山茶花の気持ち
山茶花と夕星は来た道を一時間かけて歩いて帰る。
「山茶花って、意外と足腰強いよね」
「一日中、外に出て働いておりますので」
「ああ、だからこんなに手が荒れているんだね」
夕星はそう言って、山茶花のあかぎれだらけの手を握る。
朝、触れられたときはなんとも思っていなかったのに、手の状態を指摘されると恥ずかしくなってしまう。
手入れする方法なんぞいくらでもあるのに、別にどうなっても構わないと思って何もしていなかったのである。
「薬は? 保湿軟膏は持ってる?」
「いいえ、何も。というか、わたくしは薬の類があまり効果がないので、いくら薬や軟膏を塗布しても意味はないと思います」
「そっか」
山茶花のことなのに、夕星はどうしてか酷くがっかりした様子を見せる。
「やはり伴侶にするには、なめらかな肌の持ち主がよろしいのですか?」
後宮にいる女性達は美しい。それは見目だけでなく、肌や髪にも言えるのだ。
真珠のような肌に絹のような髪は本人の努力もあるが、女官達の手間暇を経て得ているものでもあるのだ。
「いや、私は気にしていないよ。これが山茶花の普通だと言うのであれば受け入れるし、この状態が辛いと言うのであれば助けてあげたいし」
手入れが行き届いた者をよき伴侶だとは思っていない、と夕星は言い切った。
「後宮の妃みたいな美しさは自然なものとは思えないしねえ。あれは時間とお金をかけて作られた人工物だよ。それよりも私は、毒草園でマムシグサの実を摘んでいた山茶花のほうが美しいと思っているんだ」
それのどこが美しいのか、山茶花には理解できるものではなかった。
けれども荒れた山茶花の手を受け入れてくれたことに関しては嬉しく思う。
その人生を選んだのは、誰でもない山茶花だから。
「ふと、思い出したんです。母は私に歩む道を選ばせてくれたことを」
あれは山茶花が六歳か七歳くらいの話だったか。
烈華がこのまま母の傍にいて荊の道を歩くか、それとも雪花妃の風宮でごくごく平凡な娘として暮らすか、選ぶように言ったのだ。
「この先毒を体に慣らし続けた生活を送っていると、長くは生きられない。そう、母は子どもだった私に言ったのです」
「厳しい人だったんだ」
「ええ……」
その当時、毒草に囲まれて暮らす山茶花を心配し、雪花妃は声をかけてくれたのだ。
雪花妃のもとへいけば、毒入りの苦い料理を食べたり、毒についての勉強をしたりしなくてもよくなる。
けれども山茶花は雪花妃のもとへ行くことはなかったのだ。
「母や南天と別れるのが嫌だったのでしょう。記憶は完全ではないのですが、わたくしは母を慕っていたように思います」
風宮に身を寄せていたら、きっと今頃は苦労も何も知らない公主として在ったのかもしれない。
ただ二十年以上生きて、そんな自らは在ってはならないと思う山茶花がいた。
「毒草に囲まれて、毒に体を慣らして……そんな毎日がわたくしの普通なんです。ですからそんなわたくしを、否定しないでくれて、嬉しく思います」
ありがとうございます、と消え入るような声で夕星に感謝の気持ちを伝える。
すると彼は春風のような微笑みを返してくれたのだった。
◇◇◇
薬院宮に戻ると、南天が竹をせっせと運んでいるところに遭遇する。
「わあ南天、それ、どうしたの?」
「竹簡を作るために、干していたものですわ」
「紙は?」
「烈華様の死後は支給されなくなりまして、手作りしているんです」
「そうだったんだ!」
後宮の外に竹林があり、南天は許可を取って採りにいっているのである。
月に一度、山茶花と二人で竹簡作りをしているのだ。
「山茶花、竹簡ってどうやって作るの? 私にも教えて!」
「あなたは竹簡なんて必要としないのでは?」
「まあ、たしかに頼めば紙を貰えるけれど、なんというか好奇心?」
彼は子犬や子猫のように、見るものすべてに興味を示すお年頃のようだ。
仕方がないと思い夕星にも竹簡作りを手伝わせることにした。
室内に竹が入らないので、外で作業を行う。地面に座るように山茶花が言うと、夕星は犬がお座りするように聞き分けよく腰かけた。
「まずは竹を均等な大きなに切っていきます」
南天や山茶花は慣れた様子で竹をサクサク切っていたが、夕星は自らの手を切って負傷していた。
「うわあああ、痛いいいいい!」
のたうち回ったのちに、南天が庭で引き抜いていた毒キノコの胞子を思いっきり吸い込んだようで苦しみだす。
「もう! あなたは普通に作業もできないのですか!?」
「うう、面目なーい」
二人のやりとりを見ていた南天がくすくす笑う。彼がやってきてから、南天も明るい表情を見せるようになった、と山茶花は気付いた。
烈華の死を悼み、喪に服すのも大事なことだが、辛い気持ちを引きずるのはよくない。
今日みたいに、笑って過ごすことも大事なのだ。
結婚するのも悪くないのかもしれない、と思う山茶花だった。
夕星の容態が落ち着くと竹簡作りを再開させる。
「竹を切り分けたあとは小刀で節を軽く削りとって、そのあとは鉋をかけて平らにするのです」
夕星は果敢にも鉋がけをしようとしていたのだが、自らの手を平らにしてしまいそうだったので、たった一本加工しただけで南天に取り上げられていた。
「私って、竹簡を作る才能がないのかも!」
「お兄様から紙を貰ってきてくださいませ」
「そうするよ」
その後、夕星は見学という形で竹簡作りに関わることとなった。
「あとは必要に応じて、平らにした竹を紐で結んだら竹簡の完成です」
「おお!」
他にも竹で箸や湯飲みなどを作っていると南天が言うと、夕星は瞳をキラキラ輝かせながら「すごい!」と絶賛していた。
さすがに手に包帯を巻いた状態で自分も作りたい、とは言わなかった。
「でもさ、これからは生活に必要な品とかも用意してもらうように言うから、わざわざ作る必要もないかもよ」
「今はそうかもしれません」
けれどもこの先、皇帝が代替わりしたら支援が途切れる可能性があるのだ。
「お兄様の代はよくても、その先はわかりませんので」
今の皇族は天帝に対して一目置き、敬意を払っている。
けれどもこの先謀反などが起きて、皇帝が野蛮な誰かに据え変わる可能性だってあるのだ。
「そのときのために、自分達でできることはやろう、ってわけ?」
「ええ」
一度、手のひら返しを経験すると警戒心も強くなる。
山茶花にとって信じられるのは南天だけ。
「それに、これからはあなたも信用したいです」
この結婚生活がいつまで続くはわからないが、せっかくの縁である。
まだはっきり信用しているとは言えないが、信頼を積み重ねていきたいのだ、と自らの気持ちを語った。
「私も山茶花や南天に頼ってもらえるように、頑張るぞー!」
そんな決意を口にした夕星だったが、負傷した手に山茶花の毒草茶を零してしまい、再度のたうち回ることになる。
山茶花はまたか、と呆れてしまった。