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薬院宮の毒草公主は平穏を望む  作者: 江本マシメサ
第二章 花宮――画師妃の焦燥

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翡翠妃の追憶

 渦鞭毛藻の毒に侵されると症状が長く続く。


「一年以上、続くこともあるようで」

「だったら、この毒で間違いないってこと?」

「まだはっきりそうだと言える段階にはないのですが」


 この毒の特徴として、関節痛などの神経に影響が出るものがあるのだ。

 翡翠妃の症状と合致する部分もあるので可能性は高くなる。


「手足の痺れ等はありましたか?」

「ええ、少しだけ」


 ただ翡翠妃は普段から手足の痺れを感じていたので、あまり気に留めていなかったという。


「筆を強く握ると、手がじんじんするの。作業をしているときは気にならないけれど」


 足はずっと正座をしているので、痺れを感じるのだとか。


「起きている時間のほとんどは絵を描いているから、それ以外の時間に痺れているかどうかはわからないの」

「そういうわけでしたのね。では、舌先などの痺れは感じますか?」

「いいえ、それはないわ」


 症状は人それぞれで統一されているわけではない。そのため話を聞くだけでは判断が難しい。


「少し、脈に触れてもよろしいでしょうか?」

「ええ、問題ないけれど、それで何かわかるの?」

「ええ。この毒に侵されている場合、徐脈といって脈拍が遅くなりますの」

「そうなのね。どうぞ」


 脈拍を取ってみたが普通の人より少し遅く感じる。ただこれも判断しうる材料としては弱い。


 翡翠妃が受け取った食材の中でもっとも怪しいとされるのは、新鮮な二枚貝である。


「召し上がった貝は、どのような形で提供されましたの?」

「たしか、貝柱を蒸したものだったかと」

「貝柱……」


 貝毒は中腸腺ちゅうちょうせんに蓄積される。かといってそれを取り除いたら毒の影響はない、とは言い切れないのだ。


「月花からどこで貝を購入したか聞いて、調べてまいります」

「ええ、お願い」


 月花が山茶花相手に素直に話してくれるとは思わなかったものの、こちら側には夕星がいる。上手く立ち回ってもらい、情報を得るしかなかった。


「ちなみに貝毒だった場合、どんな治療がなされるの?」

「治療法はありません」


 麻痺性貝毒には効果がある解毒剤などはない。対策としてはこれ以上疑わしい貝を食べないことや、じっくり療養するしかないのである。


「そう……」


 翡翠妃は自らの手を見つめ、重く長いため息を吐いていた。

 彼女にとって絵を描くことは命がけで、生きる喜びとも言えるのだろう。それが満足にできないとなっては心的外傷も大きかったに違いない。山茶花はそんなことを考える。


「あなたはどうしてそんなに毒に詳しいの?」

「そういう環境下に生まれたから、でしょうか?」


 毒に関しては好きでも嫌いでもない。ごくごく当たり前に山茶花の人生の傍にあったのだ。


「私と同じだわ」

「翡翠妃と、ですか?」

「ええ」


 翡翠妃の実家は有名な画師を何名も輩出している一族で、物心ついた頃から筆を握って絵を描いていたらしい。


「始めの頃は枝を握って地面にらくがきをして、その次は絵が描ける石で壁に絵を描いて、ついには筆を握って兄達が失敗した紙の裏を使って描き始めたのよ」


 けれども兄に比べ、翡翠妃は画材など満足に揃えてもらえず、いつもボロボロになったお下がりばかり使っていたという。


「下手くそなお前に使わせるわけにはいかない、なんて兄に罵られる毎日だったの」


 女性画師というのは認められておらず、いくら上手くても評価されない世の中なのである。明らかに翡翠妃のほうが実力が上であっても、両親は琴を弾いたり、詩を書いたりするよう勧めていたのだとか。

 そんな状況でも、翡翠妃は絵を描きたいと訴え続けていた。


「画材は高価だということを、そのときの私は知らなかったのよ」


 そんな兄がある日、画材を分けてくれた日があったという。


「その日の兄は酷く優しくて、新品の画材を用意して好きなものを描くといい、なんて言ってきたわ」


 翡翠妃は大好きな蝋梅を描き、一ヶ月かけて完成させた。


「初めて満足のいく絵が描けたの」


 女性が描いた絵など、どうせ誰にも認められない。この蝋梅の絵は自分だけの宝物にしよう。なんて翡翠妃は思っていたのだが、兄は蝋梅の絵を盗んでいなくなってしまう。


「それから数ヶ月後に、兄は宮廷画師になったと両親から聞いたわ」


 翡翠妃は兄が宮廷画師になったことに対し、単純にすごいとしか思わなかったのだが、見事な蝋梅の絵を提出し掴んだ合格だと聞いて信じがたい気持ちになる。


「兄は私の絵を提出し、試験官を騙して合格したのよ」


 女性の描いた絵でも男が描いたことになれば評価される。

 兄に絵を盗まれたことよりも、その事実のほうが衝撃を受けた。

 皆、わかっていて女が描いた絵は評価できないと言っていたわけではないのだ。


「ただ女が描いた事実が気に食わなかっただけだったのよ」


 その後、翡翠妃は塞ぎ込み、筆を握れない日が続いた。そんな日々を過ごす中で、驚きの情報が飛び込んできた。


「蝋梅の絵を描いたのは兄ではなく、私だったということが露見したみたいで」


 罰として兄は処刑。実家の財産もすべて押収された。


「何もかも失った私は、春を売るように両親から言われてしまったの」


 絶世の美姫として名高い翡翠妃を買いたいと望む男性が大勢いたらしい。

 そんなことをするくらいだったら、死んだほうがマシだ。


「川に飛び込もうとした私を引き留めたのが、黄禁城からやってきた武官だったの」


 蝋梅の絵を描いたのが翡翠妃だと証明できたら、兄の処刑は回避させることができる。


「それを聞いて、知ったことではないって思ったわ。けれども皇帝陛下だけは、私が本当に蝋梅が描けるのか知りたい、っておっしゃったそうよ」


 女性の絵が評価されない中、皇帝は翡翠妃の実力を知りたいと望んだのだ。

 翡翠妃は皇帝ならば認めてくれるかもしれないと思い、黄禁城へ登城した。


「通常であれば一ヶ月かかるような作品を、三日で仕上げたの。その絵を皇帝陛下はすばらしい腕前だと褒めてくださった」


 幼少期より、認められることがなかった絵を初めて認めてくれたのが皇帝だった。


「その瞬間、死んでもいいって私は思ったわ」


 後宮入りに関しても、翡翠妃にとっては僥倖ぎょうこうに恵まれたことだったと語る。


「後宮の妃ではなく、宮廷画師になりたいとは思いませんでしたの?」

「どうせなっても、兄みたいに嫉妬深い男達にいじわるをされるだけだっただろうから、自分の製作に集中できる工房と画材を与えられる妃の立場でよかったと思っているわ」


 翡翠妃は自らの絵を世間に認められたい、という気持ちはないらしい。

 描いた絵のすべては皇帝のために。そんな想いで筆を握っているという。

 自らの人生について話し終えた翡翠妃はスッキリしたような表情に変わっていた。


「思えば今よりも、両親に春を売るように言われ、川に飛び込もうか悩んでいるときのほうが苦しかったわ。それに比べたら、今の状況なんて楽なほうよ。ずっと健康かつ恵まれた環境にいたから、我が儘になっていたのね」


 山茶花はなんて言葉を返したらいいかわからず、頷くだけにとどめた。


「このところずっと、思うように絵が描けなくって苛立ちとふがいなさを覚えるばかりだったけれど、振り返ってみたら悪い人生ではなかったことを思い出すことができたわ」


 翡翠妃は山茶花の手を握り、ありがとうと感謝の言葉を伝える。


「もう少しだけ頑張ってみるわ」

「ええ」


 翡翠妃の新作を楽しみにしている。そんな言葉と共に山茶花は寝所を辞したのだった。

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