雪宮へ
後日、山茶花は鳳凰宮に向かって皇后に報告した。
「顔料が原因で具合を悪くしていたのね」
「ええ、そのようで」
現在、効果的な治療法はないようで、ただただ安静に過ごすよう医者から言われるばかりだったらしい。
「気の毒ね……。まさか顔料や化粧品が原因で皇子の命が散ってしまったなんて」
「本当に。なんと言葉をかけていいものかわかりませんでしたわ」
何か目にいい薬はないのかと聞かれ、山茶花は枸杞子がいいのではないか、と助言する。
「枸杞子は主に目の不調に効果があるとされていますの」
他にもめまいや頭痛、虚弱など、翡翠妃が訴えていた不調に効果を発揮する。
「へえ、そうなの」
「あとは菊花も一緒に摂取すると尚よいかと」
菊花には体内の毒を排出させる解毒作用がある。鉛に効果があるかわからないものの、気休めくらいにはなるだろう、と山茶花は助言した。
「山茶花、驚いたわ。あなたは薬についても詳しいのね」
「毒と薬は表裏一体ですので」
「そうなの」
枸杞子と菊花は乾燥させたものを茶として飲むことを勧めておいた。
「山茶花、今後、暇があるようだったら花宮を訪問して、翡翠妃を元気づけてあげてね。私も面会にいったのだけれど、励ますことくらいしかできなかったから」
翡翠妃と皇后は同じ年頃の者同士、意識をする部分もあって気まずいところがあるのかもしれない。山茶花はそんなことを考えていた。
ちなみに翡翠妃の兄はすぐに捜索が開始されたようだが、今のところ見つかっていないらしい。
名を玉尖功といい、黄禁城を追放されたあとは故郷に帰らず、小さな商会に入って働いていたようだ。
それから十五年後に独立し、独自に商売を始めたようだが失敗続きで、翡翠妃に金の無心をすることも一度や二度ではなかったようだ。
当然ながら翡翠妃が自由にできる財などないので、兄の懇願はすべて断っていたらしい。
商人であれば、鉛入りの化粧品が危険だということは把握しているはず。それをあえて贈ってきたということは、翡翠妃への恨みが貯まっていたのか。それとも別の目論みがあったのか。それは尖功のみが知りうることなのだろう。
尖功の行いを耳にした皇帝は怒り、すぐにでも捕らえるようにと命じるらしい。
連れ戻るさい、尖功の首だけでも問題ないと言っているという。
各地に尖功の似顔絵が描かれた指名手配書が配布され、貼り付けられているようだ。
捕まるのも時間の問題なのだろう。
「山茶花、それにしても、見事だわ。風宮に続いて花宮の事件も解決するなんて」
「今回は翡翠妃が心を開いてくださったので、運よく上手くいったのでしょう」
「運も実力のうちだわ。雪宮の問題もどうぞよろしくね」
「可能な限り善処いたします」
雪宮には美食妃と呼ばれる胡麗明が体調不良を訴えているという。
彼女は酒と贅沢な食べ物が大好きで、夜な夜な宴を開いていたらしい。
けれどもある日を境に、吐き気、嘔吐、下痢を繰り返していると聞いている。
「こちらも毒としか思えない症状を訴えていますのね」
「ええ」
なんでも彼女は大の医者嫌いで、診察を受けさせてくれないらしい。
また薬嫌いでもあるらしく、女官達は困り果てているようだ。
「症状は長く続かず、数日休んだら回復するようなんだけれど……」
治ったからと言って暴飲暴食を行い、再度似たような症状を訴えるという。
「単なるお酒の飲み過ぎ、食事の食べ過ぎである可能性が高いかもしれないけれど、念のために調査に行ってくれる?」
「ええ、もちろんそのつもりです」
そんなわけで山茶花は一人で雪宮に向かうこととなった。
ちなみに夕星は毒草で指を切ってしまい、それが原因で寝込んでいる。
南天が看病しているので心配はないと山茶花は考えていた。
いつもは夕星と歩いている道を一人で行くとなれば、途方もなく長い道を進んでいる気持ちになる。
彼がいないのが当たり前だったのに、不思議なものだと考えながら歩いていた。
ふと、美しい梅の花が咲いている様子を目にする。近くにあった桃の花も蕾が膨らんでいるようだった。
バタバタと忙しい日々を過ごすうちに、季節は移ろいかけていたようだ。
春も近いのだろう。山茶花は花々を見ながらそんなことを考えていた。
胡麗明――彼女は底抜けに明るく、豪快な人物だと聞いている。
何度か薬院宮にやってきたこともあり、母烈華が世界一苦手な女だと零していたのをふと思い出す。
直接会ったことはないものの、麗明が薬院宮の外から烈華を呼ぶ叫びを思い出して恐れてしまう。
きっと太陽のように明るい女性なのだろう。
なんとか上手く話せますように、と今は神に祈る他ない。
雪宮は純白のレンガを積んで造られた、新しく降り積もった雪を思わせる美しい外観をしていた。
扉を叩くと老齢の女官が顔を覗かせる。
「あなた様は?」
「皇后の依頼でやってきました、桜山茶花ですわ」
「ああ、公主様でしたか! これは失礼をしました」
女官の年頃は六十を過ぎているように見えた。天猽に生きる人々の人生は長くても六十年と言われているので、この年まで働いているのは奇跡のようだと山茶花は思った。
「わたくしめは泰と申します」
皺が刻まれた手を重ね、泰と名乗る女官は深々と頭を下げたのだった。
麗明妃は起きているというので、すぐに面会が叶うらしい。
私室へ案内してくれるという。
長い廊下を歩きながら、女官は麗明妃についていろいろと教えてくれた。
「病の噂が流れてからというもの、お客様がいらっしゃらないものですから、麗明妃も退屈されていらっしゃるようで。とても喜ばれると思いますよ」
なんでも麗明妃は身分問わず、黄禁城を訪れた者を雪宮に招待し、毎日のように宴を繰り広げていたらしい。
「異国の姫君や踊り子、春を売る人々だけでなく、皇帝がひっそり囲んでいた情人なども呼び寄せておもてなしをされていたんですよ」
「そ、そうでしたのね」
招待する対象があまりにも広範囲過ぎて、山茶花には一生理解できないと思ってしまう。
「子宝には恵まれませんでしたが、麗明妃の明るさは皇帝もお気に召していたようで」
その話を聞いてふと疑問に思う。
「その、あまり大きな声では言えないのですが、皇子の数が少ないのは気のせいでしょうか?」
数多くの妻がいるにも関わらず、現在の皇帝は狼灰、山茶花、月花の三名しかいない。
女官もそう思っていたと頷く。
「ただ、子が少ないのは歴代の皇帝陛下も同じなんですよ」
特に次代の皇帝となる男児が生まれにくく、悩みの種となっているらしい。
それは呪いのようなものだと女官は話す。
「なんでも双子は忌み子だとか言って、あとから生まれたほうを殺していたようなのです」
「酷い話ですこと」
「本当に」
なんでもその昔、双子の皇子がいたようだが、どちらが跡継ぎになるかケンカとなり、内戦に発展してしまったらしい。
国は壊滅状態となり、以後、国で双子の皇子が生まれた場合は片方を亡き者にするよう命令が下るようになった。
これまで殺された赤子が呪いと化し、国を繁栄させないようにしているのではないか、と影で囁かれているようだ。
「実は、皇帝陛下は双子だったそうですよ」
「まあ!」
「二人で国を統治し、多くの妃を迎えたら、皇子もたくさん作れたのに、と思いますけどねえ」
「難しい問題なのでしょうね」
そもそも、兄弟が仲よく政治を行うということ自体が難しいのかもしれない。
山茶花はそんなふうに考えていた。




