ランチタイムに自己紹介
お開きと言われながら、何となくその場を離れる機会を失っていたあたし。
大地さんはそのまま買い物に出掛けてしまって、この部屋にはお兄さんとあたしの二人だけになった。
「悪かったな、帰ってもいいぞ」
ふと、お兄さんがレンズを拭いていた眼鏡をかけながら言う。
おおーっ!!
男の人って、眼鏡をかけると格好良さが二割増しになると聞いたことがあったけど、今まさしくその光景を目の当たりにしたあたし。
とはいえ、ジッと見つめたりなんかしたら今度はこっちが怪しまれる。
「は、はあ……では失礼します」
曖昧に返事をしたあたしが、ドアの方へ踵を返した時だった。
ぐうううううーっ。
「!!」
はっ、恥ずかしいっ!
話すこともなく静かになっていた空間に響き渡ったのは、何とあたしのお腹の虫サンだった。
誤魔化すことも出来ず、たちまちパニックモード突入って感じだ。
無愛想とはいえ、イケメンのお兄さんにあたしの恥ずかしい音を聞かれてしまったのだから。
「は、早く帰って、ご飯っ……!」
後ろも振り返らずドアノブに手をかける。
「うぷっ」
背後でお兄さんの笑いをこらえる声が聞こえた。
さ、さっ、最悪だーっ!
そして、あたしがドアを開け部屋を出ようとした時、
「どうせなら、ここで飯食ってけば?」
というお兄さんの声。
いやいや、そんなこと出来ませんって。
……ちょっぴり嬉しいけど。
「い、家に戻ったらありますんで」
お兄さんに背中を向けたまま一度は断ってみる。
「大地があんたに迷惑かけた事だし、そのお詫びとも思ったんだが」
えっ? お詫び??
あたしの部屋を出ようとする動きがピタリと止まる。
しかも『コレ』呼ばわりから『あんた』に昇格してるし。
「まあ、野郎二人と食う飯なんて普通は嫌がるか」
お兄さんがそう言ったかと思うと、少し自嘲気味に笑う声が聞こえた。
どうしたものか……。
あたしにとっては、一世一代の貴重なお誘いだ。
それを断るというのはどう考えても失礼だろう。
しばし立ち止まり、考えること約一分。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
あたしが遠慮がちに答えた時、
「ああ、まだ帰ってなくて良かった。あなたの分も買って来たんで一緒に食べませんか?」
近所のお弁当屋さんの袋を持った大地さんが、絶妙なタイミングで帰ってきた。
「あ、ありがとうございますっ」
あたしは目の前の大地さんに頭を下げる。
「さすがは弟、気が利くな」
後ろでお兄さんが関心するように言った。
「でも、僕の独断で決めてきたからなあ」
やや伏し目がちに言う大地さんの表情は、さっきまでと違って何だか可愛く見えた。
「あたしって好き嫌いがないので、何でも受け付けますよ」
そう答えてニコリと笑う。
最初の出会いは衝撃的ではあったけれど、今はこの二人と仲良くしたいな……あたしの中で、自然とそんな気持ちが芽生えていた。
※
そして、三人仲良く?お弁当タイムが始まった。
お兄さんはマイブームらしい幕の内スペシャル、大地さんは好物のハンバーグ、そしてあたしは唐揚げのお弁当を頂いている。
「あたし、唐揚げ大好きなんです!」
ここのお店の唐揚げって、外側カリッと中はジューシーで美味しいんだ。
手前のソファーにあたしと大地さん、その向かい側にお兄さんが座っている。
「あんた、幸せそうな顔して食うんだな」
お兄さんが優しい顔であたしを見つめながら言った。
ド、ドキッ。
その優しい笑顔は罪ですよ。
「そ、そうでしょうか」
つい、しどろもどろになってしまう。
「そういえば、まだあなたの名前を聞いていませんでしたね」
ふと思い出したように言う大地さん。
確かにそうだ。
少し緊張しながらコホンと一つ咳払い。
「あたしの名前は、加納陽向と言います。年は二十三で、ごく普通のOLしてます」
イケメン兄弟を交互に見ながら、簡単に自己紹介をした。
「陽向さん、か。可愛らしい名前ですね」
大地さんがそう言いながらニコッと微笑んだ。
本当に可愛いと良く言われるんだ、名前だけは。
「僕の名前は、高野大地。年は陽向さんより二つ年下で大学の三回生です」
えーっ!大学生?
あたしより年下とは思っていたけれど、何だか落ち着いて見える。
「何を専攻してるんですか?」
一応聞いてみる。
「情報システム系です」
「へ、へえー、何だか難しそうですね」
愛想笑いで切り抜けるあたし。
将来は、エンジニアかプログラマーといったところだろう。
大地さんのイメージにピッタリのような気がした。
とはいえ、これ以上聞いたところで最早あたしの理解出来る世界ではなくなりそうだから、ここで質問は止めておくことにする。
さて、次は……何気なくお兄さんの方に視線を向けてみる。
ちょうど最後の一口となるご飯を食べようとしているところだった。
は?もう食べ終わりですか。
あたしはまだ半分くらい残ってるのに。
見た目もワイルドなら食べるのもワイルドなお兄さんだ。
あたしの働いている会社では、こういう肉食系の人の存在自体が有り得ないから、とても新鮮でリアルに緊張してしまう。
「ん?」
視線を感じたらしいお兄さんが、あたしの方をチラリと見た。
「何だ、まだ足りないのか?」
へっ!?
予想外の質問に、あたしは一瞬キョトンとする。
「た、足りてますよ。もう満足ですっ」
「じゃあ、その目は俺に何を求めているんだ?」
その表情は限りなく真剣だ。
な、何を求めているって……それ、一歩間違えたら微妙に誤解を招く表現のような気がするんですけど。
「自己紹介ですよ。まだ名前も言ってなかったですし」
「ふーん、自己紹介ねえ」
明らかに面倒臭そうな反応を示すお兄さん。
少しは興味を持って下さいよ。
「じゃあ、僕が代わりに」
ふいに大地さんが割り込んできた。
「あー、もう分かった。自己紹介くらい出来る」
お兄さんはそう言いながら、背広の内ポケットから一枚の小さな紙を取り出した。
「俺の名刺だ。受け取れ」
命令口調で、あたしに向かって差し出す。
「は、はい」
言われるままに受け取ると、その内容を確認する。
「……週末便利屋、高野大和」
名刺の中心に、それだけが印字されたシンプルなものだった。
お兄さん、大和さんっていうんだ。
年はいくつなんだろう……この落ち着き払った雰囲気から想像するに、二十代後半か三十代前半かな。
あたしがお兄さんの年齢を妄想していると、
「そういえば兄さんって、食べてる時は人の話なんか耳に入らない人なんだよね」
大地さん、今頃それ言う意味ある?
あたしは、ハアーと大きな溜め息をつくしかなかった。
そして、この出会いがのちに重要な意味を持つ事になろうとは、今のあたしには知る由もなかった。