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薬院宮の毒草公主は平穏を望む  作者: 江本マシメサ
第二章 花宮――画師妃の焦燥

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誰の命令なのか

「夕星、その命令書は誰から受け取った?」

「依頼書と一緒にあったやつだよ。一緒に渡してきたから、てっきり君が書いたものだと思っていたけれど」

「知らない。そんなことなど命じていない」


 狼灰でないとしたら、皇帝か皇后のどちらかである。


「署名はあったか?」

「ございませんでした」

「おかしい。陛下や皇后が何か命令をするさいは、必ず名前が書かれてあるのに」


 言われてみればそうだった、と山茶花は今になって思う。

 あの日、狼灰に似た青年が許可もなく毒草園にやってきたので、内心動転していたのだろう、と振り返る。


 ひとまず狼灰は皇帝に確認するという。


「だったら私達は皇后に聞いてくるよ」

「なるべく早く確認してほしい」

「了解」


 猛毒妃の死から一年。今になってなぜ、究極毒について触れたのか。本当にそのような物など存在するのか。新たな謎が浮上する。


「後宮の妃らが怖がるから、究極毒とやらを確保しておきたいだけだとは思うが」


 ひとまず調べるならば早いほうがいい。狼灰はそう言って立ち上がる。そのままの足で皇帝に話を聞きに行くようだ。


「皇帝陛下に話を聞き、夜までに薬院宮の門に矢文を送るゆえ」

「山茶花、私達はどうする? 伝書鳥とか持っていないよね?」

「ええ」

「夕星が報告に走ればいいだろうが」

「ええ~、このあとの時間は山茶花とゆっくり過ごしたいのに」


 狼灰がジロリと睨むと、夕星は小さな声で「わかったよ、行くよ」と諦めたように言った。


 その後、山茶花と夕星は玄武殿をおいとまし、馬車に乗って後宮に戻ると鳳凰宮を目指す。

 突然の訪問だったが、皇后は快く迎えてくれた。


「究極毒についての命令? いいえ、知らないわ」


 皇后は寝耳に水、という感じで目を見張りながら言葉を返す。


「陛下がそのようなご命令をされたの?」

「いえ、それが署名がなく、皇帝陛下か皇后陛下、どちらの命令だったのかな、と思いまして~」


 夕星の緊張感のない言葉遣いに気が緩みそうになるが、皇后が扇をパッと開いた瞬間に空気が引き締まった。


「陛下だったとして、なぜ究極毒を必要としているのかしら?」

「四夫人が体調不良を訴える中、母の究極毒が薬院宮に保管してあると耳にして、不安がっているので、皇帝陛下ご自身が保管しておこう、と考えていらっしゃるのかもしれません」

「それもそうだけれど、究極毒というのは実在のない、噂みたいなものでしょう?」

「ええ、わたくしはそう思っているのですが」


 ただ、山茶花は母親に対する記憶のほとんどを失っている。そのためはっきりないとは言えない。南天もそんなものはないと言っているので、皇后の言うとおりこの世に存在しないものだと山茶花は思っていた。


「皇太子殿下が皇帝陛下にも聞いているようなので、何かわかりましたら報告にまいります」

「ええ、お願いね」


 続いて次に調査に行く予定の四夫人について話を聞いておく。


「明日、花宮の翡翠妃のもとに調査に行く予定なのですが」

「翡翠妃ねえ……」


 風宮の問題を解決したと聞きつけた女官が山茶花のもとに文を送り、早く来てほしいと訴えてきたのだ。 


 翡翠妃は四夫人の中でも古株で、十五歳の春に後宮入りし、今年で十八年経ち、三十三歳となった。

 そんな彼女は画師妃と呼ばれ、黄禁城にいるどの画師よりも美しい絵を描くことで有名だという。

 始めは趣味で描いていたようだが、その絵を兄が持ち出し、宮廷画師の試験に合格してしまった。

 兄は翡翠妃ほど絵の腕前が堪能ではなく、すぐに替え玉に描かせたものだとバレてしまった。

 皇帝は兄が試験で合格した絵をたいそう気に入っていたらしく、騙してやってことに怒り、処刑を宣言する。

 ずる賢い兄は妹が描いたものだと白状し、代わりに宮廷画師として連れてくるからと許しを乞うた。

 けれども宮廷画師は女性の登用を許されていなかった。さらに皇帝は翡翠妃が描いたものだと信じていなかったのである。

 妹を連れてきて絵を描かせ、もしも嘘だったら兄を処刑する。皇帝はそんな決定を下した。

 その後、翡翠妃は登城し、皇帝を唸らせる腕前を披露した。

 絵の才能だけでなく、美貌も併せ持っていたため、兄の処刑を許す代わりに後宮に入ることとなったのだ。

 翡翠妃は絵の才能を認めてくれた皇帝に心酔し、寝る間も惜しんで作品作りをしていた。

 十五歳のころから十八年間ずっと。

 女官達の努力もあって体調を酷く崩すことはほとんどなかったようだが、ここ半年ほど具合が悪いと言って寝込むことが多くなったという。


「翡翠妃はこれまで何度か妊娠していたようだけれど、すべて流産したみたいで……」


 半年前にも流産したばかりだという。


「今回で五回目かしら?」


 後宮に出入りしている医者曰く、翡翠妃妊娠しにくい体質なのではないか、という診断があったという。本人にも伝えているようだが、そんなわけないと否定しているらしい。


「翡翠妃本人は諦めていないようだし、今後も機会があれば子どもを産みたいと話していたわ」


 ただ、翡翠妃体が強いほうではなく、これ以上は体に負担がかかるので、今後は夜のお渡りも控えたほうがいいと医者からやんわり言われてしまったそうだ。


「具合が悪いのに、作品作りの手は止まらないようで」


 現在、皇帝の肖像画の制作に取りかかっているようだ。一年以上前から描き始めているようだが完成はまだ先だという。


「体がよくなってからになさいな、って何回も言っているのに、聞く耳を持たないのよ」


 思思妃とは別の方向で我が強い性格だという。


「普段はいい人なの。控えめな性格で、私の言うことも聞くのに、絵が絡んだら目をギラギラさせて、周囲の声も聞こえなくなるくらい集中するようで」

「それはそれは、大変なお方なのですね」

「ええ、そうなの」


 現在、翡翠妃を襲っている症状は突然のめまいに骨や関節の痛み、それから耳が聞こえにくくなるというもの。

 翡翠妃の症状も、聞けば聞くほど誰かに毒を盛られたようにしか思えない。


「そういう症状が出る毒ってあるのかしら?」

「いえ、その、この場ではなんとも言えませんわ」


 思思妃のときのように、女官に話を聞きつつ調査しないといけない。山茶花はこの場で毒と決めつけたくはなかった。


「では、皇太子殿下から何か報告がありましたら、知らせを持ってまいります」

「お願いね」


 会話が途切れたのと同時に山茶花はふと気付く。皇后を取り巻く女官の数が普段よりも少ないことに。


「女官の数が少ないようですが、どうされましたの?」

「数名、風宮に送ったのよ」


 あと、数名体調不良で倒れ、なかなか治らないため実家に返しているという。


「流行病が蔓延しているみたいだから、あなた達も気をつけて」

「はい」


 そんな会話を最後に、山茶花と夕星は皇后と別れる。

 廊下を歩いていたら、どたばたと賑やかな足音が聞こえた。

 元気よくやってきたのは山茶花の腹違いの妹、月花だった。


「夕星様、よくきたな!」

「君はたしか――」

「天猽国唯一の公主、月花だ!」


 夕星だけでなく山茶花もいるし、唯一の公主というのも引っかかる。そんな思いで山茶花は月花を見ていたものの、どうやらいない者として扱っているらしい。


「どうだ、これから茶でも飲まないか?」

「いえいえ、とんでもない。またのご機会に」

「遠慮するな」


 月花は夕星の手を取ろうとしたものの、触れる寸前で彼は大きく回避した。

 その結果、月花は空足を踏んで転倒することとなる。


「きゃあ!」


 尊厳の欠片もないようなかわいい悲鳴だった。それを見た夕星は「あらら」と声をあげるものの、助けようとしない。

 仕方がないと思って山茶花が手を差し伸べたが、叩き落とされた。


「何をなさるのですか」

「それはこっちの台詞だ!」


 夕星が女官達に「公主様をお助けしたら?」と促すと急いで体を支える。


「覚えておけ!」


 そんな言葉を残して月花は去っていく。まるで嵐のようだった、と思いつつ彼女が去りゆくのを夫婦で見守った。

 鳳凰宮からの道のりを歩いて行く。


「あの人、いつもあんな感じなの?」

「ええ、まあ……」

「同じ公主だから、一方的に敵対視されているんだ」

「どうでしょう?」


 夕星に好意を抱いているのを伝えるか迷ったが、おそらく先ほどのやりとりで気付いているだろうと思い、あえて言わなかった。


「それにしても、なんだか次の問題も厄介そうだねえ」

「そうですわね」


 流産の後遺症と肖像画制作の無理がたたり、症状が出ているのではないか、と山茶花は思う。けれどもそうであれば、医者がはっきり病気だと言うはずだ。

 これまでさまざまな薬を服用してきたようだが、どれも効果がなかったという。

 果たして、毒でも呪いでもない理由が花宮に隠されているのか。


「明日、調査にいってみなければ、なんとも言えませんわね」


 どうか母烈華が関わっていませんように、と祈ることしかできない山茶花だった。

 途中で夕星と別れ、山茶花は一人で薬院宮に戻ることとなる。

 例の巻物を今一度確認しようと貴重品を保管している棚を覗いたら、紛失していることに気付いてしまった。

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