まさかの人生
実の父親が金欲しさに娘を売るなどありえない。山茶花はそう思ったものの、麗明妃の白い腕には奴隷の証である焼き印がしっかり残っていた。
「信じられないと思っただろう? 冗談でもなんでもない、現実なんだ」
見目美しい麗明妃は髪が短くとも、買い手はすぐに見つかったらしい。
船に乗せられて海を渡ろうとした日、天猽軍が駆けつけ、奴隷商を一掃したという。
「その軍を率いていたのが、皇帝陛下だったんだ」
皇帝の手で直接救助された麗明妃は、相手が誰かも知らずに聞かれるがまま、身のうちを打ち明けたという。
「心優しい皇帝陛下は私に選択肢を与えてくれた。国の祖父母のもとへいくか、それとも妻になるか」
実家に帰すという道は最初から示さなかったらしい。
ここで皇帝は自らの身分を明かしたという。
妻になるといっても後宮入りするということ、苦労はさせないこと、ある程度の地位を与えることを約束したという。
「奴隷印のある私を妻にしてくれる男など、世界中を探しても皇帝陛下くらいしかいないだろう」
皇帝は麗明妃が酷く傷ついていることを察していた。そのため、麗明妃が元気になるまで皇子を望むことはしないと約束もしてくれたらしい。
「破格の待遇だったわけだ」
麗明妃は迷うことなく、その場で自らが生きる道を決めたという。
「祖父母が見ず知らずの孫娘を歓迎するとは思えなかったから、私は皇帝陛下に嫁ぐ決意をした」
異国の血を引いた妃というのは後宮の歴史の中では初めてだったらしい。
「いじめられることを覚悟していたが、現在の皇后である雪花妃はよくしてくれて、私は後宮に馴染むことができたんだ」
思いがけない幸運が重なって麗明妃は自らの居場所を確保することができた。
けれども心の傷が癒えることはなく――。
「気がつけば私は皇帝陛下以外の、ありとあらゆる男という存在を毛嫌いしていた」
雪宮には宦官も働いていたようだが、嫌悪感からすべて解雇したという。
通常であれば武官が門の周辺を警備しているはずなのだが、いなかったのには理由があったのだ。
「好き勝手に振る舞っていた私だったが、皇帝陛下はすべて許してくださった」
それどころか、心が癒やされるものがあればなんでもするといい、と言ってくれたらしい。そんな麗明妃が傾倒したのは、かつて母が愛していた宝飾品だったという。
「母はすばらしい宝飾品をたくさん所有していてね。美しい装飾が施された木箱に収まったそれを見るのが、幼少期の私は大好きだったんだ」
けれどもそれらの宝飾品が麗明妃の父が取り上げてすべて売ってしまった。
そんな過去の心的外傷を癒やすかのように、麗明妃は異国の宝飾品を買い集めたという。
「それだけではなくって、母がかつて着ていたような〝レース〟や〝フリル〟のついた服も好むようになった」
不思議な発音だったレースやフリルというのは異国語だという。
「この襟に施された透かし模様が入った編み物がレース、こっちの裾に縫い付けてあるひだのある布地がフリルなんだ。どうだろうか?」
「とても繊細で、美しいです」
「ありがとう」
数年もの間は誰とも交流せず、皇帝が贈ってくれた宝飾品やレース、フリルを蒐集し、心を癒やしていたという。
「そんな私の環境に変化が訪れたのは、次々と後宮の妃らが変死を遂げた期間からだろうか?」
前日まで元気だったのに朝起きたら冷たくなっていたり、池に浮かんでいるのを発見されたり、数日行方不明になったのちに後宮の外にある竹藪で見つかったり……。
「皆、猛毒妃の暗躍とかなんとか言っていたが、私はそう思えなかった」
山茶花がそんな意見を聞いたのは初めてである。後宮にいる者は皆、母烈華のせいだと考えていると思っていたから。
「薬院宮に引きこもっている者がどうやって次々と後宮の妃達を毒殺していくというのか。どうせ、妃達の死因は流行病か何かだったのだろう」
その当時、帝都亢龍だけでなく、黄禁城でも不治の病が広がり、多くの死者を出していたという。
「医者は後宮外の患者につきっきりで、後宮の妃らを治療する余裕などなかったのだろう」
これらの話は後宮に出入りいていた女商人から聞いていたという。
「後宮の妃らはいくら流行病が原因なんだと訴えても、聞く耳など持たなかった」
それも無理はないという。後宮は閉ざされた世界で、外の情報はまともに入ってこない。流行病を信じないのも無理はないのだ。
「このままではいけない。そう思った私は――宴を開くこととなった!」
麗明妃は胸を張り、誇らしげな様子で語る。
猛毒妃の噂を恐れ、元気がなくなってしまった妃らを集め、宴を開いたようだ。
「もともと後宮には四季の宴があったものの、あれは皆の特技を皇后の披露するような場なんだ」
その当時、母烈華は四季の宴をまとめることを放棄していたため、現在の皇后である雪花が中心になって開かれていたという。
四季の宴は格式高い集まりで、位の低い妃らが楽しめるような集まりではない。
「私が開く宴は誰もが気軽に楽しめる、飲んで食べるだけの集まりなんだ」
後宮の妃達を元気づけるために始めた宴は回を重ねるごとに豪勢になり、食事や酒は各地の名産が集められるようになったようだ。
麗明妃自身もこだわりはじめたことから、しだいに美食妃と呼ばれるようになったと語る。
妃の数が少なくなってからは、女官らを招いて労うような宴を開催しているという。
雪宮の女官が他よりも多いのは、手厚い待遇がなされているからなのだ、と山茶花は思った。
先ほど案内してくれた泰と名乗る女官が元気に働いているのも、麗明妃が大切に扱っているからなのだろう。
「まあまあ、話はこれくらいで、山茶花公主もここの料理を食べてくれ!」
腕のいい料理人を雇い、毎日ごちそうをふるまっているという。
山茶花は食事への毒の混入を疑っていたため、料理を食べて確認することにした。




