兄狼灰からの呼び出し
夕星への気持ちを愛と自覚した山茶花だったが、それはほんの小さなものだと思っている。
蝋燭に点した火と同じで、どんな大きさでも愛は愛。
特別気にするような感情ではないだろう、とこのときは思っていた。
それから数日後、次なる四夫人の問題へ取りかかろうと思っていた矢先、兄狼灰から「話があるので訪問するように」という命令を受ける。
黄禁城にある四つの宮殿の一つ、玄武殿に夕星と揃ってやってきた。
客間で待つ間、夕星がここに呼びだされた心当たりについて挙げ始める。
「やっぱり山茶花との結婚を勝手に決めたから怒っているのかな」
「それはありえないと思いますわ」
「どうして?」
「お兄様はわたくしに興味ありませんもの」
「でも、自分が認めた臣下に降嫁させようとか考えていたのかもしれないよ」
「そうであれば、結婚適齢期になる前に何か言っていたでしょう」
「うーん、そうかなー」
他にも狼灰のまんじゅうをこっそり食べてしまったり、服を借りたり、愛犬を勝手に散歩をさせたり、と挙げればきりがないくらいの心当たりがあるという。
「狼灰に怒られたことはないけれど、怒ったら怖いんだろうな」
そうだろうと山茶花は同意したものの、その程度で怒ることもないだろうとも思っている。
「山茶花、怖いから狼灰との面会中、ずっと手を握っていて!」
「何をおっしゃっていますの? いい大人なんですから、我慢を――」
言いかけたところで狼灰がやってきた。
このように至近距離で会うのは初めてである。遠目でしか見かけたことのない兄が傍にやってくる、というのも不思議なものだと山茶花は感じていた。
「待たせた」
その言葉に夕星は「今やってきたばっかりなんだ~~」と早口で返した。かれこれ一時間ほど待っていたのに何を言っているのかと内心思う。
夕星と狼灰は握手を交わしたあと、背中を叩き合いという親しい同志の挨拶を交わしていた。
こうして並んだ二人の姿を見ると、そこまで似ていないなと山茶花は思う。
夕星は華やかな雰囲気があり、顔立ちは柔和で表情もやわらかい。
一方、兄狼灰は冷たい雰囲気があり、顔立ちは厳格という字を擬人化したようで、怜悧な空気をこれでもかと放っている。
天帝の眷属である夕星のほうが温かで人間らしく、狼灰のほうが造り物のような冷静沈着な様子を見せていた。
「それで今日は、どうして私達を呼びだしたのかな?」
山茶花は目を疑うくらい、夕星の目は落ち着きなく泳ぎ回っていた。
ただそれも狼灰は欠片も気にしていないようで、何やらごそごそと懐を探っている。
それを見た夕星は暗殺されるのかと思ったのか、急に山茶花へ抱きついてきた。
「なっ――!」
「山茶花の命だけはお助けを!」
「何を言っているのだ」
狼灰はただただ冷静に言葉を返すと、卓に布に包んだ細長い何かを置いた。
「あの、狼灰、それは?」
「結婚祝いだ」
しーーーーん、と静まり返る。
まさかの贈り物を前に、山茶花と夕星は言葉を失ってしまった。
「どうした? 早く受け取れ」
「は、はい!」
夕星が元気よく返事をし、包みを自らのもとへ引き寄せる。
開いてみると、中から絵に龍が彫られた短剣と銀で山茶花を象った簪が出てきた。
「二人の結婚を祝して、異国の商人を呼び寄せて買った品だ」
「わ、わあ、すごい! かっこいい!」
夕星が簪を差しだしてくれたので、そのまま受け取る。
銀を加工して作った山茶花の簪は美しく、思わずほう、とため息をついてしまった。
「山茶花の簪だ。きれいだねえ」
「ええ」
狼灰に感謝の気持ちを伝えると、別に大した品ではない、とぶっきらぼうに返される。
「いやいや、大した品だよ。この花は異国の固有種だから、この国で山茶花を模した細工は見つけられなかったんだよね?」
返事をする代わりに狼灰は明後日の方向を向く否定しないので、夕星の言うとおりなのだろう。
「わざわざ探してくださったのですか?」
「ただ一人の公主だからな」
その言葉を聞いて、狼灰から妹として認識されていたのかと山茶花は意外に思う。
「なんだ、その顔は」
「いえ、お兄様は妹の存在など把握していないものだと思っていましたので」
「そんなわけがあるものか」
ふと、記憶が蘇る。母烈華を亡くした晩、自分には家族と言えるような存在がいなくなってしまったのだ、と途方に暮れていたことを。
皇帝は間違いなく父親だが、遠い存在のように思えて家族だと認識できなかったのだ。
狼灰は妹山茶花の結婚を祝し、名前を冠した簪を探してきてくれた。
きっと大変だっただろう。そんなことを考えると、胸が熱くなる。
「お兄様、簪、とても嬉しく思います。ありがとうございました」
「礼には及ばん」
会話が途切れると夕星が一言物申す。
「あの、狼灰。君にはもう一人、妹君がいるからね」
「誰だ?」
「いやいや、誰だって、雪花皇后の娘月花だよ」
「ああ、あれは認めていない」
「どうして!?」
狼灰は言葉を返す代わりに腕組みし眉間に皺を寄せる。
月花を公主と認めない何かがあるのだろうが、この場で語ることはなかった。
「えーと、会話が途切れたようなのでー、ここはお開きにします?」
夕星がちらりと狼灰を見ていたようだが、じろりと強い眼差しを返されていた。
「待て、座れ」
「はい」
帰るために立ち上がっていた夕星だったが、主人に命じられた犬のようにすとんと腰を下ろす。
「後宮の問題について、山茶花が調査していると聞いた。間違いないな」
「はい」
返事をするやいなや、狼灰は頭を下げた。
「なっ、お、お兄様!?」
「狼灰が頭を下げたーー!?」
うろたえる山茶花と夕星の前で、狼灰は事情を語る。
「そもそもこの件は私が皇后から依頼されたものだった」
「はい、そうであると夫から聞いておりました」
狼灰は最初から受けるつもりなどなく、放っておこうと考えていたという。
「その問題をこの男が掘り返し、引き受けると言い出してしまい」
まさか山茶花を巻き込んでいるとは夢にも思っていなかったという。
「あの、どうして放置しようと考えていらしたのですか?」
「呪いがどうこうとか、亡き者を屈辱するような騒動に関わりたくなかったからだ」
「そう、だったのですね」
いっそのこと、現在の後宮を解体したらどうか、と狼灰は皇帝に提案していたという。
「四夫人、全員が体調不良を訴えており、夜の役目も果たせないとなれば、後宮の意味がない」
また、この一年間皇后のもとへ皇帝が何度も渡っていたようだが、妊娠の兆しなどなかったらしい。
すでに世継ぎは狼灰がいる。これ以上増えても内戦の火種にもなるだろう。
そう判断した上で、解決の必要はないと考えていたようだ。
「この男は私の話も聞かずに、後宮の問題を解決してみせると張り切って後宮に押しかけてしまい」
「そ、そのようなご事情があったのですね」
ただ、引っかかる点があった。それは夕星が持ってきた巻物の命令である。
「あの、この騒動を解決し、母が作ったとされる究極毒を発見しなければ薬院宮から追放する、という巻物をいただいていたのですが」
これまでそれは兄狼灰から届いたものだと思っていた。
けれども話を聞く限り、そうではないような気がしてきたのだ。
「そのような命令など出していない」
「なっ――!?」
いったい誰がそのようなものを?
夕星はキョトンとしている。事情について把握しているようには見えなかった。