第四話 毒
5年後。
熊は死んだ。
それは、町のはずれ、産廃ゴミ置き場の奥だった。
巨大な個体が、腹を裂くようにして倒れていた。目の周りには泡が固まり、嘔吐の跡が地面を汚していた。
検視の結果、胃の中からは殺鼠剤が混入された生ごみが見つかった。
血液にも痕跡があり、死因は明らかだった。
町役場の担当者は、その報告を見て思わず手を叩いた。
「効いたんだ。ようやく、効いた!」
「毒で殺すなんて……それ、人間と何が違うの?」
子どもがそう言ったとき、母親はうまく返せなかった。
だが、誰もがもう“きれいごと”で生きていける場所ではないことを知っていた。
実際、殺鼠剤を使う方針は急速に広まりつつあった。
各家庭に、週一回の“毒入りゴミ袋”の指定日が設けられ、町内放送でも協力を呼びかけた。
「熊に毒を――ただし、人間には絶対に無害であること。
その基準で、殺鼠剤の配合と濃度を管理しています」
役場の説明は形式的だったが、住民の多くは実際に“効果があった”と感じていた。
3月――出没件数は、前月比で41%減少した。
しかし、沈黙は長く続かなかった。
「……出てるよ。また、出始めた」
6月のある朝、町の南側、旧国道沿いの住宅地で、ゴミ置き場の金網が引き裂かれていた。
監視カメラには、三頭の熊が同時にごみ箱を漁る映像が映っていた。
一頭はゴミを嗅いだだけで去り、もう一頭は特定の袋だけを選んで食べていた。
そして残る一頭は、まるで“監視するように”、道の端で座っていた。
そのどれもが、毒入りゴミを避けていた。
真壁涼介は、苦々しい表情で記録を読み返していた。
複数の研究班が同時に提出してきた報告書には、奇妙な一致があった。
「熊は、殺鼠剤の匂いを識別している。
特に集団で行動する熊は、死亡個体の挙動を観察して学習する可能性が高い。
“何を食べて死んだか”を、視覚的に記憶していると考えられる」
真壁は机を叩いた。
「つまり……ただの“学習”だ。
進化でも変異でもない。
やつらは、“見ている”だけで、毒を見抜いてるんだ……!」
7月、県庁で開かれた対策会議では、新たな提案が出された。
「毒入りゴミの効果を維持するためには、すべてのごみ袋に、一定濃度の殺鼠剤を一様に混ぜる必要がある。そうすれば、熊は何を食べても危険だと認識し、接触しなくなる」
一瞬、会議室に沈黙が落ちた。
やがて、防災課の職員が声を上げた。
「無理です。現実的じゃない。住民にそれを義務化するのか? 子どもが間違って触ったらどうする? 指定業者以外がごみ袋に手を加えれば、それは違法投棄と区別がつかなくなる。“毒のある生活”を、社会の標準にできるわけがない」
「じゃあ、他に方法は?」
誰も答えなかった。
会議のあと、知事はぽつりと呟いた。
「毒に頼った時点で、もう我々は、自然との共存じゃなく、“毒の支配”に向かってるってことだな……」
秋のはじめ、町の放送スピーカーは別の放送を流した。
「明日から、毒入りゴミの使用は任意となります。安全対策の徹底を条件に、行政は引き続き推奨いたしますが、住民の皆様の判断を尊重します」
要するに、放棄だった。
殺鼠剤対策は半年もたたずに破綻した。
効果は一時的。熊は学び、毒を避け、“賢い狩人”として町に戻ってきた。
人間は、同じ毒に二度は騙されなかった。
熊もまた、そうだった。




