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閑話 リューベルク公爵家使用人の記録

使用人たちの思い……の回です。

【侍女マティルダのひそやかな日記】


 ……あの時のことを、私は一生忘れないと思います。


「パンケーキはフワフワしたものと、しっかりしたもの、どちらがお好みですか?」


 何気なく問いかけた私の言葉に、奥様──レティシア様は、少しだけ首を傾げて、こう仰いました。


「……どちらも、食べたことはないかもしれません」


 その瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられました。


 昨日、結婚式の準備の際に私たちが感じた違和感──それが、確信に変わった気がしたのです。


 髪は美しい白金でしたが、根元には少しだけ艶のない部分が残っていて、肌にはどこか慢性的な疲れと栄養不足の跡が見て取れました。


 それでも、レティシア様は何一つ不平を言わず、ただ静かに、言われた通りに身支度を整えていらっしゃった。


(……この方は、ずっと大切にされてこなかったのではないかしら)


 そのことが、あまりにも自然に沁みついてしまっていて、ご本人はそれを「当たり前」として受け入れている──そんな気がしたのです。


 あの「パンケーキを食べたことがない」と仰った言葉には、遠く離れた異国の屋敷で、ずっとひとり、慎ましく過ごしてこられた日々がにじんでいました。


 私たちが当たり前に思っていることを、奥様は一つひとつ、新鮮に喜んでくださる。


「このベーコン……すごいですね! カリカリで、香ばしくて……!」


 頬を紅潮させながら、心の底から嬉しそうに目を輝かせるそのお顔は、もう、反則でした。


 そんな笑顔を見て、厨房の者たちが張り切らないわけがありません。


 今朝のスープには、昨日奥様が「美味しい」と仰ったコーンが使われ、サラダには奥様の好きな淡い色の花を添えてみたと、庭師が誇らしげに話しておりました。


 ワンピースも、奥様がご自分で繕って大事に着ていたものだと知り、私は洗う手に力が入りそうになるのを、ぐっと抑えて、そっと、そっと手洗いしました。


(この服は、奥様の大切な歴史の一部なのだ)


 ──奥様が、これから先、心から笑える場所になりますように。


 そのために、私たち使用人にできることを、少しずつでもしていきたいと思います。


 明日は、庭園に咲いていた薄紫の花を、奥様のティーカップのそばに飾ってみましょう。


 あとは少し、旦那様とお話をしてもらいたいものですが……さて。



 ***


【料理日誌 公爵家付き副料理長ヒューゴ・メイスン】


 今日は記しておかねばならない。まさか、新しい奥様があれほど喜んで食べてくださるとは。

 

 初めて奥様にお目にかかったのは、婚礼の前日。お体は細く、頬もややこけておられた。お肌も乾燥しがちで、髪もややパサついて……まるで十分に食事をとってこられなかったご様子。


 あのような姿を見て、心底腹立たしくなったものだ。王族の姫君がどうしてそんな扱いを受けるのか、と。


 式の支度の最中、あまりにも疲れておられる様子に、こっそり厨房で温かいスープをお出しした。召し上がってくださるか不安だったが、ひとくち飲んでふわっと微笑まれた時には、わしはその場で泣きそうになった。


 翌日のパンケーキ。

 あれがまさか、奥様にとって生まれて初めてのパンケーキだったとは。フワフワとしっかりめのどちらがお好きか侍女を通じて尋ねた時の、あの言葉。


『奥様はどちらも食べたことはないと仰っていました』


 返事を聞いて、わしは思わず手にしていたレードルを落としそうになった。丁寧に、愛情込めて焼き上げたパンケーキを皿に乗せて、庭園へと運ばせた。


 庭から戻ってきた配膳係が言っていた。

「おいしいと何度も……本当に幸せそうな顔で、パンケーキに感動していらっしゃいました」と。


 それを聞いて、わしの胸は……もう言葉にならん。


 それからというもの、奥様は毎食、こちらが驚くほど良い食べっぷりを見せてくださる。

 ベーコンに目を輝かせ、卵の半熟具合に感動し、プリンには拍手まで。


 今日の夜食用に、野菜たっぷりのシチューを仕込んでおいた。

 厨房をふらりと覗きに来られるかもしれん。


 その時は、一番おいしいところを差し上げよう。


 奥様の食卓が、幸福で満ちるものでありますように。


 ***


【庭師日誌 ノートル】


 某月某日 晴れ


 今日も朝からいい天気だ。庭の花々も元気に咲いている。気温もちょうどよくて、野菜たちもご機嫌だ。


 そうそう、奥様がいらした。初めて畑にいらっしゃったときのことは忘れられない。黄色いドレスに包まれた姿で、きょろきょろと目を輝かせて。最初は見るだけかと思いきや、興味津々に「あれは……?」と畑の一角を指さされた。


 そこからだった。


「私も少し手伝ってもよろしいですか?」


 おったまげた。まさか奥様の口から、そんな言葉が出てくるとは。普通の姫君なら畑仕事なんて嫌がるものなのに。


 しかも今日なんて、よれよれのワンピースに着替えて、本当に畑へ来られた。腰を落として、土に触れて、野菜の名前を覚えようとしていて……見ていて、ああ、本当にこの方は「生きること」を自分の手でやろうとしているのだなと思った。


 あの畑は、先代の奥様の依頼で育てていた野菜の区画だ。城の料理にも使われていて、今も屋敷の味を支えている。まさかあの畑に、公爵夫人が興味を持たれるとは。


 それに、薄紫が好きだとおっしゃった奥様の言葉を覚えて、今日、庭園にすみれをそっと植えておいた。咲くのはもう少し先だが、気づいてくださると嬉しい。


 畑を耕す奥様の姿を見て、使用人たちは少しそわそわしていたけれど、俺はなんだか安心した。あの方は、根を張れる人だと思う。土の中に、小さな命の営みを見つけられる人だ。


 旦那様が気づかれるのが先か、奥様が気づかれるのが先か……庭の花たちと見守ることにしよう。


 それにしても、あの耕し方。けっこう筋が良い……気がする。


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★★★新作連載もお願いします★★★
『転生王女はナレ死の未来を回避したい!』
・不遇の王女に転生してしまったけど、死の運命にあらがうお話
― 新着の感想 ―
こうゆうエピソード、好きです。 使用人目線、素敵に描かれてました。 《奥様》が公爵邸に来られてからの使用人の感じた事、綴られてるの、凄く好きです!
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