そして、あたしは天に昇る
大和さんは、何故あたしを事務所じゃなくここへ連れて来たのだろう。
座っていろと言われて、あたしはリビングのソファで大和さんがキッチンでコーヒーを用意している姿をそれとなく気にしながら、バルコニーから見える景色を眺めていた。
あたしの住んでいるマンションからでも十分に街の景色はいいけれど、ここは山の中腹に建っているという好条件も重なって、今日みたいに天気が良ければ遠くに海が見えることがあるようだ。
「……ここからの眺めはいいだろ?」
ふと、背後で大和さんの声が聞こえて、あたしは後ろを振り返った。
び、びっくりしたー。
そんなあたしの驚いた様子を見て、
「お前、いつまで緊張したら気が済むんだ」
と言いながら、両手に持っていたカップのうちの一つをあたしに差し出してくれる。
いつまでと聞かれても、恐らくずっと緊張し続けるだろうなと思いつつ、
「あ、ありがとうございます」
お礼を言いながら受け取ると、そのコーヒーの良い香りに少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
あ……しかも、ちゃんとミルクたっぷりのカフェオレにしてくれている。
「それが良いんだろ?」
いつになく優しい口調の大和さんに、またドキッとする。
でも、それはあたしの緊張をほぐしてくれるかのように、ごく自然と耳に心地良く入っていく。
「はい、文句はありません」
そう答えて、ゆらゆらと立ちのぼる湯気にフーフーと息を吹きかける。
「あ、そうか。お前って猫舌だったんだな」
大和さんはそう言うと、笑いながら何の躊躇いもなくあたしの隣に座った。
ええっ!
な、ななっ、何ですか!?
思わず身を引こうとしたら、
「ここに座ったら悪いのか?」
と、大和さんがあたしを睨んできた。
しかし、その目は怒っているような感じではなく、逆にちょっと意地悪っぽい雰囲気だ。
何だかいつもと違う様子……気を遣ってくれているのかな。
「い、いえっ、悪くないです」
あたしは慌てて答える。
ううっ、調子が狂っちゃうよ。
大和さんの態度がいつになく柔らかい……いや、柔らかすぎるから。
こ、ここでそろそろ切り出すべきなのかな。
チラリと大和さんを見上げた時。
「……まだ話す気になれないのか」
ふいに、大和さんが溜息混じりに呟いた。
「……?」
あたしは首を傾げる。
「今回の件は、大地から全部聞いたって言ったよな?」
大和さんの問いかけに、あたしは頷く。
「きっかけも、その経緯もだ」
は、はい、それはもう……あたしの大和さんに対する気持ちを、あの時杜弥さんに気付かれて……ああっ!!
「あ、あの時はっ、その、つまり……」
は、恥ずかしいーーっっ!!
たちまち、穴があったら飛び込みたい衝動に駆られるあたし。
目の前には大和さんがいるから、もう下手に逃げられない。
「俺、言ったよな?話したい事があるんじゃないかって」
あたしは俯いたまま頷く。
まともに顔が見れないよ。
「こらっ。話をする時は、ちゃんと相手の顔を見るっ」
大和さんに言われて、あたしは恐る恐る顔を上げた。
ああ、今になって気付かされた。
大和さんが大地さんに話を聞いた時点で、既にバレバレだったということを。
「ほらっ、話すなら今だぞ」
大和さんがニヤリと笑いながら、あたしを誘導してくる。
すごく意地悪な態度だ。
「そ、そんな……困ります」
話せと言われて、じゃあって答えられるような軽い話題ではない事ぐらい分かっているはずなのに。
「ふーん、困るのか。ならば俺から先に言ってやろうか?」
上から目線で責めてくる大和さんに、あたしはタジタジになる。
ううっ……それも気が引ける。
ていうか、それじゃあ意味がない。
ああ、神様……どうかあたしに少しだけ勇気を与えて下さい。
「あと五秒待ってやる。五、四、三……」
ついに、カウントダウンを始めた大和さんだ。
「わっ、分かりましたっ!」
あたしは咄嗟にストップをかける。
そして、ゆっくりと息を吸ってから。
「……や、大和さんっ!あたしとお友達になって下さいっ!」
カップをギュッと握り締めながら、その場の勢い任せに声を張り上げた。
もう恥ずかしくて目を合わせられない。
あたしがギュッと目を閉じた、その時。
「悪いが、それは断る」
大和さんから、ゆっくりとした口調で返ってきた答えは……ノーだった。
それは、少なからず予想していたこと。
だって、どう考えても大和さんとあたしじゃ釣り合わないもん。
分かってた、分かっていたけど……実際に本人の口から聞くと、何倍ものショックとなってあたしに襲いかかってくる。
そして、そのショックがやがて涙になって溢れてきた。
さっきまでの優しさって、一体何だったのだろう。
「ううっ、ぐすっ……ひっく……」
恥ずかしさなんて、もうあたしの中ですっかり無くなっていて、その代わりに虚しさだけが残る。
「お前、泣いてるのか」
ふと、いつもの無愛想な声が頭上から聞こえた。
そりゃあ、泣きたくもなりますよ。
「……お、落ち着いたら帰りますので」
あたしがゴシゴシと目をこすりながら答えると、
「おいおい、勝手に話を終わらそうとするな」
それは意外な大和さんの返事だった。
「お前が俺に言いたかったのは、本当にその程度のものだったのか?」
そ、その程度って。
「俺と友達になることがお前の本心だって言うのなら、明日からもう事務所に来るな」
えっ!? そ、そんなっ……。
本当は、お友達よりもっと先の……なんだけど。
そんな事、尚更無理に決まってる。
その証拠に、お友達を断られたのだから。
「……」
そんなの嫌だって言いたいのに、口が思うように開いてくれない。
「じゃあ聞くが、杜弥達がお前の為にしてくれた事の意味って何なんだ?」
「そ、それは……」
「ただのお遊びか?単なる鬼ごっこか?」
あたしはブンブンと左右に首を振る。
「あの時は、俺も苛々して先に帰ったりして、さすがに大人気なかったと反省したがな」
それは、合コンが終わってから、あたしが杜弥さんと大和さんに鉢合わせした時の話を言っているのだろうか。
「隣の部屋の雰囲気の良さに、何故だか無性に腹が立ってな」
え?
「で、終わったと思ったら、またすぐにお前だけが戻ってきただろ?」
「あ、あれは忘れ物を取りに」
というのを口実に、本当は杜弥さんと一緒に飲んでいた人を確かめたくて戻ったんだった。
それが、何と大和さんで。
「……俺が嫉妬するなんてな。あの時ほど自分らしくないと思ったことはなかった」
そして自嘲気味に言ったかと思うと、バツが悪そうに笑う。
し、嫉妬? 大和さんが?
何となく話の矛先が変わってきたような気がするのは、あたしだけだろうか。
「お前、俺が帰ってから泣いたんだってな」
大和さんがそう言いながら腕を伸ばしてくる。
そして、そのままゆっくりと……あたしの背中に回された。
「……!?」
え、ええっ!?
こ、これって、まさかっ!?
緊張のあまり全身がガチガチになっているあたしに、大和さんがクスッと笑う。
「もっと肩の力を抜いたらどうだ」
「そ、そんなの無理ですっ」
思わず言い返してしまう。
だ、だって……この先の行動といえば……もう、あんな事やこんな事、さらにはそんな事しか無いでしょ。
よ、要するに、この話の流れが全然読めないんですけどっ!?
「……ったく。しょうがねえなあ」
大和さんが荒っぽく言ったかと思うと、半ば強引に背中に回した腕に力を入れた。
「あっ……」
抵抗する間もなく、あたしの身体は大和さんの広くて温かい胸の中に埋もれてしまう。
こ、こんなに密着したら、あたしのドキドキが大和さんに伝わっちゃうよ……。
最早、お友達になることを断った人がする行為じゃない。
ちょっと抵抗すると、大和さんの腕にさらに力が込められる。
「……ただの友達じゃあ、こんな事出来ないだろ」
「!!」
う、嘘だ……信じられない、かも。
あたしは、夢を見ているの?
「お前の言葉を待ってたら、いつになるか分かんねえから先に言うぞ」
あたしのドキドキは、もう止まらない。
今にも飛び出そうなくらいに高まりっぱなしだ。
「……俺は、陽向が好きだ」
穏やかだけど、揺るぎのないしっかりとした大和さんの口から出た言葉は、あたしの脳裏と心の中にしっかりと刻み込まれていく。
そして何よりも、あたしを名前で呼んでくれた……これ以上の感動はない。
「……で、返事は?」
もう分かってるクセに。
どんどん溢れてくる嬉し涙が邪魔をして、大和さんの表情が霞んでよく見えない。
あたしは返事をするかわりに、大和さんの背中に両手を回し、そっと抱き締め返した。
そして今。
眼下に広がる街並みと遠くに見える海が、いつしか夕陽によってオレンジ色に染められていた。
「や、大和さんっ、外の景色が綺麗ですよ」
早速、あたしはバルコニーの前にある窓際へと向かう。
「俺は、いつも見てるから別に……」
面倒くさそうに言いかけようとした大和さんに、
「分かりましたっ!あたし一人で感動してますから、くれぐれも邪魔をしないで下さいねっ」
そう答えると、あたしはプイッと大和さんに背を向けた。
「心配しなくたって、誰も邪魔するヤツはいねえから気の済むまで堪能してろ」
後ろから呆れたような大和さんの声が返ってきた。
これが、さっきあたしに告白してくれた人の言う台詞ですか?
うーむ……ここで浮かぶのは、疑惑以外の何でもない。
「そう思わせておいて」
と、ここで再び大和さんの声がした。
思わせておいて?
あたしは、その言葉の意味を聞こうと振り返る。
「俺も気が短くなったもんだ」
は?
そう呟きながら、大和さんがソファから立ち上がる。
そんな彼の行動を目で追ってみると、行き着いた先はあたしの隣だった。
「……やっぱり見たいんじゃないですか」
肩をすくめながら大和さんを見上げて言うあたしに、
「はあーっ……お前は相変わらず空気の読めんヤツだな」
またもや呆れる大和さん。
そして、またあたしは『お前』に戻ってしまった。
「ど、どうせ、あたしはっ……」
言い返そうとしたあたしの顎に大和さんが手を添えたかと思うと、そのまま軽く持ち上げられた。
ドキッ!!
こ、こっ、これはもしかして……。
反射的にあたしの全身が硬直する。
「ククッ……」
そんなあたしを見た大和さんは、肩を震わせて笑い出した。
か、からかわれたっ!?
「いくら大和さんでも、こればっかりは酷すぎますっ!」
あたしはプイッとそっぽを向いた。
信じらんないっ!!
そのまま怒りに任せて、足早に玄関まで歩いていく。
「ま、待てよっ!今のは俺が悪かった、マジで」
さすがの大和さんも予想外だったのか、慌ててついて来る。
……うふふっ。
そんなあたしの態度を見て慌てる大和さんの反応に、思わず嬉しさがこみ上げてくる。
「ちっ、お前には適わないな」
大和さんが悔しそうに舌打ちした。
「これで、おあいこですね」
笑顔で答えるあたしに、
「だから、お前は考えが甘いんだよ」
そう言いながら大和さんの顔がぐーっと近付いてきたかと思うと、あたしの唇に何かが触れた。
「んんっ……!」
その柔らかくて温かい感触に、あたしは思わず腰が抜けそうになる。
でも、すぐに気付いた大和さんが片腕であたしの腰に手を回すと、しっかりと支えてくれた。
その後、もう何も考えられなくなってしまったあたしは……その身を大和さんに任せてしまったのでありました。
『そして、あたしは天に昇る。』
main story 完
ここまでおつきあい下さったあなたに、最大級の感謝を込めて……ありがとうございました!




