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●アルベルトの結婚生活③

 リューベルク公爵邸の食堂で、アルベルトは静かに朝食を取っていた。ただ無言のままナイフとフォークを動かす。


 寝不足で目がしぱしぱする。城に着いたら仮眠をとろうと決めた。


「アルベルト様、こちらのベーコンはとても美味しいですね!」


 向かい側に座るレティシアが、目を輝かせて嬉しそうに言った。


 ぱちぱちと音を立てて焼かれたベーコンの端を、満面の笑みで口に運び、小さく頬を膨らませている。


「……ああ」


 と、反射的に返す。だが彼の返事を気にする様子もなく、レティシアは幸せそうに咀嚼していた。


 次の日の朝も、同じように彼女はにこにこしていた。アルベルトはまた寝不足だ。


「アルベルト様! 卵ってこんなにふわふわに出来るのです!? お野菜もシャキシャキしていますね」


 ふわりと蒸気の立ち上るオムレツに驚き、瑞々しいサラダに「すごい」と言って笑っている。


「えっ、デザートをお誕生日以外で食べてもいいんですか……? 最高です」


 朝食に添えられたプリンを見て、レティシアはキラキラと目を輝かせている。


 アルベルトは、皿の隅に添えられていたプリンをそっと彼女に渡してみた。


「……これも、食べなさい」


「ありがとうございます!」


 満面の笑みと共にプリンを受け取り、スプーンを握ってまるで宝石でもすくうかのように一口ずつ口に運ぶ姿は、どうにも心にくるものがある。


(かわいい……天使なのか? 私の妻は)


 毎朝デザートを添えることに決めた。


 またその次の朝――


「アルベルト様! このスコーンにクロテッドクリームとやらを載せてジャムをたっぷりつけると、幸せの味がしますね!?」


 その目はきらきらと輝き、ほっぺたはふっくら膨らんでいる。やや頬張りすぎでは、と思わなくもない。


「普段のパンも極上ですが、さらにその上を行くものがあったなんて」


 スコーンの断面に丁寧にクリームをのせ、ジャムを塗って嬉しそうに頬張るレティシアの姿を眺めながら、アルベルトはついに口を開いた。


「……レティシア。以前から思っていたが、君は一体どんな食事環境にいたんだ……?」


 あちらの王宮で冷遇されていたことは調べはついている。王女なのに、だ。

 何かの施設に保護されていたのではないかと疑いたくなるほどの反応だ。いや、保護されていた方がよほど幸せだったかもしれない。


 怒りが込み上げるのを感じながら、アルベルトはレティシアに告げる。


「……スコーンだけでなく、野菜もしっかり食べなさい。喉に詰まらせないようによく噛むこと」


「はひ、わかりまひた!」


 ほっぺたを膨らませたまま必死に頷く姿に、思わず視線を逸らす。なぜか顔が熱くなる。


(……やはり天使か……)


 政略結婚である以上、彼女には「公爵夫人」という肩書きだけを与えて自由にさせてやるつもりだった。何も強いられず、窮屈な社交界の常識にも縛られず、ただ穏やかに――。


 だからこそ、「好きに過ごして構わない」と伝えた。


 突き放したわけではない。むしろ、彼女が心のままに過ごせるようにと、屋敷内の規律や人員配置まで調整した。


(いつになく量が多いな……?)


 ふと、テーブルの上を見ると、いつの間にか料理の品数が増えていた。豪奢というよりも、「多い」のだ。

 そして彼女は、それをすべて素直に、嬉しそうに味わってくれる。


 そんな日々が続くうち、アルベルトは気づけば毎朝、レティシアが何を喜ぶかを意識している自分に気づいていた。


 食堂の一角、光差す窓辺の向かいに座る彼女を、今日もまたそっと見守ってしまうのだ。

 寝不足だからか、どんどん神々しく眩しく見えてきた。




 食事の後、部屋に戻ったアルベルトはレティシア付きの侍女を呼んだ。


 数分後、控えめにノックの音が響く。


「旦那様、失礼いたします。お呼びとのことで参りました。マティルダでございます」


 姿勢よく、緊張の面持ちで現れたのは、五十代に差しかかる堅実な侍女。レティシアの身の回りを世話している筆頭である。


 古くからこの屋敷に勤めているマティルダならば、きっとレティシアに最高の環境を与えてくれると思っての専属だった。


「堅苦しくせずとも構わない。レティシアの──妻の普段の様子を聞きたいと思って」


 その言葉にマティルダは一度目を見開いたが、すぐに穏やかに頷いた。


「はい。奥様はたいへんお元気にお過ごしです」


「それは何よりだ」


 安堵がにじみ、アルベルトの表情がわずかに緩む。マティルダは静かに言葉を続けた。


「最初は様子をうかがうようなご様子でしたが、数日もすれば庭園を散策され、畑の世話にまで手を出されるほどです」


「畑に?」


「はい。農具の扱いにも慣れておいでで、まさか王女様が泥だらけで芋の土を払って笑っておられるとは思いませんでした」


 レティシアがニコニコと野菜を握っている姿が脳裏に浮かび、アルベルトはニヤつきそうになる頬を抑えた。


「苦労している様子は?」


「いえ、むしろ私どもが驚かされてばかりです」


「詳しく聞かせてほしい」


「奥様はパンケーキを初めて召し上がったとき、目を丸くされて感動なさっていました。昨晩の鴨肉のソテーとスイートポテトもお気に召されたようで、皆で楽しく食事をしました」


「……そうか。待て、『皆で』とはなんだ?」


 彼女の夕食の風景を思い浮かべながら、アルベルトは疑問を持った。皆……?


「奥様のご要望により、夕食は料理人と使用人が食事をする席に奥様がいらっしゃっています」


「なっ……!」


「旦那様が夜いらっしゃいませんので。奥様は楽しく食事をしたいようです。私も同席しております」


 マティルダがどこか得意げである。


 なんということだ。そんな楽しいことになっていたとは。

 今すぐにでも仕事を放り出したい衝動に駆られたが、王太子直属の命令のためそうもいかない。


 口元にそっと手を当て、アルベルトは気を取り直して質問を続ける。


「……レティシアは使用人たちとも打ち解けているだろうか?」


「はい。刺繍を嗜まれておいでなのですが、それがとても立派な意匠で。これまであれほど精緻な刺繍を見たことはありません。ハンカチをもらいました」


 またマティルダが得意げだ。

 レティシアの刺繍入りのハンカチが配付されているようだが、もちろんアルベルトはもらっていない。


「……そうか」


 一瞬、沈黙が落ちた。


「君たちに感謝している。今後も、彼女に不自由をさせぬよう頼む」


「畏まりました。旦那様、奥様は本当にお幸せそうです。毎朝の足取りは軽やかで、笑顔も絶えません。髪もお肌も艶を取り戻しておられます」

「……マティルダ」

「はい」

「いや、今後も頼む。レティシアが望むように過ごさせてくれ。もう下がっていい」

「はい、旦那様。失礼いたします」


 マティルダが退室し、扉が閉じる。


(……軽く自慢をされたような気がするが……いや、気のせいだろう)


 アルベルトは、そっと机上の箱を撫でる。

 レティシアとの手紙がそこに入っている。


 文面はすでに覚えてしまうほど読み返したもの。それでももう一度、封を開いて優しい筆跡に目を落とす。


(彼女の笑顔がそこにあるのならば、それでいい)


 今はそう思うことにして、アルベルトは仕事に出かけた。

うっすらマウントを取ってくるマティルダ…˶ˊᜊˋ˶ᐝ

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