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前章⑤

 情が湧いたのでは無く、きっと目をかけすぎたのだろうと、リリエルは思いました。そう思わなければ、脚元が崩れそうな感覚がしたのです。

 一歩足を進めれば、膝が揺れます。まるで自分のなかにあった柱が、根元からポッキリと折れたかのようです。足元に力が入らず、世界が揺れています。

 

 星詠みの神は、天を仰ぎ動きを止めてしまいました。額に押された烙印は、他の神々とは違い青白く光っています。そこから溢れ出した液体は、顔を伝い開いた口の中へ垂れていきます。

 リリエルはそれをよたよたと、力なく歩きながら見つめます。拭わなければ、顔が濡れてしまうと自分が着ていた布を握ります。

 

 ラリエルから下されたのは『死刑』。大天神が下す裁きの中では一番重く、恐ろしい判決でした。

 死刑は、神の魂に刻まれた魔法陣を破壊する判決です。そのため、他の判決とは違い額の烙印は青白く、その魂は烙印を押された瞬間に抜け殻の魂と器だけになってしまうのです。

 もう二度と、同じ神を創る事は出来ないのです。

 

 リリエルは、ゆっくりと足を動かし一歩一歩、動かなくなった星詠みの神へ近づきます。足元に堕ちた星が、光が弾けて花を咲かせています。それはまるで、オーリーを悼むかの様な、小さく淡い可愛らしい花でした。

 視界は堕ちる星から、天を仰ぎ話すこともないオーリーへと向かいます。

 リリエルの瞳には、青白く光る烙印が恐ろしく見えます。あの額の烙印さえ弾けば、オーリーは返ってくるのでは無いかと思いました。分かっているのです、そんな事をしても星詠みの神は戻ってこない事を、リリエルが一番分かっているのです。

 けれど身体は正直で、覚束ない歩みはいつの間にか花を踏みつけながら走っていました。小さな花は、オーリーの側で咲き続けています。

「あ、あぁ……星詠みのかみっ……オ、リー…オーリー!オーリー!」

 リリエルは膝を付き、オーリーを抱きしめます。

「オーリー!オーリー!オーリー!」

 名前を呼びました。初めて自らがつけた名前です。初めて自らの魔法陣を与えた神です。己と同じ口元をした、優しい神です。

 星が好きで、光が好きで、不甲斐ない魔法を創るしか無いと嘆くリリエルを母と慕う心優しい神でした。笑顔が、リリエルにそっくりで、星のような金の髪を揺らしながら新しい星座を創り出す神。

 リリエルは、腹の底から叫びます

「オーリー!!」

 声はしませんでした。オーリーの中にあった筈の己の魔法陣は、もう何処にもありません。

そこは、魂すらない空っぽの器だけでした。

 オーリーが愛した魔法も星も、何も残っていないのです。

 リリエルが流した水は、黒く煤けたオーリーの身体に染みていきます。抱えた頭の上からゆっくり、ゆっくり。それはまるで雨を通す岩のようです。

 リリエルはハルミアが溢した水の事を思い出しました。それは、今、自身が流しているものと同じです。悲しくて辛くて、どうしようもないぼっかりと空いた穴が、叫び声を上げているのです。

 その叫びは、音として空気を震わせますが誰も気づいてはくれません。だから、心の穴は叫びを具現化したのだと、リリエルは今更になって思いました。

 

「落ちきっちゃったね」

 ラリエルの声だけが、天に残ります。

リリエルは、ラリエルが側に来ていることに気づきませんでした。

 そんな、どうでも良いことに気を配れなかったのです。

「なんだか殺風景だなぁ」

 リリエルは、オーリーの器を力強く抱きしめたままその声に耳を傾けます。

 目からこぼれる水は、どんどんオーリーの中に溶けていきます。

「そうだ!」

 リリエル身体の中に生まれた何かが、穴を広げていきました。

「リリエル」

 ラリエルは、何事も無かった様に言います。

「ね、上にキラキラした世界が見たいな」

 

『母上、見てください。角が五つある星座です。私が生まれた時にあった星座です、覚えていますか』


「明るい粒がある感じで、また星を作ってよ」


 なんて返しただろうか、もう、思い出せないよ。オーリー。


 リリエルは体を起こして目に溢れる水を落としながら、オーリーの首に改めて手を回します。その首は太く、リリエルの片手だけでは包む事ができませんでした。オーリーは、どの神よりも長く此処にいました。だからなのか、どの神よりも大きく逞しくなっていました。

 リリエルは、何も言わず、両手を使い逞しく美しい筋が通った首を包み込みます。

 リリエルの瞳から溢れ出した水は、下を濡らし溶かしていきます。ふと、思い立って己の頬に触れてみます。星のような輝きもなければ、湖のような透明度もないただの生暖かい、不思議な液体でした。

 視線をずらせば、煤けたオーリーの器は脆く、リリエルの掌のなかでホロホロと堕ちていくのが見えました。

「リリエル、聞いてる?」

「……あぁ、聞いている」

 ラリエルの言葉は聞こえています、けれど、言葉を返す気持ちにはなれませんでした。

 ですが、聞かなければいけません。だからリリエルは言葉を紡ぎます。

「何故、なぜだ……オーリーを」

「ん?そんなの決まってるだろう?」

 ラリエルは、言いました。

「あの子は優秀すぎた」

「は」

「あの魂の魔法陣は、駄目だよ。あまりにも優秀すぎる、いつか星詠みの力から逸脱してしまう」

 リリエルが顔を上げます。ラリエルは、何も無くなった天を見上げ肩を落としています。

「惜しい事をした、彼奴が大人しく我の手の内で星を動かすだけに徹してれば良かったものを」


 総てを司る神は、笑います。困ったように。

 創造を司る神は、笑います。涙を溢しながら。


「今日から、また我とリリエルだけの世界だ」

 リリエルは、顔を逸らします。ラリエルの言葉を背にして、煤けて散りゆくオーリーの体を撫でます。そして、青白く光る烙印の上に一つ、魔法を描きました。

「陣は消えたが魂はまだ」

 烙印の上に浮かび上がったのは、オーリーが生まれた日に描いた魔法陣です。星を詠み、星を操作する、創造神が託した陣。

「穏やかに、緩やかに、いつか至る時まで。魂は眠りにつくのだ、殻の魂ならば旅をさせよう幾年も。忘れてはならぬ、星詠みの神はお前だけだ、オーリー」

 それは、不安定な魔法としてオーリーの中に、リリエルの涙と共に染み込んでいきました。ゆったりと湖の湖面が揺れるように。

 オーリーの器は塵と変わります。指先から、毛先から、徐々にゆっくりと。リリエルとラリエルは、それを見つめます。二人の初めての神の最期を。

 ラリエルの本心は分かりません、けれどリリエルは思うのです。

(この神を終わらせねば)

 


「ねえ」

 ラリエルは眉間に皺を寄せて言います。

「早く、星を創り出してよ、我は飽きたぞ」

 ラリエルは足元を踏みつけて駄々を捏ねます。その度に、今は亡き神々が流した涙と、リリエルが落とした涙で出来上がった湖に波紋が広がり、飛沫が立ちます。

 薄く浅い湖は、天を映し、ラリエルとリリエルを歪ませます。

「飽きた…か……」

「そうだ!飽きた!」

 ラリエルは声を大きくして言います。これが、無慈悲に神を殺した神であると誰が思うでしょうか。不思議なものです。

「ならば、面白い遊びをしよう……ラリエル」

 リリエルは立ち上がります。濡れた膝から垂れた水が、足を伝ってまた湖の中に潜り込みます。リリエルから生まれた波紋は、静かに泡立ち、ラリエルの足元に押し寄せます。

「なに?なにをして遊ぶ?リリエル!」

 あの日、星を初めて創った日の様なラリエルの笑顔に、胸が痛みます。ツキン、と。

 立ち上がったリリエルの顔に涙はありません。あるのは、きっと


「世界を創ろう」

「え?」

「貴様と我が、対等な世界を」


 覚悟だけだと思いますよ。

 

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