5.流浪の陰陽師と出奔武者
本日も12時、18時の更新です。
明くる朝、有明の月が西の空に残る頃。鬼退治を終え、しばし休んだ道仁は床から起き出すと、朝の行水を行いに静かに部屋を抜け出した。
土山宿は街道沿いに宿が連なり、その宿らの裏手は細い小道と住人達の生活用の小さな小川が流れている。宿場中心に位置する道仁の泊まる宿は、裏手にこの宿場町に3つしかない井戸の1つがある便利な立地に位置していた。
『いやはや、ねずみ殿のおかげで良い宿に泊まれた。井戸が遠いと濡れて寒いまま宿まで歩かねばなりませんからなぁ』
道仁はそう独り言ちながら、井戸水を手拭いを染み込ませ身体を清めていく。秋も終わりが近づくこの時期の井戸水は、手拭いに染み込ませた後といえど冷たく、道仁は身と共に心も清めるような心地であった。
『おや。これはこれはねずみ殿。昨夜はありがとうございました』
行水を終え、身支度を整えていると昨夜、道仁に宿を案内したねずみが宿の影から現れた。昨晩は女将手製の漬物にありつけただけでなく、道仁が部屋に戻るまで悠々と過ごせたねずみの毛並みは、そのお陰で心なしか艶やかであった。
『……』
『えぇ、えぇ。ここの若女将の件は万事解決致しました。今回は人の心と鬼の思惑が計らずも一致したため起きたことでした』
昨晩と同じく、人に話しかけるかの如く、ねずみと会話する道仁。その内容は、まるでねずみがこの宿の女将を心配していたかの様な会話であった。
『……』
『ほぉ。昨夜の一益殿は音もなく部屋に忍んでこられたのですか。ねずみ殿がお一人で部屋に居られて、さぞ驚いたでしょうな。ハッハッハ。それにしても、鬼との立ち回りでなかなか腕の立つ御仁であるとは思いましたが、忍びとしても、なかなかのものですな。』
昨晩の道仁を追いかけてきた追跡術と常の人間では感じ取れない " 妖特有の気配 " を感じ取る本能を兼ね備え、さらには心根の良い一益をいたく気に入っている道仁。そして、同様にその聡い振る舞いと賢く生き抜き肝の据わったこのねずみのことも気に入っていた。
『実は彦九郎殿とは今後しばらく旅を共にすることになりまして。どうです、ねずみ殿。貴方も一緒に征きませぬか。』
懐紙や草木を式神とする陰陽師がほとんどだが、動物を使役する陰陽師はあまりいない。
というのも、意志のないものを式神とするのに比べ、動物のように意志のあるものを式神とするには難しいからだ。または、妖を調伏する際に式神とする場合もある。
高位の陰陽師による術式かつ、動物の同意が必要となるため、あまり見かけることがない。しかし、草木のように時期の限られた式神と比べ、長命な動物の式神は高位の力を持つとも言われる。
かつて、安倍晴明は京の都の至る所に自らの式神を配しており、都に害意あるものの侵入から町衆の噂話まで、それらを使って情報収集していたという。そして、その中には鳥や亀といった動物の類や鬼などの妖の類もいたそうな。
『恥ずかしながら、この道仁。まだまだ若輩者の陰陽師なれば、常に使役する式神を未だ定めておりませぬ。ねずみ殿は聡う賢くございますれば、同道していただけると頼もしいのですが』
道仁は他のねずみと比べて人間の暮らしに詳しく、この宿場町で賢く生き抜いているこのねずみを式神としたくなっていた。
『……』
『同道していただけますか! それは大変ありがたい。ねずみ殿に不自由はさせませんのでご心配なく。では契約と参りましょう』
ねずみから色良い返事をもらった道仁は、大喜びで式神契約を結ぶこととなった。
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日が上り、宿場も出立の旅人が多くなってきた辰の刻。道仁と一益は、若女将から道中の腹ごしらえ用に握り飯を幾つか受け取り、出立の準備をしていた。
『最近、ここ鈴鹿の峠は盗人が出るとの噂が多くなっております。道中どうかお気をつけて』
— 若女将の顔色が昨晩の宿に私が着いた時より良くなったようだな。最初に感じた嫌な気配も最早ない。おそらくこの閑古鳥のなく旅籠も時期に賑わいを取り戻すことだろう — 出立前に若女将の様子を確認した道仁はそんなことを思った。
『若女将もお達者で。甲賀に帰る際には、また寄らせてもらいます』
一益は、ニカッと笑いそう言うと、若女将は頬を少し染めて笑顔で手を振るのだった。どうやら若女将にとって、一益はとても良い漢に映っていたようだ。
そんな色男、一益の横で道仁は軽く会釈を返し、2人は街道を山道の方へ歩み始める。
『では彦九郎殿、改めてこれから道中、よろしくお願いします』
道仁は、相変わらずの藍染着物に2尺6寸の打刀を差し、まだ日が高くない為、笠を手に持った旅姿である。
『こちらこそよろしくお願い申す。まずはこのまま東海道を東へ。関宿を目指しましょう。その後は伊勢の津や松坂、神宮を見聞して廻ろうかと』
一益は、猩猩緋の着物に2尺8寸の長めの打刀に昨夜の忍び刀の2本差。振り分け荷物を肩にかけ、菅笠を被った旅姿であった。
『尾張へはすぐに向かわなくてもいいのですか? 』
道仁が尋ねると、一益は困ったような笑みを浮かべ、
『実は、尾張にいる叔父に、出奔したことを伝えていないのですよ。それに仕官を願うのならば、何かしら手土産があった方が覚えもよかろうと思いまして。』
『なるほど。そこで近江、伊勢、志摩の情報と地縁を繋いで手土産とするということですか。彦九郎殿はなかなか策士でいらせられますな。ハッハッハ』
道仁は一益の用意の良さに、腰を叩いて笑い声を上げる。出奔したとはいえ、ただ仕官するだけではない強かさに道仁は感心した。
『ところで道仁殿、先ほどから貴殿の懐の膨らみがもぞもぞと動いておるようですが……』
一益は、道仁の藍染着物の懐部分が昨夜と違って膨らんでおり、そこが時折りもぞもぞ動いていることに気づいた。
『あぁ、こちらですか。これこれ、彦九郎殿にご挨拶をしてください。これからしばらくの付き合いになりますからね』
そう道仁が懐に向かって声をかけると、「ちゅー」という声と共に黒いねずみが顔を覗かせた。式神契約を結んだそのねずみは、さらにその毛並みを綺麗で艶やかになっており、もはや町を彷徨う他の鼠達とは見た目からして異なっていた。
『おや、そのねずみは昨夜、道仁殿の部屋に居ったような……』
『おぉ、覚えておりましたか。こちらのねずみ殿は土山宿でいろいろと私の助けとなっていただいた方で、名を黒翁と申します。私の式神として、共に旅をすることになりました』
ねずみは挨拶をするかのように、一益へ身体を乗り出すと、また道仁の懐へ戻っていった。
『黒翁は私の式神となりましたので、今後は彦九郎殿の言葉も理解して行動致します。何かあればきっと、助けてもらえるでしょう』
『それは、黒翁殿は人の言葉を理解すると言うことでしょうか? 俺も道仁殿のように生き物と会話をすることはできますか? 』
一益は生き物と会話できれば今後の忍び働きの際、とても役立つのではないかという考えから道仁に質問したのだった。
『そうですなぁ。生き物全てが人の言葉を理解できるわけではないのです。この黒翁はねずみの中でも長く生き抜き、賢き者。そして式神契約によって、今は彦九郎殿の言葉もしっかり理解して行動できるのです。』
『なるほど。それでは誰も彼もが話せるというわけではないのですね。陰陽師の技の1つということですか』
— 忍びの技を1日で会得できない事と同じように、陰陽の技も特殊な修練が必要なはず。野の生き物と会話できれば諜報などで活かせることはまちがいないのだがなぁ — そんなことを考える一益であった。
『まぁ、私が呪を掛ければ、彦九郎殿もこの黒翁の言葉が理解できるようになりますが、いかがですかな』
道仁は、まだ短時間ではあるが、一緒に過ごした一益の心根の良さを評価し、自らの式神との繋がりを一益にも与えてもよいと考えたのだった。
『ま、真ですか。道仁殿がよろしければ、ぜひ黒翁殿と話せるようにしていただきたい』
道仁の提案を聞いた一益は、興奮した面持ちでそれを受け入れた。
『では、彦九郎殿。少しお耳をお貸しください』
そう言うと道仁は、右手人差し指と中指を立て自らの口に当て、小さく呪を唱えると、一益の左耳へその手を軽く当てがった。
『さて、彦九郎殿。これで黒翁の声は聞こえるようになったはずです。黒翁殿、改めて一益殿にご挨拶をしていただけますか』
『まーた挨拶ですかい? 道仁殿。忍びの御仁は儂の声は聞こえんでしょうに』
一益は先ほどまで聞こえなかった声に驚き、懐から再び顔を出した黒翁をまじまじと見つめるのだった。
『ま、まっこと黒翁殿が喋っておられるのか』
『あれ、儂の声聴こえるようになったんかいな。こりゃたまげたなぁ。道仁殿の陰陽術は本当に凄いんじゃなぁ』
『ハッハッハ。黒翁殿、彦九郎殿とこれから仲良く頼みますよ。彦九郎殿、これで昨夜の宿での私達の会話が本当だとわかりましたかな』
驚いて両目を見開いて呆けた顔をした一益に、道仁は愉快そうに笑うのだった。
『さてさて、今日は峠を越えて伊勢、関宿あたりまで行くのですからね。さッ! 一益殿。いつまでも呆けてないで、征きますよぉ』
こうして流浪の陰陽師と出奔した若武者とねずみ1匹の一行は、伊勢方面へ向けて東海道の難所、鈴鹿峠越えを迎えるのであった。
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