●アルベルトの結婚生活⑥
グランチェスター王国の円卓の間で、アルベルトはすでに帰りたい気持ちでいっぱいだった。
かわいい妻がいる家でのんびりしたい。
新婚だというのに、こき使われ過ぎではないか。
各国が集まっての会議は、グランチェスター王国が主催となってのものだ。
(まるで、諸国をまとめあげるのは自分たちだと言わんばかりだな)
そう思いながら、アルベルトは周囲を眺める。
今回はジークフリートのお供である。側近として、彼が暴走しないようにと気を引き締める。
磨き上げられた石床。
黄金と紅を基調とした装飾は、いかにもこの国の「格式」を誇示するものだ。だがそのどれもが、どこか過剰で、品というよりも虚勢に近いものを感じさせた。
「――では、我がグランチェスター王国より、開会の辞を述べよう」
王の声が響く。上座にふんぞり返るように座った男は、目尻に笑みを浮かべながらも、他国の代表を見下ろすような視線を隠しもしない。
隣に座るジークフリートは、整った姿勢のまま、静かにその様子を見ていた。
会場には、周辺国の代表や使節が顔を揃えている。宰相が来ていたり、王子が来ていたり。状況は様々だ。
「……ずいぶんと、都合のいい場を用意したものだ」
小声でジークがつぶやく。アルベルトは聞こえぬふりをしたまま、筆を走らせる。
大きな議題は二つ。周辺国との貿易協定。ソロヴィア帝国との和平。あとはまあ、各国との顔合わせや縁結びの意味もあるのだろうが。
だがそのどれもが、建前と表層だけで塗り固められている。
「ソロヴィア帝国とは一時的な緊張があったものの、我が国としては一貫して和平を望んでおる。誤解なきよう、諸国に伝えていただければありがたい」
グランチェスター王は悠々と述べ、周囲の使節たちに目配せする。虚飾の笑みがその顔に張りついていた。
ジークは、軽く片眉を上げた。
「なるほど。和平ですか」
その声に、場が静まる。
ヴァルデンシュタインの王太子の発言ともなれば、各国の使節は耳を傾けざるを得ない。
「奇しくも、かのアルメリア公国も和平を唱えていたと記憶しております」
ふ、と微笑むジーク。だがその目は、少しも笑っていなかった。
「……」
グランチェスター王が、視線を揺らした。場が一瞬、氷のように張り詰める。
アルメリア公国が帝国に攻めいられたことはどの国にとっても記憶に新しい。
大公は国民の生命を守ることを重んじ、友好国からの支援が届かないと知って抵抗せずに無血開城した。
(とんだ狸親父だな)
アルベルトはグランチェスター王を横目に心の中で悪態をつく。アルメリア公国を嵌めておきながら、諸国に和平を説くとは。
そう思ったのはアルベルトだけではないようで、ジークフリートもそのために声を上げたのだろう。
「結果として、彼の国は滅び、領地の大半が――ある国々に分割される結果となりました。和平を掲げた代償としては、随分と重いものだったように思えます」
誰もが何かを言いかけて、言葉を飲み込む。
ジークフリートのこの発言は、明らかな牽制だった。いや、それ以上に、“知っている”という合図にも等しい。
アルベルトは机の上で指先を軽く叩きながら、会場を流れる空気を静かに測っていた。
やはり、今日のサミットはただの儀式では終わらせない方が良さそうだ――そんな、重く確信めいた思いが、二人の間に言葉なく共有されていた。
そして、その流れのまま、ジークフリートはあえてもう一手を放つ。
「今回の訪問で、ぜひアルメリア公女にもご挨拶できればと考えております」
会場の空気が、ぴたりと止まった。
グランチェスター王の顔から血の気が引き、わずかに口元が引きつる。冷や汗をかくのをこらえるように、指先が玉座の肘掛をぎゅっと握りしめられるのが見えた。
そして、その傍らに控えていた王妃――氷の彫像のように整った顔立ちをした第一王妃が、ぴくりと眉を吊り上げた。視線がすぐさまジークへと向けられ、その目には明確な敵意と苛立ちが宿る。
だが、ジークはそれを楽しむように、涼しい顔で水を一口含んだだけだった。
アルベルトは、ちらりと視線を横に流す。あの第一王妃がレティシアを虐げた根源だろう。
「……アルメリア公女など、もはや存在しないはずですが?」
第一王妃の声は、まるで氷の刃だった。柔らかく、だが一切の容赦がない。
ジークはにこりと微笑みを浮かべたまま、あくまで丁寧に返す。
「記録上では、そうかもしれませんね。しかし、かつて確かに存在していたということまで、否定はなさらないでしょう? ご息女であるレティシア王女殿下は我が国と縁をつなぎましたし、その御母堂にご挨拶することに何か問題でもありますか?」
「……っ」
ジークの声音は柔らかく、けれどその一言はまるで刃のように響き渡る。国王の額に汗が滲み、第一王妃はなおも唇を固く結んだまま、じっとジークを睨み返している。
会場の空気が凍りついたところで、アルベルトは息を吐いた。
「……ジークフリート王太子殿下」
低く、穏やかながらも、明確な制止の響きを帯びた声がその空気を裂く。
隣席から軽く身を乗り出し、ジークの前に置かれた議事資料にそっと手を添える。あくまで自然な動作。
ひとまず、牽制はこの程度でよいだろう。
「本日の主題はあくまで、国境交易と和平協定の調整にございます。グランチェスター国王陛下のご配慮により、これだけの場を設けていただいた以上――我々も本題に則り、実のある対話を進めて参りましょう」
その声は場の誰にも聞こえるように通りつつ、語調は柔らかく、穏便を装っていた。
アルベルトの言葉を聞いたジークは一拍置き、それからふっと笑みを緩めた。
「そうだったな。すまない、グランチェスター王。進行の邪魔をした。議題のとおり話をしよう」
グランチェスター王が、うむ、と小さく唸るように頷く。その声には、やや掠れた疲労がにじんでいた。
そして第一王妃もまた、憮然としながらも何も言わず、姿勢を正す。
ひとまず、場は戻された。
だが、確かに一度揺らいだその空気は、この場を制しているのが若輩であるジークフリートであり、その補佐であるアルベルトが手綱を握っていることを全ての出席者に印象づけていた。
がんばるアルベルトサイドです*ˊᵕˋ*