第八話 「白氷」
海の向こうから、冷たい風が吹いていた。
鳥取砂丘に立つ一人の男の背中に、それは鋭く突き刺さった。
鷹野蒼一は双眼鏡を外し、砂を噛むように言った。
「……向こうに、旗が立った」
夜の水平線に、微かに揺れる赤い点があった。
それは灯台でも信号でもない。軍用ドローンの夜間発光灯だった。
日本海の北側、シベリア東岸。そこに、彼らの“新たな拠点”が築かれつつあった。
熊友団とNKL――一見、相容れないはずの二つの勢力は、2029年冬、密かに協力協定を結んだ。
熊の権利と共存を掲げる宗教的科学集団と、毒のない自由を求める市民反抗勢力。
両者に共通していたのはただ一つ――
“K体制を破壊する”という意志だった。
それを可能にしたのが、**ロシア極東で活動する反政府組織――通称「白氷」**の存在だった。
元KGB、武器商人、麻薬ルート、密造科学者――
混成部隊からなるこのロシアンマフィアは、極東におけるロシア連邦政府の弱体化を背景に、事実上の“自治領”を作り上げていた。
彼らは言った。
「お前らが毒の政府を憎んでるように、こっちも中央政府が憎い。
技術と人間をくれれば、土地と火力は用意してやる」
熊友団の科学班が飛び、NKLの亡命兵が渡った。
そして、日本海の北岸に――**「新・対熊研究施設」**と呼ばれる巨大なドームが出現した。
それはもはや、山奥の熊友団の聖域とは違っていた。
そこには兵器があった。
植物由来K無力化ウイルス
熊への逆選択フェロモン散布システム
非対称型EMP妨害装置
ワルファリン耐性を逆手に取った“誘導食”技術
そして、熊を“制御”するための神経刺激インプラント
真壁涼介は、それらの一部の情報にアクセスし、背筋を凍らせた。
「これはもう、共存でも自由でもない。
これは……制御と洗脳のシステムだ」
2029年秋。県の海岸線に不審な物資の漂着が相次いだ。
密輸用無人艇が夜間に接岸しては、数時間後に残骸を残して姿を消す。
内容物は:
精製されたビタミンKカプセル(高濃度)
密封されたワルファリン未混入食品
熊友団による印刷物:「熊にKを、毒に祈りを」
そして、小型の通信誘導タグ
そのタグの電波を追跡した公安は、ある山寺に辿り着いた。
中では、ロシア語を話す人物と、熊友団の幹部が会話をしていたという。
政府はその事実を公式には認めていない。
しかし、県境の防衛線が一部強化され、**「海側からの侵入」**に関する文書が増えていることは、すでに公然の秘密だった。
そしてある夜、県内のK倉庫3か所が同時に襲撃された。
爆破と略奪。
犯人は捕まっていない。
が、その爆破現場の壁には、こう書かれていたという。
「Kが人を殺す前に、人がKを捨てる」
「白氷の海を渡れ」
「熊の王は目覚めている」




