暗い牢の中で
それからどれだけ時間が経ったかわからない。
食事や水など与えられず、異臭が漂い、ネズミが闊歩するような劣悪な環境の中に放置されていた。
ぐう、と空腹を訴えるのは夕星のみで、山茶花は食欲すら湧かない。腹の中にあるのは強い憤りばかりだった。
永遠にこの中に閉じ込められるのではないか、などと思っていたところに兵士がやってくる。山茶花や夕星を拘束したときにはいなかった上官だろう。
「公主様、よくお休みいただけましたでしょうか?」
「おかげさまで」
ありったけの嫌味を込めて山茶花は言葉を返す。
兵士はここの長で、昆楊枝と名乗る。
「長様がこんなところに何用ですの?」
「いやはや、ここにお連れしてからというもの、うだうだとお喋りしないか聞き耳を立てておりましたが、何もおっしゃらないようなので、こうしてやってまいりました」
やはり会話は聞かれていたようだ。何も喋らなくて正解だったわけである。
「少し事情聴取――お話をお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「では」
兵士長は紙の巻物を持った書記官に目配せしてから質問を投げかけてくる。
「なぜ、青香妃を手にかけたのでしょうか?」
「わたくしではありませんわ」
「いやいや、何をおっしゃっているんです。現場では青香妃が亡くなっていた。そこにあなたがいた。言い逃れなどできるような状況ではないでしょう」
「会ったこともない相手に対し、なぜ殺意が沸いたと思うのか、逆にお聞きしたいです」
「女性同士、何かいざこざがあったのでしょう?」
「ございません」
「しかしながら女官に、このような手紙を送っていたのでしょう?」
牢の中に投げ込まれたのは、薬院宮で作られた竹簡である。
その中には青香妃に対する誹謗中傷が書かれていた。
「このようなみすぼらしい巻物を使っているのは薬院宮くらいでしょう」
「たしかにその竹簡は薬院宮で作られている物ですが、手紙自体はわたくしが書いたものではありません」
筆跡がまるで違う。そう指摘するも聞く耳など持たなかった。
「皇帝陛下の側近の一人に、筆跡鑑定人がいたはずです。一度調査を依頼してくださいませ」
「いやいや、そのようなことなど許されません」
「なんでですの!?」
「筆跡鑑定人は皇帝陛下のために存在する者ですから」
事情聴取といったものの、山茶花が不利になる情報しか聞き入れないようだ。
「質問を変えましょう。青香妃を殺害した毒は、何を使われたのですか? もしや、例の〝究極毒〟を使ったのでは?」
「どこでそれをお知りになりましたの?」
「いや、猛毒妃の究極毒なんて、皆知っていることなんですよ!」
山茶花はぎり、と奥歯を噛みしめる。
ごくごく一部の者でのみが知っていた究極毒についての噂話が、後宮に広く知れ渡っているようだ。
「そんなものなんてどこにもありませんわ」
「まさか! 知らないとは言わせないですよ。あの猛毒妃は究極毒を用いて、自ら命を絶ったという話ですから!」
「――っ!!」
それを耳にした瞬間、山茶花はカッと頭に血が上ってめまいを覚える。
そのまま視界が真っ白に染まり、意識を手放してしまった。
◇◇◇
ぽちゃん、ぽちゃん、と水が落ちる音で目覚めた。
「山茶花?」
「あ――」
夕星の声が聞こえて安堵する。そっと伸ばした手を夕星は優しく包み込むように握ってくれた。
「わたくし、眠っていましたの?」
「眠っていたというよりは、気を失って倒れたといったほうがいいかな」
床に伏す前に夕星が体を受け止めてくれたという。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
辺りは真っ暗で、異臭やネズミの気配なども感じる。先ほどと状況は変わっていないようだった。
「兵士長は?」
「帰ったよ。私も事情聴取を受けるつもりだったんだけどねえ」
兵士長について考えるとため息しか出てこない。
彼は山茶花に青香妃殺害の罪を押しつけるつもりでやってきたのだ。
「あの男、まずは皇后に報告するってさ」
「よかった……」
皇后ならば山茶花と夕星を助けてくれるはず。これ以上、状況は悪くならないだろう。
「鳳凰宮に向かって、帰ってきている頃かも?」
「そう、でしたのね」
山茶花はかなり長い時間気を失っていたらしい。起き上がろうとするも、頭がズキンと痛んだ。
「まだ横になっていたほうがいい」
「ええ」
夕星は山茶花の肩を優しく撫でつつ話し始める。
「私も狼灰を呼んでくれって頼んだんだけれど、まるで無視だった」
「お兄様は助けてくださるのでしょうか?」
「助けてくれるに違いないよ。だって、山茶花を大好きなあまり、長年距離を置くくらい大事にしているんだから!」
「どういうことですの?」
「あ!」
何か言ってはいけないことを口にした、とばかりの表情を浮かべる。
「あなた、聞かせてくださいませ」
「まあ、うん、そうだね」
夕星はかつて狼灰から聞いた昔話を語り始めた。
「狼灰は幼少期から目つきが鋭くって、怖がる大人達も多くて」
遊び相手にとやってきた子ども達も遠巻きにし、近づけなかったという。
そんな彼はすくすく成長し、文武両道を擬人化させたような完璧な皇太子として育っていた。
そんな彼に妹姫ができた、山茶花である。
「山茶花は唯一、狼灰を怖がらずに懐いていたんだ」
「そうでしたの?」
「うん、本人がそう話していたよ」
山茶花と狼灰は日に日に打ち解け、仲のよい兄妹となった。
しかしながらある日、事件が起こる。
「山茶花が馬に乗りたいとせがんだから、一緒に乗ったんだ。けれども運悪く落馬してしまって」
山茶花にケガはなかったものの、狼灰は責任を感じてしまった。
もう会わないほうがいい。そう言って山茶花から距離を置いたのである。
「山茶花を無視しているように見えたのは、狼灰の妹愛だったって話」
「そう、でしたのね」
もう一点、狼灰の発言で引っかかった点があった。
それについても聞いてみることにした。
「お兄様が公主はわたくし一人だけだとおっしゃっていましたの。それはなぜ?」
「あーーー、それについてはなかなか込み入った話になるなあ」
ここでは話せないかもしれない。
なんて言っていると、牢の扉が開かれる。やってきたのは皇后だった。




