山茶花の意志
してやられた、と山茶花は思う。
鴆についてうっかり口にしたばかりに、このような窮地に追い込まれたのだ。
適当な毒に中ったのではないか、と言っていればよかった、と山茶花は盛大に後悔する。
山茶花は自らを口が堅いほうだと思っていた。これまでに誰を相手にしても本心を悟られないよう、のらりくらりと躱してきたのだ。
けれども夕星を相手にしていると、どうしてか何もかも正直に喋ってしまうのである。
人がよさそうな笑みや気が抜けた喋りを前にしたら、気が緩んでしまうのだろう。
あの紫水晶の瞳が魔性の力を放っているのだろうか。などと考えてぶるりと震えてしまう。相手は天帝の眷属。対等に渡り合おうと考えること自体が無謀だったのかもしれない。
天猽国の滅亡か、それとも夕星との結婚か。
考えずともどちらを選ぶべきかわかっている。
皇帝の娘として生まれた以上、いつか結婚するのだろうと覚悟していた。
和親を目的としたものや、臣下に娶られる降嫁など、皇帝に命じられたらその身を捧げようと考えていたのだ。
それなのに、それなのに、毒の管理が完全でなかったために夕星を苦しめてしまった。その挙げ句、国の存亡に関わる大問題に発展してしまったのだ。
その責任を取るために、結婚を持ちかけられるなんて……。
悔しくなりぎゅっと拳を握ると、夕星が眉尻を下げつつ話しかけてくる。
「私と結婚するのがそんなに嫌なのかな?」
「結婚は皇帝陛下の命令でするものだと思っていましたから、このような形で婚姻を結ぶことになったのを、ふがいなく思っていただけですので」
「ああ、そうなんだ! だったら心配いらない。皇帝はこれまでに何度も私と彼の娘達と結婚させようと打診していたからね! 聞いたらきっと喜ぶよ」
「はあ」
なんでも皇帝は天帝との繋がりが薄くなっていくことに不安を覚えているらしい。
そのため、眷属と娘達を結婚させようと長年画策させていたようだ。
「そんなわけで、私と結婚してくれるよね?」
「……」
こんな形で結婚していいものなのか。なんだか夕星の口車に乗せられているような気がしてならなかった。
不安に思って南天を見ると、彼は強い眼差しを向けていた。
何か訴えたいようにも見えたので話しかけてみる。
「南天、あなたはこの結婚について、どう思いますか?」
「あたくしめは、公主様に後ろ盾ができることは、とてもいいことのように思います」
猛毒妃である母烈華の死後、皇帝からの贈り物が届かなくなった。
四夫人だった雪花が皇后に即位すると、その扱いも明らかに変わっていく。食料の支給はあるものの、烈華がいた時代に比べたらずいぶんと貧相になっていたのだ。
これまで後宮内で女官とすれ違えば山茶花に道を譲り、頭を深く下げていたものの、現在はいない者のような扱いを受けている。
「あのような態度、あたくしは我慢できません!」
「南天……」
結婚は皇帝のためにするものだと思っていた。けれどもそれだけではないと気付かされる。
南天に惨めな思いをさせないためにも、夫という名の庇護者が必要なのではないか、と思うようになった。
「公主様、もう一点、申したいことがございます」
「なんですの?」
「後宮の妃らを苦しめる現象について調査し、烈華様の名誉を守っていただきたいのです」
「お母様の……」
烈華の死後、彼女の毒が後宮の妃らに猛威を揮っているとは思えない。
南天は不名誉な噂を払拭してほしい、と山茶花に願う。
山茶花の烈華に対する思いは複雑だ。
考えれば考えるほど胸が苦しくなるため、いつも思考を放棄していたのだ。
いつか向かい合わなくてはならないと思っていた。
それが〝今〟なのだろうと山茶花は気付いた。
「南天、わたくし、決めました」
山茶花はごつごつしていて大きな南天の手を握る。
女官の服に袖を通し、長年烈華だけでなく山茶花を守ってくれた頼りになる手だった。
烈華を大切に想う南天の気持ちを報わなければ。
そう思って決意を口にした。
「わたくし、彼と結婚いたします。そして母の不名誉な噂を消し去りたいです」
「公主様、ありがとうございます……!」
南天の瞳は潤んで、今にも泣いてしまいそうだった。
そんな彼の横で夕星が指摘する。
「あのー、結婚の誓いは私にしてほしいんだけれど」
「あらあなた、まだそこにいましたの?」
「ひ、酷い!」
そんなわけで山茶花は夕星と結婚することになった。
後日、山茶花は皇后雪花に呼びだされる。天帝の眷属夕星との結婚を聞きつけ、話をしたいと言ってきたのだ。
雪花は御年三十五歳。十八歳の娘がいるとは思えない美貌の持ち主である。
幼少期から山茶花のことを目にかける優しい女性でもあった。
「本当に驚いたわ。あなたがあの気難しい夕星様と結婚すると聞いたものですから」
「わたくしにとっても、彼との結婚は寝耳に水でございました」
雪花は一人娘である月花と夕星を結婚させたかったらしい。
「夕星様は天帝との繋がりが強く、その結婚相手になれることはとてつもない名誉なのよ。それに彼と結婚したら、月花を余所の国へ渡さずに済むから」
夕星との結婚なんて山茶花はこれっぽっちも望んでいない。ご祝儀袋に詰めて譲りたかったものの、そうはいかないのが現実である。
「天帝の眷属たる者の妻として、しっかり務めを果たしなさいね」
「はい」
皇后雪花は祝福の印として深紅の婚礼衣装を贈ってくれた。皇帝からも金冠、簪などの豪勢な宝飾品が贈られてくる。
喪が明けたばかりだと言い訳をし、結婚式は執り行わなかった。
それよりも調査を先決させたい、そんな思いが山茶花にはあったから。
結婚誓約書への署名をもって山茶花は夕星と夫婦となる。
新婚の甘ったるい空気など皆無だ。
これから彼と協力して後宮の謎を解明しなければならない。
山茶花は前を向いて、新しい第一歩を踏み出すこととなった。




