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53 貪欲な思考、血塗られた未来

≪ギャレット視点≫




ウエステイルの邸宅を後にし、本部の執務室へと戻る。

重厚なマホガニーのデスクに腰を下ろし、琥珀色の蒸留酒をクリスタルグラスに注いだ。氷が触れ合う澄んだ音が、静寂に沈む部屋に響く。


「さて……」


グラスを傾け、立ち上る芳醇な香りを愉しむ。

ウエステイルは期待以上の成果を持ち帰った。隣国アータバルの通信傍受により、魔力を持たぬ種族の存在は予見していたが、北部の山脈が健在であること、そしてその種族が重機を凌駕する膂力と精密な技巧を併せ持っていることは初耳であった。


そして…


「……9000億、か。」


不意に独り言が漏れる。9000億…

測定史上最高値を更新したウエステイルでさえ、可視化される魔力は他の魔導師と同質。

しかし、その「緑の瞳」の男が纏う魔力は、空間を歪曲させる漆黒のインクだという。


計算を弾いたあの小娘は、情緒的には未熟だが、その演算能力に疑いの余地はない。ならば、その天文学的な数字こそが紛れもない現実なのだ。今後の最重要課題は、その「怪物」を如何にして御し、あるいは排除するかに集約される。


酒を一口含み、ゆっくりと嚥下する。熱い液体が喉を焼き、思考がより鮮明に研ぎ澄まされていく。

今回の偵察により、暗黒に包まれていたリティッシュ・ランバという「匣」に、一定の光を照射することに成功した。


第一に、現在の島内には褐色肌の種族以外の生存は絶望的であること。

外周の七割を走破してなお、彼らのコミュニティ以外の全域が灰燼に帰していたという事実は、他種族が地形ごと粉砕されたことを示唆している。

第二に、その種族が強力な筋力と建築技術を有し、国家を再建し得る組織力を保持している点。

そして第三に、緑の瞳の男の存在と、それが感情に流されぬ高度な合理的判断力を備えているという点だ。


北部山脈を無傷で残したのは、電導石の埋蔵を知っており、将来的な交易資源として算盤を弾いた結果だろう。

また、5キロも離れたウエステイルを視認しながら即座に屠らなかったのも興味深い。


衝動に身を任せる獣ではない。未知の個体を殺害することの益と、それにより自らの存在、若しくは魔法が他国に露呈する不利益。それらを天秤にかけ、測っていたのであろう。私とて同じ状況ならば、最善の二択に苦悩したはずだ。……まあ、私ならば、不確定要素を摘むために、その思考の後に間違いなく殺すがな。

ウエステイルの生存は、文字通り「天運」によってもたらされた僥倖に過ぎない。


「ふむ……」


では、リティッシュ・ランバが崩壊した真因は何処にあるか。

推論として成立し得るのは三つ。


一つは、褐色肌の種族が外部より来航し、侵略した可能性。だが、それほどの大集団を輸送する艦隊があれば、ウエステイルの眼を逃れるはずがない。

二つ目は、未知の「特異点」…例えば、先の大地震のような超常的な災害や、自国か他国による未知の新兵器による殺戮。

そして三つ目。リティッシュ・ランバがその種族を非人道的に収奪し、発展の礎とした果てに、被支配層の叛逆を招いた可能性だ。


「…やはり、三つ目が最も蓋然性が高いな。」


あの国が頑なに鎖国を貫いたのは、その種族の存在、即ち「魔力を持たぬが故に搾取しやすい労働源」を世界に露呈させたくなかったからではないか。


人類が魔法を享受する以前、彼ら褐色肌の種族が支配階級であったとするならば。後天的に魔法を得た現人類が、彼らを「魔法を使えぬ劣等種」として奴隷化したのだとしたら、理論の破綻なしに説明がつく。


「……憎しみの連鎖が、結実したというわけか。」


神堕ちした緑の瞳の王。

数世紀にわたる怨嗟が爆発し、大地を握り潰したのだとしたら。


「……滑稽だな。文明の崩壊とは、常に内側から始まるものらしい。」


私はグラスを置き、地図上のリティッシュ・ランバに視線を落とした。


「ああ……欲しい。堪らなく、欲しい……」


グラスを置く手が微かに震える。それは恐怖ではなく、極上の獲物を前にした捕食者の歓喜であった。

もし私の推論通り、あの褐色の種族がリティッシュ・ランバの繁栄の礎であったなら、彼らを丸ごと我が国の「動力源」として組み込みたい。いや、それだけではない。北部の山脈に眠る膨大な電導石、広大な土地、未だ見ぬ地下資源、そのすべてが欲しい。

欲しい、欲しい、ほしい。


「宝の山ではないか……」


あの大地には、私が望むすべてが眠っている。国家を更なる高みへと押し上げるための、尽きることのない労働力と尽きることのない富。それらすべてを手中に収めねば気が済まない。

……だが、9000億の魔力を持つというあの『怪物』が、番人のように立ちはだかっている。


「やはり、排除するしかない。……それしか、道はないな。」


論理的な帰結だ。障壁は取り除かねばならない。

幸いなことに、こちらには暗殺のために誂えたかのような異能を持つ、至高の神堕者がいる。

彼を研ぎ澄まされた刃として振るえば、たとえ魔力量が9000億に達していようとも、抗う術など存在しない。


「……ああ、君は本当に、私の理想だよ。イネス君」


愛しの人の名が、熱を帯びた吐息と共に漏れる。

早く、一刻も早く、あの宝石箱を…リティッシュ・ランバを、私にプレゼントしておくれ。


「……だが、君にも準備が必要だね」


最初から世界最高難度の暗殺を命じるほど、私は無謀ではない。この暗殺は、万に一つも失敗が許されないのだ。まずはアータバルでの諜報任務を通じ、感覚を戦場のそれに馴染ませる必要がある。


そしてその次に、慣れさせるとしよう。

……その手に、抗えぬ「死」を宿すことに。


「ふふ……。アータバルの次は、君が『殺し』に慣れるためにぴったりの舞台を用意してあげるよ、イネス君。」


私は独り、誰もいない執務室で、歓喜に満ちた声をあげて笑った。

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