもしれぬ。

 しかし、


「やれる――いや、やるしかないのだ」


 アークランドが力を込めて言った。


「コーネリアス、カーター、ここが正念場だ。われら警備部が、国民から信頼される、真の法の番人たり得る存在となるために、怪盗『影法師』とエヴァンスは必ず検挙されねばならん」


 万一作戦が失敗したとき、アークランドはすべての責任を負う覚悟である。言葉には出していないものの、そのことはコーネリアスやカーターも薄々察している。


「お任せください、部長殿。連携に関してはわれら第五分隊、誰にも負けぬ自負があります」

「われら第八とて、悪の巣窟フェナー街にて、日夜悪党どもと戦ってきた猛者ぞろい。盗賊などに後れは取りませぬ」


 二人の返答に迷いはなかった。


(なんと頼もしいことよ。このくらいの気魄なくては、レン市民数十万の暮らしは守れぬということか)


 マーシャも感嘆を禁じえぬ。ふたりの分隊長の覚悟は本物であった。

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