閑話:滝川彦九郎一益
本編の合間に閑話追加しました!
天文11年(1453年) 近江国 甲賀郡 土山宿
滝川彦九郎
鬼退治を終え、道仁殿と別れ宿の自室に戻って来たが、今夜の出来事があまりに衝撃的でしばらく寝付けそうにないな。
妖の存在は聞いたことはあったが、まさか自分が鬼と対峙することになろうとは……。あの動きの緩慢さであれば全て避け切る自信はあるが、万が一にも一撃を喰らえばお陀仏であった。
あの巨漢の鬼を刀2振りで済ませてしまうとは、なにやら陰陽の術を使ったのであろうが、きっと道仁殿は並の陰陽師ではないはず。
旅は道連れとは言うが、思わずそんな凄腕の陰陽師である道仁殿を儂の出奔旅に誘ってしまった。受け入れてもらえるとは思わなかったが、此の御仁とは今日あったばかりだが、なにやら昔馴染みの様な居心地の良さを感じたのだ。
『ぐぅ〜……ぐぅぅぅ』
いかん……腹が鳴る。鬼を相手に動き回りすぎたのと集中していたためか、腹が減ってきてしもうた。女将が道仁殿に夜食を作ったのであれば、まだ残りがあるかもしれぬ。
そう思った俺はスルスルと部屋を抜け出すと、若女将の部屋と障子一つ隔てた炊事場へとやってきた。
『おっ! あったあった。やはり明日の朝餉用の米も一緒に炊いておったな』
しめしめと思って飯を食らおうとすると、障子の向こうの気配が動くのを感じた。へまをやらかしたのは今日で2度目だ。まったく、忍び失格だな……
『そこに居るのはどなたですか? 』
ただの宿の女将に気取られるとは、俺も相当疲れているんだろうか。ここは正直に言うしかあるまい。宿に着いた時から若女将は俺に好意的であったし、なんとかなるだろう。
『申し訳ござらん。女将に危害を加えようと思ったわけではないのですが、某腹が減ってしまって寝付けず、なにか食うものはないかと炊事場にきた次第で御座います。確と代金は払う故、お赦し願いたい……』
ガラッと障子が開き、中から夜着姿の若女将が現れた。こりゃ土山宿の女衆が嫉妬するのも頷ける美しさだ。旅人もこの人に声を掛けられたらこの宿に泊まるに違いない。
『あら、猩猩緋の御武家様……。てっきり今夜泊まっている保内商人の誰かか、番頭の作蔵かと。はっ! あらやだ、はしたない格好で出てしまったわ』
頬を染めながら恥ずかしそうにはっとして夜着を抑えて俺を見上げる若女将。うーむ、なんとなく俺が宿に入った時から若女将に見つめられると思ったが……色男は辛いねぇ。
『いやいや、こちらこそ勝手にやって来たのだから申し訳ない。握り飯を一つ貰って部屋に戻る故、女将は寝ててくだされ』
『御武家様はうちの握り飯がお好きだえ? よければ明日の出立にお作りしましょうか……』
うーむ……器量よし気立てよし、健気でよい奥方になろうな。あの様な卑しき鬼を見た後の俺には全く唆られぬがな……。まぁしかし、此度の呪詛騒ぎが大事になる前に助けられてよかったわ。宿場の男衆も、この宿の常連も、道仁殿と俺に感謝してくれよ?
『それはありがたい! 後から宿に来た若い武士も明日は共に出立する故、もしできたら2人分頂こう。しからばもう夜も遅い故、失礼する』
『あっ……』
階段を登る俺の背中に女将の熱い視線を感じるが、今夜はもう鬼との対決で疲労困憊なんじゃ。とっとと握り飯を食って明日に備えねばな。
はてさて、俺が尾張で仕官できるかわからねぇが、陰陽師なんて珍しい御仁と旅ができるとは心が躍るぜ。そして、此度は勝てなかったが、いつかあの屈強な鬼と本気でやり合ってみてぇなぁ……。道仁殿と旅をすればそんな機会もまたやってくるのだろうか。
鬼退治という奇妙な体験を経て新たな友を得たその夜。孤独な出奔の旅が少し賑やかに、そして楽しみになってきた一益は改めて布団に戻り、この先の旅程を想いながら短い夜を迎えるのだった。
史実の滝川一益の若い頃についての記述がある書物はなかなかありません。だいたい1555年までには織田家に仕えているはずなんですが諸説あります。一体それまでは何をしていたんでしょうね……