ホットケーキは動物園の味
あれは夏日になった梅雨晴れの祝日。
子供との会話も殆どなく、新聞とN〇Kばかりのザ・ビジネスマンな父。
その日は珍しく幼稚園児だった私を連れ立ち二人で出かける事となり、行き先も知らず電車に揺られて不安も過ぎるが、動物園を前にして安堵した。
園児の私にとって園内はとても広く感じていたが、それは父も同じだったようで、はしゃぐ私に「待て」と「走るな」を言うばかり。
逸る気持ちと相反する父の足の遅さに苛立ちが募るばかりで、園内の広さが裏目に思える。
当時の私はペンギンとレッサーパンダがお気に入り。
けれどペンギンは居ない動物園、レッサーパンダは居たけど観る所から遠くて高くて首が痛い。
飽きた訳ではないけど殆ど見えない状態で、折角来たのに家にあるぬいぐるみの方が可愛く思える。
あまりにも見難いからと歩き出す私に、父は口惜しい感じで私に言った。
「もういいのか? これが観たかったんだろ?」
今に思えば、あれは足を休めたかった父の嘆きだったのかもしれない。
私の呼びかけにも動じる事なく眠る虎、時折呼応するかにあくびを向ける。
餌付けで目覚めたライオンはやたらと混んでて、暑さに耐え切れず軽食喫茶に入ろうと言った父。
〈普段は家で作るお弁当か駅弁しか買わないのに……〉
と、珍しい父の行動が、私には古いアニメに有りがちな捨て子の前触れに思えてならず、檻の中の動物の眼を眺め観ては気丈に生き抜く覚悟を決めていた。
私の気持ちも知らず、父は店員を呼び止め、ホット珈琲とホットケーキを注文した。
慌てて私もメニューを手に取り見るも、「以上で」と告げる父の非情なる一言が私の分は無いのかと思わせる。
けれど父は珈琲で、ホットケーキは私の分と知って思わず笑みを溢した。
初めて食べるホットケーキは溶け切らないバターとバニラの甘い香りがまとわりついて、脇に置かれたメープル・シロップに私の眼は輝きを取り戻す。
最初は二枚ある上一枚をバターのみでひと口、さあドバっとメープルに浸して甘々なひと時を楽しむぞー!
と、私がシロップ・ポットを手にした矢先、その手を掴んで止めた父。
「少しにしろ」
私の中で何かが崩れ去るような音が脳裏に響く……
それは父も半分食べようとしていたからと知って尚、珈琲を飲みつつ食べる父は遅く同じ皿にはかけられず、結局半分以上残ったメープルを口惜し気に見詰めて店を出た私。
今日に浮かべる動物園の記憶は、ホットケーキの苦い思い出となっている。
■あとがき
それなのに……
コロナ禍に父は、私の作ったホットケーキにメープルをたっぷりかけて食べていた!
その翌日から、ホットケーキミックス(材料)がオークション等で高値で取り引きされ始め、店には箱処か袋もなくなり転売までされていた事を数日後に知り、嘗てのザ・ビジネスマンは何処へ行ったのかと父を見る今。(笑)
甘い物は勘を鈍らせるのかもしれないが、甘い食べ物の記憶は脳裏に深く刻まれている。




