気持ちの変化
廊下に出ると敷物が広げられ、茶や菓子でもてなされる夕星の姿があった。
「ええっ、翡翠妃は絵画に使う顔料も自分で作っているんだー」
女官らと楽しくお喋りに興じていたようで、山茶花はムッとしてしまう。
「あ、山茶花、もう終わったの?」
「ええ、あなたが楽しんでいらっしゃる間に、調査は済ませました」
あとからやってきた松厘、竹厘、梅厘らが女官らを見て、「何をしているのですか!」、「散りなさい!」、「業務に戻るように!」と一喝する。
「公主様、申し訳ありません」
「お茶とお菓子を出すようにとは言っていたのですが」
「まさかあのようにつきっきりでもてなしていたなんて」
「いいえ、お気になさらず」
夕星のほうを見ずに山茶花はスタスタと廊下を歩いて行く。
「山茶花、待ってよー」
山茶花が翡翠妃と深刻な話をしている間に、夕星は女官らと楽しい時間を過ごしていた。その事実がどうしようもなく腹立たしく感じてしまったのだ。
「もしかして怒ってる?」
「いいえ」
「いや、怒っているよー。山茶花もおもてなしを受けたかったの?」
「そうではありません」
なぜ怒っているのか。それは夕星だけがおもてなしを受けていたからではない。
女官らと楽しそうに会話をしている姿を見て、面白くないと感じてしまったのだ。
なぜ、そのような感情を抱くのか。それはただの怒りではなく、嫉妬心――。
気付いた瞬間、山茶花はいやいやありえないと自らの考えを否定する。
夕星が女官らと楽しげにしている姿を目にして嫉妬するなど、まるで本当の妻のようではないか。
それも、相手に好意を抱いているかのように思えてしまう。
「ないない、絶対ありえませんわ!」
「何が?」
「なんでもありません!」
山茶花はその足で鳳凰宮に向かうこととなる。
花宮の女官らは馬車を用意し、鳳凰宮まで送ってくれた。
車内で山茶花は翡翠妃から得た情報について報告を行う。
「なるほど、貝毒かー。また厄介なやつだね」
「ええ」
販売している貝すべてに毒が含まれていたら、騒動となって噂話が広がっているはずである。何もないということは、翡翠妃が口にした貝にだけ毒が含まれていた可能性が考えられるのだ。
「とにかく、調査しませんと」
「そうだね」
鳳凰宮へは突然の訪問になったものの、夕星が月花を訪問したと伝えたらすぐに面会が叶った。
「夕星、わらわになんの用事だ!!」
そう言って元気よく部屋に飛び込んできた月花だったが、山茶花がいるのを見て表情を険しくさせる。
「山茶花! どうしてお主がいる!?」
「わたくしは彼の妻ですので、一緒にいることは不思議ではないかと」
「なんだ、自慢か!?」
「いいえ、事実を述べただけですわ」
一触即発の空気になったものの、夕星が「まあまあ」と言うだけで月花は大人しくなった。
「それで何用なのだ?」
「少し話を聞きたくって」
「なんでも聞いてくれ!」
月花は夕星が自分に興味があって訪問してきたと思い込んでいるらしい。
けれども次なる一言で表情が一変する。
「翡翠妃に送った食材について聞きたいんだ」
「なんだ、そんなことか」
山茶花はちらりと月花の様子を盗み見る。彼女が送ったという食材に聞いても、焦る様子などは見受けられない。
もしも毒を仕込んでいて、かつ翡翠妃の名前を出したら動揺を見せるはずだ。
月花は単純に、夕星の興味が自分にはないことへの落胆のみしか見せていない。
「食材がどうした? 別に特段珍しくもない品を、商人に頼んで贈ってもらっただけなのだが」
「どこで買ったか、とかわからないかな?」
「皇室御用達店から取り寄せたものだ。どのような品だったかは直接目にしていない」
「そうだったんだね。ありがとう」
ただ礼を言われただけなのに、月花は舞い上がったかのような表情を見せ、頬を赤めながら頷いていた。
彼女は夕星のことが本当に好きなんだろうな、と山茶花は内心思う。
公主の身でありながら恋心を抱いてしまうなんて、ある意味不幸だと思った。
誰かを好きになるというのは奇跡だろうが、その恋が叶うことなどありえないから。
公主である以上、その身は政治的に利用される。顔を合わせたことのない相手と結婚するのが常なのだ。
月花の場合は政略結婚が決まっていて、余所の国へ嫁がないといけない。
相手は親子ほど年が離れた男性だという。
恋物語のような華やかな結婚生活など送れないことなど月花本人もわかりきっているだろう。もともと気に食わなかった山茶花が夕星と結婚したので、余計に悔しいのかもしれない。それゆえに強く当たるのだろう。山茶花はそう考えていた。
「よろしかったら、その商人をお呼びして、話をさせましょうか?」
「うーーーん、どうする山茶花?」
「呼んでいただきましょう」
「山茶花、お主はお呼びでないのだが」
「ですって」
「いや、山茶花がいないと公主様と面会なんてできないよ」
夕星がまっすぐな瞳を向けて言うので、月花は我を通すことができなかったようだ。
結局、商人との面会の席に山茶花がいることを許された。
その後、鳳凰宮を辞し、山茶花と夕星は翡翠妃の絵が展示されている皇帝の画廊を訪問する。
山茶花が翡翠妃の絵をじっくり見てみたいと望んだのだ。
通常であれば許可されていないのだが、天帝の眷属である夕星は自由に立ち入っても問題ないようだ。
蝋梅の間には今にも香ってきそうな見事な筆致で黄色い花が描かれている。
「まるで本物の蝋梅を見ているようです」
「本当に!」
年々、翡翠妃の絵画の腕前は上がってきているようだった。
それらの絵画は製作工程などを聞かずともわかる。翡翠妃は命をかけて描いているのだ。
「去年描いた蝋梅なんかは、手に取れそうなくらい写実的だ」
「ええ。帝都一、いいえ、世界一の腕前の持ち主なのでしょうね」
ここには一枚だけ、皇帝の絵が飾られている。
毎年、新しく描いたものを一年間に限定して展示しているようだ。
「わあ、皇帝陛下の絵、けっこう大きいんだ」
「他の絵に比べたら、倍くらいの規模ですわね」
等身大と言っても過言ではないくらいの大きさである。
「肌の質感とか布のやわらかさとか、皇帝陛下の威厳まで伝わってくる絵だ」
「すばらしい肖像画ですわね」
彼女の生きた証は絵画として残されている。山茶花はなんだか羨ましく思ってしまった。
そんな感想を口にすると、夕星は思いがけないことを言ってきた。
「だったら山茶花は毒の展示会とか開いてみる?」
「猛毒妃の娘の展示なんか、誰が興味を持つというのですか」
「みんな、猛毒妃については興味があるみたいだから、集客は期待できると思うけれど」
市井に伝わる恐ろしい幽鬼や妖怪の類いに並んで、猛毒妃の存在も噂になっているらしい。
「まさか母が幽鬼や妖怪に並んで恐れられているなんて――おかしいですわ!」
山茶花は思わず笑ってしまう。夕星が真面目に話すので余計におかしく感じてしまったのだろう。
「毒の展示会、いいと思うんだけれど」
これまで毒草園の毒は害が出ないように処理し、人の目がつかない場所に隠しておくべきだ、と山茶花は考えていた。
「誰も手に取れないような安全な展示方法があるのならば、そのような催しをしても面白いのかもしれませんね」
「そうでしょう?」
毒の存在こそが山茶花がこれまで生きた証となる。
それがわかったことだけでもよしとしよう、と山茶花は考えたのだった。




