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下天を征く〜陰陽師:蘆屋道仁と滝川一益の戦国一代記〜  作者: シャーロック
天文11〜12年(1542-43年) 伊勢・志摩漫遊編
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25.法体の陰陽師


 道仁達が入った的矢屋敷は、襲撃があった時のまま放置され朽ちた様で、所々(ところどころ)に血で黒く染まった梁や板間をそのまま残し、屋敷の敷地を囲う塗り壁は崩れ落ち、腐敗した木戸は軋みながら風に揺れ、長い年月によって風化し、かつてこの一体を治めていたであろう豪族屋敷の威厳と荘厳さは完全に失われていた。


 道仁、一益の後に続いて歩く九鬼秀隆は、苔に覆われた屋敷の入り口へと続く石畳を踏みしめる自らの足音が、今にもこの朽ちた廃屋敷に潜む何かを呼び起こしそうな、そんな錯覚に陥るのだった。


 鬱蒼とした庭を通り抜け屋敷に入った一行は、腐敗した襖や木や書物の匂いが漂い、壁や柱にはかつての襲撃による刀傷が刻まれ、風化して赤黒く変色した血痕が残る廊下を奧へと進んでゆく。


 一行の目に映るのは荒れ果てた家具や破れた畳が散乱した屋敷の部屋。そしてそれら薄暗い部屋の隅の闇に潜む何がいるような、此方(こちら)を伺っているような気配がする。そんな錯覚に怯えながら一益、秀隆は道仁の後を進んでゆく。


 粛々と廊下を進む道仁が足を止めたのはかつてはこの屋敷の中でも特に豪華であっただろう襖絵の描かれた、今は血で赤黒く変色してしまった襖戸の前であった。


 『道仁殿。この襖戸、他と比べても些か豪華ですな。かつては綺麗な的矢湾の風景が描かれておっただろうに……。さては、ここは当主の間ではありませぬか? 』


 『おそらくそうでしょう。そして呪詛の元凶もこの先かと……』


 一益の問いに、正解といった具合で答える道仁。


 『なにっ!! ではやはり的矢の御家の者がこの先にっ』


 『なりませぬぞっ!豊前介様。ここから先は我ら常の者では解決できぬ領分で御座います。まずは道仁殿の指示を待ちましょうぞ』


 逸って襖戸に手を伸ばす秀隆を一益が諭す様に、しっかり落ち着けるように約束を思い出させるのだった。


 『豊前介様。落ち着かれましたかな。気を確かに持ってお願い致しまする』


 『す、すまぬ……。もう大丈夫だ。』


 秀隆がその落ち着きを取り戻したのを確認した道仁は、ほんの一瞬、秀隆の瞳に怪しい赤い光が灯ったことに気づかず、血染めの襖に手を掛け、


 『では御二方、征きましょう』


 『うむ、征こう』


 一益の返事と共に道仁はその襖を開け放つのだった。


 一行が開け放った襖の先にあったのは、これまで通り過ぎた部屋に比べて一際(ひときわ)荒れた赤黒い血が壁や襖、天井など四方に飛び散る跡の残った的矢美作守の当主部屋であった。


 そしてそんな悲惨な部屋の中心に、法体(ほうたい)の人物が1人。僧にしては体躯が逞しく、川面政隆の様な筋骨隆々な身体で髪を綺麗に剃り上げ、右手には身の丈と同じ長さの錫杖(しゃくじょう)を持った40歳頃の法衣の男であった。


 しかし何より目立つのはこの法体の男、1人の髑髏(しゃれこうべ)を抱え、その髑髏(しゃれこうべ)と会話をしている事であった。


 『あぁ、美作守様。ようやく御客人のご到着ですぞ』


 『カタカタッ、カタカタッ』


 『身の丈が1番大きい男が九鬼の一族の様ですな。なになに? 美作守様を斬った男に似ておりますか。それは憎いでしょうなぁ……』


 『カタカタッ』


 法体の男が話しかけると、会話しているかの様に髑髏(しゃれこうべ)が揺れてその骨がかたかたと音を立てる。


 『蘆屋殿。あの法体の男は一体……。それにあの髑髏(しゃれこうべ)、先程から動いている様に見えるのですが……』


 『豊前介様の言うとおり。あれは降霊術によって動く屍に御座います。九鬼家への呪詛のために斬り殺された美作守殿の骨を使ったのでしょう。そして、あの法体の者は、私と同じく陰陽師で御座います……』


 そう静かに秀隆へ述べた道仁だったが、その眼は道仁にしては珍しく怒りを灯したような、そんな厳しい眼差しで法体の男を見つめていた。


 『皆様、お待ちしておりましたよ。どうぞごゆるりと……おっと、部屋がこの荒れ様ではそれは無理でしたなぁ。ま、そろそろ拙僧もお(いとま)しようと思っておったところですし、ちょうど良いか……』


 そう言う法体の男は顔は朗らかに笑っているが、筋骨隆々の身体にその手は髑髏を持っていて、なんとも得体の知れない不気味な雰囲気を纏っていた。


 『そこの若人(道仁)の顔つき何処かで見た様な……。あぁ、なるほど。なにやら拙僧の田城九鬼家に向けた呪が遮られている気配がありましたが、蘆屋家の今代(こんだい)様が邪魔しておりましたか』


 その男の、まるで道仁を知っているかの様な口振りに一益は目を少し大きく見開いて驚いた。


 『道仁殿。彼奴とお知り合いで? 』


 『噂程度であれば存じております。三河一向宗僧侶でありながら、陰陽師としての家柄でもあるお方。先祖代々、降霊術を得意とし、屈強な体躯と棒術を得意とする貴殿は、百済(くだら)空承殿で御座いますな』


 『いやいやぁ、畿内で名を馳せる蘆屋様に存じて頂けているとはあな嬉しや嬉しや。三河の田舎者をご存知で御座いましたか』


 そう言ってニコニコと笑って手元の髑髏(しゃれこうべ)を撫でる空承。


 空承のような格好の陰陽師は法師陰陽師(ほっしおんみょうじ)と呼ばれ、或る時は僧侶、或る時は陰陽師となるこのような格好の民間陰陽師は平安時代より多く存在した。普段は僧侶として過ごし、お祓いや呪詛などは陰陽師として民の生活に根付くこの律令外の者達は、清少納言の「枕草子」などでも登場する。


 また、陰陽道は日本においてさまざまな宗教的教義を取り込んで発展してきたが、とりわけ神道や密教と繋がりが深く、仏教のように葬儀を行ったり、死者を弔うという死後観というものが薄かった。(神社で葬式は行わないなど) そのため、僧侶として死者と繋がりの深い空承は降霊術といった、陰陽師でも珍しい術を使う者であった。


 そんな法師陰陽師である空承に、道仁は問うた。


 『空承殿は私のことをご存じで? お会いしたことはなかったと思いますが』


 『お父上を知っております。まだ拙僧が貴殿ほどの若き頃、京まで赴きお父上に法力比べを挑みましてな。それはまぁ、見事に負けて拙僧は三河に帰ったのが懐かしい……。貴方のお顔がお父上と似ていて気づきました。たしか、お父上はそのしばらく後に亡くなったと聞きましたが』


 『ええ、まだ私が幼き頃に……』


 『そうですか。お父上は稀代の陰陽師で()られた。またいつか、お手合わせ願いたかったが……残念です』


 『貴殿が父を殺したわけではなかったのか……。私は思い違いをしていたようだ』


 そう言うと、先程まで空承に向けた怒りの眼差しが消えた様に見える道仁が、しばし黙ってしまった代わりに一益が問いかけた。


 『貴殿は三河の僧であると言ったな。なぜわざわざ九鬼家を呪うなどした』


 『拙僧も誰かれかまわず行っておるわけでは御座いませんよ。今回のことも依頼が御座ったので呪ったまで。三河と志摩は船ですぐ行き来できますからな』


 『その依頼主は一体誰か!! 』


 一益の後ろで大人しくしていた秀隆が叫ぶ様に問う。


 『ふむ……見つけ出して殺すのですかな? ま、拙僧には関係ないことか。依頼主は的矢次郎左衛門殿、加茂左衛門佐殿、千賀志摩守殿ですな。九鬼家はまっこと敵が多い様で……』


 『やはり的矢の縁戚らか……。そして、自ら戦わず呪詛に頼るとは』


 的矢次郎左衛門は美作守の甥であった。そして加茂、千賀の両家も的矢とは縁戚であり、次郎左衛門を匿って的矢の復権を目指していたのだ。


 空承から依頼主を聞いた秀隆の額は怒りで血管が浮かび上がり、天怒髪を衝く6尺超えの大男の出立ちはまるで鬼の様であった。そんな秀隆を尻目に空承は、もはや依頼失敗ということでその場を抜け出そうとする。


 『では拙僧はこれにて失礼させてもらって……』


 『ならんっ!! 依頼をされたとはいえ、貴様も弥五郎様達を苦しめたことに変わりはないっ!! ここでその首落とさせて貰うっ!!』


 そう言って秀隆は腰の3尺にも届く打刀を抜き斬りかかった。それまで何か考え事をするかの様に黙っていた道仁は、対応に遅れたのかハッとすると、叫ぶ。


 『なりませぬ、豊前介様っ!! 彦九郎っ!!』


 道仁の声に反応した一益が、超人的な反応で秀隆を後ろから羽交締めに抑えつけた。それでもなお、藻搔(もが)いて空承に近づこうとする秀隆。


 そんな秀隆を前にしても笑みを崩さず全く動じない空承に秀隆を羽交締めで抑える一益は寒気を覚えた。


 — 空承から溢れ出るこの武人の覇気っ!! 取り乱した豊前介様があのまま近づいておれば錫杖にて脳天をかち割られておったかもしれぬ…… —


 ただ五輪の錫杖(しゃくじょう)を握り、泰然自若の空承から並ならぬ武人の気配が漂っているのに気づいた一益。


 『おぉう、危ない危ない。蘆屋様、ご依頼人はこの屋敷に連れてこない方が良かったのでは? ここは九鬼恨む美作守様の屋敷で御座います。負の気にあてられ彷徨う魂に乗り込まれやすくなるは必定で御座いましょう』


 そう言った空承は先ほどまで手元でカタカタと動いていた髑髏(しゃれこうべ)を羽交締めに抑えられている秀隆の足元に転がす。


 ころころと転がって、カタカタと歯をかち合わせて揺れていた髑髏(しゃれこうべ)が秀隆の足元に届くと同時に、今度は抑えられている秀隆の身体が小刻みにカタカタと揺れ出した。


 『まずい……。彦九郎殿、すぐに離れて此方へ』


 『だ、だが抑えつけねば斬りかかるぞっ! 道仁殿ぉっ!! 』


 『いや、もはやそうはなりませぬ。とにかく早く此方へ』


 『わ、わかった……』


 恐る恐る秀隆を抑える力を弱め手を離した一益。一益の予想に反して秀隆は、腕をだらんと下げた状態で小刻みにカタカタ揺れながらその場に立ち尽くしていた。そして、秀隆から離れた一益は、道仁に促されその横へと戻る。


 『では、蘆屋の今代(こんだい)様。いや蘆屋道仁様。また機会があればお会いしましょう……』


 筋骨隆々の法体の百済空承は、そう言うとニヤリと笑って部屋の奥の暗闇に溶け込む様に姿が見えなくなった。


 『ど、道仁殿、豊前介様の様子が……』


 一益は闇に消えた空承が気になったが、目の前でカタカタと揺れ続ける九鬼秀隆の様子に追いかけるどころではなかった。刀を握る腕すらもだらんと下げたまま、正気を感じない虚ろな目つきの不気味な姿に、嫌な予感を感じた一益は唾を飲み込む。


 『彦九郎殿。土山宿の様に、しばしお相手願ってもよろしいですかな。ただし、豊前介様を斬り捨ててはなりませぬよ……』


 カタカタと揺れ動く秀隆を見つめながら一益にそう言った道仁。


 『まったく……なかなか難しい注文をなさるねぇ』


 そう言って一益は刀を抜き、刃を逆さにし、峰を相手に正眼に構える。そんな一益の前で、カタカタと揺れていた九鬼秀隆の揺れが収まったかと思うと、それはそのまま道仁と一益に向き直った。


 先ほどまで空承を睨んでいた時の怒りの表情はもはやなく、目は虚ろであるがその眼は赤く妖しげに光り、顔は無表情なのに口元だけが異様に笑った様に吊り上がった不気味な姿の秀隆が2人をじぃっと見つめ返してるのだった。


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