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下天を征く〜陰陽師:蘆屋道仁と滝川一益の戦国一代記〜  作者: シャーロック
天文11〜12年(1542-43年) 伊勢・志摩漫遊編
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22.鬼が泣く


 明くる朝、早々に主玄に挨拶を済ませた道仁らは、伊勢方面での忍びを介した繋ぎ役を主玄にお願いし、志摩へと旅を進めることとなった。


 道中の案内を九鬼家譜代の家臣、川面政隆(十兵衛)に任せつつ、神宮領を通り過ぎ、大湊の湊で馬から九鬼の船に乗り換え、伊勢湾をしばし南下。加茂川を遡って志摩の田城城へと3日の行程でたどり着いた道仁と一益。


 この田城城は加茂川に河内川が合流する地点の南の丘の上にある城で、北と東を加茂川が流れ、西は河内川があり、南は堀をしっかりと拵えた攻めるに難い城であった。


 もともと九鬼家は、さらに南方の海沿いの波切城を居城としていたが、嫡男・弥五郎と二男・孫次郎の体調が悪くなってからは海風は良くないとして、当主・定隆が居城を内陸の田城城に移している。


 3日目の日暮れに城についた道仁ら3人だが、旅の埃を落とす間もなくそのまま謁見と相成った。場所は田城城内の大広間。篝火の焚かれた城内の廊下を案内の下男を先頭に粛々と広間へと通される。


 城内をしばし歩いた後、通された大広間には川面政隆のように日焼けで全身浅黒くなった武士らが数人。板間の広間の左に1人、右に2人、計3人が並んでいた。


 政隆に案内され中央に座すこととなった道仁と一益。川面政隆は2人を案内すると、そのまま左列(譜代衆)の先頭、道仁達から見て奥の当主の座る位置に1番近い場所へ座した。


 政隆以外の諸将からの見定められるような視線にこそばゆくなったのか、道仁の横で一益が座る体制をじりじりと動かす。


 そんな大広間で、最初に声をあげたのは川面政隆であった。


 『夜更けにも関わらずお集まりいただきありがとう御座いまする。此度、皆様方にお集まり頂きましたのは、この御両人。蘆屋道仁殿と滝川彦九郎殿をご紹介させていただきたいためで御座います。伊勢にて妖退治や加持祈祷をされておった方々で、弥五郎様、孫次郎様の件についてお力になれるのではないかと某がお連れした次第に御座います』


 政隆の紹介に合わせて平伏する道仁と一益。


 『川面殿。それは誠か? 譜代衆筆頭とはいえ、当家の御家事情を相談もなしに外に漏らしたということか? 』


 政隆の紹介にやや怒りを露わにしたのは、政隆の向かい、右列(親族衆)2番目に座した、この会合に出席する九鬼家臣の中で1番若い武士であった。この男、九鬼豊前介秀隆と言い、九鬼当主の定隆の弟(三男)で背丈が6尺を超える大男であり、武勇誉高き者として志摩では知られている。


 『豊前介(九鬼秀隆)様、それについては誠に申し訳ないとは思いますが、この御二方を呼んだのは神宮の神職も諦めた呪いを祓える見込みあってのこと。こちらに北畠家親族衆筆頭の木造御所(木造具政)様からの添え状も頂いております。どうぞご覧下され』


 そう言って政隆が懐から出したのは木造具政直筆の道仁達の身分を保証する添え状である。一介の武士に対して、木造という公卿官位を持つような名門が身分を保証するというのは、国人領主からすると大きな信頼性のある人物といえた。


 『うーむ……この書状、確かに信頼の置ける陰陽師と書いてあるようだな。豊前介(九鬼秀隆)十兵衛(川面政隆)が独断で動いたことは良くないかもしれぬが、我が九鬼家を慮ってのこと。許しても良いのではないか? 』


 書状を読んで九鬼秀隆を、低くゆったりとした落ち着いた声で諭すのは右列(親族衆)筆頭に座る九鬼石見守重隆。この恰幅のよい武士は、九鬼当主の定隆の弟(二男)で波切城主であった。


 『次兄(あにうえ)、それはそうでしょうが……。この話、鵜殿(うどの)殿はご存じだったか? 』


 秀隆は自身の向かい(左列譜代衆)に座した初老の武士に問いかけた。


 『川面殿がその様な人物を探しておったとは知りませぬが、最近、伊勢方面にて狒々という妖を退治した者らがおるという噂なら存じております。民の噂で御座いましたが、たしか木造御所様と陰陽師らがそれを成したとのことでしたな』


 静かにそう答えた白髪の少し混じる初老の武士は、川面政隆と同じく譜代衆の鵜殿次郎衛門礼忠である。政隆ほど筋骨隆々とした体躯ではないが、すらりとした手足に着物の上からでもしっかりと筋肉がついているのがわかる様な体躯の武士であった。


 『某、直接木造御所様とお会いしてその噂が本当であったとお伺いした次第で御座います。この蘆屋殿は、かの播磨陰陽師、蘆屋道満公の末孫だそうで、その腕前は確かで御座います』


 そう言って政隆は、3人の諸将に道仁達を紹介した。


 『まぁ川面殿の独断のことは後でも良い。そこな御両人、待たせてすまぬな。儂は波切城主の九鬼石見守(重隆)じゃ。本来なら長兄(あにうえ)が挨拶するところじゃが、長兄(あにうえ)も体調が優れなくてな。十兵衛(川面政隆)から話は聞いておると思うが、若様達のことがあってから気を病んでおる。今宵は遅い故、明日、若様達を診てもらえぬだろうか』


 『畏まりました。我々を信頼していただきありがとう御座いまする』


 『十兵衛(川面政隆)。御客人達の滞在先はその方の館で良いかな。明日改めて登城してもらい、どの様に祓ってもらうか確認することとする。豊前介(九鬼秀隆)、鵜殿殿もそれで良いな? 』


 重隆が確認する様に一堂を見回すと、


 『ははぁ! 』『はっ! 畏まりまして御座いますっ! 』


 川面、鵜殿、秀隆らがそれぞれ了承した。


 一堂の賛同を得たところで、九鬼重隆、秀隆兄弟は先に大広間を去る。広間に残ったのはそれを平伏して見送った川面、鵜殿、道仁、一益であった。


 『ふぅ……十兵衛。お主なかなか大胆な事をしたな。石見守(九鬼重隆)様がお主のことを高く買っておるから良いものを、この場に厳格な豊前介(九鬼秀隆)様しか居らぬ様であれば危うかったぞ』


 親族衆がいなくなった事を確認して川面政隆に苦笑いで話しかけるのは、先ほどの会合で厳格な雰囲気を醸し出していた初老の武士、鵜殿礼忠である。


 礼忠は先ほどとは打って変わって好々老とした雰囲気で政隆に話しかけていた。


 『鵜殿殿。先ほどは噂話のこと、豊前介(九鬼秀隆)様に説明していただきありがとう御座いました。御家の為とはいえ、迂闊に他家に出向いたこと。某の失態で御座います』


 『なぁに。お主の忠勤の志は儂も、殿も皆わかっておる。このような些細な事でお主が隠居でもせねばならなくなるなど、愚かなことよ。それは豊前介(秀隆)様もわかっておるからあの様に怒りさえすれど、罰することはせぬのだ』


 『はっ。ありがとうございまする』


 『よいよい。儂とお主、お主の父上が家督の頃からの付き合いではないか。』


 鵜殿礼忠は、川面政隆に対して優しい顔でそう言うと、今度は一益と道仁に向き直って話しかけた。


 『蘆屋殿は陰陽師とのことだが、此度の若様らの体調不良の件。治せる見込みはあるのですかな? 』


 道仁達をみる礼忠の顔は、先ほど政隆に向けた笑顔と同じような好々爺とした雰囲気ではあったが、その眼はぎらりと見定めるような力強いものである。


 『はっ。直接見ないことには断言は出来ませぬが、呪詛によるものであればほぼ間違いなく祓えまする』


 道仁は穏やかに、しかしはっきりと断言し平伏した。


 『よろしい。では儂から殿(九鬼定隆)に明日のことはお伝えしておこう。見込みがないのでは殿をぬか喜びさせるだけであるが、祓える見込みがあるのならば殿も希望が生まれよう……。共に海に出ていた頃のように』


 そういうと礼忠は昔の記憶を呼び起こすかのように、遠くを見るような目をするのだった。



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