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56 夜明けの残火と影の侵入

午前6時。


窓の外は、朝日の心地よい明りに包まれている。

今日からいよいよ、アータバル軍本部への本格的な諜報活動が開始される。


「それじゃあ、行ってくるね。フィオナ。」


足の神経は今も焼けるように痛むが、外に出て人気のない場所で『不可視化』を展開し、さらに『身体強化』で速力を上げれば、痛みを最低限に抑えつつ最速で目的地に辿り着けるはずだ。

僕は気持ちを切り替え、ドアノブに手をかけようとした。


「待って!」


鋭い声に手を止める。

振り返ると、はだけたバスローブ一枚のフィオナが駆け寄ってきていた。そのままの勢いで抱き着き、全身をこれでもかというほど僕に密着させながら、首に両腕を回してくる。


重なる唇。昨晩の熱をそのまま持ってきたかのような、深く、熱烈なキス。

僕は一瞬戸惑ったが、すぐに彼女の腰に手を回し、その熱を迎え入れた。


……けれど、数十秒経っても、彼女が離れる気配はない。

それどころか、彼女の吐息はどんどん熱を帯び、僕を任務から引き剥がそうとする重力のように重くなっていく。


……う~ん…むずむずしてきた。


このままでは、せっかく整えた軍人としての精神が崩壊してしまう。僕は彼女の腰をトントンと叩き、離れるように合図を送った。

しかし、彼女は僕を行かせたくないのか、逆に腕に力を込めてさらに密着してくる。


……仕事前のキスって、もっと柔らかくて爽やかなものじゃないの?

5分ほど、僕は彼女の猛攻を甘んじて受け入れた。

やがて彼女の息はさらに荒くなり、首に回していた片腕をゆっくりと下ろして、僕の下腹部へと這わせてきた。


その指先が目的の場所に届く直前、僕は結構な強さで、彼女の臀部をひっぱたいた。


「いあっ!?」


フィオナがビクンと跳ね、ようやく唇が離れる。


「こら。僕はこれから仕事なの。そんなことされたら、変な気持ちになっちゃうじゃん。」

「……あなたの方こそ、私のスイッチを思いっきり押したじゃない……。」


フィオナはもじもじと身を震わせながら、潤んだ瞳で僕を見つめてくる。

うぅ……ダメだ。一刻も早く出発しないと、本格的におかしくなる。


「そんなつもりじゃありませんでした。ただのお仕置きです。」

「じゃあ……帰ってきたら、たくさんお仕置きして?」


ホントに……僕は、最低だ。

 

「……その時、考えます。」

「いじわる……」


埒があきそうになかったので、僕は今度こそ仕事前にするような軽いキスを彼女の唇に落とした。

そして、「いってきます!」と彼女の顔を見ずに、弾かれたように言い放つ。


「いってらっしゃい。あなた」


背中越しに届いた彼女の優しい声。

顔が熱くなるのを感じながら、僕は痛む足を必死に我慢して、逃げるようにホテルを後にした。




人気のない暗い路地に入り、僕は深く息を吐いた。

先ほどまで肌に残っていた彼女の体温を、冷たい外気で強制的に冷却する。


「よし。……仕事だ」


呟きと共に、魔力を練り上げる。

まずは『不可視化』。僕の姿が周囲の光に溶け込み、世界から切り離される。

続けて、鈍く痛む両脚を中心に『身体強化』を施し、さらに足裏へ『電気フィールド』を展開した。地面を蹴る際の反動を電磁的な反発で和らげつつ、爆発的な推進力を得るための準備だ。


…上から行こう。


一気に建物の壁を蹴り、背の低い屋根へと跳び上がる。

民家の屋根から屋根へ、音もなく影を消したまま疾走する。電気フィールドのおかげで、着地音すら早朝の鳥のさえずりに紛れるほど小さい。

『身体強化』で無理やり動かしている足は悲鳴を上げているが、アドレナリンがそれを任務の障害から排除していた。




午前7時前。

エンモンドの街を見下ろす高台に鎮座する、アータバル軍総本山に到着した。


堅牢な石造りの外壁。

正面の重厚な門からは、灰色の制服に身を包んだ軍人たちが次々と吸い込まれるように建物内へ入っていく。


……ここからが本番だ。


僕は音もなく地面に着地し、前を歩く恰幅のいい軍人の背後にピタリとついた。足音を完全に消すため、電気フィールドによる微細な浮遊を維持する。

そして僕はたやすく建物内部への侵入を果たした。


さて、これからどう動くか。

 

まずは、情報を一括管理しているであろう「情報管理室」か、あるいは重要機密が一時的に集まる「作戦準備室」を探すべきだ。

迷路のような廊下をしばらく探検するように歩き回ると、重厚なセキュリティが施された、それらしい部屋を見つけた。


僕は扉の脇で気配を消して待ち伏せする。十分ほど経った頃、一人の士官が両手に書類の山を抱えてやってきた。彼が認証を解いて部屋に入る、そのわずかな隙を突いて背後から滑り込んだ。


室内は整理された棚と、未処理の書類の山で埋め尽くされていた。幸い、中には誰もいない。

士官は持っていた箱をデスクに置くと、すぐに別の用件があるのか外へ出て行った。


部屋に一人きりになった僕は、脳疲労を抑えるために『身体強化』と『電気フィールド』を解除した。最小限の『不可視化』だけを維持しながら、デスクに置かれたばかりの書類に手を伸ばす。


この国の外務大臣、ハーパー氏が消息を絶った2のはヶ月前のことだ。

そして、この国の軍艦が消息を絶ったのも同じ時期。あの島の情報を集めるとしたら、それ以降のはず。


そう思い、さっき運び込まれたばかりの箱の中から、比較的新しい日付の付いたファイルを抜き出し、ページをめくる。


「…………まじ?」


いきなりヒットした。

しかも、あまりにどでかい情報だ。


めくったページには、この国の軍艦があの島…リティッシュ・ランバに接近してからの生々しい通信記録と、事後報告が時系列で綴られていた。


内容はこうだ。


行方不明の外務大臣ハーパー氏の安否確認、および島の現状調査のため、アータバル海軍の巡洋艦が派遣された。島に接近した際、光魔法師が視力強化を展開。

だが、本部へと届いた第一報は、想定外の事態を告げるものだった。



1.初動報告

【アータバル海軍 通信ログ A-12】

『……異常事態。地図に記されていた南東部の主峰が消滅している。地質変動の形跡なし。まるで削り取られたようだ。繰り返す……山が、ない。』



僕も見た、あの山の場所だ。

震える指で次のページをめくる。


上陸を断行した調査隊は、島の西側移動。上陸が可能な海岸沿いを発見し、そこに本艦を固定。

小型艇で数名が上陸し、一人の電気魔法師が通信兵として小型無線機を保持していた。



【通信報告:上陸2時間後】

『褐色肌の民族を数名確認。対象に生命活動の予兆(魔力反応)なし。……バルガス准将……死人が、動いています。』


この日の報告は、ここで途絶えている。



2.接触と制圧

【通信報告:上陸36時間後】

『……現在、石造りの個室内に収容。……一個小隊が、小柄な男一人の手によって制圧された。重力魔法による拘束。……拘束後、当該個体が手をかざした直後、母艦が圧壊し沈没。……対象は自らを「グルガル族」と称している。』



翌日の報告書には、エリートであるはずのアータバル軍人がいともたやすく捕虜にされた事実が記されていた。


「……グルガル、族……」

嫌な汗が止まらない。

だが、その翌日の記録は、僕を心の底から震え上がらせた。



【通信報告:上陸60時間後】

『……男が……緑色の目をした男が……同僚を、片腕を失い正気を失った同僚を、まるでゴミのように引きずっている。……目が合った。氷のように冷たい。男が言った。「変なことをしようとするな。この男のようになる」と。』



「……あいつだ」

確信した。あの丘の上にいた、膨大な魔力を宿した男。


僕は指先を白くさせながら、最後のページを捲った。

そこには、グルガル族の中で唯一、固有名詞として記された「王」の名があった。



3.直接対話記録

【グルガル族・王:ジン・カドラー】

無線機の存在に気づいたジン・カドラーが、それを使って本国に対して直接「交渉」を仕掛けてきた際の音声ログだ。



【アータバル軍中央指令部 音声ログ:BT-092】


•ジン:「初めまして。今、この国の王をしているジン・カドラーといいます。あなた方は?」

•司令部:「こちらはアータバル国軍、外事秘密情報局 第一部長、バルガス准将である。貴殿がこの事態の首謀者か。」


•ジン:「首謀者? 心外だなぁ。……ご安心ください。船に乗っていた軍人さんの大半は、今のところは健在ですよ。そちらは何を目的にして、この国に来たのですか?」

•司令部:「本国の外務大臣ハーパー氏の救出だ。我が国の人間を即刻全員帰還させてもらいたい。」


•ジン:「あー……。たぶん、その大臣さんは……申し訳ないけど、もう死んじゃってます。あと、軍艦は僕が壊しちゃったから、物理的に帰れないと思います。」

•司令部:「貴殿が一人で巡洋艦を撃沈したと? 荒唐無稽な。……ならば再度、回収用の艦隊を派遣する。生存者をそれに乗せろ。」


•ジン:「断ります。この人たちの一人が、僕の民の……子供に危害を加えようとしました。そんな野蛮な人たちを、はいはいと返せるわけないでしょう?」

•司令部:「目的はなんだ。領土の割譲か、資源の提供か。」


•ジン:「……癪に障る話し方だなぁ。危害を加えようとしたことについての、謝罪はないの? ……こっちはただ、平穏に暮らしたいだけだよ。」

•司令部:「平穏を望む者が軍艦を沈めるか! 貴殿がどのような『力』を持とうと、我が国の軍事力は想像を超えている。無条件降伏を勧告する。さもなくば――」


•ジン:「もういいよ。話す気が失せた。言葉が通じる相手だと思った僕が馬鹿だった。……気が向いたら、またこっちから連絡する。」



通信は途絶し、以降、応答はない。



僕は嫌な汗で湿った書類を握りしめた。

アータバル軍は、相手の「底」が見えていない。この王にとって、軍事力という脅し文句は、足元のアリが兵隊の数を誇っている程度にしか聞こえていないはずだ。


「……ジン……カドラー……」


その名前を唇に乗せてみる。

沖にある軍艦を一人で轟沈させるのは、魔法が使えないと間違いなく不可能だ。


…ということは、あの『緑色の瞳の怪物』こそが、この一族の王だ。


不可解なのは彼の態度。

冒頭、彼は丁寧な敬語を用い、歩み寄りの姿勢を見せていた。それは強者の余裕というより、対等な「隣人」として対話を望む、理性的なアプローチだったのではないか。

しかし、会話の後半からそのリスペクトは完全に消失している。


バルガス准将の傲慢な対応……それがジンの怒りに触れたというより、彼はただ「失望」したのではないか?

「謝罪はないの?」という彼の問い。あれは、こちら側が「同じ倫理を持つ存在」かどうかを測る、彼なりの最後のテストだったのかもしれない。それを准将は軍事力という最悪の回答で踏みにじった。


対話の余地も、必要性もないと、無慈悲に見切られたのだ。

彼の真の思惑は、この紙面上からは何も読み取れない。ただ一つ言えるのは、彼はもう、こちらを「対等な相手」とは見ていないということだろう。




その時、廊下から複数の足音が近づいてきた。

思考を強制的に遮断し、急いで書類を元の箱へと戻す。音もなく部屋の隅へ移動し、再び気配を完全に消して壁の一部と化した。


入ってきたのは、別の軍人だった。

彼は新たな資料の山をデスクに置くと、一息つく間もなく、足早に室外へと出て行った。

静まり返った室内で、僕は再び箱の中の書類へと手を伸ばした。


「……ほかの書類も、探そう。」


ジン・カドラーという名を知った今、僕にできるのは、彼らが、若しくはこの国が次に何をしようとしているのか、その一点を暴き出すことだけだ。


初日にこの情報管理室に入り込めたのは、相当なラッキーだった。この幸運を無駄にするわけにはいかない。

僕は『不可視化』を維持したまま、指先に全神経を集中させてページをめくっていく。



 

窓から差し込む朝の光が、埃の舞う室内を斜めに切り裂いている。

廊下を行き交う軍靴の音、遠くで響く号令の声。

 

そのすべてが、僕にとっては死の足音に聞こえた。

けれど、僕は止まらない。


今日のところは、体力の限界ぎりぎりまでこの部屋の資料に目を通し、追加の情報がないかを徹底的に調べ上げる。

本国で僕の帰りを待っている、残酷な「飼い主」が満足できる情報を得るまでは。


僕は再び、書類の山へと手を伸ばした。

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