プロローグ
ここは、ヴァルデンシュタイン王国の首都レーヴェンブルクに居を構える、名門リューベルク公爵家の本邸。
春の宵、上品な照明が灯る晩餐の間で、新婚の夫婦が向かい合っていた。
煌びやかな銀食器が整えられ、侍女たちが静かに動き回る。
グラスには芳醇な赤ワイン、前菜に続いて供されたスープの余韻が残る中――
メインディッシュのロースト肉が丁寧に運び込まれたそのときだった。
「……どうして君は、俺のところに夜這いに来てくれないんだ!?」
突如響き渡った若き当主――アルベルト・フォン・リューベルクの一言に、場が凍りついた。
料理長の手から大皿が滑りかけ、侍女たちは思わず顔を伏せて赤面する。
ワゴンの上で湯気を立てるロースト肉が、取り残されたようにぽつんと存在感を放っている。
「……ヨバイですか……?」
言葉の意味が掴めないのか、向かいに座るレティシア・エレノア・グランチェスター――隣国の第三王女であり、政略結婚によりこの家に嫁いできたばかりの若き公爵夫人は、ぽかんと小首を傾げた。
絹のような白金の髪に、湖のように澄んだ青い瞳。
可憐なその顔には羞恥も警戒もなく、ただ“素朴な疑問”だけが浮かんでいる。
(……四倍では……ないのよね?)
とにかくアルベルトの顔は耳まで真っ赤なのだが、レティシアには何もピンと来ない。
この結婚は政略結婚で、婚前に交わした手紙には「君を愛することはない」としっかり書いてあった。
だからこそ、初夜にアルベルトが寝室からさっさと退室してしまったことも、毎日仕事でほとんど家にいないことも、受け入れていたのだが。
旦那様の様子がおかしい。
「っ、レティシア。こちらに来てくれ」
「えっ、お肉……」
「いいから」
アルベルトは椅子を押しのけて立ち上がると、彼女の手を取って引き上げる。
「どういうことですか?」
「……話がある」
「お肉はあとで食べられますか?」
「ああ」
お肉から視線を外すことのできないレティシアを引き連れ、アルベルトは食堂を出ていく。
ふたりの足音がだんだん遠ざかる中、侍女たちと料理長は一斉に顔を見合わせ、そっと肩をすくめた。
そして、誰もが心の中で叫ぶ
(ようやく…………!!)
政略結婚で嫁いできた王女と、名門リューベルク公爵家の若き当主。
──これは、政略結婚から始まったすれ違い夫婦の、ちょっぴりおかしくて温かい恋の物語である。
短編『理想の冷遇生活だと思ったら』を連載化しました。いろんな裏側などものんびり書いて行けたらいいなと思っています!
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