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下天を征く〜陰陽師:蘆屋道仁と滝川一益の戦国一代記〜  作者: シャーロック
天文11〜12年(1542-43年) 伊勢・志摩漫遊編
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閑話:雲林院慶四郎祐基


天文12年(1543年)春先頃  伊勢国 安濃郡

 雲林院祐基(慶四郎・出羽守)


 関家との和睦が纏まって半年ほどが経った。道中で助けていただいた滝川殿、蘆屋殿と雲林院にて過ごした日々ももはや昔。師である塚原土佐守(卜伝)殿も高弟達を連れ伊勢南部から志摩までを抑える北畠家へと旅立ってしまった。


私も免許皆伝とまではいかないが、それなりに修行を終え、師匠が次回、雲林院に寄る際には皆伝のお許しが貰えるよう励むつもりだ。滝川殿には勝てはしなかったが、雲林院家中や、師匠の他の高弟らには負けないくらいには修練したからには、師匠にお認め頂くまで励み抜くのみ。


 そんな修練の日々を思い出しつつ甲冑姿で私は伊勢別街道を一路、叔父上・細野伊豆守(藤光)殿の治める安濃津方面へ雲林院家500勢の副将として馬を進める。


長年、長野家と北畠家は小競り合いを続けてきたが、今回は宰相中将(北畠晴具)がなかなかの軍勢で一志郡垂水に出張ってきたため関家と対峙して長野家の北を守る雲林院からも少数ながら援軍を出す運びとなったのだ。


 『出羽守よ。体調は問題ないか? 具足をつけての騎乗移動はなかなかに疲れるだろう』


 馬を寄せて大将である父上が私を気遣ってくれる。今回の出陣で雲林院家は大将を父・中務少輔(植清)、副将を私と野呂長門守(師忠)が務めている。大きな戦に参加するということで、私も官位を出羽守と名乗ることとなった。


 『私は問題ありませぬ父上。しかし、昨年の和睦から間を開けず此度の北畠と本格的な(いくさ)……。あの和睦が間に合わなければ雲林院・長野家共に苦しい戦いとなったでしょうね』


『そうだな。滝川殿、蘆屋殿にはまことに感謝せねばならぬな。しかも此度は神戸配下(関家親族)の楠兵部少輔(正忠)殿が500を率いて我が方へ駆け付けておることだしな。楠殿と言えば、あの楠木正成公の子孫。朝敵となったために正式に楠木は名乗れぬが、代々武勇誉れ高き一族ぞ』


 驚くことに此度は関一族の神戸家が配下の土豪・楠家を援軍として出してきた。神戸当主・下総守(長盛)は自身が北畠から嫁を取っているが、その北畠に中伊勢で自分より大きな顔をされるのは嫌らしい。大っぴらに味方はできぬが配下なれば良いということで援軍をだしてくれたようだ。


その楠殿は、かつて南朝方として名を馳せた楠木正成公の後裔を称している。祖先たちが河内周辺を転戦するも破れ、伊勢に土着したその末裔は河内武者と呼ばれ、赤く染めた鎧を敵の返り血でさらに赤黒く染める姿から戦場では恐れられる存在だ。


 『あの楠兵部少輔(正忠)殿のそばに共に居る若武者も屈強そうですね。あの若さで楠家の皆朱の槍を持つとは……』


 雲林院家と共に安濃津に向かう楠家の軍勢で一際目立つのは楠正忠殿の隣で馬を進める皆朱の槍を背負った若武者だ。皆朱の槍とは武勲に優れ、家中で認められた者しか持てぬ特別なもの。武勇に優れた河内武者の中であの槍を持つとは相当な剛の者であることに間違いない。


 『あれは大饗長左衛門(楠木正虎)殿だな。兵部少輔(楠正忠)殿と同族で今は正成公の子孫・河内大饗(おおあえ)氏を名乗っているそうだ。初陣で大将首を挙げるほどの剛の者だぞ』


 『ほぉう……それは気になる御仁ですね。後ほど挨拶に行ってみます』


 赤備えの河内武者か……。どのような御仁かとても気になるな。大将を務める雲林院や長野当主は槍を使って乗り込むようなことはほぼないが、やはり一番槍をつけるような御家ではあの皆朱の槍持ちの存在は大きい。目立つ出で立ちのその武威は、雑兵たちの士気にもかかわるからな。


 『此度の河内武者は味方である。しっかり意思疎通を図るようにな』


『ははっ!! 敵味方と言えば、以前和睦の帰り道で助けていただいた滝川殿らは此度の敵方・木造家に居るとか』


 『まぁ木造御所の家臣ではないあの御仁らが戦に出てくるとは思えんが……。もし戦場で()の者らと相見(あいまみ)えることがあっても手を抜こうなどとは思うなよ? まずは己が生き残ることを考えよ。よいな? 』


 そうは言っても見知ったものを斬るのはなかなか難しい……。まぁ滝川殿や蘆屋殿に私が勝てるとは思えんが……。私が土佐守殿や滝川殿にまだまだ経験が足りぬ、甘いと言われる所以はこのぬるい考えのせいかもしれぬな。


「いくら技を修めようとも、心構えが未熟である者には皆伝は出せぬ」土佐守殿に言われた言葉が身に染みるな。そのようなことを思い起こしておると、安濃津郊外に集結しつつある長野勢の軍勢が見えてきた。


雲林院の兵ら500を長門守に任せ、陣幕に寄ると長野工藤の旗印・丸に三つ引両が既に見える。新年のあいさつで顔を合わせた細野・分部らの諸将の顔も見えてくる。酒盛りの時と違って皆、引き締まった顔で具足をつけた姿は頼もしいな。


 『中務少輔(雲林院植清)よ!! よく来てくれたなっ!お前が居ればまっこと心強いぞ』


 父の姿を見つけ、陣中から勢いよく出てきたのは長野家当主・長野宮内少輔(藤定)様だ。今回の長野・雲林院勢の総大将を務める父上(雲林院植清)の兄だ。


 わざわざ陣幕から出てきて周りに揃う諸将に見せつける様に父上(雲林院植清)の肩を叩いて褒め称えている。


 工藤両家督と呼ばれる様に、長野家単独で北畠に当たるのと、我が雲林院家が合力するのでは諸将のやる気が違ってくるからな。父上も宮内少輔(長野藤定)様と仲が悪いわけではないのでそれを受け入れるように応じている。


 『おぉ我が甥、慶四郎よ!! いや、出羽守か。お前の甲冑姿は誠に立派よ。父の中務少輔に負けぬ威厳だな。はっはっは』


 『ははっ!! ありがとうございまする。某も父上に負けぬ武功を挙げて見せまする』


 『うむうむ。さすがは雲林院の跡取り。天晴れな心意気よっ!! はっはっは』


 私の口上が気に入ったのか豪快に笑う宮内少輔(長野藤定)様。笑い方と名門の出ながら気さくで豪快であるところはお爺様(長野植藤)にとても似ておるな。


 『立ち話もなんであるから2人ともとも陣幕に入られよ。細野の叔父上(細野藤光)らも既に来ておるぞ』


 『ははっ!! 此度は神戸から楠兵部少輔(正忠)殿も来ております。後ほど兄上(藤定)から挨拶を……』


 『うむ。あの赤備えが敵に見えると恐ろしいが、味方におると頼もしいことよ……。評定にて儂から声は掛けておこう』


 楠勢を見る叔父(長野藤定)の顔はどこか悔しいような、嬉しいような不思議な表情であった。長年やり合う相手であった関の手勢、楠殿らに複雑な思いがあるのだろうな……。


 さて私も気合を入れて、叔父上や細野、家所といった親族衆に挨拶してこなければ……。そんなことを考えながら、父の後を追って、陣幕を勢いよく開いて中へと入るのだった。


勢州軍記で河内武者の記載があるのですが、この河内武者は安濃津の河内という場所の武士のことかなぁと思いつつも、楠木正成公の話を出したかったので河内武者の後胤ということで登場させました……。ちなみに楠木正虎は豊臣家の祐筆にもなった人物で、楠木家の朝敵の赦免を成した人物ですね。伊勢は名門の子孫が多いです

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