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50 学生のノリは社会人としてNG…?

「んっ……んん……」


意識の輪郭がはっきりとしてくる。

ここ最近、ずっと付き纏っていた鉛のような体の痛みが静まっている。ここ数日で一番、不快感のない目覚めだった。


「あら、起きたの?」


すぐ隣から、聞き慣れた涼やかな声がした。フィオナさんだ。

視界は暗い。目元には包帯が巻かれていて、瞼を開けることができない。


「はい……おはようございます、フィオナさん。」

「おはよ。体の調子はどう?」

「……ここ最近で、一番いいです。」

「そう。安心したわ。それじゃあ、目の包帯を取るわね」


丁寧に包帯が解かれていく。

不意に、正午の眩しい光が僕の瞳を刺した。思わず目を細めると、視界いっぱいにフィオナさんの顔が近づいてくる。


「目の状態を確認するわ。じっとしていて。」


グイッと顔を寄せられる。

ツンとした消毒液の香りの奥に、彼女自身の甘い香りが混じっている。


「だいぶ目の赤みも引いてきたわね。もう包帯はしなくていいわ。」

「ありがとうございます……」


視線を巡らせ、ふと疑問が浮かんだ。

今は真昼間だ。任務が終わってからどれほど経ったのかは分からないけれど、彼女ほどの立場なら、軍務で忙しいはずではないのか。


「あの、フィオナさん。お仕事は大丈夫なんですか?」

「今まさに、仕事中よ。」

「……と言いますと?」

「閣下から、あなたの看病に専念しろと指示を受けているわ。この家にいること自体が、今の私の公務なの。」


なるほど……。

…ん?


「僕が任務から戻って、今、何日目ですか?」

「あなたが帰ってきたのは三日前のお昼頃ね。」

「……三日間も、ずっとここにいてくれたんですか?」

「当たり前でしょ。私がいない時にあなたに異変があったら、誰が責任を取るの」


淡々と言い放つ彼女に、申し訳なさが込み上げてくる。三日間も、僕を見守っていてくれたのか。

せめて上体を起こそうと力を入れたが、まだ残っていた痛みに思わず声が漏れた。


「ぐっ……」

「まだ無理をしないで。ちょっと待ちなさい。」


フィオナさんが手元のスイッチを押すと、ウィーンという機械音を立ててベッドの上半身が勝手に起き上がり始めた。


「……こんないいベッド、僕の家にありましたっけ?」

「あるわけないでしょ。持ち込んだのよ。」

「……ですよね。」


そりゃそうだ。

上体が起き上がり、改めて自分の体を見ると、腕には管が繋がれ、点滴が静かに薬液を運んでいた。自分の家のはずなのに、この部屋だけ、まるで清潔な医務室のような異質さを放っている。


「お腹、空いてない?」


その言葉を合図にしたように、胃が激しく自己主張を始めた。

「……はい。かなり。」


苦笑いする僕を見て、フィオナさんは少しだけ満足げに口角を上げた。


「かわいい大佐ちゃんが、丹精込めて作った料理があるわ。食べる?」


フィオナさんの口から出たその言葉に、僕は一瞬、自分の耳を疑った。

トリーシャさんが?わざわざ?

軍の最高幹部の一人であり、多忙なはずのあの人が…。

少し、心が温かくなるのを感じた。


「はい。……いただきます。」

「用意するわ。少し待ってて。」


フィオナさんは、僕が今まで見たことがないほど柔らかい、慈愛に満ちた笑顔を向けてくれた。そのまま立ち上がり、軽やかな足取りで台所へと向かっていく。


数分後。

湯気が立ち上るお椀を乗せたトレーを持ちながら、フィオナさんがゆっくりと近づいてくる。


「はい、お待たせ。冷めないうちに食べて。」


ゆっくりと、トレーをサイドテーブルに置いてくれる。

お椀からは、素材の甘みが凝縮された、どこまでも優しい香りが立ち上っていた。

丁寧に裏漉しされた野菜と白身魚のスープだ。


「……これを、トリーシャさんが作ってくれたんですか?」

「ええ。あの子ったら、私が提案した途端に嵐のように飛び出していってね。昨晩のうちに届けてくれたのよ。」


フィオナさんは、少しだけ呆れたような、けれどどこか楽しそうな表情で教えてくれた。


「ありがとう…ございます。」

これを持ってきてくれたフィオナさんへ、そして丹精込めて作ってくれたトリーシャさんへ。僕は心からの感謝を口にした。


「ふふ、シェフが来たらちゃんと直接伝えなさいね。」

「もちろんです。」


自分で食べようとスプーンを手に取ろうとする。

けれど、僕の手はがくがくと無様に震え、やっと握ったスプーンをすぐに落としてしまった。


「ごめんなさい、気が利かなかったわね。」

「あ…すみません。とりあえず、今はお水だけいただけますか?」


情けなさに、食事は後回しにしようと考えた。

けれどフィオナさんは、トレーを自分の膝の上に載せると、迷いのない動作でスプーンを手に取った。

そしてスープを掬い、僕の口元へ寄せる。


「はい、あーん」

「あ、いえ、大丈夫ですよ。後で自分で食べますから。」

「何言ってるの。怪我人なんだから、今は大人しく医者に甘えなさい。それとも、大佐じゃないと嫌かしら?」


なんでそこでトリーシャさんが…。


「そんなことはないですが…少し恥ずかしいですね。」

「あら、かわいいこと言ってくれるじゃない。」

「はは、フィオナさんみたいな綺麗な方にこんなことされると、正直ドキドキしちゃいます。」

「…嬉しいこと、言ってくれるじゃない。」


いつもなら真っ直ぐ僕の目を見る彼女が、この時ばかりはふいっと目線を逸らした。


「そんな、一般論ですよ。僕以外でも男ならみんなそう感じると思いますよ。」

「……手がつかれてきたんだけど、食べないの?」


目の前に差し出されたスプーンが、わずかにプルプルと震えている。


「あ、すみません、いただきます。」

「……」


パクリと口に含み、ゆっくりと飲み込む。


「…!すっごくおいしいです!」

「そう、よかったわ。それも、シェフに伝えるのよ。」


そこからは、流れるような動作でパクパクと食べさせてくれた。

スープが半分ほどになったところで、彼女がふと、確認するように問うてきた。


「…そんなに、おいしい?」

「はい!とてもおいしいですよ。」

「…私も、食べてみていい?」

「もちろんです。僕だけで食べるのはもったいないですよ。」

「……そう。」


彼女はスープを掬い、ゆっくりと自分の口へ運ぶ。

口に入れる直前、一瞬だけ僕の顔をじっと見つめてきた。


「?」

「っ…いただきます。」


もぐもぐと咀嚼し、飲み込む。

スープの熱のせいか、彼女の白い頬がほんのりと赤らんでいるように見えた。


「どうですか?おいしいですよね。」

「…そうね。とても、おいしいわ。」


それを聞いて、何故か僕までうれしくなる。


「…あなたは、なにも感じないの?」

「え?えーと、美味しいって思ってもらえたなら、うれしい、…ですかね。」

「そういうのじゃなくて。ほら、その…同じ食器を使ったわけだし…」

「?」


どうしたんだろう…何を言ってるのか、本当にわからない。


「ほら…あなたさっき言ってたじゃない…私のことがきれいだって。」

「え…はい。そうですね。」

「……間接キス。」

「あ、ああ、なるほどです。」


それが衛生的に嫌だったのかな。


「そんなこと、僕は全然気にしませんよ。フィオナさんが嫌だったのなら、ごめんなさい。」

「……女慣れ、してるのね。」

「え?いや、どうでしょう?」


この間トリーシャさんにも同じこと言われたな…。

それが誉め言葉なのかどうかも全然わからない。


「閣下…私には、攻略難しいかもしれません。」


フィオナさんは僕に聞こえないほどの音量で、何やらボソボソと呟いていた。




そのまま、フィオナさんに食べさせてもらう時間が続く。

食事が終わると、彼女は手際よく食器を台所へ運び、再び僕の隣の椅子へと腰を下ろした。


「どう? また横になる?」

「いえ、おなかいっぱいですし、もう少しこのまま座ってます」

「そ。」


少しの間、穏やかな沈黙が流れる。

彼女はサイドテーブルに置いてあった本を手に取り、静かにページを捲り始めた。窓の外を眺める僕と、本を読む彼女。

心地いい静寂を破ったのは、本に目を落としたままの彼女の問いだった。


「ねえ。……あなたは今、彼女とかいないの?」


……いきなりですね。


「そうですね。いないです。」

「これまで、できたことはある?」


その質問で、ふとソフィーの顔が頭に浮かんだ。彼女、元気にしてるかな……。

でも、彼女とは深い関係にはなっていたけれど、正式に付き合っていたわけじゃない。


「…そうですね。これまで、三人の女性とお付き合いさせてもらっていました。」

「そ。モテるのね。」

「そんなことないですよ。みんな、数ヶ月で僕から離れていっちゃいましたし。」

「それは、なぜ?」

「『魔力8なんて将来性がない』って。毎回そう言われて、振られてばかりでした。」

「そ。今のあなたの魔力量を知ったら、彼女たち、全員飛びかかってくるでしょうね。」


フィオナさんは皮肉っぽく笑う。


「ははは、かもしれないですね。でも、その誰とも付き合えないでしょうけど。」

「それはなぜ?」

「……僕の仕事のこと、誰にも言えないですし。それに今回の件で、僕はいつ死ぬかわからない仕事をずっと続けていくんだって、改めて気づかされたから……ですかね。」


「……そう」


少し、重い話をしてしまった。

それを聞いてから、フィオナさんは再び口を閉ざしてしまった。うーん、せっかく起きたんだし、もっと楽しい話がしたいな。

そうだ、僕も聞いてみよう。


「ちなみにフィオナさんは、今お付き合いしてる方とかいるんですか?」

「今はいないわね」

「そうなんですね。フィオナさんくらい綺麗な方なら、言い寄る人は多いんじゃないですか?」

「まあ、そうね」


やっぱり。

下世話な話かもしれないけど、俄然気になってきた。僕はもともとこういう話が大好きなのだ。大学時代は飲み会の席で、いろんな人の恋バナを聞き出すのが楽しみだった。

トリーシャさんは聞きづらい雰囲気があるけれど、フィオナさんはクールな見た目に反して、なんだかすごく話しやすい。


……だめだ、好奇心が抑えられない。


「フィオナさんは、これまでどんな人と付き合ってきたんですか?」

「……そうねぇ。かわいい子が多かったかしら。」


かわいい子?


「それは……身長が低い人とか、中性的な人がタイプってことですか?」

「いえ。私ね、これまで女性としか付き合ったことがないの。」


ええ!? なにそれ!! めちゃくちゃ面白い……いや、興味深い!


「へ、へぇ~。そうなんですね……!」


色々聞きたすぎて、思わず体がそわそわしてしまう。

フィオナさんは本を開けたまま、ちらりとこちらを見てきた。


「……あなた、わかりやすいわね。」

「うえ!? そうですか……?」

「ふふ、いいのよ。なんでも聞いてちょうだい。」


いいの!?


「えっと、フィオナさんは、女性が好き、ということですか?」

「正解なようで、少し違うかしら。女性“も”好き、って感じね。普通に男性も恋愛対象よ。」


そうなんだ!すごい!可能性の塊だ!


「じ、じゃあ! お得ですね! 好きになれる可能性がある人が僕の二倍だ!」

「ふふふ、面白いこと言うのね。」

いつもは綺麗なのに、クスクスと笑うその顔はとても可愛い。


「えっと、じゃあ、今までの彼女さんはフィオナさんからアタックしたんですか?」

「いえ。私から行動したことは一度もないわ。みんな向こうからね。自分からはどうアタックすればいいかも分からないわ。」

「すごいすごい! モテモテじゃないですか!」

「なぜか男より、女からの方がモテるのよねー。」


フィオナさんは困ったように、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。

なんだか大学時代を思い出したみたいで、すごく楽しくなってきた。


うう~聞きたい!特に夜の話とかめっちゃ聞きたい……!

さすがに、そこまでは聞かないけど……。


内心で悶絶する僕をよそに、フィオナさんは本を閉じ、こちらを試すような視線を向けた。


「じゃあ、あなたはどんな子と付き合ってきたの?」

「そうですねー。自分では意識してなかったですけど、思い返せば僕もかわいい系の子が多かった印象ですね。」


あれ? 僕って意外と面食いなのかな。

そんなことをぼんやり考えていると、フィオナさんが少しだけ唇を尖らせた。


「あら。じゃあ、さっきから綺麗って言ってくれてたけど、かわいくない私はダメなのかしら?」


冗談めかした問いかけ。僕は首を振り答えた。


「そんなことないですよ。さっきから不意に見せてくれる笑顔が、すごくかわいらしいです。綺麗で、その上かわいいなんて、そりゃあモテるよな、って感じです!」

「……っ」


フィオナさんは、言葉を失ったように俯いてしまった。


「あ……あの~……?」


返事がない。

…やばい、調子に乗りすぎた。


いくら話しやすいからって、彼女も僕も軍人だ。学生じゃない。

セクハラとか、そういう風に取られてしまっただろうか。


「ごめんなさい。少し、お手洗いを借りるわ。」

「あ、はい。どうぞ。」


彼女は俯いたまま立ち上がると、逃げるような速足で廊下へと消えていった。


「…………」

静まり返った部屋で、僕は一人、冷や汗を拭った。


大丈夫かな…。今の会話、完全にアウトだったんじゃ?

そうだ、ここは大学の飲み会会場じゃない。大学のノリで喋っていたら、いつか本気で『なんちゃらハラスメント』で訴えられてしまう。


…本当に、気をつけないと……。




数分後、フィオナさんが戻ってきた。

彼女は何事もなかったかのように椅子に座り、再び本を手に取った。

…怒っては…ない、かな?


「あの……フィオナさん、さっきはすみませんでした。調子に乗って失礼なことを……」

「いいのよ。気にしてないわ。私もそういう話は嫌いじゃないから、いつでもしてちょうだい。」


本に目を落としたままの横顔は、いつもの冷静な彼女だった。僕に気を使ってくれたんだろうか。

…ありがとうございます。


「あ、言い忘れていたけれど。今夜21時に、閣下がお越しになるわ。今回の任務の報告と、おそらく今後の指示のためにね。」

「わかりました。……それまで、体を休めるために少し寝てもいいでしょうか?」

「ええ、もちろんよ。」


フィオナさんがスイッチを押し、ベッドがウィーンと静かな音を立てて倒れていく。

横たわると、一気に眠気が押し寄せてきた。


「……寝る前に、お水を一杯いただいてもいいですか?」

「ええ」


短く返した彼女は、サイドテーブルのピッチャーからコップに水を注いだ。

受け取ろうと手を動かそうとしたけれど、自分の手がまだ満足に動かないことを忘れていた。


「あの……恥を忍んでお願いしたいのですが、飲ませてもらっても、いいですか?」


その瞬間、彼女の肩がびくっと跳ねた。

「っ……も、もちろんよ。……はい。」


彼女はストローを僕の唇まで持ってきてくれた。

冷たい水が喉を通り、心地いい満足感とともに意識がとろけていく。


「ありがとうございました……。それでは、おやすみなさい……」


重くなる瞼を閉じる。

けれど、完全に意識が沈む直前、トクトクトクという音が聞こえ、うっすらと目を開けてみた。


そこには、僕が使ったコップを手に持ち、水を飲もうとする彼女の姿があった。


…本当にいろいろ、ありがとうございます。


フィオナさんへの感謝を心の中で唱えながら、僕は深い眠りの中へと落ちていった。

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