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68 仮初の平穏

「おーい、おうさまー! 野球しようぜー!」


誰も僕のことをジン・カドラーと呼ばなくなり、1週間が過ぎた。


王になり初めて空き時間ができたため、アヤさんに会いに行こうと思っていたとき時のことだ。

僕が更地にした広大な大地から、ネイトの暢気な声が響いた。


ネイトだけは、あの日…人間がこの国から消えて以降も、今まで通りの話し方をしてくれる。呼び方こそ「おうさま」に変わってしまったけれど。


「僕、野球やったことないよー!?」

「だーいじょうぶ! 教えるからー!」


声を張り上げて返すが、結局押し切られる形になった。

…まあ、少しだけやってみるか。




リティッシュ・ランバがグルガルのものになってから、1週間が経過した。


この間、500万人のグルガル族全員に人間が消えたことを伝えるため、僕はガルシアさ…ガルシアと共に町を歩き続けた。

一つの区画に人を集めては、演説を繰り返す日々。ガルシアの献身的なサポートもあり、僕が一先ずの王に即位したという事実を受け入れてくれた。

というより、人間がいなくなった事実に皆一様に衝撃を受け、僕が王になったことなど些細な出来事だ、といった印象だった。


みんなが明るく、大声を出し、汗をかきながら全力で仕事したり遊んだりしている。

この1週間で、間違いなくグルガル族には笑顔が増えた。その事実が、僕のしたことは「良いこと」だったのだと思わせてくれる。




「ちょっと、楽しみかも」


僕はバッターボックスへ早足で向かう。

こんなふうに「遊ぶ」なんて、僕も人生で初めてかもしれない。


「ダビデ、お手柔らかに頼むよ」

「それはたとえ王と言えど、できない相談にございます」


バットを手渡してきたキャッチャーのダビデに挨拶をしたが、にべもなく断られた。


「……ダビデも、ネイトみたいにこれまで通り話してほしいな」

「それはできません。筋というものがあります。あなたは現在、我々の王なのですから」


……やっぱり、こいつは硬い。


「じゃあ手加減して、王様に花を持たせてよ」

「それとこれとは話が別です。これは勝負事。全力で行かせていただきます」

「ケチだなぁ」


そんな軽口を叩いていると、30メートルほど離れたマウンドからネイトが駆けてきた。


「じゃあ打ち方教えるねー」


ネイトは僕の手をとり、バットの持ち方や振り方を手取り足取り教えてくれた。基本的なルールも、ごく簡単に。


「人間がやってるところを見たことあるけど、マウンドってもっと近くなかった?」

「いやー、僕があの距離で投げると誰も打てなくてさー。まあ今のマウンドの位置でも、誰も打てないんだけどねー」


なるほど、俄然やる気が出てきた。


「ちょっと素振りしてみるね」

「はーい」


バットをぐっと握り、教わった通りに空を薙ぐ。

直後、――パァン! という乾いた破裂音が響き、木製のバットが粉々に飛散した。


「「「…………」」」




僕はあの日……魔法が使えるようになって以降、身体の感覚がおかしい。


筋力、動体視力、反射神経。そのすべてがグルガル族の規格を遥かに凌駕してしまっている。

睡眠時間さえ、以前は6時間は必要だったのに、今は30分もあれば万全だ。グルガル族のみんなでさえ、3時間は必要なのに。

…魔法が使えるようになる前まで、あんな出来損ないだったはずなのに、どうしちゃったんだろう…?




僕、ネイト、ダビデ、そして守備についていた4人全員が真顔で固まる。


「……おうさま。バット、あと2本しかないんだけど」


ネイトが責めるようなジト目で僕を見つめてくる。ちなみに、親しい人たちには僕の身体の異常については伝えてあった。


「……王命で、あと5本作ってもらうから許して」

「ならいいよー!」

現金なやつだ。ネイトはにこーっと顔を緩ませた。


「……王よ。それは職権濫用になるのではないでしょうか?」

やっぱりダビデは硬い。


「いいの! 緊急事態だから!」

うーん、実に職権濫用だ。


もう一本のバットをネイトから受け取る。

「次はもう少し、ゆっくり振ってよー」

「分かりました……」


なるべく、なるべく加減をして素振りをする。

――バシン!

空気を割く鋭い音がしたが、バットは無事だ。


「これくらいなら良い?」

「……たぶん」


ネイトの歯切れは悪いが、壊れないならいいだろう。


「ほら、ピッチャーはマウンドに戻って!」

「はーい」


ネイトが軽快にマウンドへ戻っていく。その背中を見送りながら、僕はダビデに尋ねた。


「ネイトの球って、そんなに打てないの?」

「はっ。今のところ、打てた者はおりません。速さと正確さ、両方が桁違いです。昨日、100メートル先から投げさせましたが、一直線に私の構えていたミットの真ん中へ収まりました」

「ふーん」

どれくらいすごいのか、いまいち分からない。


「いくよー!」

マウンドのネイトが声を上げた。投球フォームに入る。思ったよりも予備動作の少ない、コンパクトなフォームだ。


放たれた白球。

初速は時速300キロほどだろうか。おそらく、彼なりに手加減している。


僕は集中した。

途端、世界がスローモーションに切り替わる。

迫りくる球の縫い目、その縦回転がくっきりとした輪郭を持って見える。


正確さが桁違いだという言葉通り、このまま真っ直ぐ来れば、膝上の高さでホームプレートの端を通過する。ストライクだ。

僕はギリギリまで球を引き付け、プレートの上を通る直前、バットを振り抜いた。


ここに、当てる。


ネイトに「芯」だと言われた場所に、正確にインパクトさせる。


――コォン!


甲高い快音を残し、白球は綺麗な放物線を描いた。外野の守備陣が慌てて追いかけるが、球は悠々と彼らの頭上を越えていく。目測で、300メートルは飛んだはずだ。


「……流石ですね」

「そう? ネイト、かなり手加減してたでしょ」

「それはそうですが……」

ダビデと短い言葉を交わす。


ネイトは呆然と打球の行方を見送っていた。数分後、ようやく守備陣が球を見つけ出し、ネイトへと返球される。


ネイトがこちらへ向き直った。

その顔からは、先ほどまでの遊びの気配が消え、真剣な「戦士」の表情に変わっていた。


「おうさま。もう一回、お願い」


始めて数分しか経っていないけれど、野球の面白さが分かった気がする。


「次は全力で来てみてよ。みんなが打てないっていう球、見てみたい」

「そのつもり。ダビデ、グローブ壊れないようにしっかり手のひらで受けてねー」

「……痛いから嫌なんだがな」

そうぼやくダビデも、口角は僅かに上がっていた。


ネイトが投球フォームに入る。

先ほどとは打って変わって、全身のバネを使い、左足を高く上げるダイナミックなフォーム。深く沈み込んだ軸足から、凄まじい推進力を伴って腕がしなり、最頂点から叩きつけられるような力強いフォームだ。


放たれた球は、もはや「音」だった。


初速は時速700キロを超えている。回転は縦ではなく、斜めに鋭く斬り込む、うなるようなジャイロ回転。

一直線に僕の顔面を目掛けて飛んでくるが、正確無比と言われているネイトが僕にぶつけるはずがない。おそらく軌道が変化するのだろう。


顔の1メートル前まで迫った瞬間、予想通り球がガクりと軌道を変えた。吸い込まれるように、ストライクゾーンの隅を強襲する。


そこまで来て、ようやく僕はバットを始動させた。


大きくステップを踏み込み、強靭な背筋のバネを一点に集中させる。数分前にネイトに教わった通りだけの動き。球と接触する位置まで、最短距離でバットを振り抜く。


そして。

ネイトに「ここだ」と言われたバットの芯、その一点で、時速700キロの剛球を完璧に捉えた。


――バチィィンッ!!!


鼓膜を焼くような衝撃音が響き、視界が火花を散らす。

次の瞬間、僕の手元で木製のバットが轟音と共に爆発した。凄まじい反動が腕を伝わり、粉砕された木片が礫となって僕の周囲に飛び散る。


だが、ボールは止まらなかった。

バットを粉々に打ち砕きながらも、ネイトの放った剛球はその威力の大半を維持したまま、ダビデのミットへと吸い込まれた。


ドォンッ!!


大砲の着弾音のような捕球音。

ダビデは凄まじい衝撃に後ろへのけ反りながらも、しっかり球を逃さなかった。ミットからは摩擦による白い煙が立ち上り、焦げた革の匂いが鼻をつく。


「…………」

ネイト、ダビデ、そして守備の四人。全員が、その光景を見つめたまま固まった。


僕は粉々になったバットの持ち手だけを握りしめながらダビデを見た。

「……ダビデ。これって、どっちの勝ちなの?」


バットには当てた。でも、ボールは前に飛ばず、そのままキャッチャーに捕られた。

野球を今初めて経験してる僕には、これがどういう判定になるのかさっぱりわからない。


ダビデは構えた姿勢のまま、ピクリとも動かない。

しばらくして、ミットの中のボールを確認し、困ったように眉を下げながら僕を仰ぎ見た。


「……いやー、わかりません。私も数日前に初めて野球に触れただけですので。当てたのは王ですが、ボールは私の手の中にあります。……引き分け、でしょうか?」


硬い考え方のダビデにしては珍しく、歯切れの悪い、なんとも適当な答えが返ってきた。彼もまた、野球という未知のスポーツの深淵に戸惑っているようだった。


マウンドでは、おそらく全力で投げ抜いたネイトが座り込み、笑顔で話しかけてきた。

「いやー、今のを当てるのー? おうさま、思った以上に化け物だねー」

「ネイトに言われたくないよ。投げる方も投げる方だよ」


僕は痺れる右手を振り、ようやく笑い声を漏らした。


かつて、仕事以外のほぼ全てを禁じられてきた僕たちグルガル族。でも今は、全員が笑いながら、見たこともないような「新しい遊び」をしている。


「……野球って、面白いね」


僕がそう言うと、ネイトがパッと顔を輝かせ、立ち上がって砂を払った。

「だよね! じゃあ次はおうさまが投げてみてよー! 僕が打つからー!」


「うーん、でもボールもボロボロだよ? まだあるの?」

「あ、ボールはそれしかないや……」

シュン、と目に見えて肩を落とすネイト。


「また作ってもらおう。次回、僕が投げるから」

「そうだねー。そうしよっか!」


良かった、なんとか納得してくれた。ネイトが守備陣に終わりを告げると、全員がこちらへ駆け足で向かってくる。




よし、遊び終えたことだし、当初の目的地に行こう。

この一週間、一度も行けなかった。アヤさんの眠る、海が見渡せるあの丘の上に。


そう思っていた時だった。

遠くから、こちらへ猛烈な勢いで走ってくる人影が見えた。


肩甲骨まで届く艶やかなストレートヘア。その前髪の一部を細く、繊細に編み込み、片耳の後ろへと流したアシンメトリーなスタイルが、彼女の大人びた顔を引き立てている。

僕より20センチは高い身長と、スレンダーな体型。細めで優しげな垂れ目が特徴の女性、鍛冶屋ゲルトの娘、カレンだ。


彼女は、王になる前から僕のことを何かと気にかけてくれていたが、王になった直後、真っ先に「身の回りの世話をさせてほしい」と直談判に来てくれた。

最初は断ったのだが、ガルシアから「王には側近が必要だ」と諭され、結局、秘書のような役割をお願いすることになった。


「王様! 大変です、至急浜辺までお越しください!」

彼女は僕の前に辿り着くなり、切迫した声を上げた。


「どうしたの、カレン」

「人間が……他国の軍人が、軍艦に乗ってやってきました! 現在、複数名が小型艇に分乗して上陸を開始しています!」


それを聞いた瞬間、僕の脳内から楽しかった余韻が完全に消え失せた。


人間。

この世で最も憎んでいる種族。

……まあ、いい。敵意がなければ、話だけは聞いてやる。


「怪我人は?」

「現在は出ておりません」

「すぐにガルシアを呼んできて。僕は先に行く」

「承知いたしました!」




それだけ伝えると、僕は思いきり地面を蹴った。

凄まじい脚力に耐えきれず、僕の足元の地面が半径三メートルにわたってボコンと陥没する。

爆音と共に、景色が歪んだ。一歩で数十メートル。瞬く間に民家が並ぶ居住区へと到達する。


ここから先は、このまま走るわけにはいかない。


僕は勢いを殺さず、垂直に地面を蹴って跳躍した。数十メートル上空から浜辺を見渡し、目標を捉える。


「あそこか」


沖合に停泊する不気味な黒い軍艦。そこからほど近い砂浜に上陸した人間たちと、それに向かい合う数名のグルガル族。


空中、着地までのわずかな時間で最短ルートを導き出す。

どこに着地し、どこを蹴れば、民家を壊さず誰にも迷惑をかけずに辿り着けるか。


「……よし」


一秒にも満たない思考でルートが確定した。

着地と同時に次の一歩を爆発させ、200メートル先の足場を中継地点にする。そこから目的地までの3キロメートルを、僕はわずか二十歩ほどの跳躍で踏破した。




上空から砂浜へと急降下する視界の中、僕の強化された聴覚が、風を切る音を突き抜けて下界の声を鮮明に拾い上げる。


「……なんだ、こいつらは。生命反応が一切ない。死体か……?」

「ですが……動いています。……考えられるのは、精巧な人形、などでしょうか……?」

その声には、未知の存在に対する生理的な嫌悪と、隠しきれない動揺が混じっていた。


……こいつらも僕らのことを、『死体』と言うんだな。


とにかく不快で、不愉快だ。

僕も魔力を得たその日から、魔法を使える側の人間が、世界をどう見ているかを理解した。彼らにとって他者は、淡い後光が差す存在として認識される。ただ、それだけのことだ。

たったそれだけの光がないだけで、僕らのことを『死体』と呼び、侮蔑し続けていた。その事実を知り、僕の人間に対する憎悪はさらに深く、鋭く尖っていく。


そして今の話を聞き、確信した。

やっぱり、元々この島にいた人間たちは、僕たちの存在を他国にひた隠しにしていたんだ。

それを教えてくれたんだ。コイツらにも少しだけ感謝してやる。




ドォォン!と、重い衝撃を伴って着地した。

砂浜に深いクレーターが刻まれ、爆風のような砂塵が吹き荒れる。


「っ……!? な、なんだ!?」

中心に立つ壮年の男が叫び、周囲の兵士たちが一斉に色めき立つ。


砂塵の向こう側から現れた僕の姿を見て、彼らは一瞬、言葉を失った。魔力を持たない集団の中に、突如として現れた魔力を宿す僕。


「……なんだ……それは……」

「中佐、これは魔力……なのでしょうか? だとすれば……異常です」


異常? 失礼だな。君たちと同じ、普通の魔力でしょ?


中佐と呼ばれた男は、冷や汗を流しながら僕を凝視している。


「僕がここの責任者です。……あの、何の用でしょうか。わざわざこんな大きな軍艦で、僕たちの国に何か御用ですか?」

僕は努めて穏やかに語りかけた。


「……我が国の外務大臣、ハーパー氏の安否を確認しに来た。氏は一週間前、この島を訪れ、翌日に帰国するはずだったのだ」

中佐が声を絞り出す。周りの軍人全員が僕に鋭い視線を向けている。


「ハーパー……さん? 一週間前ですか?」

「そうだと言っている」


……あぁ、そういうことだったのか。

アヤさんとデートするはずだったあの日、コイツらの国のお偉いさんが来ていたから、グルガル族は休日をもらえていたのか。



じゃあ、その人はもう、死んでるね。



「お会いしたことはありませんが、ハーパー大臣は、間違いなくもういません。現在この島にいるのは、我々グルガル族のみです。あなたたちが探しているものは、何一つ残っていません」


僕が静かに、隠さずに告げた瞬間、砂浜の空気は凍りついた。


「ふざけるな! いないとはどういうことだ!? 大臣をどこへやった! これは国際問題になるぞ!」

「中佐、こいつら関与を隠し通すつもりです! 証拠隠滅の恐れがあります!直ちに拘束の許可を!」


将校の怒号を合図に、兵士たちが牙を剥く。

ガチャリと僕に銃口を向ける者。

掌をこちらへ向ける者。

身体から青白い電光を漏らす者。


「……やっぱ、無理だね」

僕は小さく、諦めの息を吐いた。


もっと理性的に話せば、分かり合えるかもしれないのに。君たちはそんなことも分からない、本当に愚かな種族だ。


……でも、他国のことや魔法のこと、いろいろ話を聞いてみたいから、まだ殺さないであげる。



向こうが引き金を引くよりも早く、僕は砂浜の引力を書き換えた。



「ぐっ……!? き……キサマっ……重力魔法を……!」

中佐が膝から崩れ落ちる。


およそ3Gから4G。

自身の体重が4倍に跳ね上がるという、常人では立ち上がることすら困難な圧力が、兵士たちを一斉に地面へ叩きつけた。


「あ、が……っ」

「おも、い……」


さっきまでの殺気はどこへやら。兵士たちは無様に砂の上で這いつくばっている。

中佐もまた、軍刀を杖代わりにしようとしたが、その刀身ごと深く砂に沈み込んだ。


僕は、動けなくなった彼らを見下ろす。

「殺しはしないよ。あとで、いろいろ話を聞かせて」


冷たい言葉を投げかけた後、僕は後ろで固まっていた仲間たちへ、パッと笑顔で振り返った。


「みんな、もう安心して!」


笑顔を崩さず、お願いをする。

「何人かで村に戻って、コイツらの手足を縛れるロープを持ってきてほしいな。あとコイツらを収容できる簡易的な牢屋を二十個作るよう指示してきて。石造りでもなんでもいいから。悪さできないように一人ずつ閉じ込めよう」


僕が明るい声で指示を出すと、その場にいた六人のうち三人が、弾かれたように村へ向かって走り出した。




……さて。

 

視線を沖へ向ける。あの黒い塊…軍艦が、どうにも物騒だ。ロープを持ってくるまでの間に、最低限のことは聞いておこう。


「中佐さん、あの軍艦に、まだ人は残ってる?」

「ぐっ……が……!」


返事がない。

……いや、できないのか。本当に人間という種族は、全てにおいて驚くほど虚弱だ。


僕は中佐の周りだけ、重力を2Gまで緩和してやった。


「これなら話せる? 答えて」


だが、中佐は答える代わりに、殺意に満ちた目で僕をキッと睨みつけた。


直後、僕の周囲の温度が跳ね上がる。

熱魔法。

空気が陽炎のように揺らぎ、摂氏100度を超える熱風が僕を包み込む。


……魔力を持つ前の僕だったら、間違いなく死んでいたな。

今の僕でも、肌を刺すような熱を感じる。だいぶ熱い。


「人間は僕たちのこと死体とか家畜って言うけれどさ。……人間の方が、よっぽど意思疎通ができないケモノだよね」


僕は溜息混じりに、中佐を再び4Gの重力で包み込んだ。


「ぐぅっ!」

中佐が砂に顔を埋め、僕を包んでいた熱が霧散していく。


もう、期待するのはやめよう。

「もういいや。今ので、この国の王を攻撃した…不敬罪?になるよね。それじゃあ罰として、あの軍艦は壊すよ」


僕は沖に浮かぶ軍艦へ、静かに手を向けた。

狙いを定め、船体の周囲の重力を一気に10Gへと引き上げる。


――ギィ、ギギギィィィッ!!


鋼鉄が悲鳴を上げる凄まじい破壊音が響く。巨大な軍艦は、見えない巨人の足に踏み潰されたかのように一瞬で中心から折れ曲がった。同時に、船の下の海面が巨大なクレーターのように深く陥没し、行き場を失った海水が荒れ狂う。

歪な鉄屑へと変わり果てたそれは、奔流に飲み込まれるようにあっけなく海中へと消えていった。

 

中に人間が残っていたとしても、どうでもいい。チャンスはあげたんだ。それを無碍にしたのは、目の前で這いつくばっているこの男だ。


「王様! ロープをお持ちしました!」

村へ走っていた者たちが戻ってきた。


「ありがと。じゃあ、全員の手足を縛って。牢に連れていこう」

僕は冷徹な王の顔を消し、またいつものように仲間たちへ微笑んだ。




グルガル族の仲間たちが、少し緩和させた重力場の中、手際よく兵士たちの手足を縛り上げていく。グルガル族にとって2Gなんて、通常と変わらないくらいの重さだろう。

その作業を眺めていると、背後から重々しい足音が近づいてきた。


「王様、ガルシア様をお連れしました!」


カレンの声と共に現れたのは、厳しい表情を浮かべたガルシアだった。


ガルシア。もともと僕たちの村の村長を務めていた老人だ。

グルガル族の誰よりも深い知識と、長い苦難の歴史をその身に刻んできた彼は、僕が王となってからは、僕の不十分な経験を補う「宰相」として、常に僕の傍にいてくれている。


彼は砂浜に這いつくばる無残な兵士たちを一瞥し、そして視線を海へと向けた。そこには、つい先ほどまで浮かんでいた巨大な黒い影が、泡と共に消え去った痕跡だけが残っている。


「……王よ。状況を伺ってもよろしいでしょうか」


ガルシアは僕の前に跪く勢いで、深く頭を下げた。僕が王になってからというもの、臣下としての礼節を片時も彼は崩さない。


僕はガルシアとカレンに、これまでの経緯をかいつまんで説明した。人間たちが僕らを『死体』と呼んだこと。僕からは、無礼にならないよう対話を試みたこと。そして、対話を試みたにもかかわらず、中佐が熱魔法で僕を焼き殺そうとしたこと。


ガルシアは静かに目を閉じ、僕の言葉を一つひとつ咀嚼するように聞き入っていた。

「……左様でございましたか。まずは、誠心誠意、対話の席を設けようとなさった王の御心……本当に、素晴らしいものだったと存じます。最初に向こうから手を出そうとしてきた以上、このような形での拘束も、致し方ない判断と言えましょう」


ガルシアは一度言葉を切り、再び海に視線を投げた。


「……しかしながら、王よ。軍艦を破壊されたのは、少々、やりすぎだったかもしれません」

「…そうなの?」

ガルシアの言葉に、僕は思わず声を漏らした。


「此度の件、この者たちの国が知れば、これを宣戦布告と受け取り、本格的な戦争に発展する恐れがございます。それは我らグルガル族にとっても、避けねばならぬ事態。極力争いなく、平和に過ごしたいというのが、我ら共通の願いでございますから」

冷静で、一点の曇りもない状況分析。


ガルシアの言葉が、少し熱くなっていた僕の頭を冷やしていく。

「……ごめんね、ガルシア。これでも、自分なりに冷静に対処したつもりだったんだけど」


僕が気まずそうに謝ると、ガルシアは表情を和らげながら首を振った。

「滅相もございません。王を焼き殺そうとした不届き者に対し、命を奪わずに抑えられただけでも、王の慈悲の深さを物語っております。起きてしまったことは、最早仕方がございません」


ガルシアは毅然と立ち上がり、捕縛された者たちを見下ろした。

「それに、即座に個別の牢屋を建てるよう指示されたのは、実に見事なご判断。一人ひとりを隔離すれば、余計な反抗も防げます。一先ず、この者たちを牢に入れましょう。彼らから得られる情報こそが、今後の我らの盾となりましょう」

「そうだね」


蠢く人間たちを見下ろす。

重力から解放されたものの、自由を奪われ、屈辱と恐怖に満ちた声を漏らしている。


グルガル族に平和が訪れて一週間。

得られたと思っていた平穏は、まだまだ仮初のそれだったようだ。


僕は、遠くに見えるアヤさんの眠る丘を一度だけ見上げ、それから目の前の仲間たちへと視線を戻した。


「それじゃあ、移動しようか。みんな」

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