悩みのタネ~大和編~
しつこいようだが、あえて言う。
高野大和、三十歳。
俺はロリコンではない。
今までそう信じてきた。
「あー……頭痛ぇ」
便利屋事務所の机の上で、頭を抱えながら溜息をつく。
昨夜は、久々に飲み過ぎたと後悔するも今となっては意味がない。
それは何故か……自宅のあるマンションに帰ってから思い返してみた。
同僚の杜弥に誘われて駅前の居酒屋に行ったまでは良かったが、その後が悪かった。
「今日は個室が取れたんだ」
やたら嬉しそうに言う杜弥に、俺は特に気にとめる事もなくついて行った。
「お前と飲むのは久し振りだな」
注文したビールで乾杯する。
「そうだな」
「何か良いことでもあったのか?」
「ふふ、まあね」
意味深に笑う杜弥を見ながら、俺は大して不審に感じなかった。
この時までは。
まさかこの後に、うちの部下と陽向の同僚との合コンに鉢合わせをするとは、全くの想定外だったのだから……。
ビールで一息ついて、お通しの枝豆を食べていた時だ。
スパーンと、隣室の襖が勢いよく開く音が聞こえてきた。
「おいおい、何だよ」
さすがの俺も驚く。
「さ、さあ……」
杜弥も言葉を詰まらせていたのだが。
「ここに、坂本杜弥って人いません?」
隣室とは襖一枚だけだから、当然声も筒抜けだ。
「おいっ、お前のこと名指ししてるぞ」
「そうみたいだな」
杜弥は首を傾げる。
「若い女の声のようだが心当たりはないのか?」
「うーん、皆似たような声してるから分からないな」
「で、どうするんだ?」
俺は、フッと口元を緩める。
「そりゃあ、出て行くしかないでしょう」
そう言いながら杜弥がスッと立ち上がると、隣の個室へ繋がる襖を開けた。
「いかにも、僕が坂本杜弥だが?」
普通に答えればいいものを、若い女相手だとすぐ格好つけたがる。
「お兄ちゃん!来てるなら事前に連絡入れてよねっ」
は?お兄ちゃんだと?
つまり、杜弥の妹ってことか。
何故こんな場所で会うんだ?
「……はぁ?誰かと思ったらお前か」
杜弥、妹の声くらい覚えてやれよ。
その後、連れらしい女が自己紹介している声が聞こえてきたが、俺は興味も無く聞き流していた。
すると、
「は、初めましてっ。わ、私は茜さんと同期の加納陽向と申しますっ」
ブブーッ!!
次の女の声を聞いて、俺は飲みかけていたビールを吹き出しそうになり、慌てておしぼりで口を押さえた。
な、何っ!?
何だってあいつが……おまけに、杜弥の妹と陽向が同期だと!?
偶然もいいとこだ。
「じゃあ、あとは自分達で楽しんでね」
杜弥は、そんな言葉を掛けながら部屋に戻ってくると、さっきと同じ場所に胡座をかく。
「連絡しなかったぐらいで何を怒ってんだか」
苦笑しながら飲みかけのビールを飲み干す。
「妹に連絡する約束だったんじゃないのか」
「あ、そういやそうだったかな」
杜弥は、ハハッと短く笑った。
完璧忘れてたな、こいつ。
そのうちにも、隣から乾杯の音頭が聞こえてきた。
「僕は、寺田誠と言います。年は二十五歳。会社では主にプログラマー担当です。宜しくお願いします」
え?
他に人がいたんだなと今更ながら気付いたが、その聞き覚えのある声に俺はチラッと杜弥を見る。
「おい。今のは、うちの誠じゃ……」
「んー、偶然じゃない?」
杜弥は目の前のししゃもを食べながら言った。
「えーと。俺は小林圭佑、年は二十七。システム担当です、宜しく」
ええ?
俺が再度杜弥を見る。
「おい。今のも、うちの圭佑じゃ……」
「あー、すごい偶然かもね」
杜弥は、おかわりのビールをグラスに注ぎながら答える。
「最後は僕ね。名前は橋本翔太、こう見えて二十六歳。隣の圭佑さんの一つ後輩でーす」
はあ?
俺が三度杜弥を見る。
「おい。今のもうちの翔太じゃ……お前」
「いやはや、これも運命か……」
杜弥がそのビールを飲もうとした手を俺は止めた。
「偶然とか運命じゃねえだろ?」
「何だよ、大和。そんなにムキになって言うことか?」
う……確かに。
会社を出れば、あいつらが何をしようと勝手だ。
「ま、まあ、そうだが」
俺は曖昧に言葉を濁す。
しかし、その組み合わせが引っ掛かる。
「まさか、大和も隣に参加したいとか?」
探るように俺を見つめる杜弥。
「有り得ない」
俺はそう答えると、背広の内ポケットから煙草を一本取り出して火をつけた。
「そうだよなー、大和はいつもそうなんだよなー」
「何が言いたいんだ」
うちの部下と一緒に、杜弥の妹ら相手に参加出来るかっての。
「……女に興味ないのか?」
ふと真顔で聞かれて、
「興味ないと言えば嘘になる」
俺は即答した。
「ふーん……回りくどい言い方だな。せめて気になる存在とかさ」
杜弥が珍しく言い寄ってきたその時、
「ち、違うよーっ!」
突然、隣室から陽向の大きな声が聞こえた。
ゴツンッ!
何故か肘をついていた腕のバランスを崩し、その弾みで俺はテーブルに頭をぶつけてしまった。
「……ってぇ」
「おいおい、大丈夫かよ。大和らしくないな」
そう言いながら、ふと杜弥の表情が変わる。
「……」
「何だよ」
ぶつけた頭をさすりながら聞くと、
「いや、何でもない」
杜弥は、少し笑いながらビールを飲んでいたように見えた。
その後、聞きたくなくても聞こえてくる隣室のつまらない話を耳にしながらムッとしている俺に、隣でなだめる杜弥からどんどんビールを飲まされたのは言うまでもない。
※
「そう言えば、昨夜はほとんど食わずに飲んでばかりだった……」
そりゃ、頭も痛くなるか。
しかも、あんなつまらねえ話を肴にしてたから、余計に悪酔いしたようだ。
うっ、気持ち悪っ!
今日は仕事にならんな……。
俺はトイレに行こうとヨロヨロと立ち上がる。
「おはよう、兄さん」
軽く眩暈を感じたと同時に、大地が事務所に入ってきた。
「ああ……」
やべぇ、ふらつく。
「おはようこざいまーす!」
大地の後ろから陽向が顔を出した。
ん?朝から二人仲良くご出勤か。
しかも、陽向の昨夜の雰囲気を全く感じさせない様子に、軽く苛立ちを覚える。
何だろう、俺らしくもない。
「はあぁ……」
俺はそのままトイレへ向かう。
「や、大和さんっ!顔色悪いですよ?」
とたんに、陽向が血相を変えて駆け寄ってきた。
二日酔いぐらいで大袈裟だな。
「……これくらい平気だ」
そう言いながら、心配そうに俺の顔を見上げる陽向の肩を押しのける。
「で、でも……」
「あんた、俺が用を足してる姿でも見たいのか?」
「ま、まさかっ」
陽向が顔を赤くして言い返してきたが、俺はそれ以上話す余裕もなく直行した。
「兄さん、珍しく二日酔い?」
数分後、トイレから戻ってきた俺に、水が入ったコップを差し出す大地。
「ああ……どうやらそうらしい」
「はい、これ薬」
「悪いな」
受け取ってすぐに薬を飲む。
「その様子じゃ、今日は無理だよ」
大地が眉間にしわを寄せて呟いた。
「ああ、俺も自分ながらそう思う」
再び机に額をつける。
「……」
陽向は何か言いたそうにしていたが、じっと俺の方を見ていた。
「今日は、特に予定もないからマンションに帰って寝てた方がいいよ」
大地はそう言いながら、ポケットから車の鍵を取り出して見せる。
「送るよ」
「来て早々に悪いが、そうさせてもらうか」
俺が後ろに掛けていた上着をつかもうと立ち上がると、
「じ、じゃあ、あたしも一緒に行きます!」
陽向の手が、俺より一瞬早く上着を掴んだ。
「え?陽向さんも?」
大地が少し驚いたように訊ねる。
「すっ、少しは役に立つかもしれないでしょ」
陽向はそう言うなり、そそくさと事務所を出て行ってしまった。
「あーあ、行っちゃった……」
大地が肩をすくめる。
「……何だ?あいつ……」
今の俺には陽向の後ろ姿を見るだけで、考える余裕もなかった。
※
事務所から車で約二十分。
所謂、都会のど真ん中とは程遠い、自然に囲まれた閑静な住宅街の一角に建つ三階建てのマンション。
大地の運転する車は、その前に横付けされた。
「着いたよ」
「……ああ、すまんな」
軽く溜息をつきながら、助手席のドアを開ける。
「高そう……」
後部座席から、陽向の呟く声が聞こえた。
「高いよ、山の中腹だし。あと家賃もね」
大地が陽向の方を向いて笑う。
「や、やっぱり……」
「余計なことは言わなくていい」
俺は車から降り、深呼吸した。
「でも、環境は申し分ないですよね」
車から降りた陽向が、俺を見上げて言う。
「まあな」
「じゃあ、僕は事務所に戻るよ」
大地の言葉に、俺と陽向が同時に運転席を振り返る。
「え?だって、事務所を空に出来ないしさ」
それもそうだ。
「……それに、兄さんの事は僕の代わりに陽向さんが面倒見てくれるんでしょ?」
そう言って、笑いながら再びエンジンをかける。
「任せて下さいっ!」
陽向が敬礼のポーズをとる。
「ということで、あとは宜しく」
大地は、クラクションを鳴らすと車を走らせた。
「……おい、行くぞ」
とりあえず、早く横になりたくて階段を上がる。
「は、はーいっ!」
陽向が慌ててついて来る。
「とは言っても、あんたの仕事はないだろうけどな」
あとは着替えて寝るだけだし。
「もしもの時の備えに必要かもですよ」
陽向が笑いながら答えた。
まあ、いないよりはマシか。
「ここの二階の左端が俺んちだ」
「初めてなので緊張します」
陽向が周りを見渡しながら言う。
「自分からついて来たんだろ」
「来てみたら、ドキドキしてきました」
そう言って、自分の胸に手を当てている。
余程、緊張してんだな……可愛いヤツ。
……って、俺、何考えてんだ。
二階の自宅に着くと、鍵を開けて中へ入る。
「何もないが、まあ入れ」
気を取り直して陽向に声を掛ける。
「は、はい……お邪魔します」
陽向が俺の上着を掴んだまま、恐る恐る入ってくる。
「や、大和さんって几帳面なんですね。綺麗に片付けられてるし」
「ここには、風呂入って寝に帰るだけだからな」
奥のリビングのソファに置いてあるジャージに着替えようと、シャツを脱ぎながら答える。
「や、大和さんっ!」
ふいに陽向が驚いたような声を出した。
「は?」
「き、着替えるなら声を掛けて下さいっ」
俺が振り返ると同時に、陽向が慌てて背中を向けた。
別に、これくらい大したことねえだろ。
それよりも、俺は早く横になりたい。
「……き、着替え、終わりました?」
陽向が俺に背中を向けたまま聞いてくる。
「ああ、終わった」
「じ、じゃあ、もうお部屋に入って休んで下さい。あとはあたしがやっておきますから」
ククッ。
「はいはい……じゃあ頼むな」
俺は笑いを堪えながら、寝室に向かう。
「笑い事じゃないですっ!」
「男の裸ぐらい見たことあるだろ」
陽向の顔が真っ赤になっている。
「……大和さんの意地悪」
「これくらいの事で真っ赤になってるようじゃ、先が思いやられるな……」
寝室のドアを開けながら、ボソッと呟く。
「えっ?」
「いや、何でもねえ……じゃあ寝るわ」
軽く溜息をつきながらベッドに入ろうとしたその時だった。
ガチャ!
「大和ーっ!お見舞いに来たわよぉー」
げっ、この声は。
「……っ!!」
陽向がポカンとした表情で玄関先に視線を向けている。
このまま無事に眠れるだろうか……俺は大きく溜息をつくしかなかった。




