第一話 熊の神
<本作は、あほSFです。この世界は架空のものであり、登場する科学、人物、団体、名称等はすべて実在のものとは関係ありません。登場する科学技術は、多くが実現困難なものであり、フィクションである点にご留意ください。>
ろうそくの灯が、ちらちらと天井を揺らしていた。
そして――気づけば、それに囲まれていた。
熊――いや、熊のようなもの。
毛むくじゃらの巨体。
全身の筋肉が隆々とせりあがり、ぴくりと躍動した。
ボディビルダーの熊――そういえばよいのだろうか。
座っているはずなのに、それは立ち上がった私よりも大きかった。
熊、というよりも、何か他の動物の方が近いかもしれない。
そう――衛星通信で見たことがある、ゴリラに少し似ていた。
よくみてみなくとも、それは熊ですらなかった。
そう、日常的に熊を見慣れ、日々熊に狩られてきた私たちにとって――熊の姿は、物心ついたころから脳裏に叩き込まれている恐怖の象徴だ。
しかしわたしは――その「熊」を前にして、正気を保っていた。
それが本物の熊であれば、もうとっくに喰われていたことだろう。
そう――わたしはそれを、熊ではないと認識していたから、かろうじて平静を保っていたのである。
それは山のように大きく、黒というより一部黄金がかった毛皮が、ろうそくの灯に光っていた。
目を合わせるには、あまりにも畏れ多かった。それは今まで見たどんな熊よりも、丸顔だった。
愛らしさなど、どこにもない。恐ろしかった。
まるで――熊の、ブルドッグだ。
筋骨隆々とした腕を、上から下へと眺める。
鋭い爪は折りたたまれ、指の背が地面についていた。
上を向いた掌は、末節が反り返り、そこには鎌のようなかぎ爪が光っていた。
それでも――熊という以外に、それを言いあらわす言葉はなかった。
そして――その「熊」は――口を開いた。
「話せ」
全身が弾けるように、立毛筋が頭の先から足までをぞわっと浮き立たせる。
腰が思わず跳ね、手足に滲んだ汗が床に滑って、こけた。
あたた…
鈍痛とともに、尾骶骨をしこたま打ったことに気づく。
その場でうめきそうになったが、この「何か」の前で弱みを見せることの恐ろしさに気づくと、今度は胃の奥がブラックホールの底に吸い込まれたようだった。
そう――その場で、固まるしかなかった。
わたしは、それが熊ではないことは分かっていたつもりだった。
しかし、いざそれが人語を話した途端、わたしは、それがなにか神聖ななにか
――おそらく、カミと呼ばれるものに最も近い、畏れ敬うべきものであることを、理解させられた――いや、そう操作されていたのかもしれない。
「話せ われわれは、欲している」
熊の声が、部屋をまた震わせた。
冷汗が目を伝って、目の奥がキュンと痛んだ。
話せ――何を話せというのか。
この「熊に似た何か」について、私は何も知らない――
この熊がすべてを支配し、熊を中心に回っている県において、熊の神の噂はよく聞いていた。
そして、それを「ゆうじん」として崇める教団があるとは誰しもが知っている。
でも――ユウジン様が本当にいるとは、聞いたことがなかった。
こんな化け物がいるのに、全く持って噂がない。
それは、ひとつの可能性を示す――
ユウジンさまに出会ったら、もう還ることはできないのだ。
「話せ なんでもいい、真偽は問わない」
「熊」は3度目にいった。
私たちは、熊に囲まれて育ってきた。
いや、熊に狩られながら生き抜いてきた。
いまや肉食動物となった変異熊は、山の鹿を狩りつくし、人を狩りに街に駆りだすようになっていた。
「話の終わりは、終わり 我に話せ 我々には言語が必要なのだ 内容は関係ない」
熊は四度目に言った。
私は、窓の外にあるものに気づいて、ぞっとした――何十頭かしれない、熊――本物の熊の群れが、うごめいていた。あれは、なんだ。
しかし――この相手を前に、なにかを問おうという意気は、すでに失われて久しかった。
私は、嘘を重ねても口が止まることをよく知っていた。
学校の授業は、熊史ばかりだった。
いかにして、熊にこの県が支配され、熊を中心に町が回るようになったか――そういう話だ。
だから、話そうと思う。
歪み切った、この街の人々の話を。