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11 君のためならどんな無理も

建設現場から離れ、例の川の上流に到着する。あとはここを下がっていけばいいだけだ。

アヤさんは確か、ここは平日は人が来ないと言っていた。今日は水曜日、大丈夫なはずだ。


ずんずんと川辺を歩き、30分ほどでアヤさんの手当てをした場所に到着する。

思い出の場所だ。アヤさんと過ごした夢のような時間を思い出し、胸が温かくなる。ここまで来たら、もうすぐだ。いてくれたら、どれだけうれしいことか。


ズキズキ

…痛い。早くどこかで横になりたい。もう限界だ。




そして、アヤさんの特等席を発見する。

ドキドキしながらそこを見ると、犬を連れた一人の女性の後ろ姿が見えた。


アヤさん…じゃないか。

その女性は黒を基調としたワンピースを纏っていた。首元と袖口、そして裾先に施された白いレースが、くるぶしまで届く丈のシルエットを優しく縁取っている。

綺麗な黒髪は首の後ろ辺りで縛り、そのまま肩に流している。ルーズサイドテールというんだっけか。


そっか、アヤさんいなかったか…。もう少し待ってみようかな…。それか現場に戻って、墓穴で休んでようかな…。


そう思っていると、その女性が連れていたボーダーコリーが僕に気づき、僕の方を見ながら尻尾を振り始める。


まずい!


慌てて木の陰に隠れる。少ししてからそーっと顔を出してみてみると、女性が犬をなだめるため、横を向いて犬を撫でていた。

その横顔をみて、心臓がドクンと脈打つ。


「アヤ…さん…?」

間違いなく、アヤさんだ。え…ほんとにアヤさん?雰囲気が違いすぎて全く分からなかった。

え…どうしよう…そうだと思うけど、確証が持てない…。どうしよう。

…ええいままよ!勇気を出せ!このまま座り続ける訳にもいかないだろ!


「ア…アヤさーん」


木陰に隠れながら、相手にギリギリ聞こえるくらいの声量でしゃべってみる。

くらえ僕の100%の勇気!


「!?ど、どなたですか!?」

両肩をビクッとさせ、不安そうにリードを両手できゅっと握る。

…あぁ、アヤさんの声だ。トクントクンと、心臓が高鳴る。

周りを見渡し、他に人がいないことを確認して、ゆっくりそばに寄る。




「おはよう…ございます。昨日ぶり…ですね。僕のこと、覚えていますか?」

「あ、あぁ!あ、あの…」

アヤさんの瞳に涙が溜まる。


「あ、アヤさん?あの…」

右手をリードから離し、ゆっくり前に伸ばす。その手を、僕は両手でゆっくり包む。

「お元気…でしたか?」

「はい、はいぃ…おはようございます。ジンさん」


涙を堪えながら、にこりと笑ってくれた。

顔を見ると、少しお化粧がされていた。薄めのそばかすが見えなくなっている。

昨日の姿はかわいらしい少女という印象だったが、今の彼女はとてもきれいな女性になっている。


すごく、ドキドキしてしまう。と同時に、安心したからか背中の痛みがぶり返す。

あっ倒れちゃう。


「ごめんなさい…アヤさん。隣…座ってもいいですか?」

「はい!もちろんです!」

「あり…がと…」

隣にドシンと座ってしまう。アヤさんの肩がピクっとする。ごめんなさい、怖がらせるつもりはないんです。


「あの…ジンさん。どうか、されましたか?声に力がないような…あと少し変わった匂いがするのですが…」

最悪だ。自分が焦げてることを忘れてしまっていた。

いや、正確には焦げてることじゃなくて、焦げた匂いがとんでもなく臭いということを。


…正直に話そう。目が見えないからと、目が見える人が一目でわかる異常を隠すことは、恐らく彼女にとって一番心に来るウソになるから。

昨日僕の服を包帯代わりにしたウソと今回とじゃ、訳が違う。

「えっと…ですね…。少し、時間が…かかりますが…いいですか…?」

「っ…はい。少し怖いですが、お願いします。」


そして僕は朝の出来事を説明した。熱魔法師に体罰を受け、今背中は全面、裂創と大火傷状態であるということ。

子供の身代わりになったことは不要と思い割愛させてもらった。


「…って感じです。…ごめんなさい…嫌な臭い…ですよね…」

「はッ…はッ…はッ…」

アヤさんの呼吸が浅くなり、顔が真っ青になっていく。

そりゃあ、そうなるよね。昨日思いが通じたばかりの相手が死にそうになってるんだもん。


「大丈夫…ですよ…。こういう…こと…たまに…あるんで。」

「しゃべらないでください!」

そう言い、バッと立ち上がる。

「川まで移動します!肩を貸すので掴まってください!」

「あ…アヤ…」

「しゃべらないでください!!」

あ、はい…。


「これから少しの間だけ、私の言うことを聞いてください!私が肩を貸します。好きなだけ体重を乗せてください。歩く方向だけは、申し訳ないですが私に指示をください。」

これは将来、尻に敷かれるかもな…。あれ?悪くないと感じてしまった。


立ち上がり、僕の隣で立つアヤさんの肩に腕を回す。傷口が動き、激痛が走る。

「うぐぁ!」

「ごめんなさい。私が何とかします。少しだけ、我慢してください。ギン、行くよ。」


ああ、犬がいることを忘れていた。この子はギンと言うのか。名前似てるね、生き別れの兄弟?

ギンは何が起こっているのか理解しているのか、横を歩きながら不安そうな顔でちらちらとこちらを見てくる。アヤさんはリードを離している。相当賢く、信頼関係が築けているのだろう。




「服を脱いでください。」

川に到着した開口一番がこれだった。

「…」

尻に敷かれている僕は抗うこともせず、作業着を脱いでいく。

パンツ一丁になり、脱いだと伝えるために肩をちょんちょんと触る。


「ありがとうございます。それじゃあ、川に入ります。昨日と同じ深さまでお願いします。」

もう一度肩に手を回し、進み始める。


「はい。それでは、座ってください。」

「…」

川の中で胡坐をかき、手をちょんちょんとする。


「ごめんなさい、嫌でも、痛くても、我慢してくださいね。」

アヤさんが川の中で膝立ちになりながら謝ってくる。何をするんだろう。

「!?」

「ごめんなさい、こうしないと、あなたの位置が分からないから。」

ヤバ!やわらか!!アヤさんの左頬と僕の左頬が触れ、大き目な胸が僕の胸板に押し当てられる。

え?え?何が始まるの?うわぁ、いい匂いだ…。匂いと柔らかさに気が回って、痛みが和らい…

「ぐああああああ!?」

痛ってええええええ!!?


「頑張って、我慢してください。裂創にも火傷にも、きれいな流水で洗うのが一番効果的なんです。ほんとは殺菌された水が一番いいんですが、今はないので。幸い、この川の水は飲めるほどきれいです。もう少しだけ、我慢してください。」


「ぐ!が!ああああ!」

アヤさんは繰り返し水を掬い、僕の背中に流す。痛い、痛い、痛い。

痛みを紛らわすため、無意識に腕がアヤさんの体に周り、がっちり掴む。

「んっ。はい、大丈夫ですよ。私の体なら、何したってかまいません。もう少し、頑張って。」

かなり強く掴んでしまったが、アヤさんはそれを受け入れ、背中を流し続ける。




「はあ…はあ…はあ…」

「お疲れさまでした。さ、横になりに行きましょう。」

アヤさんは5分ほど水を流し続けてくれていた。またその肩につかまり、歩き始める。

そこで初めて、アヤさんの綺麗なワンピースが水浸しになっていることに気づく。


「アヤさん…服…ごめん…」

「いいんです。ジンさんの方が大事なんです。謝らないでください。」




昨日の木陰に到着する。ズボンのみを身に着け、腰を下ろす。

「お疲れさまでした。横になれますか?」

ゆっくり、背中が地面に付かないように寝転がり、立ったままのアヤさんの足首辺りをちょんちょんとする。


「良かったです…。少しの間行きたいところがあるので、それまで休んでいてください。眠れるなら寝ちゃってください。」

え?どこに行くの?どこにも行かないでほしい。そばにいてほしい。アヤさんのことを、近くで感じていたい。


そんな思いから、スカートの裾をきゅっと握る。それを感じ取ったのか、諭すように話しかけてくる。

「大丈夫ですよ。すぐ戻ってきますから。そうして、痛みが少し落ち着いたら、お話しましょう?」

うーん、納得できない。でも、すぐ戻ると言っているし、何か考えがあるはずだから、ここは言う通りにしよう。


ゆっくり握った手を緩める。

「ありがとうございます。」

彼女の顔を見る。彼女も、すごく辛そうな顔をしていた。あなたには、笑っていてほしい。アヤさんが帰ってくるまでの時間で、この傷が治ってくれればいいのに。


「ギン!おいで!」

その声で、川辺で座ってこちらを見ていたギンが駆け寄ってくる。そして、アヤさんに自分の居場所を分からせるためか、アヤさんの足に体をピタリとつける。おいズルいぞ。


「…」

アヤさんが下を向き、何かを考えている。どうしたんだろうか。

「ジンさん、こんな状況なのに、ごめんなさい。少し、わがままなコト、します。」

そう言い、僕の目の前にしゃがみ込む。

手を伸ばし、僕の腕を見つける。その手がゆっくり、僕の顔に近づき、頬で停止する。


「んっ」

そのまま僕の頬に、一瞬だけ口づけする。

ああ、やっぱり行ってほしくない。そしてアヤさんの体が離れていき…

ペロペロペロ

「あ!?」

あ!ギン!!てめえ!そこはアヤさんがキスしてくれたところだぞ!舐めるな!返せ!


「い、嫌でしたか?」

「違います!すごくうれしかったです!なのにギンが!ギンがぁ…」

すごく饒舌に話せた。

「?い、嫌じゃなかったならよかったです。それじゃあ、行ってきます。ギン、行くよ。」

「ワン!」

後ろ姿を見送る。ギンが通りやすい道を案内してくれており、アヤさんは駆け足だったが問題なさそうだ。


くそぅ…ギンのやろう…初対面なのに無礼なことしやがって…。あのタイミングで頬っぺたを舐めるのはさすがに許せんぞ。


でも、本当にアヤさんには感謝しかない。もちろんまだ痛むが、当初よりずっと楽になった気がする。


それにしても、どこに行ったんだろう。すでにさみしくなってきた。

そういえば、昨日もいろいろあって昨晩全然寝れなかったんだ。一人で暇だし、この状況なら背中の痛みを存分に受け入れて、アヤさんが帰ってくるまで気絶するのが賢明だろう。




《んんっちゅっ。ちゅるっ。はぁはぁ。ジンさぁん》

《んっちゅっ。あ、はぁはぁ、アヤさん》

《もっと…もっといっぱいキスしてぇ》

《っ!アヤさんっ!》

《アンッ♪》


ペロペロペロ

…んっ、んん?

すごく幸せな夢を見ていた。アヤさんが、あんな積極的に…

色恋には全く興味なかったのに、アヤさんと出会ってからいろんなことがしたくなってしまう…。

この夢、一生覚えておくんだ…。

ペロペロペロペロ

ん?


「うおあ!?」

目を開けるとギンがものすごい勢いで僕の顔を舐めていた。顔がべちゃべちゃだ…ちょっと臭う…。

あれ?なんの夢見てたんだっけ…。ショックで忘れてしまった。すごくいい夢だったはずなのに…。


「あ、起きましたか?」

アヤさんが、僕のそばに座っていた。

「起きたというか、起こされたというか…。少し、顔を洗ってきていいですか?」

「あ、もちろんです。一人で大丈夫ですか?」

「もう大丈夫そうです!」

結構無理してるけど…。


どのくらい寝ていたんだろう。傷口をきれいにし、少し寝たからか、無理したらしゃべれるくらいには回復していた。

これは血に感謝、グルガル族様様だ。




川でギンの唾液を洗い流し、アヤさんの元に戻る。

「ただいま戻りました。」

「おかえりなさい。もう普通にお話できるなんて、グルガル族って本当にすごいんですね。」

「そうですね。僕はこれでも一番傷の治りが遅いんですよ?多分、他の人ならもう無理をしないでも話せるようになってると思います。」

「そうなんで…え、無理されてるんですか?」

あ、まずい

「いえいえ!少し、ほんの少しだけです!」

「本当ですかー?」

「本当です!せっかくアヤさんと一緒にいれるのに、お話しない方が僕の心情的にきついです。お願いなので、お話させてください。」

「うーん…。ふふっ、分かりました。でも辛かったら言ってくださいね。」

「ありがとうございます。」

よかった。これでお話できる。


「あ、ジンさん。ちょっとうつぶせになっていただけますか?」

「あ、はい、分かりました。」

指示通りうつぶせになる。


「どうされたんですか?」

「さっき街の薬局で、ワセリンを買ってきたんです。これを背中に塗らせてください。」

「何から何まで、ありがとうございます。」

「どういたしまして。ふふ、昨日と立場が逆になっちゃいましたね」

「確かに、そうですね。」

「それでは、塗っていきます。痛かったらごめんなさいね。」


ゆっくり、ワセリンの着いた手を幹部に近づける。そして背中に何かが感触がする。背中の感覚がバカになっていて、どこを触られているかがよく分からない。


「えっ…え?」

アヤさんの手が震え始める。

「はっ…えっ…え?」

「どうされたんですか?」

「う…うぅっ」

そうだ。アヤさんは初めて傷に触るんだ。今初めて、傷の程度を知ったんだ。

おそらく、想像の何倍もひどい傷だったんだろう。気分が悪くなってしまったようだ。


「アヤさん、大丈夫ですから。本当に、もう、痛みも引いてきてますから。」

「ひどい…ひどいよっ…こんな…こんなぁ…」

「大丈夫。大丈夫ですから。アヤさんのおかげで本当に良くなってますから。」


アヤさんの涙がこぼれる。おそらく、今初めて、人間が僕らにどのような仕打ちをしているかを理解したのだろう。

こんなにやさしい子だ、簡単には受け入れられないはずである。

「う…うぅ…」


それでも、彼女は手を止めない。彼女はしっかりと、自分と同じ『人間』がこれを作ったという事実に触れ、それを咀嚼していた。


そこからはお互い何も口にしなかった。僕はただ、彼女の手を受け入れ、彼女の悲痛な嗚咽を聞いていた。




「ありがとうございました。すっごく良くなった気がします。」

「…よかったです」

ワセリンの塗布が終わったため、身体を起こし、彼女の隣に座る。彼女の顔は依然暗いままだ。


「アヤさん。ちょっとショックだったのは分かりますが、気にしないでください。せっかく会えたんだし、楽しいこと、お話しよ?」

「はい…でも、ちょっとじゃなくて、すっごくショックでした。こういうことは、日常的にあるんですか?」

うーん、楽しい話ではないなぁ。でも、聞かれたからには答えないといけない。


「そうですね…毎日目の前で体罰の現場を見るってことはないですが、数日に一度は背中がボロボロになった方を見ますね。今日は運悪く、それが僕だったってだけです。」

「そう…なんですね…」

そこで軽く手を叩く。

「はい!この話終わり!そういえば、名前はもう知っちゃってるけど、ギンのこと、紹介してもらっていいですか?」

「あ、はい。ギン、おいで」

アヤさんが呼ぶと、ギンはどこにいてもアヤさんのそばに行き、身体を引っ付ける。うーん、とても羨ましい。


「ギンはとても頭がいいんです。家の中でも、あれ取ってきてって言うとすぐ取ってきてくれるんです。あと人懐っこくて、街の人気者なんですよ。ね、ギン」

「ワン!」

「そうなんですね。ギンとジンって、名前似てますね!よろしくな、ギン」

くっ、やるじゃないか。じゃあ、僕がいないときにアヤさんを守る役割を君に託そう。アヤさん護衛隊2号だ。

…あれ?僕が2号になるのか?


「そうだ、言おうと思ってたんですけど、今日のアヤさん、雰囲気が昨日と全然違いますね。最初見たとき別人かと思っちゃいました。」

「あ、そっ、そうなんです。少し頑張っちゃいました。えへへ」

ああ、愛おしい。このまま抱きしめたくなる。


「洋服はそんなにもっていないんですが、私が一番かわいいと思う服を着てきました。あと髪型も、流行りの髪形にしたかったんですが、分からなかったので今日はお母さんと同じ髪型にしてみました。あとですね、お化粧もお母さんに教わってるんです。今はまだ教わっている最中なので、今日はお母さんに少しだけファンデーションとリップを塗ってもらいました。どう…でしょうか?」

「…かわいくて、きれいです。心からそう思います。僕にはもったいないくらいです。」

「えへへ。お世辞でもうれしいです。ありがとうございます。」

あ、ダメだ…我慢できない。


「アヤさん、ごめんなさい。」

「え?…ぅんっ」


欲望に負けてキスをしてしまう。こうしないと、心がどうにかなってしまいそうだった。

アヤさんをもっと感じたくなり、アヤさんの唇を僕のそれで挟んだり、少しだけ嚙んだりしてみる。

「んっ…あ…はんっ…」


「んっ、はぁ、はぁ…ご、ごめんなさい。本当に、あまりにかわいくて、こうしないとおかしくなりそうでした」

「ふっ、ふふふ。うれしい…です。お世辞じゃないことがはっきりわかっちゃいました。でも、なんかジンさん、キス手馴れてないですか?いろいろされてびっくりしちゃいました。」

「てっ手馴れてなんかないです!アヤさんをもっと感じたいって考えたら、ああなっちゃいました。すみません、嫌でしたか?」

「嫌じゃなかったですよ。ジンさんにされて、嫌に思うことは何もありません。あ、浮気は嫌ですよ?」

「絶対しません!安心してください!」

「はい、信じてます。」

二人で笑い合う。お互い、顔が真っ赤だ。


「ありがとうございます。ちなみに、昨日といろいろ変えられたのは、何か理由があるんですか?」

「…ほんとに、分からないですか?」

あ、もしかして

「…僕のせい、ですか?」

「いいえ!ジンさんの『ため』ですっ!」

『ため』を強調しながら、笑顔で答えてくる。ずっと、胸が高鳴っている。


「で、でも、次会えるのがいつになるか分からなかったのに、何故今日会えるって分かったんですか?」

「分かってなかったですよ?でも、ジンさんにいつ会ってもいいように、これからは毎日頑張ろうって決めたんです。これからも、どんどんかわいくなる予定なので、楽しみにしててください!」

うぅ…まずい…頑張れ僕の自制心…。


「本当に、すっごくかわいいです。もちろん昨日の姿も大好きですが、今日のアヤさんはきれいすぎてドキドキがすごいことになってます。…わかりますか?」

アヤさんの手をとり、僕の露出したままの左胸に置く。

アヤさんに鼓動を感じてほしかったのもあるが、僕がアヤさんに触れたかったというのが一番の理由だ。

これから先、僕はアヤさんに触れる口実を探し続けることになると思う。


「わあ、ほんとだ。すっごいドキドキしてますね。ふふっ、頑張ったかいがありました。…ちなみに、私もジンさんと一緒にいて、すごくドキドキしてるんですよ?…ほら」

「えっ!?」

アヤさんがそのまま僕の手をとり、アヤさんの左胸に強めに押し当てる。

「分かり…ますか?」


全然分からん!僕の心臓が動きすぎて、頭がぐわんぐわんして鼓動を感じる余裕がない。加えてアヤさんの大き目の胸が、鼓動を感じる邪魔をしている。

「あ、ああの、ご、ごめんなさい、あんまり、分かんない、です。」

人生で一番情けない声が出てしまう。


「あっ、あはは、そうなんですねっ。少し、残念ですねっ!」

「いえっ、あの!すっすみません!女性の胸を触るのが初めてでして、あの、今すごくてんぱってしまってますっ。」

早速情けない声1位を更新してしまった。こんなこと言う必要あったか?それほどまでにてんぱっている。


「こっこちらこそごめんなさい!いきなりでびっくりしましたよね。私も、ジンさんといると頭がほわほわしちゃって、普通じゃなくなってるみたいです。」

そう言って、アヤさんは僕の手を離す。ああ、もっと触れていたかったな。


「…あの、ジンさん?」

あの柔らかい感覚がまだ手に残っている。ああ、ありがたい。アヤさんと別れたあとも、ずっとこの手の感覚のままがいい。

この感覚があれば、48時間でも60時間でもぶっ通しで働ける自信がある。それくらい元気がでる。

「あの、えっと、ジンさん?」


ん?


「あ、はい、どうしましたか?」

「いえ、あの、私はかまわないんですが。」

んん?何がかまわないんだろう?その前の会話を思い出そうとするが、胸を触った衝撃がデカすぎてなかなか思い出せない。

あまりにも衝撃的すぎて、まだあの感覚が手に残って…残って…うええ!?


「ああ!ごめんなさいごめんなさい!その、悪気はなかったんです!すみません!ほんとに、少しボーっとしてしまいました!許してください!」


バッと手を離す。アヤさんが僕の手を離した後も、ずっと胸を触り続けてしまっていた…最低だ…嫌わないで…。

「いっ、いえ!あの、お気に召したのであればうれしいです…。」

「っ!…」

なんで、そんな全部許すのだろう。僕の琴線に触れることばかり、言うのだろう。少し落ち着かないと。


「あっ…アヤさん!一旦落ち着きましょう。」

「そうですねっ。それがいいです。」




そこからは、とりとめのない、そしてとても楽しい話をつづけた。

お互いの趣味、特技、好きな食べ物、誕生日、好きな季節、マイブーム等、お互いの知りたいことを質問し、理解を深めていった。

彼女のことを深く知るたびに、彼女を想う心が大きくなる。


会話の流れで、今日初めて仕事をサボっていることを伝えると、僕のことをひどく心配してきたが、そのおかげで今があることを説明し、何とか納めてもらった。

そして、気付いたら日が傾き始めていた。


「あ、もうこんなに時間が経ってたんですね」

「え、今何時くらいでしょうか?」

「もう日が傾いてるので、17時くらいですかね。」

「ええ!?そんなに!?まだ14時くらいのつもりでした…」

「もうそろそろ夕飯のお時間じゃないですか?」

「そうですね。そろそろ戻らないとです。」

「分かりました。今日は何から何まで、本当にありがとうございました。」

「とんでもないです。ジンさんが元気になって、本当に良かったです!」


二人で立ち上がり、歩いてベンチに向かう。そっとアヤさんの手を握り、アヤさんも握り返してくる。


「アヤさんのおかげで、超元気です。明日も仕事、がんばれます!…あ!?」

「どっ、どうされました?」


歩き始めて早々立ち止まる。明日も仕事、と言い、明日が休日であることを思い出した。

「そういえば、明日僕、仕事ないんですよ!1ヶ月ぶりのお休みなんです!」

「うわあ、良いですね!ご予定は何かあるんですか?」

「今のところは何もないんです!それで、あの、もしよろしければ、明日もお会いしませんか?」

「え、いいんですか!?」

「もし、アヤさんが可能であれば、ですが…」

「もちろんです!!うわあ、すっごくうれしいです!」


ニコニコしながら了承してくれる。良かった。本当にうれしい。

今から現場に帰って、この昂る気持ちを仕事にぶつけたくなってきた。明日は電車を使えないから、家からここまで走ってこないと。どれくらいかかるだろうか、1時間半ほどで着くとは思うけど。


再度、ベンチに向かい歩き出す。

「そっかー、明日も会えるんですね。ふふふ。あ!よろしければ、お弁当作ってきましょうか?」

「ええ!?いいんですか!?」

パンと卵と何かしらの草以外を食べることがほとんどないため、その提案は天地がひっくり返るほどうれしい。

「はい!じゃあ楽しみにしていてください!」

うぅ…幸せだ…。ずっと一緒にいたい…。




そんなこんなでベンチについてしまった。ギンは本当にいい子で、我々の会話の邪魔をせずアヤさんの隣をずっと尻尾を振りながら歩いてきていた。

「あ、もう着いてしまいました。」

「そうなんですね…。」

今までの楽しさが嘘のように、今生の別れのような雰囲気が場を満たす。


「でも!明日会えるの楽しみにしてます!お弁当のこと考えると今からおなかが減っちゃいます!」

「そうですね!明日もありますもんね!私も今から楽しみですっ。」

二人して無理に場を盛り上げようとしている。あと数時間でまた会えるのに、その数時間があまりにも長く感じる。


「それじゃあ、私はそろそろ行かないとです。夕飯間に合わなくなっちゃいます。」

「はい。それでは、また明日。…あの!」

「…どうしましたか?」

「キス、していいですか?」

「私も、したかったです。」


そして、唇を重ねる。

今回はアヤさんが、僕をより感じられるようにと、僕が彼女にしたように唇を挟んだりあまがみしてきた。それがあまりにも心地よく、長いキスになってしまう。


「んっ…ふぅ…。あ、あの、ジンさん」

「はぁ、はぁ、なんでしょう?」

「胸、触っていいんですよ?」


ゴン!と、頭を殴られたような衝撃が走る。この子は、僕の琴線がどこにあるか完璧に理解してるっぽい。そんなこと言われたら、もうどうしようもできないじゃないか。


居ても立っても居られず、だがそっと優しく、もう一度キスをする。

唇を重ねてから、右手で優しく彼女の胸を触る。彼女がビクッと驚くが、今さら離れることはできない。

彼女の唇を堪能しながら、さっきは触るだけだった胸を、優しく揉んでみる。


「んぁっ…」


彼女の口から、甘い声が漏れる。彼女がもっと欲しくなってしまい、キスと右手が激しさを増していく。

「んっ、んん。あ、んちゅ」




「ごめんなさいごめんなさい!また暴走してしまいました!!」

「いっいえ!全然大丈夫です!こっちからけしかけてしまったわけですし。でも、あんなに求められるとは思ってませんでした。」

「すみませんすみませんすみません」

癖で土下座しそうになってしまう。


「ふふふ。謝らないでください。ジンさんみたいな素敵な人を、こんなに夢中にさせられるなんて、私も捨てたものじゃないんですねっ!」

「素敵な人はあなたですよ…。」

「ふふ、ありがとうございます!それじゃあ、また明日。」

「はい!また明日!」

そう言い、彼女とギンは帰路についていった。




彼女と別れて、ふと我に返り、忘れてた痛みがぶり返してきていた。

彼女と一緒だった際は、完全に背中のことを忘れてしまっていた。本当に恋は盲目なんだな。背中に目があるとは思わなかったけど。


よーし。これから現場に帰って、あのイケオジがびっくりするくらいの仕事をしてやる。あと、こんな思いをさせてもらったんだ。しこたま感謝してやる!


そして誰にも見られないようにもう一度川に戻り、上流に向かって歩き出す。




ベンチの前で彼女を求めているとき、僕はあまりにも、夢中になりすぎてしまっていたのだった。

普段であれば絶対気付けたはずの、僕らの近くにいた人影に、気づくこともできないほどに。

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