週末便利屋のとある一日
今日からちょうど一週間前、ひょんな勘違いがきっかけで、あたしは一度に二人のイケメン高野兄弟と出会った。
兄の大和さんと弟の大地さんである。
屋上でのんびり寛ごうかと眼下に広がる景色を眺めていたら、大地さんに思い詰めていると勘違いされたあたし。
そのまま強引に連れてこられた場所には大和さんがいて、お詫びにお昼をご馳走になった。
無愛想だけど頼れる兄貴肌タイプの大和さんと、少し天然だけど優しくて秀才タイプの大地さん。
この街に引っ越してきて約一年。
こんな近くにいたのに、今まで一度も顔を合わせた事がなかったというのが不思議なくらいだ。
あたしはベッドの上でうつ伏せになり、大和さんから貰った名刺を眺めていた。
「それにしても、この『週末便利屋』って何だろう。巷で言うところの、どんな仕事でも引き受けますっていう類なのかな」
気になる。
しかも、週末っていうのも気になる。
恐らく平日は普通に仕事を持っていて、休日のみ行動しているという意味なんだろう。
大地さんも大学生って言っていた訳だし。
うーむ……いろいろ妄想していたら、すごく知りたくなってきた。
あたしの好奇心がムクムクとこみ上げてきて、今にも吐き出しそうだ。
おえっ!
思わず吐いてしまって、お気に入りの枕が……なんていうのは冗談だけど。
駄目だ、もう我慢の限界かも。
あたしはベッドから起き上がると、パジャマからラフな服装に着替える。
勿論、あの高野兄弟がいるであろう向かいの雑居ビルの地下一階に行く為だ。
別に、もう来るなとか邪魔だとか言われていないし、少し顔を出すぐらいなら怒られないだろう。
ていうか、この貰った名刺なんだけど、何故か連絡先が印刷されていないのだ。
それとも、この名刺に何らかのトリックがあって、それを解かないと連絡先が見られないようになっているとか……?
有り得るかも。
あの大和さんなら、それぐらいの意地悪してもおかしくないと思う。
それも確認しなくては。
着替えを終えたあたしは、マンションの自室を出る前に窓から通りを見下ろしてみる。
「あ、地下だからここからじゃ様子が見えないんだっけ」
行ってみて、もし留守だったというオチも虚しいだけだし。
あたしはいろいろと考えられるパターンを妄想、いや予想していた。
「あっ!」
しばらくして、向かいの雑居ビルの出入口から人が出てきた。
二人だ……しかも男女一人ずつという組み合わせ。
上からじゃよく分からないな。
男の人はスラリと長身のようで、グレーのスーツがよく似合う紳士的な雰囲気を感じさせる。
また、隣の女の人も軽くウェーブのかかった長い髪が印象的な感じだけど、やや派手なピンク色のスーツを着ていた。
いかにも大人の雰囲気が漂っていて、俗に言う『お似合いのカップル』って感じ。
あーあ、何だか羨ましいな。
そんな二人の様子を黙って見届けているあたし。
すると、その女の人が側にいる男の人に近付いたかと思いきや、何とその腕を掴んで寄り添うように密着したではないかっ!
行き交う人がまばらとはいえ、昼前から見せつけるなって言いたい。
おまけに男の人も特に嫌がる素振りを見せることもなく、二人はそのまま歩き出した。
はいはい、御馳走様。
あたしが半ば呆れたように溜め息をついた時、さっきの男の人が何気なく後ろを振り返った。
「げっ!!」
見覚えのある顔。
ま、まさか、あの男の人って……大和さんっ!?
あたしが驚いて目を見開いたと同時に、その大和さん似の男の人がチラリとこちらを見上げたような気がした。
や、やばいっ!
咄嗟に窓のカーテンを閉める。
バレたかな……一瞬だったし、きっと大丈夫だよね。
心臓が激しく鼓動をしている。
「ご、誤解しないでよねっ!」
思わず口に出したりして。
それから。
あたしの胸のモヤモヤは、何故か数分経った後も消えることはなかった。
※
「こんにちはー」
あたしは、自宅マンションの向かい側にある雑居ビルの地下一階に下りると、唯一あるドアの前に立ち止まり声をかけた。
「はい」
すぐに部屋の中から明るい声が聞こえた。
忘れもしないこの声。
「あ、やっぱり陽向さんだ。こんにちは」
弟の大地さんがドアを開けて出迎えてくれた。
「やっぱりって?」
あたしが聞き返すと、
「いやいや、その可愛い声は陽向さんだなと思って」
大地さんは少し照れたように答えた。
「可愛いだなんて、そんな……」
あたしも俯きがちに言ったりしたけど、何となく素直に喜べない自分がいた。
さっきの光景を見たからかも。
「せっかく来てくれたところ申し訳ないんだけど、生憎、兄さんは出掛けて留守なんですよね」
困惑したように言う大地さん。
で、出掛けてる!?
と言うことは、さっきあたしが見た人はやっぱり大和さんだったんだ……。
トホホ。
「そうなんだ」
あからさまにガッカリしてるあたし。
「兄さんに用事があったんですか?」
そんなあたしの様子を見た大地さんが訊ねてくる。
「そ、そうなの。この前貰った名刺に住所と連絡先の電話番号とかが無いから、どうしてかなと思って」
「へえー、それだけ?」
心なしか意味深に聞こえるのは気のせいだろうか。
「それだけって、他に何か?」
あたしの中のモヤモヤな部分を悟られたくなくて、平静を装うように聞き返す。
「ふふっ、陽向さんって顔に出るタイプみたいですね」
余裕の表情を見せる大地さん。
ええっ!?
か、顔に出てるって!?
「あ、あたしの顔に何か書いてる?」
思わず両手で頬を押さえる。
「あははっ、冗談ですよ。でも一概に外れてはいないようですけど」
大地さんは、肩を震わせて笑っている。
かあああああーっっ!
は、恥ずかしいっ!
「まあ、最寄りの駅まで人を送りに行っただけですから、じきに戻ってきますよ」
大地さんのその言葉を聞いたとたん、あたしの中でモヤモヤとしていたものが、徐々にとれていくのを感じていた。
そりゃあ、大和さんだって女の人の知り合いくらいいるわよね。
自分にそう言い聞かせながら、あたしは複雑な心境で大地さんを見上げた。
「せっかくですし、何か飲みますか?」
大地さんは、そう言って真ん中のソファに座るよう勧めてくれる。
「時間は大丈夫?」
他に誰かが来ないとも限らないし。
「ああ、そんな事気にしないで下さい。どうせ夕方まで暇ですから」
夕方か……まだ四~五時間はあるな。
かと言って、あたしもそんなに長居するのもお邪魔だろうし。
ソファに座り、ぼんやりと考える。
「夕方から、例の週末便利屋サンのお仕事が入っているとか?」
さり気なく聞くと、
「ええ、まあそんなところです」
奥にある小さなキッチンに立ちながら、大地さんが答えた。
どんなお仕事?って聞いてみたいけど、恐らく守秘義務とか何とか理由をつけたりして教えてくれないだろう。
「ふーん……便利屋か。基本的に何でも請け負ってくれるのかな」
独り言のように呟いてみる。
「そうですね。依頼の内容と信憑性によりますが」
ふむふむ、なるほど。
「その成果に対する報酬も、さぞかしお高いんでしょうねえ」
こういう職種?の相場って分からないけど安くは無さそうなイメージはある。
「だと思うでしょ?実はボランティアでやっているんですよ。だから、仕事じゃなくて休日を有効利用していると言った方が正しいかもしれませんね」
大地さんはそう言うと、振り返ってあたしを見た。
ふうん……このご時世に、随分と画期的なボランティアですこと。
そのうちにも、部屋中にコーヒーの香りが漂ってきた。
「陽向さんは、砂糖とミルクどうしますか?」
「あ、両方お願いします」
ブラックはどうも苦手なあたし。
「了解」
大地さんはそう返事をすると、再びキッチンの方を向いた。
休日の有効利用とはいえ、ボランティアでするとは……やっぱり余程の理由がないと出来ないはず。
過去に何かきっかけがあった事は間違いないと思う。
かと言って、今はまだ聞けるほど親しい仲でもないし。
「陽向さん、コーヒーが入りましたよ」
大地さんが、ウエイターさんみたいにトレイに乗せて持ってきてくれた。
「あ、ありがとう」
何故か客用のカップじゃなくて、可愛いクマの柄がついたマグカップだった。
「そのカップ可愛いでしょ?なんて、実は知り合いからの頂き物だけど」
「ホント、可愛いですね」
そう言って、あたしと大地さんが顔を見合わせて微笑んだ。
「おいおい、大地。俺がいない間に女を連れ込んで何してるんだ」
ドキンッ!
ドアの開く音がしたと同時に、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
しかも、連れ込んでって……。
「ああ、兄さんお帰り」
大地さんは、特に取り乱すこともなく平然と答えている。
さすが、大和さんの扱いに慣れてるな。
「こ、こんにちは。お邪魔してます」
あたしはテーブルにマグカップを置いて立ち上がると、少し頭を下げて挨拶をした。
「ん?お前らは、もうそんな仲になっていたのか」
大和さんがスーツの上着を脱ぎながら言う。
そんな仲ってどんな仲ですか?
「違うよ、兄さん。陽向さんは兄さんに用事があって来たんだ。それで待ってる間に話してただけ」
そう答える大地さんの話を聞いてから、大和さんはあたしに視線を向けた。
さっきの事もあって、何となく落ち着かないな。
「へえ……俺に用事ねえ」
大和さんは言いながらニヤリと笑う。
「よ、用事があったら悪いですかっ?」
思わず、勢い余って言い返してしまう。
「ふーん……じゃあその用件とやらを聞こうかな」
大和さんは肩をすくめながら答えると、あたしの向かい側のソファにドカッと腰を下ろした。
「はい、兄さんの分もコーヒー入れたよ」
「おう、相変わらず気が利くな、弟」
大地さんが持ってきたコーヒーを受け取る大和さん。
うわっ、コテコテのブラックだ。
「で、話って何だ」
一口すすりながら、あたしを一瞥する。
さっき出掛けに後ろを振り返った時、大和さんがあたしに気付いたんじゃないかと思ったのは気のせいだったのかな。
来るんじゃなかったかも、と今更ながら後悔したけど後の祭り。
「先週貰った名刺ですけど、こちらの連絡先が表記されてないのはどうしてですか?」
あたしはソファに座りながら質問した。
「は?」
「え?」
いかにも『何言ってんだ、こいつ』みたいな反応だ。
「大地とどんな話をしていたかは知らないが、これは仕事じゃなくて、ただ休みを有効利用しているだけのことだ。そういうのに連絡先なんて必要無いだろ」
当たり前のように答える大和さんに、あたしはただ呆然と見つめるばかり。
しかも、有効利用しているって大地さんと同じ事を言っているし。
「まあ、裏じゃ口コミで広がってるらしいってのは、ある意味有り難いけどな」
はあ……そうですか。
その大和さんの堂々とした態度というか余裕のある雰囲気に、あたしの好奇心はますます高まっていく。
大和さんの反応に後悔したり緊張したりと一喜一憂する自分が、逆にとても楽しいとさえ感じている。
無愛想で言葉遣いも悪い人に、何故こんなにも執着するんだろう。
「質問はそれだけか?」
この返事を聞く限り、名刺に何らかのトリックがあるんじゃないかって予想は見事に外れたようだし、聞くのは諦めた。
これがもし大地さんとなら、後に他愛のない話をしても続きそうだけど、大和さんとは絶対に無理だろう。
「あっ!!」
その時、突然あたしの頭の中で閃いた。
週末だけのボランティア……いける、いけるかもっ!
「何だよ、急にでかい声出して」
大和さんが顔をしかめている。
「どうしたんですか?」
大地さんも驚いたようにあたしを見ている。
そして、あたしは勇気を出してキッパリと言った。
「あたしも、ここで一緒にボランティアさせて下さいっ!」