女官長の供述
女官長が持ってきた菓子は栗と銀杏、青梅の汁粉であった。
夕星は山茶花の腕を引いて「銀杏! 銀杏!」と口をパクパクさせながら訴えてくる。
「この程度だったら平気です」
「そうなの?」
夫婦の会話を聞いた女官長が心配そうに声をかけてくる。
「あの、何か?」
「なんでもございません。いただきますわ」
女官長はこの菓子を古代語で〝栗子百果羹〟という名前で、思思妃の好物だと教えてくれた。
栗や銀杏のほくほく感と青梅のシャキシャキ感がすばらしく、上品な甘さの中に桂花醬が華やかに香る。とてもおいしい甘味だった。
ちなみに生の青梅も果実と仁に毒がある。うっかり食べてしまった日には頭痛や目眩、痙攣、呼吸困難などで苦しむことなるのだ。
そんな青梅の毒は熟すと分解されるため、危険なのは未熟な果実のみと言われている。
青梅を食べる場合は砂糖や塩、酒にじっくり漬けて毒抜きを行えばいいのだ。
この汁粉の青梅は酒に漬けてあるものなのでまったく問題はない。
夕星に教えるとああだこうだと言って騒ぎそうなので、山茶花は教えないでおいた。
女官長のもてなしを受けたあと、本題へと移る。
「それで、思思妃の体調不良について詳しく話をお聞きしたいのですが」
「はい――」
なんでも思思妃は少女時代から美しくあることに熱心だったらしい。
「朝起きると丁寧に髪を梳かし、髪を保護する絹の布を巻いて過ごし、時間をかけて肌に美容水を浸透させることに命をかけておりました」
島一番の美肌と美髪の持ち主だったため、周囲の者達から〝輝美姫と〟呼ばれていたらしい。その噂を聞きつけて、皇帝の妃を選定する者達がわざわざ島へとやってきたようだ。
「四夫人の打診があったさい、思思妃は迷っていられるようでした」
皇帝とは親子ほども年が離れている上に、妃ともなれば夜のお役目もある。
夜更かしは美容の敵だと思っている思思妃にとって、負担になるのは目に見えていたようだ。
「ただ、結婚はいずれすることで、相手が皇帝陛下であればこの上ない名誉。思思妃は長い期間悩んでいたようですが、結局妃となることを選びました」
通常、妃は身一つで嫁いでくる。けれども思思妃は結婚の条件に、幼少期から傍にいる女官長を連れていくことを望んだ。
それは許されないことであったが、後宮で働く女官の求人に応募が少ないこともあって許可されたようだ。
「一ヶ月ほど時間をかけて、私と思思妃は帝都亢龍までやってまいりました」
満足に風呂さえ入れない旅路に、思思妃の心は折れかけていたという。
「けれどもそれはでは、思思妃も髪や肌の美しさを死守されていたんです」
変化があったのは後宮入りしてすぐだったという。
「思思妃は豪華な風宮に満足されていて、大きな浴槽と化粧室は完備されていることに喜ばれていたのですが――」
後宮入りした初日は皇帝よりゆっくり休むように言われていた。そのためお渡りもなかったという。
「思思妃は長時間入浴し、肌のお手入れもじっくり行ってから早めに休みました」
翌日、女官長は思思妃の悲鳴で目覚めたという。
「いったい何事かと思って駆けつけたところ、思思妃の肌は赤みが浮き出て、髪もボサボサな状態になっていたのです」
いつもの洗髪剤にいつもの化粧水、いつもの衣服にいつもの布団と、実家から持ち込んできた愛用の品で囲まれる中で起きた悲劇だったという。
「思思妃は女官の誰かが毒を仕込んだのだ、と決めつけ、働いていた者達をその場で解雇してしまったんです」
「それで、ここにはあなた一人しかいなかったのですのね」
女官長は疲れ果てたような表情で頷いた。
「思思妃が猛毒妃の噂話を聞いたのは、そのあとの話でした」
猛毒妃の暗躍の噂は島まで届いておらず、誰も知らなかった。思思妃を抜擢した者も説明していなかったのだ。
「医者から猛毒妃の話を聞いた思思妃は島に帰ると訴えていたのですが、聞き入れてもらえるわけもなく……」
思思妃は皇后に抗議したものの、体調不良によるお渡りの免除しか対処してもらえなかったという。
「もしかしたら洗髪剤や化粧水に毒が仕込まれているのかもしれないと思い、新しい品を島より取り寄せたのですが、思思妃の肌荒れや髪の傷みが改善されず今に至ります」
皇帝から贈られた洗髪剤や化粧品も試したようだが、結果は同じだったようだ。
「よろしければそれらの品を見せていただけますか?」
「公主様がお調べになるのですか」
「ええ」
不安な表情を浮かべる女官長を安心させるよう、夕星が声をかける。
「女官長、山茶花は毒に精通しているんだ。調べてもらったら、何かわかるかもしれないよ」
「そう、だといいのですが」
歯切れの悪い物言いをするのには理由があった。
これまでも医者がさんざん調べたようだが、成分や保管状態などに問題はなかったという結果に終わる。
原因不明であるため、余計に猛毒妃の呪いではないか、という疑念が深まっていったと女官長は語った。
どうせ調査しても無駄だ、どうせ何もわからないというのが女官長の態度に表れていた。
「こちらになります」
硝子瓶に入ったそれは見た目だけで高級品だとわかる。
「少し匂いをかいだり、触れたりしてもいいでしょうか?」
「はい、問題ありません」
蓋を開いて匂いをかぐと無臭だった。手に取ってみると粘り気はなくさらりとしている。
「こちらはどのような材料を使って作られたかわかりますか?」
「椿油です」
「椿……異国が原産とされる花ですわね」
「ええ、たしかそうだったかと思われます」
美しい深紅の花には滋養強壮作用があり、葉には擦り傷切り傷を治す効果が期待できる。
種子からは油を絞ることができて、軟膏基剤や食用油、化粧品の材料として使われている。
もともと椿は異国の花だった。けれども姉妹都市になったのをきっかけに贈られ、島中に広がったものが名産品として活用されるようになったようだ。
「夕星様、調査に協力していただけますか?」
「え、いいけれど、何をするの?」
「皮膚貼付試験ですわ」
山茶花はそう言って、椿油を使った髪洗剤と化粧水を夕星の手の甲に塗布していった。
しっかり肌に付着するよう、絹の手巾を巻いていく。
「山茶花、これで何がわかるの?」
「もしも毒が入っていたら、肌が赤く腫れ上がります」
「それって、人体実験じゃないか!」
夕星の訴えるとおり、彼の犠牲の上で成り立つ調査だったので否定しないでおいた。
「ですがおそらく、毒は入っていないでしょう」
特別臭いなどなく、肌につけたときも刺激はなかった。
耐性はあれど、毒に触れたときは山茶花でもわかるのだ。
女官長に示すために、夕星に皮膚貼付試験をやらせたのである。
数分後、手巾を外してみたが、夕星の肌に変化はなかった。
「こちらの品々に毒は混入されていないようです」
結果を聞いた女官長はホッとした表情を浮かべていた。