朝食
『続いて、漁業気象です。日本海の、北緯58度、東経136度には、994ヘクトパスカルの発達中の台風4号があって――』
計画通り、僕らは5時に起床した。寝られずにそれより前から起きてはいたが、もしかしたら寝ている仲間がいるかもしれないから、5時までは寝袋に入ったままじっとしていたのだ。
「……ほら、5時になったぞ」
僕は普段のこの時間、テント場で仲間を起こすより少し、大きな声を出さねばならなかった。
もそもそと、同じテントに泊まるあと2人が起き出す。みんな眠そうな赤い目をしていた。とりあえず寝袋を畳んで中央にコンロを出す。
「うーさみー」
そういって中央に寝ていた後輩が、コンロと鍋をセットした。
「先輩、ライターないっすか」
鍋をセットしてから、足元に置いた自分のザックにライターを入れたままにしてあったことを思い出したらしい。
「ん、ほれ」
「ども」
まだ寝ぼけているらしい。いつもはうるさくて仕方ない後輩の口数が少ない。
一発でライターを擦り、コンロの栓をひねって着火した。漏れたガスのにおいがほとんどしなかった。
「先輩、食材取ってください」
「おう、ちょっと待ってな」
入り口隅に押し込められたレジ袋を手渡してもらう。中の卵スープの素と餅とを個包装から取り出し、自分のコッヘル(註・山で使う、重ねて収納できる金属の食器。大抵はふたと、大小2つの皿がセットになっている)のふたに並べる。
「沸騰した?」
「まだ、あとちょっとっす」
「あいあい」
とりあえずお湯が沸くまでやることがなくなった。
「にしても、凄い風っすね。全然寝れなかったっす」
「真ん中に寝てるお前はまだいいだろ。俺なんか風下でテントの端に寝てるんだぜ、風であおられたテントの布で何回叩かれたことか」
「先輩は日ごろの行い、悪そうっすもんね」
「あんだと?」
「まぁまぁケンカしても始まらないし……。あ、そうだ先輩。他のテントどうしてますか?」
「俺にこの暴風の中、テントの外に出ろと? 先輩を顎で使うとはお前もいい身分になったもんだな」
「あ、お湯が沸けたみたいです。スープの素と餅を入れなくては」
「……くそっ、しょうがねぇな」
足元の登山靴を取って、先輩は前室(註・前室とは、テント本体と防水シート(フライという)の間にある隙間のこと。家で言えばベランダのようなもの)で、靴ひもを中敷の下に挟んでから足を入れた。
「先食ったら承知しねぇぞ」
「だいじょぶっすよ、先輩が食い意地はってるの知ってます」
「……覚えてろよ」
先輩はテントを出て行く。
「絶対、悪役だよね」
「俺も同じ意見っす」
勝手に先輩のザックからコッヘルを出して、餅とスープをよそっておく。
「俺だけなんか少ない気がするんすけど」
「そうか? でも僕の餅はやらない」
「先輩からもらってもばれないすよね」
「……俺の食い物を奪おうとはいい度胸だな後輩よ」
「うわっ、帰ってきてたんすか」
「いいからテントの入り口開けてくれ、チャックが見つからねぇんだ」
「じゃあ、その代わり先輩の餅半分もらうっす」
言いながら、動かずに内側からテントの入り口を開けようと、寝転びながら腕を伸ばしてチャックを開ける後輩。
「……ぶっ殺すぞてめえ」
空いた入口から上半身だけ体を入れて、フライを開けたまま後輩の首を絞める先輩。
「あ、ちょっ、卵スープ餅がこぼれるっすよー」
「あんだとこの野郎」
「先輩、雨が、吹き込む吹き込んでる」
ひと段落して。
「んじゃ。いただきます」
「「いただきます」」
ずるずるずー
きわどいバランスでテントに食わせずに済んだ朝食を摂る。
「で、先生はなんて言ってました?」
別のテントに泊まっている先生に、今日はどうするか聞いてきたはずの先輩に問う。
「ああ、停滞だそうだ。さすがに台風通過中だからな、この先の尾根は危ない」
「風であおられて転んで下の沢まで一直線かー。きっと今頃濁流だろうな」
「俺、まだ死にたくないっすよ」
「みんなそうだろうよ」
「じゃーどうします、食べ終わったら」
「「寝る」」
こういうときだけ声を合わせる先輩後輩。結局、仲がいい。
「おい、俺と声を合わせるんじゃねぇよ気色悪い」
「先輩は先輩らしく、外でテントが飛ばされないか見張ってるべきっす」
「あ? なんか猿がほざいてるのか? 聞こえなかったぞ?」
「やっぱり先輩、ご老人だったんすね。耳が遠い」
「んだと!?」
……仲がいい?
「あのー、とりあえず食べませんか」
「うるせえ」
「ちょっと黙っててほしいっす」
……。もう知らん。
「ごちそうさまでした、では寝ます。おやすみなさい」
「何勝手に寝てんだよおい」
「そうっすよ、この年寄り先輩と違って、先輩はいい人だと思ってたんすよ」
「……誰が年寄りだって?」
「あの、うるさいです。寝れないんですけど」
「「だからお前は勝手に寝るんじゃねぇ」」